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透き通ったガラス越しに  作者: 湘南乃炎


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3-3


今日も今日とて、旅人はスポーツセンターに来ていた。


 海人は講義があり、今日は一人だった。


「ふぅ……」


 球種がランダムに投げられるマシン。


 変化球にも、だいぶ対応できるようになってきた。


 規定球数を終え、マシンが止まる。


 旅人はネットを越え、外へ出た。


「あ……」


「ん?」


 目の前に立っていたのは、石塚だった。


 どうやら、バッティングを見ていたらしい。


 視線が合う。


 もう、誤魔化しようはなかった。


「旅人、さんでしたっけ……」


「同い年だ。タメ口でいいよ。石塚くん」


「じゃあ……旅人。バッティング、上手いんだな。

 海人が誘った理由、なんとなくわかった気がする」


 気づけば二人は、並んでベンチに座っていた。


 石塚が過去を話したことで、何かが少しだけ溶けたのだろうと、旅人は思った。


「それで……出る気にはなったか?」


「いや……」


 石塚は首を振る。


「やっぱり、俺には無理だ。谷口さんの代わりなんて、果たせる気がしない。また同じことになる気がして……」


 拳を強く握りしめる。


 旅人は背をベンチに預け、空を仰いだ。


「その恐怖は、自分にしか分からない。

 乗り越えられるかどうかも、結局は自分次第だ」


「でも……その一歩が出ない。それに

 逃げるのも、同じくらい怖いんだ」


「逃げること自体は、悪いことじゃない」


 旅人は静かに続ける。


「距離を置いて、初めて見えるものもある。

 ただ――」


 視線が、足元のバットに落ちる。


 それはガラスのように、触れれば割れそうで、同時に重かった。


「一度逃げたら、戻れる保証はない。

 それが、ずっと自分を縛ることもある」


「……まるで、自分のことみたいに言うな」


 石塚はそれ以上、踏み込まなかった。


 旅人もまた、踏み込ませなかった。


「責任はな、最初から全部背負うもんじゃない」


 旅人は続ける。


「感じ方次第で、重さは変わる。

 それに――谷口先輩は、石塚くんが思ってるほど、背負わせる人じゃないだろ」


 石塚は、ゆっくりと頷いた。


 きっと、一番分かっているのは石塚本人だった。


「……最終的には、自分で決めるしかないよな」


「ああ」


 旅人は『逃げるな』とは言わない。


 ただ、同じ苦しみを背負ってほしくないだけだった。


「なあ。ひとまず……練習、付き合ってくれないか」


 旅人は石塚に向かって言った。


「自分じゃ、気づけないこともあるだろ」


「俺が教えられることなんて、たかが知れてるけどな……」


 少し間を置いて、石塚は頷いた。


「ああ。わかった」


 こうして、スポーツセンターという限られた場所で、

 二人の関係は、静かに動き始めていた。


 ――


 仕事の合間を縫って、練習に励むこと数週間が経った。


 呼び戻される過去の感覚を、確かに旅人は感じていた。


「ついに……今日か」


 迎えた試合当日。結局、石塚は試合に出ることを選ばなかった。


 けれどそれが間違いだと、旅人は言わなかった。


「なんだ。緊張でもしてるのか、旅人」


「まぁ……少しはな」


 からかう海人を言葉で流す旅人。


 久しぶりに立つ野球場。選手として立つ球場は、ここまで広く、大きかっただろうかと旅人は思う。


「気楽に行こうぜ。空韻(そらおと)くん」


「あ、はい。胸を借ります」


 セカンドを守る先輩が、旅人をグローブで軽く叩いた。


 旅人は首を振り、人を探す。


 その先には、石塚に声をかける谷口の姿があった。


「ほら旅人、行くぞ」


 既にスタメンの選手たちは、グラウンドに整列しようとしていた。


旅人は海人の背を追いかけるように、ベンチを出る。


 まさに試合日和の晴天の青空が、旅人を迎える。


 眩しい空に手をかざし、見上げた。


「また、ここに立ったよ……――咲」


 その呟きは、虚空へと消えていった。


 ――


 両チームが挨拶を交わし、試合開始の合図が響いた。


 こちらの野球部は、決して強豪というわけではない。


 けれど、大学での開催と四年生最後の試合とあって、かなりの人々が見に来ていた。


 相手チームも、飛び抜けた強豪とはいかないまでも、過去に何人かプロ選手を輩出している。


