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透き通ったガラス越しに  作者: 湘南乃炎


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3-1 責任と逃避



 夏が終わりを告げるように、日の出が遅くなり始めたこの頃。


 旅人は朝の日課を終えると、大学に来ていた。


 週に1、2回しか来ることのない大学に、妙な憂鬱感を感じていた。


「はぁ……」


 最近では、相談件数が増え、その対応に追われていた。


 大学では珍しく、缶コーヒーを買い、食後に飲んでいた。


 「よっ。旅人。どうしたよ、ため息なんてついて」


 まるで示し合わせたように、いつも通りのタイミングで海人が声をかけた。


 「少し仕事が忙しくてな。昨日やっと大方片付いたんだが」


 旅人はコーヒーを飲み、疲れた瞼を指で慣らした。


 海人は、その様子を申し訳なさそうに見つめる。


 「なんだその顔は」


 「いやー。ははっ。お疲れのとこ悪いんだけどさ。――依頼いいか?」


 海人は申し訳なさを含んだ笑いで、手を合わせ頼み込んだ。


 旅人はその様子を見て、辟易する。


 これまでのらりくらりと口でいいながらも、依頼をしてこなかった。


 そんな海人がここまでして、依頼をする。


 その違和感が、簡単な案件ではないと思わせていた。


「一応――話だけは聞こうか」


「まじか!?助かるわ」


 海人は、破顔して身を乗り出した。旅人は静止し、話すよう促す。


「それがな――」


 海人の依頼内容。それは野球部に関わることだった。


 時期は夏の終わり。既に4年生の引退という大事な時だった。


 次に控えるのは、その引退試合となるもの。

 しかし、それを控えた今に問題が起きたようだった。


「ショートでレギュラー張ってた先輩が怪我しちゃってよ……うちの部は別に強くないんだが、その先輩だけは違ってさ」


「控えの誰かを出せばいいじゃないか」


「そんな単純な話じゃんないんだ」


 海人は複雑な表情で語る。


 曰く、部の中で最も信頼されていた先輩の後釜、その重責に控えの誰もが出場することを拒否しているそうだった。


 旅人は他人事とは思えないことに、胸の奥が僅かに軋むのを感じた。


 その責任を背負う覚悟は、そう簡単にはできない。


「その先輩が、名指しである後輩に代わりに出るよう頼んだんだがな……どうしても嫌みたいでよ」


 海人はチラリと旅人を見やりながら話し続ける。

 その露骨な視線に、旅人は呆れた。


「それで本題に移ろうか。依頼内容は?」


「その先輩の代わりに出て欲しいんだ!それと……後輩の説得も」


 案の定、予想の範囲内だった内容に旅人は、堪えた。


 野球の試合出場。それに重責のあるもの。


 それでいて繊細な後輩のサポートまで。


 旅人は聞かなければ良かったと、酷く後悔した。

 胸の内側に、透明なガラスが音もなく降りてくるような感覚。


 逃げ場のない場所に、自分を閉じ込めてしまった気がした。


「なら最初から後輩を説得する方向は」


「それは絶対じゃないだろ?それに先輩は途中出場でもいいから、後輩に代わりに出て欲しいんだと」


 その先輩は、後輩にそれほどの信頼を寄せているんだと、話を聞くだけでも旅人にはわかった。


 旅人は考える。


 ――野球。


 高2の時に、逃げ出した旅人にとっては嫌な記憶だった。


 それは野球だけでなく、全てから。


 ガラス越しに世界を眺めるように、当時の自分は何も掴もうとしなかった。


 それを思い起こさせるようなことに、嫌な汗が滲む。


「依頼なら受けてくれるって言ったよな」


 悩む旅人に、海人は追い打ちをかけるように言った。


 それは脅しなどではない。けれど旅人にとっては、確かに追い込む言葉だった。


 手には懐かしいグローブの感覚。

 ボールの縫い目。

 バットの重さ。

 応援してくれていた、あの子の表情。


 全てが押し寄せ、記憶に靄をかける。


 ――あの時、確かに自分は逃げたのだ。


「わかった……引き受ける」


「よっしゃ!成立だな。それでポジションは?」


 海人の満面の笑みを前に、旅人は小さく呟いた。


「……ショートだ」


 ガラスの向こうに置き去りにしてきた夏が、まだ割れずに残っている。


 夏は、まだ終わりではなかった


 ――


「じゃあ早速練習だな」


「俺は部の練習には参加しない」


「え、は、どういうことだよ」


 海人は早速立ち上がり、やる気に満ちていたが、旅人の冷めた言葉に首を傾げた。


「部外者が参加するわけにはいかないからな。ただ――様子だけは見に行くさ」


 旅人の妙なこだわりに、海人は考えるのをやめた。


 食堂を離れ、二人して野球部の元へ向かう。


 大学の正門とは反対へ向かい、ネットで囲われた野球場が目に入った。


 既に何人かが、練習を始めている様子であった。


 「おう、海人来たか。ん?そいつは」


 「お疲れっす。こいつが谷口先輩の代わりで頼んだやつです」


 声をかけてきたのは、練習には加わらず、外から全体を見守るように立っている人物だった。


 海人が旅人の耳元で囁く。


 「この人が、話した谷口先輩だ」

 

 「初めまして。空韻です」


 「おう、そうか。巻き込んじゃって悪いな。それで……野球に関してはどの程度できるんだ?」


 旅人に向き直った谷口は、早速本題に入った。


 逃さない視線に旅人は慎重に言葉を選ぶ。


 「ある程度はこなせます。ただ……あまり期待はしないでください。ブランクもあるので」


「そうか」


 一度だけ、谷口は頷いた。


「無理はさせない。ただ、責任のある場所だ。見る目は厳しくなる。それでもいいなら――頼みたい」


 その言葉に、軽さはなかった。


 海人が口を挟む。


 「いや、期待してもいいと思いますよ。きっと」


 「余計なこと言うな海人」


 旅人は海人を肘でつつき、宥めた。


 谷口はその様子を笑いながら見ていた。


 「それより先輩、彰吾の奴は……」


 「石塚か……今日は来てないらしくてな」


 この場に名前が出た人物。石塚彰吾。


 それが件の後輩の名前だった。


 「悪いな。旅人。あいつ今日来てないっぽいわ」


 「まぁいいさ。一旦練習だけ見ても構わないですか?」


 「ああ。好きなだけ見ていってくれ」


 谷口の言葉に甘え、旅人はフェンス越しに野球場を見ていた。


ネットの向こう側で、彼らは声を掛け合い、白球を追っている。


 まるで分厚いガラス越しに、別の世界を眺めているようだった。

僅かな暇で読んでくれてありがとうございます


第1作もありますので、そちらもぜひ日々のつまみに

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