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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~二年生~

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第百二話 12月24日 クリスマスイブと、二人分の一日


 冬休みに入って、三日目だった。


 渋谷駅前のスクランブル交差点は、いつもよりざわめいていた。

 街路樹には青白いイルミネーションが巻きつけられ、通り過ぎる人の顔を、時折淡く照らしていた。


 (おう)は、待ち合わせ場所の少し手前で足を止めた。


 まだ約束の時間まで、十分ほどある。

 早く来すぎた、と思いながらも、腕時計に目を落とした。


 祖父から譲り受けた、古い文字盤の腕時計だった。

 針の進みを確かめるように、無意識に指先で撫でた。


(緊張してるのか、俺)


 自分でも、その理由がすぐには分からなかった。

 付き合い始めてから、一年以上が経っている。

 それでも、今日という日には、いつもと違う重さがあるようだった。


 私服姿で誰かを待つのは、今日が初めてではない。

 それでも、クリスマスイブという言葉の響きが、

 いつもより少しだけ、胸の奥をそわそわさせていた。


「……央さん」


 声がして、顔を上げた。


 みおが、少し早足でこちらへ向かってくるところだった。

 ベージュのロングコートに、白いマフラーを巻いている。

 いつものシュシュの代わりに、髪を緩く編み込んでいた。


「お待たせしました」


「いや、俺も今来たところ」


 央は、そう言いながら、目のやり場に一瞬迷った。

 私服のみおを見るたびに、少し新鮮な気持ちになる。

 背の高さも、コートの丈も、街中で自然に人目を引くのに、

 本人はそのことに、今も慣れきれていないようだった。


「寒くないですか」


「大丈夫です。……央さんこそ」


 みおが、聞き返した。


「平気です」


 二人は、どちらからともなく歩き出した。


 人通りの多い大通りを避けて、央は自然に、みおを裏路地側へ促した。

 人混みの中で、みおの視線が集まりやすいことを、央はよく知っている。

 言葉にせず、さりげなく歩くコースを選ぶことが、いつのまにか習慣になっていた。


「今日、静かな道ばかりですね」


 みおが、ふと言った。


「……気づいてました?」


「はい。……いつもそうしてくれてるの、知ってます」


 みおが、少し照れたように笑った。


「ばれてましたか」


「わたし、鈍くないので」


 みおが、そう言って、少し得意げに言った。


 欅並木のイルミネーションは、青と白の光で、通りをまるごと覆っていた。

 枝先から垂れる光の粒が、風に合わせてわずかに揺れている。


 立ち止まって光を見上げるみおの横顔を、央はしばらく眺めた。


(きれいだな)


