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透き通ったガラス越しに  作者: 湘南乃炎


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7-4

 ――チーン。


 澄んだ鈴の音が、朝の静寂に広がった。


 朝の光が、窓ガラスを透かして差し込む。


 その中で旅人は、静かに仏壇へ手を合わせていた。


 反響していた音が消える頃、鈴の音と共に扉が開く。


「おはよう。旅人くん」


 旅人は静かに目を開け、振り向いた。


「おはようございます。三枝さん」


 旅人の顔を見ると、三枝はどこか気が抜けたように笑った。


「昨日は咲ちゃんと、ちゃんと話せたみたいね」


「はい――おかげさまで」


「咲ちゃん、外で待ってるわよ」


 三枝は旅人の横に並び、仏壇の遺影へ目を向けた。


 寄り添うように、穏やかに微笑む。


「兼親さん。旅人くんが、やっと前に進めそうですよ。

 私は最後まで、兼親さんに寄り添えなかったかもしれないけど……」


 ぽつりと、本音がこぼれ落ちる。


 旅人と咲を引き合わせた三枝。


 その言葉の奥には、叔父へ抱えていた後悔が滲んでいた。


 旅人は遺影を見つめる。


 いかにも叔父が言いそうなことだと、胸の奥で小さく笑った。


「三枝さんは、ちゃんと叔父さんに寄り添えてましたよ。じゃなきゃ俺や(しきい)を託したりしない」


 三枝は静かに目を閉じる。


 旅人の言葉を受け止めるように。


 一度伏せた顔には影が差していた。


 けれど、窓越しの光がその横顔を照らした時、三枝はゆっくり顔を上げた。


「私が慰められちゃったわね。――もう行くんでしょ?」


「はい。少しの間、ここをお願いします」


 旅人と同時に、三枝も立ち上がる。


「行ってらっしゃい」


 旅人は荷物を持ち、ドアノブへ手をかけた。


 いつもより少しだけ、その感触が重く感じられる。


 体を翻し、旅人は振り返った。


「行ってきます。三枝さん」


 ガラス越しの光が、旅人を眩しく照らす。


「行ってきます――叔父さん」


 扉を開き、その一歩を踏み出した。


 階段を降りた先には、咲の姿があった。


「待ってたよ。旅人くん」


 微笑むその姿が、旅人にはひどく眩しく見えた。


 けれど、不思議と怖さはなかった。


「――待たせた。咲」


 咲は何も言わず、小さく笑った。


 それだけで、旅人の胸の奥に張り付いていた何かが、少しずつ溶けていく気がした。


 ひび割れたガラスは、もう崩れかけている。


 旅人は歩き出し、最後に相談所を一瞥した。


 あとはただ、自分自身の手で壊すだけだった。


 ――


 電車に揺られる。


 旅人と咲が乗る車両には、ほとんど人はいない。


 それでも隣同士に座る二人の肩は、揺れに合わせて何度も触れ合った。


「久しぶりだね。こうして二人で電車に乗るの」


 咲の声が、耳元で柔らかく震える。


 揺れた髪が、旅人の首元をくすぐった。


「そうだな。最後は……江ノ島、だったか」


「いっぱい歩いたね。ご飯もおいしかった」


「夜の砂浜で、二人とも靴が砂まみれになったな」


 二人して小さく笑う。


 ガタガタと電車の音だけが、静かな車内に響いていた。


 まるで、この空間には二人しかいないようだった。


 その音の隙間を縫うように、咲がぽつりと口を開く。


「――怖い? また……あそこへ戻るの」


 旅人は窓の外へ目を向けた。


 流れていく景色。


 止まっていたはずの世界が、少しずつ動いていく。


「怖いと言えば……嘘になるかもな」


 小さく息を吐く。


「けど、逃げ続ける方が……今はもっと怖い」


 旅人は横に並ぶ咲を見る。


 長いまつ毛が、静かに揺れていた。


「それに、俺の周りには支えてくれる人がいる。それを気づかせてくれたのは――咲だろ」


 返事はない。


 ただ、互いの手がそっと触れ合った。


 温もり。


 脈動。


 生きている感覚。


 その全てを確かめ合うように、時間だけが流れていく。


 旅人はおもむろにスマホを取り出した。


 無言のままイヤホンを差し出し、互いに片方ずつ耳へ付ける。


 電車の音に紛れながら、曲が流れ始めた。


 BUMP OF CHICKEN『銀河鉄道』。


「まだ、聴いてたんだね」


「咲が教えてくれた曲だからな」


 二人は目を閉じる。


 ただ、その時間だけを共有するように。


 互いの小指が、小さく絡み合った。


 旅人はゆっくり目を開く。


 窓の向こうには、一面の草原が広がっていた。


 まるで止まっているかのように。


 それでも確かに――進んでいる。


『次は――』


 電車のアナウンスが、この時間の終わりを告げた。


「もうそろそろだね」


 窓に映る咲と、ガラス越しに目が合う。


「ああ……」


 消え入りそうな声で旅人は答えた。


 ガタガタと音を立てながら、電車はあの街へ近づいていく。


 ――置いてきた荷物を、取りに行くために。


 旅人と咲の手は、最後まで離れることはなかった。


 ――


 あの日とは違う、暖かな風が吹く。


 二人は歩幅を揃えながら、街を歩いていた。


 五年。


 止まっていた時間が、一気に動き出したかのように景色は変わっていた。


「懐かしいな……」


 河川敷を歩きながら、旅人は呟く。


 その右手を、咲が少しだけ強く握った。


 自転車が横を通り過ぎる。


 河川敷を眺める咲の横顔が、旅人の瞳に映った。


 言葉はない。


 ただ並んで歩き続ける。


 しばらく進んだ先――。


 二人が辿り着いたのは、旅人が置いてきた場所のひとつだった。


「懐かしいね」


 かつて通っていた高校を前に、旅人の記憶が巡る。


 朝の気だるさを抱えながら登校していた日々。


 昼休みに響く生徒たちの笑い声。


 そして――。


 白球を追い、共に駆け抜けたグラウンド。


「ああ……ほんとにな」


 それ以上、言葉は続かなかった。


 咲もまた、旅人の隣で静かに目を細めていた。


「今の野球部、甲子園行きそうなんだってさ」


「……そうか」


 自分にもあったかもしれない未来。


 けれど、それを悔やむ資格は旅人にはない。


 そう思っていた。


 旅人はネット越しにグラウンドを見つめる。


 整然とした景色が、自分だけを置いて先へ進んでいくようだった。


 旅人はネットを掴む。


 強く。


 握り締めた。


「――た、旅人……なのか?」


 その瞬間、力がわずかに緩む。


 声に反応し、二人は同時に振り返った。


「旬……か?」


 ――小野寺 旬。


 かつてのチームメイトが、そこに立っていた。


 制服でも、野球部のユニフォームでもない姿。


 それだけで、流れた時間を嫌というほど感じさせた。

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