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透き通ったガラス越しに  作者: 湘南乃炎


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24/36

6-2


翌日。


旅人は朝の日課をこなしていた。


肌を刺すような冷たい空気の中、バットを振る。


迷いを振り払うかのように、スイングが鋭く空気を裂いた。


風を切る音が、乾いた朝に響く。


何度も同じ動作を繰り返す。


身体が温まり、呼吸が深くなっていく。


それでも胸の奥に残る靄は、完全には消えなかった。


適度に汗をかいたあと、旅人は大学へ向かった。


受ける講義はない。


それでも足がここへ向いた理由は、はっきりしていた。


――あの人だ。


キャンパスの中庭。


昼前の静かな時間。


旅人は視線の先に、ベンチへ座る土屋の姿を見つけた。


深く腰を下ろし、背中を丸めている。


遠目からでも、ため息をついているのが分かる。


「土屋さん、こんにちは」


旅人は歩み寄り、声をかけた。


土屋は少し驚いたように顔を上げる。


目の下には薄く隈が浮かんでいた。


「あ、どうも。空韻さん」


耳につけていたイヤホンを外す。


土屋は少し右へずれ、ベンチの隣を空けた。


旅人は軽く礼を言い、そのまま腰を下ろす。


「何を聞いてたんですか?」


何気ない調子で、旅人は尋ねた。


土屋はスマホの画面を差し出す。


「この曲です」


旅人は画面を覗き込んだ。


表示されていたのは――


米津玄師の『がらくた』。


「これを聴くと、響くんですよね」


土屋は苦笑いする。


「がらくたみたいに壊れた自分でも……って思えるんです」


自分を「がらくた」と呼ぶ声は、どこか諦めているようだった。


旅人は心の中で、静かに首を振る。


「いい曲、ですね」


それ以上の言葉は出なかった。


――あなたは、がらくたなんかじゃない。


そんな言葉は、喉の奥で止まった。


無責任に聞こえてしまう気がしたからだ。


風が吹き、木々の葉が揺れる。


二人の間に、ゆっくりと沈黙が流れた。


「土屋さん」


やがて旅人が口を開く。


「あなた自身も、もっとお父さんの世界に触れるべきです」


昨日から考え続けていた言葉だった。


土屋の目が旅人を見つめる。


その瞳は決して壊れてなどいない。


むしろ必死に、何かを掴もうとしている。


「やっぱり……そう、ですよね」


土屋は小さく頷いた。


「分かってたんです。自分だって、家族と同じで……父の姿から逃げてたって」


土屋は無意識に手首を撫でた。


「土屋さん自身が、お父さんの世界を見て。その先に――」


旅人は言葉を探す。


「きっと、自分の世界が見えてくるはずです」


土屋は長い間、何かを探していた。


失ったものなのか。

まだ見ぬものなのか。


それでも、壊れたままでは終わりたくない。


そんな意思を、旅人はその目の奥に感じていた。


「……空韻さん」


土屋がゆっくり口を開く。


「最後まで、付き合ってくれますか?」


旅人は一瞬だけ視線を落とす。


「もちろんです」


そして答えた。


「依頼、ですから」


本当は、それだけではなかった。


だが、その言葉は胸の奥にしまったままだった。


「――おーい、大斗!そろそろ研究室戻れよー!」


遠くから声が飛ぶ。


「ああ、今行く!」


土屋が立ち上がる。


「それじゃあ、空韻さん。また」


少し笑う。


「次は、空韻さんの好きな曲、教えてください」


旅人は頷いた。


土屋は友人の隣へ並び、研究棟の方へ歩いていく。


その背中を、旅人はしばらく見送った。


ポケットからスマホを取り出す。


音楽アプリを開く。


何か曲を流そうとした、その時だった。


「あ、旅人じゃんか」


声が飛んできた。


「火曜日にいるなんて珍しいな」


旅人は顔を上げる。


「海人、か」


大学では不思議とよく遭遇する男だった。


――


カキン、と乾いた音が響く。


金属バットがボールを弾き返す。


「彰吾!もっと腰落としてけよ!」


「分かってらぁ!」


石塚がバッティングしている姿を、旅人は海人と並んでネット越しに見ていた。


結局、海人に誘われるまま、三人でスポーツセンターへ来ていた。


「また依頼か、旅人」


海人が言う。


「お前も大変だな」


「まぁ、仕事だからな」


旅人は何気なく答えた。


ボールがマシンから放たれ、また乾いた音が響く。


そのリズムが妙に心地よかった。


「もうさ、先輩たちも引退しちまってさ」


海人が言う。


「就活終わった人もほとんどだってよ」


「もうそんな時期か」


「な。きっと俺らの番もすぐなんだろうな」


海人の声が少しだけ沈んだ。


旅人は横目でその表情を見た。


「旅人はさ」


海人が言う。


「卒業したらどうするんだ?」


卒業。


その言葉を聞いた瞬間。


ボールが一瞬、止まったように旅人は感じた。


叔父に言われて決めた大学進学。


だが、その先は――。


考えていなかった。

いや。


考えないようにしていた。


「さぁ……どうなんだろうな」


旅人は曖昧に答えた。


けれど、それは本音だった。


「そうだよな」


海人が笑う。


「将来なんて、そう簡単に分かるもんじゃねぇよな」


その言葉と同時に。


「くそっ!」


豪速球に空振りした石塚の声が響いた。


球数を終え、石塚が渋い顔で戻ってくる。


「いやー、まだまだ旅人には勝てねぇな」


「現役がそんなんでどうするよ、彰吾」


「そうは言ってもな」


石塚はバットを差し出した。


「ほら」


「ん?」


「一発やってこいよ」


海人が横から言う。


「その曇った顔、晴らしてこい」


石塚も頷く。


「俺らは相談乗れるタイプじゃねぇけどさ」


少し照れたように笑う。


「それでも……友達、だろ?」


「それに久々、旅人のバッティング見たいしな」


二人が笑う。


旅人もつられて笑った。


「そうだな……」


バットを受け取る。


「まだ二人には負けてられないか」


手に馴染まないバットの感触が、妙にくすぐったかった。


旅人はネットをくぐり、打席に立った。


――


後日。


土屋から連絡があった。


その内容は――。


「父の……墓、か」


土屋は一歩踏み出した。


父の世界から目を逸らさないために。


その墓へ同行してほしいという依頼だった。


タバコの煙が揺れる。

旅人はゆっくり息を吐いた。


「三枝さん、もう終わりですか?」


帰る準備をしている三枝を見る。


「今日は少し遅くなりすぎちゃったからね」


三枝はバッグを肩にかけた。


「旅人くんも、思い詰めないように」


そして言う。


「今まで目を逸らしてきたものに向き合う辛さは……あなたもよく分かってるでしょ?」


図星だった。


旅人は何も言えない。


「お疲れ様」


三枝はそう言って事務所を出ていった。


夜の静けさが戻る。


旅人はタバコを消した。


そして事務所を閉め、上の階にある自宅へ戻った。


 食事を取って、シャワーを浴びる。


 電気を消して、闇夜に紛れた。


 ベットに入っても、旅人の頭の中にモヤが残る。


 今まで封じ込めていたものが、体の中から溢れ出しそうになっていた。


 目を閉じ、思考を止めた。


 闇夜に紛れるように、旅人は眠りについた。


7月7日。なんとか勝てました

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