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透き通ったガラス越しに  作者: 湘南乃炎


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2-2

翌日、通い慣れた公園で旅人は待っていた。

 

 腕時計をみやり、近くのベンチに腰を据えた。


 待ち合わせている人を思いながら、栞を挟んだ本を開く。


 夏目漱石、『こころ』。


 指で文字をなぞり、相談者の女性の顔を思い出す。


 環境が変われば、関わる人も変わる。

 それは生きている以上、避けることはできない。

 それでもその中で、人は足掻きながら生きていくしかない。


 ――人はなぜ、こんなにも複雑なのだろうか。


 土を踏みしめる足音に、旅人は本を閉じた。


「お待たせしました、それで……」


「はい、相談の回答を返そうと」


 女性の相談者の前に、相談を受けていた会社員の男性。

 旅人はベンチへ座るよう促す。

 彼は落ち着かない様子で、隣に腰を下ろした。


「あれから、件の新入社員とはどうですか?」


 旅人は開口一番に現状を尋ねた。


「変わりは、ありません。むしろ……嫌な感じです。辞める人特有の空気を出しているというか」


「そうですか。少しでもその件について話しましたか?」


「い、いえ」


 旅人は彼の方へ向き直り、目を見た。

 同じベンチに並んで座っているはずなのに、二人の間には、透明な隔たりがあるように感じられた。


「結論から言います。――もっとその人と向き合い、話すべきです。恐れずに」


 男性の表情は変わらなかった。

 自分でも分かっていたのだろう。ただ、その一歩が踏み出せなかっただけだ。


「言葉にしなければ伝わりません。察するなんて、そんな器用なことができるなら、最初からこんな状況にはなっていません」


 旅人は思う。

 人は誰しも、語らない部分を抱えている。

 それは嘘ではなく、身を守るための殻のようなものだ。


 だが、その殻に閉じこもったままでは、いつか内側から自分を傷つける。


「そうは言っても……相手にその気がなかったら、どうしようもないじゃないですか」


「それは、決めつけです。あなた自身の物差しで、相手を測っているだけだ」


 旅人は静かに続けた。


「相手も、あなたと同じなんです。本心を語るのが、怖いだけですよ」


 男性は言葉を失い、唇を噛み締めた。

 旅人には分かっていた。その恐れも、その先で味わう苦しさも。


「同じだからこそ、分かり合えるはずです。あなたが思うより、ずっと」


 男性は何も言わなかった。

 けれど、その視線の先には、キャッチボールをする子どもたちの姿が映っていた。


「……言う通りだと思います。分かってたんです、きっと。勇気をもらえました。少し、頑張ってみます」


「はい。また、結果を聞かせてください」


 男性は立ち上がり、来た時よりも引き締まった背中で去っていった。


 旅人はその背を見送ると、スマホを取り出した。


「仕上げといくか……」


 そう呟き、件の新入社員――女性へ電話をかけた。


 ――


 それから一週間後。

 旅人は、夜の飲み屋街を歩いていた。


 淡い光が、現実と非現実の境目を曖昧にしている。

 路地裏の小さな店に入り、軽く会釈をする。


「いらっしゃい。何名様で」


「待ち合わせです」


 店内の奥、小さく手を振る二人の元へ向かった。


「お待たせしました」


「待ってましたよ、空韻(そらおと)さん」


 会社員の男性と、女性は並んで座っていた。

 互いに、以前よりも柔らかな表情をしている。


 話し合いの結果、問題は驚くほど簡単に解けた。

 

 牽制し合っていただけだったことに、二人はようやく気づいたのだ。


 それでいてどちらも相談所を利用していたことで、むしろ蟠りは一切なくなっていた。


「何も問題なさそうで、良かったです」


「いえ、本当に。話す勇気をもらえました」


「自分もです。あの言葉、忘れません」


 旅人は時折振られる話題に相槌を打ちながら、二人のやり取りを眺めていた。


「そういえば、空韻さんっていくつなんですか?」


「25くらいだと思ってました」


 旅人は振られた質問に、ハイボールを一口含むと答えた。


「今年で21です」


 一瞬、空気が止まった。

 すぐに苦笑いが広がる。


「若いのに、すごいですね……」


「その歳で、相談所を……」


 旅人は曖昧に笑った。

 自分が語れなかった部分に、視線を落とす。


 そこから話題は旅人に映った。

 叔父から相談所を引き継いだこと、まだ大学生であることを語った。

 

「じゃあ成人式も最近ですよね」


 「懐かしいな。自分はもうそろ10年前になりますよ」


 「まぁ……そうですね」

 

 

 旅人は僅かに目を伏せ曖昧に答える。それからある程度時間が経ち、店員から席の時間だと告げられる。


「そういえば料金は……」


「前に話した通り。あなた方が、思う価値で」


 旅人の変わらぬスタンスに二人は笑った。

 二人は顔を見合わせ、それぞれの金額を差し出した。


 「今日は楽しかったです」


「ありがとうございました。空韻さん」


「またのご利用を」


 別れを告げ、旅人は店を出た。


 夜の喧騒を抜け、静かな通りを歩く。

 火のついたタバコを指に挟み、深く息を吸った。


 二人の背中は、もう同じ方向を向いていた。

 それを見届ける自分だけが、まだ立ち止まっているような気がした。


 吐き出した煙が、夜気に溶けていく。


 ガラス越しに世界を見ているような感覚。

 触れられそうで、触れられない距離。


 灰を落とすと、それは風に散り、どこへ行ったのか分からなくなった。


 旅人は、静かに空を見上げた。


賛否否否否くらいでもいいので、感想いただけると嬉しいです

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