3-2
野球の練習だけを眺めていた翌日。
旅人は、仕事が落ち着き、その合間に近所のスポーツセンターに来ていた。
「思ったより綺麗だな…………」
「一度改修してるらしいからな。近くの野球経験者は皆使ったことあるぜ」
旅人の呟きに、海人が補足する。
昨日、旅人が練習はスポーツセンターでやると言ったのを聞きつけ、どうしても海人がついて来ようとした。
それに旅人が折れ、一緒に来ていた。
「バッティングに、守備、ピッチングもあるのか」
「バッティングに関しちゃ、変化球も出せるんだ」
旅人は、まず時速100kmのマシンへ向かった。
ケースからなじんだ木製バットを取り出し、打席に立った。
足裏で地面を確かめる。
忘れていたはずの感覚が、静かに戻ってくる。
「左打ちなのか。それにやっぱ様になってるな」
旅人の後ろで、ネット越しに海人が声を掛ける。
バッターサークルの中で、軽く素振りをすると小銭をあさり、起動させた。
――まずは1球目。
早くはない。まずはバットにボールを当てる感覚を取り戻す。
いつもの素振りの感覚のまま、振りぬく。乾いた音。
白球は素直に前へ飛んだ。
「悪くないか」
「ブランクなんてあんのか、本当に……」
海人の呟きを無視して、旅人は続ける。
1球1球丁寧に、振りぬいていく。忘れ去っていた感覚が、徐々に体に戻っていく。
20球を終え、マシンが止まると旅人は打席から離れ外へ出た。
「全然問題なさそうだな。それで徐々に上げてくのか?次は120?」
「いや、150でいく」
「おいおい……100から150って」
海人は、その差に心配を示したが、旅人は問題ないと判断した。
毎日の素振りのおかげか、バットの扱いは問題無さそうであった。
あとは早い球に目を慣らすだけだと、旅人は思った。
150kmのマシンに移動し、先程同様起動させる。
まずは打席にたち、構えるのみ。
機械音がなり、ボールはまっすぐ体の横を通過する。
ゴムの壁に当たったボールはコロコロと足元へ転がった。
「なんだ、久しぶりの速球にビビっちまったかー?」
「目を慣らしただけだ。次からは――」
旅人は次に来るボールに備え、腰を据えて構える。
想像以上に早かった。感覚を取り戻すのは難しいだろうと高を括る。
先程とほとんど同じ軌道。思い通りのスイングをする。
「少し振り遅れたか」
振り遅れた打球は、3塁方向に打ち上がる。
良ければファール。悪ければフライとなっていたものだった。
「こりゃ時間がかかるかもしれないな……」
旅人は自分の逃げていた時間を、その一振で実感した。
――
「ふう……」
「お疲れさん。はいよ」
「あ、ああ。ありがとう」
100球以上打ち込んだところで旅人はやめた。
丁度いいほどに汗をかくと、海人が飲み物を差し出す。
「やっぱ旅人を誘っといて良かったぜ。ブランクなんてなかったな」
「いや、まだまだだな。捉え損ねたものもあった」
「後半はほとんど捉えてただろ。いい打球も多かったぜ」
海人の言葉は励ましでもなく、事実を述べているのだろう。旅人は表情を見て悟る。だが、満足とは程遠かった。
ただでさえ、ブランクがある中で、苦手なピッチングマシン。
「やっぱり生きたボールじゃなきゃ難しいか……」
「そんで、これで終わりにすっか?」
「いや、守備もやっていくさ」
ペットボトルを半分飲み干すと2人は守備のマシンへ移動する。
しかし、先客があった。
初心者離れした動きで守備をこなしている。
「人がいるな。少し待つか。海人どうした?」
声をかけているのに反応のない海人を旅人は見る。
海人は相当その守備に思うことがあるのか、釘付けになっている。
「彰、吾……彰吾なのか?」
海人の声に、目の前の人物は振り向いた。
ネット越しに2人の目が合う。
「海人……」
今回の件の重要人物。石塚彰吾その人だった。
――
「それで、なんで練習に来ないで、こんな所にいるんだ?」
話をするためにひとまず、スポーツセンターの入口へ移動した。
旅人はタバコを片手に、2人から距離を取って遠くから眺めるように話を聞いていた。
「いや、戻る気になれなくてよ……合わせる顔がなくて」
「気持ちはわかるけど、顔くらい出せよ。次が先輩たち最後になるんだぞ」
旅人は言葉も返さず静観する。
かける言葉は見当たらず、ただじっとしているしかなかった。
「何がお前をそこまでさせるんだよ。彰吾」
「それは……」
海人の攻めに、石塚は口を閉じる。
海人が嫌気を差し、乗り出すのを旅人は止めた。
「おい、旅人――」
「過去に同じような経験があるんじゃないのか?」
「そう、なのか?彰吾」
石塚は下を見つめ黙り込む。それは肯定と取れる沈黙だった。
旅人は痛む胸を抑え、灰を落とす。
「海人、1度話を聞いた方がいいんじゃないか」
「それもそうだな。話してくれよ、彰吾」
石塚は声も発さず、顔が歪む。ただ旅人たちは待つだけ。
とめどなく続く沈黙に耐えかね、石塚はついに口を開いた。
「あれは、高二の頃だ――」
――
「どう思うよ、旅人。あいつは」
石塚から話を聞いたあと、結局そのまま守備練習もこなし、三人は帰路についていた。
石塚の過去。それは、かつて先輩の代わりに出場し、大事な場面で失敗してしまった――そんな出来事だった。
けれど、その『ただ一度』が、人をどれほど縛るのかを、旅人は知っている。
久しぶりに酷使した手のひらを見つめる。
皮膚の下に残る鈍い痛みが、過去の感触と重なった。
「一度負った大きな失敗は、他人が思う以上に尾を引くものだ。一度目よりも、二度目のほうが、ずっと勇気がいる」
「……そうだよな」
海人は先を歩き、旅人は斜め後ろをついていく。
「正直さ、あんな苦しそうな顔、初めて見た」
石塚の伏せた目、言葉を探す間。
それらが、旅人の中で反芻される。
「じゃ、俺はこっちだから」
海人は足を止め、振り返る。
「旅人も、あんま深く考えすぎるなよ。試合に出てくれるだけでも、正直助かってる」
「ああ。依頼だからな。最善は尽くすさ」
「旅人らしいな。じゃあ、また」
手を振る海人の背が遠ざかる。
旅人はしばらくその背中を見つめてから、歩き出した。
イヤホンを耳に差し込み、音楽を再生する。
聞き慣れたリズムが、逃げ出した過去を静かに呼び起こす。
BUMP OF CHICKEN『ガラスのブルース』。
「……責任は、結果を背負ってなきゃいけない、か」
石塚の言葉が胸に残っていた。
失敗の先に成功がある、と人は言う。
けれど、その失敗が、未来を縛る鎖になることもある。
だから旅人は、石塚を否定できなかった。
むしろ、その恐怖を――理解してしまった。
空を見上げると、音楽は次第に遠のいていった。




