7-2
「だからもう、断っただろ? 依頼は受けられないって」
大学へ向かう道すがら、旅人は未だ後ろをついてくる咲へ、強めに言った。
「やだよ」
「なんでそこまで――」
即答だった。
それでも歩みを止めない咲に、旅人の目が揺れる。
「それは旅人くんが、一番わかってるはずだよ」
旅人は呆れたように息を吐いた。
――昔から、こういう人だった。
人の痛みに土足で踏み込むわけじゃない。
けれど、どれだけ拒絶されても、置いていかれても、勝手に隣へ来る。
そして旅人は、そんな咲に惹かれた。
だからこそ――。
「俺の世界には、もう入らない方がいい」
突き放すように、旅人は言った。
一度逃げた場所へ戻る資格など、自分にはない。
握った拳に、爪が食い込む。
「そうかも、しれないね」
咲は、思いのほかあっさり肯定した。
だがその声音からは、諦めなど一切感じられなかった。
「それでも私は――あなたを救いたい」
真っ直ぐで、透き通るような瞳。
旅人は、一瞬だけ目を奪われる。
まるで、ガラス越しの世界へ差し込む光のようだった。
「……勝手にしてくれ」
それ以上見ていられず、旅人は歩く速度を上げた。
「うん。勝手にするよ」
小柄な体で、それでも咲は力強くついてくる。
⸻
咲を横に連れたまま、大学へ辿り着く。
静かな講義室。
キーボードを叩く音だけが、淡々と空間に響いていた。
旅人も論文へ視線を落とす。
けれど隣から感じる気配が、どうにも落ち着かなかった。
講義が終わり、人がまばらになった頃。
肩に、くすぐったく髪が触れた。
「へえー。これが旅人くんの論文?」
咲が横から覗き込んでくる。
旅人は無言でパソコンを閉じ、立ち上がった。
逃げるように食堂へ向かう。
今日に限って、弁当を持ってきていなかった。
「旅人くん、親子丼なんだ。健康的だね」
カレーライスの乗ったトレイを持ち、咲が当然のように隣へ座る。
「……いつまでいるんだ?」
「旅人くんが依頼を受けてくれるまで」
強情な咲を見て、旅人はため息をつきながらスプーンを手に取った。
だがその時、嫌な予感が走る。
「――お、旅人。……ん?」
海人だった。
旅人は渋々顔を上げる。
海人の視線は、完全に咲へ固定されていた。
「……なんだ?」
「いや、お前が誰かと飯食ってるの珍しくてな。もしかして……彼女?」
「違――」
否定しかけた瞬間。
「違いますよ。今は。振られてるんです」
「おい、咲」
「そりゃまた……旅人も隅に置けねぇな」
海人のニヤついた顔に、旅人の頭痛は増した。
当の咲はどこか楽しそうだった。
「まぁまぁ。えっと、名前は?」
「咲です」
「咲ちゃんか。旅人はなぁ、恋愛とかするタイプじゃねぇからな」
「そうなんですか?」
旅人は海人へ鋭い視線を送る。
だが止まる気配はない。
「俺が思うに、過去の女を引きずるタイプなんだよ」
「また余計なことを……」
旅人の呟きなど、二人には届かない。
「へぇー……そうなんだ」
咲は意味深に笑った。
その視線から逃げるように、旅人は無心で親子丼をかき込む。
「……それより何か用か? 海人」
無理やり話題を変える。
「あ、そうそう。この後スポセン行こうぜ」
「スポセン?」
また咲が反応する。
「野球。旅人、結構うまいんだぜ」
「へぇ……まだ続けてたんだ」
咲が小さく呟いた。
その声音に、旅人の胸がわずかにざわつく。
「咲ちゃんも来る?」
「いいんですか?」
「おい、勝手に――」
「もちろん!」
旅人の制止など、誰も聞いていなかった。
だが旅人自身も、朝の日課をできていなかったせいか、身体の奥に鈍い疼きを感じていた。
結局そのまま、三人でスポーツセンターへ向かうことになった。
⸻
「ナイスバッティング! 海人!」
乾いた金属音が、施設内へ響き渡る。
いつもと違うのは。
その音を聞く隣に、咲がいることだった。
「海人から面白いもん見れるって聞いて来てみれば。まさか旅人が女連れてるとはな」
石塚がニヤつきながら言う。
旅人は無言で海人を睨んだ。
だが本人はどこ吹く風だった。
「ほら旅人。次お前」
促されるままバットを受け取る。
打席へ向かう途中。
「――頑張って。旅人くん」
昔と変わらない声。
その瞬間だけ、周囲の音が遠のいた。
「あ――」
完全にタイミングを外す。
一球目は空を切った。
「おいおい。緊張してんのか?」
「旅人らしくねぇなー」
外野がうるさい。
旅人は小さく舌打ちし、集中を研ぎ澄ませる。
そして――。
カキィィン。
鋭い打球音が響いた。
そこから先は鬱憤を晴らすように、旅人は次々と打ち返していく。
⸻
「――おい」
終えた旅人は、扉を開けて睨みつけた。
しかし迎えたのは謝罪ではなく、談笑する三人の姿だった。
「折田さんまで……」
施設の経営者である折田まで混ざっている。
折田は旅人の視線に気づき、苦笑した。
「いやぁ、すまないね。思いのほか面白い話で」
そう言って逃げるように奥へ消えていく。
旅人の視線は、次に海人と石塚へ向いた。
「……余計なこと言ってないよな?」
「そ、そりゃあな」
「ああ! ほら旅人、次守備やれ守備!」
露骨に話題を逸らす二人。
旅人は目を細める。
その視線が、ふと咲へ向いた。
だが咲は、からかうこともなく小さく首を傾げた。
「どうしたの?」
揺れる髪。
変わらない目。
「……いや。なんでもない」
旅人は目を逸らした。
結局その後も、流されるまま守備練習まで付き合わされた。
時折振り返れば、三人が笑い合っている姿が見える。
ただ一人。
咲だけは。
笑いながらも、ずっと旅人を見ていた。