 光のことか、みおのことか、自分でもよく分からなかった。


「央さん、見てないで、写真撮りましょうか」


「……いや、いいです。見てるだけで」


「そうですか」


 みおが、そう言って、小さく笑った。


 通りの途中、演奏をしている人たちがいた。

 クリスマスソングの合奏に、足を止める人だかりができている。


「聴いていきますか」


 央が聞いた。


「少しだけ」


 二人は、人だかりの端で、しばらく耳を傾けた。

 音が途切れるたびに、小さな拍手が起きた。


「こういうの、去年は行かなかったですね」


 みおが、ぽつりと言った。


「……そうですね」


 央は、短くそう答えた。

 それ以上は、まだ言葉にしなかった。


 演奏を聴き終えて歩き出すと、道の途中に、雑貨店のショーウィンドウがあった。

 揃いのマグカップや、揃いの手袋が、季節限定の飾りつけの中に並んでいる。


 みおが、その前で、少しだけ足を止めた。


「……揃いのやつって、なんか、恥ずかしいですよね」


「そうですか?」


「はい。……でも、ちょっとだけ、気になります」


 みおが、そう言いながら、視線を横に逃がした。


「今度、探してみますか」


「……今度、で」


 みおが答える声は、思ったより弾んでいた。

 それに気づいたのか、みお自身も、少しだけ気まずそうに視線を逸らすと、

 そのまま、少し早足で先を歩き出した。


 央は、その背中を追いながら、内心で少し笑った。


 背の高い誰かと並んで歩くことに、こんなにも安心できるとは、

 自分でも思っていなかった。

 誰にも話したことのない憧れが、今、ちゃんと形になっている。

 その事実に、まだ時々、実感が追いつかないことがあった。


 夕食は、駅から少し離れた小さなイタリアンの店を選んだ。

 太秦(うずまさ)から「そこ、当たりらしいぞ」と聞いていた店だった。


 料理を待つ間、二人はとりとめのない話をした。

 冬休みの宿題のこと。

 テストの結果のこと。

 来年もクラス替えがないことへの、ささやかな安心。


「二年生も、もう終わりに近づいてるんですね」


 みおが、パンをちぎりながら言った。


「早いです。……去年の今頃は、まだ何も分かってなかったのに」


「わたしも、そうでした」


 みおが、そう言って、少し遠い目をした。


「最初にみおって呼んだの、覚えてます」


 央が、ふと言った。


「……緑道のベンチですよね」


「はい。あの日から、色々変わった気がします」


「わたしも、あの日のこと、たまに思い出します」


 みおが、そう言って、少し照れたように笑った。


「梅晴堂の前で、そわそわしてたのも覚えてます」


「……それは、言わない約束です」


 みおが、少し慌てたように言った。


「言ってません、今初めて言いました」


「言ってるじゃないですか」


 みおが、そう言って、少し頬を膨らませた。

 その表情に、央は、思わず笑ってしまった。


「誕生日にどら焼き渡した時のことも、まだ覚えてます」


「……あれは、驚きました。GWの話、覚えててくれたんだって」


 みおが、そう言って、少し目を細めた。


「覚えてないわけ、ないです」


 央が、静かにそう言った。


 みおは、それに対して、何も言わなかった。

 ただ、少しだけ、口元を緩めていた。


 食後、央はいつものように、ブラックのコーヒーを頼んだ。


「相変わらず、ブラック派なんですね」


「高校生らしくない、ってよく言われます」


「わたしは、嫌いじゃないです。……大人っぽくて」


 みおが、そう言って、少し目を伏せた。


「みおは、甘いの派でしたね」


「はい。……今日も、我慢できるか分かりません」


 みおが、少し困ったように笑った。


 店を出て、駅までの帰り道、路地の角に、見覚えのある暖簾があった。


「……梅晴堂」


 みおが、思わず足を止めた。


「寄っていきますか」


「……いいんですか?」


「今日くらい、いいと思います」


 央が、そう言うと、みおの表情が、分かりやすく明るくなった。


 店先に並んだ和菓子を、真剣な目で吟味するみおを見ながら、

 央は、こっそり笑いをこらえた。

 この顔を見られるのは、自分だけかもしれない。

 そう思うと、少しだけ、得をした気分になった。


「……クリスマス限定の、柚子餡があります」


 みおが、小声で報告するように言った。


「買いましょう」


「いいんですか、こんなに」


「みおが我慢してる顔の方が、見てて落ち着かないので」


「……それ、褒めてます?」


「褒めてます」


 みおは、少しだけ赤くなって、それ以上は何も言わなかった。

 紙袋の中身を、大事そうに両手で抱え直す仕草が、いつもより幼く見えた。


 梅晴堂を出て、少し歩いた先の小さな公園で、二人はベンチに座った。

 街灯の光が、二人の間に、柔らかく落ちていた。


「……あの、これ」


 央が、鞄から取り出した小さな包みを、みおに差し出した。


 指先が、少しだけ震えていた。


「開けても?」


「はい」


 包装紙の中から出てきたのは、一冊の文庫本だった。


「これ……」


 みおが、表紙を見て、息を呑んだ。


「前に、続きが出たら読みたいって言ってた本、探しました」


「……ずっと絶版で、見つからなかったやつです」


「古本屋、何軒か回りました」


 央が、少し照れくさそうに言った。


「三軒目で、やっと見つけました。……状態がいいのを選ぶのに、また時間がかかって」