「皆! 気張っていこうぜ!」


 旅人はショートの位置に着きながら、その掛け声に頷いて応じる。


 懐かしい土を踏みしめる感覚。


 チームは後攻。プレイボールの声がかかり、意識はピッチャーへと集中した。


 難なくツーアウトを取り、まだ旅人の元へボールが転がってくることはなかった。


 だが、旅人は気を緩めず待ち続ける。


 その刹那、ピッチャーの投げ込んだ球が弾き返される。


 ショート寄りのセンターへ抜けるような打球。


 考えるよりも先に、旅人の体は動いていた。


 土を踏みしめ、腕を伸ばしきる。


「――くっ!?」


 ほんの僅か届かない距離。


 旅人は苦しげに顔を歪めた。


 ――また、逃げるわけにはいかない。

 ここに立った以上、最善を尽くす。


 旅人は足を蹴り、ボールに飛びついた。


 ――届いた。


 だが、無理をした動きでボールはグローブからこぼれ落ちる。


 咄嗟に旅人は掴み取り、送球の姿勢を取った。


 打者は、一塁ベースの数歩手前。


 それを確認しながら、旅人は腕を振り抜く。


 ――届け!


 ボールはファーストのグローブに吸い込まれ、乾いた音を立てた。


 それとほぼ同時に、打者がベースを踏み抜く。


「どっちだ……」


 旅人の呟きは、張り詰めた沈黙に掻き消える。


一瞬の静寂に包まれた球場は、次の瞬間、審判の一声で破られた。


「――アウト!」


 巻き起こる小さな歓声。


 旅人は、借り物のユニフォームについた土を払う。


「ナイス! 空韻くん!」


「上手いな!」


 内野の面々に肩を叩かれ、反応に困る旅人。


「いたっ」


「ナイス! 旅人。後ろから見てたけど、すげぇな!」


 背後から頭を叩く海人に、旅人は目を細めた。


 だが気にする様子もなく、海人はそのまま旅人の背を叩いた。


 ベンチへ戻ると、他のメンバーからも迎え入れられる。


 それに応じながら腰を下ろすと、石塚がこちらへ向かってきた。


「流石だな。旅人……」


「ああ、ありがとう」


 その複雑な表情を、詮索することなく受け止める。


 感情の奥底までは分からない。


 けれど石塚にとって、何かを動かすきっかけにはなっただろうと、旅人は思った。


「ふぅ……」


 攻撃に移り、チームメイトの打席を見守る中、旅人は一息つく。


 押し寄せたプレッシャーに、手が僅かに震えた。


 だが不思議と、それを嫌だとは感じなかった。


 そうこうしている内に、打席の準備が回ってくる。


 旅人は海人の強引な推薦で、五番を任されていた。


 立ち上がり、ネクストサークルに立って素振りをしながら、試合の流れを追う。


 今は一アウト、一・三塁。


 この好機で打席に立つのは、四番の海人だった。


 三年生ながら、その打力を買われて任されている。


 しかし、相手のチェンジアップに泳がされ、空振り三振に倒れた。


「悪いな。旅人、決められなかった」


 とぼとぼとベンチへ戻る海人の背を、旅人は軽く叩いた。


 言葉はなくとも、それで十分だった。


「……すぅ。はぁ」


 旅人は打席に立ち、相手投手を見据える。


 百五十キロ近い直球に、チェンジアップ、スライダー。


 手本と言っていいほどの、本格派投手だ。


 旅人は、これまでの投球を思い返す。


 このようなピンチの場面でも、迷わずストレートを投げ込んできていた。


 おそらく初球も、様子見などせずゾーンに入れてくる。


 相手が足を上げ、投球動作に入る。


 ――やっぱり、この感覚だ。

 捉えるべきは、初球。


 投げ込まれた球は、一切スピードを落とすことなく迫ってくる。


 旅人も足を上げ、体を捻った。


 外いっぱいのストレート。


 バットは芯を捉え、三塁手の頭を越えた。


「回れ! 回れ!」


 掛けられる声に応えるように、旅人は全力で駆け抜ける。


 一塁ベースを蹴り、本塁を見た。


 ランナーは軽々と生還し、旅人は二塁に滑り込んだ。


 先制点となる、タイムリーツーベース。


 文句のつけようのない当たりだった。


「ナイスヒット! 旅人!」


 ベンチからの声に、旅人は腕を上げて応じる。声に、旅人は腕を上げて応じる。


 スコアボードには、1点と付け足されていた。


 それを見つめる旅人の手は、もう震えることはなかった。


 


 

野球回は人気があると聞いたもので

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