「そんなに、探してくれたんですか」


「速読、得意なので。……探すのも、得意なつもりです」


 央が、そう言うと、みおは、少し噴き出すように笑った。


「……ありがとうございます」


 みおが、本を胸に抱くようにして、そう言った。

 その声は、いつもより少しだけ、震えていた。


「わたしも、渡したいものがあります」


 みおが、鞄から取り出したのは、紺色のマフラーだった。


「……央さん、朝早く外にいること多いから。寒そうだなって、前から思ってました」


「……気づいてたんですか」


「はい。腕時計、考え事のとき、いつも撫でてるのも」


 みおが、そう言って、少し悪戯っぽく笑った。


「それは……見られてたか」


 央は、思わず、腕時計に触れていた手を止めた。


 二人は、しばらく笑い合った。


「巻いてみてもいいですか」


「はい」


 みおが、央の首に、そっとマフラーを巻いた。

 指先が、一瞬だけ、頬をかすめた。


「……あったかいです」


「よかったです」


 みおが、そう言って、満足そうに笑った。


「……去年の今頃は、まだここまで自然な関係じゃなかったですね」


 みおが、ふと、そう言った。


「……はい」


 央は、静かに頷いた。


 あの頃はまだ、隣の席というだけの関係だった。

 名前で呼ぶことさえ、遠かった。

 今、隣にいるみおは、あの頃とは違う近さで、隣にいる。


「一年で、随分変わりましたね」


「はい。……全部、みおのおかげです」


「また、それ言うんですか」


 みおが、少し呆れたように、でも嬉しそうに言った。


「本当のことなので」


 央が、そう言うと、みおは、小さく笑って、マフラーの端を、そっと直した。


 駅までの道を、二人はゆっくり歩いた。

 もらったばかりのマフラーを、央は、首元に馴染ませるように、軽く押さえた。


 改札の前で、二人は足を止めた。


「今日は、ありがとうございました」


「こちらこそ。……楽しかったです」


「はい」


 みおが、そう言って、少しだけ、名残惜しそうな顔をした。


「また、連絡します」


「はい。……よいクリスマスを」


 央が、そう言うと、みおは、少し照れたように笑って、改札の向こうへ歩いていった。


 その後ろ姿が、改札の奥に完全に見えなくなるまで、央は、その場に立ち続けていた。


 電車が動き出した頃、スマホが震えた。


───────────────────────

みお :無事、家着きました

央  :マフラー、大事に使います

央  :本、読んだら感想聞かせてください

みお :はい。……今夜、少し読んでから寝ます

央  :柚子餡、一つだけ味見しようか迷ってます

みお :わたしも迷ってます

央  :明日、感想言い合いましょう

みお :はい。……今日は、ありがとうございました

央  :こちらこそ

───────────────────────


 短いやりとりだったが、央は、その画面を、しばらく眺めていた。



 電車の中で、みおは、窓に映る自分のマフラー姿を、そっと見た。

 紺色は、思っていた以上に、央によく似合っていた。

 膝の上の紙袋には、探し当ててくれた文庫本と、柚子餡の包みが並んでいる。


(一年前は、こんな日が来るなんて、思ってもみなかった)


 みおは、そう思いながら、窓の外を流れる光を眺めた。


 一年前の自分は、注目されることが怖くて、

 できるだけ小さく、できるだけ目立たないように、日々をやり過ごしていた。

 それが今は、隣を歩く誰かがいるだけで、こんなにも景色が違って見える。


 自分の身長も、目立つことも、今日は不思議と、気にならなかった。


(央さんのおかげ、なんだろうな)


 みおは、そう思いながら、紙袋を、少しだけ強く抱きしめた。



 央は、駅の明かりを背に、家路についた。

 新しいマフラーの中に、冬の夜風が、あたたかく留まっていた。


(みおのおかげ、か)


 口にした言葉を、もう一度、心の中で繰り返した。

 誇張でも、社交辞令でもなく、本当にそう思っていた。


 家に着くと、祖父がリビングで、静かに新聞を読んでいた。


「おかえり。……マフラー、新しいのか」


 祖父が、眼鏡越しにそう聞いた。


「うん。……もらった」


「そうか」


 祖父は、それだけ言って、また新聞に目を戻した。


 それから、少し間を置いて、もう一言だけ付け足した。


「いい色だ。……お前の母さんも、そういう色が好きだったな」


「そうなの?」


「若い頃の話だ。もう忘れてるだろうがな」


 祖父が、そう言って、小さく笑った。


 それ以上は、何も聞かれなかった。

 その距離感が、今の央には、ちょうどよかった。


 自分の部屋に戻ると、央は、もらった柚子餡を、机の上にそっと置いた。

 一つだけ、味見してみようかと思ったが、やめておいた。

 明日、みおと感想を言い合う楽しみに、取っておきたかった。


 もらったマフラーを、そっと椅子の背にかけ、しばらくその紺色を眺めた。

 特別なことは、何も起きていない。

 それでも、去年の自分には想像もできなかった一日が、確かに今日、ここにあった。


 窓の外では、クリスマスイブの街が、まだ賑やかな光に包まれていた。

 二人分の一日が、静かに、暮れていった。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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