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2時間近くを経て、辿り着いたのは避暑地として知られる地だった。
窓を開けると、ひんやりとした空気が流れ込み、肺の奥まで澄み渡っていく。
旅人たちを乗せた車は、他の車とすれ違うこともなく、静かな街並みを抜けて走っていた。
「……ここ、です」
浅尾の声に導かれるように、脇道へと入り、車は静かに止まる。
旅人は周囲を見回した。
いくつかの民家が点在する中で、ひときわ異質な光景がそこにあった。
「……これが……」
旅人は息を呑む。
生い茂る林。
その中心だけが、何かをくり抜いたように、ぽっかりと空虚な空間を残している。
そこには、建物の痕跡すらほとんど残っていなかった。
言葉もなく、二人は車を降りる。
冷たい風が頬を撫で、前髪を揺らした。
「浅尾さん」
呼びかけにも応じず、浅尾は無言のまま歩き出す。
その背を追い、横に並ぶと、浅尾の視線は遥か彼方を見つめていた。
「……ここが、玄関でした」
ぽつりと、風に溶けるような声。
木々がざわめき、枯葉がかすかに鳴る。
「こっちが、リビングで……キッチンで……」
浅尾は確かめるように歩みを進める。
だが、足元にあるのは、踏み砕かれる枯葉だけ。
何も掴めず、何も残らず、浅尾は虚空に取り残されているようだった。
「……そして、ここが――」
言葉が、重く沈む。
強く握りしめられた拳。その震えを、旅人は見逃さなかった。
「ベランダ……あの件の、始まりです」
旅人の脳裏に、情景が浮かぶ。
笑い声。
はしゃぐ若者たち。
くつろぐリビング。
――そして、宙を舞うタバコの灰。
「全部……私が、壊した……」
浅尾はしゃがみ込み、枯葉を掬い上げる。
指の隙間から、乾いた葉がぼろぼろと崩れ落ちる。
「この家も……家族も……友人との関係も……全部……」
その声は、責めるでもなく、赦しを乞うでもなく、ただ事実を吐き出していた。
「浅尾さん」
旅人は静かに声をかけた。
「今、この世界が……どう見えていますか?」
浅尾は、ゆっくりと顔を上げ、辺りを見渡す。
冷たい風が、追い打ちをかけるように頬を撫でる。
「……何もない……」
掠れた声。
「何も……残っていない。空っぽのまま……」
「――違います」
旅人は、はっきりと否定した。
浅尾が振り返る。
歪み、必死に何かを堪える顔。
とても何もないと言える表情ではなかった。
「浅尾さん。あなたには、あるでしょう」
旅人は続ける。
「後悔も、罪悪感も、憎しみも。背負うものが、確かにある」
「……じゃあ……」
浅尾の声が、震える。
「それを背負った先に……幸せは、あるんですか……?」
その問いは、かつて幾度となく旅人自身が投げ続けたものだった。
「空韻さん……あなたも……分かっているんじゃないですか……」
縋るように、浅尾は一歩踏み出す。
だが旅人は、土に汚れた浅尾の手から、目を離さなかった。
「背負った先に、幸せがあるか……私にも分かりません」
一拍置いて、続ける。
「――けれど、逃げた先こそ、何も残らない。そこは、本当に空っぽです」
浅尾は、思わず後ずさる。
その瞳に何を見たのか、旅人には分からない。
ただ、逃げ続けた先にある空白を、旅人は知っていた。
枯葉を踏みしめる音が、やけに大きく響く。
「じゃあ……どうしたら……」
喉を絞り出すような声。
「どうしたら……私たちは……救われるんですか……?」
それは、彷徨う者の、切実な叫びだった。
旅人は、目を伏せることなく答える。
「救い? そんなもの、ない人の方が圧倒的に多い」
冷静に、しかし確かに。
「私たちも、そっち側です」
浅尾の肩が、びくりと震えた。
「……けど、あなたは救われるために、ここへ来たんじゃない」
旅人は一歩踏み出す。
「向き合うために来たんでしょう?
あの出来事を、終わらせないために」
「……っ」
声にならない嗚咽が、浅尾の喉から漏れる。
うずくまり、林の奥を見上げる。
そこに映るのは、空虚な焼け跡か。
それとも、赤く染まった、あの日の記憶か。
旅人には、分からない。
結局、旅人見る側でしかない。
「生きるなら――」
旅人は、静かに、だが確かに言葉を打ち込む。
「背負い、歩き続けるしかない。
終わらせず、消さず、抱えたまま進むしかない」
浅尾の過去を、壊すように。
同時に、縫い留めるように。
「ここにいるのは、あんたに、終わる気がないからだ」
声が荒くなる。
「だったら、背負え。
この景色も、匂いも、後悔も、全部」
踏み込む。
「背負ったまま、進め。
それが、罰であり――生きる理由だ」
吐き出した言葉が、空間を切り裂く。
そして――割れる。
浅尾の視線が、揺れ、焼け跡を捉える。
浅くなった呼吸の中、林の隙間から一筋の光が差し込んだ。
旅人は歩み寄り、足元の何かを拾い上げる。
「……これは」
指先で掴んだそれは、ガラスの破片。
光を反射し、きらりと輝く。
指の腹が切れ、赤が滲む。
「……綺麗、ですね」
浅尾の呟きが、光に溶ける。
浅尾は、ゆっくりと立ち上がった。
木々のざわめきだけが、二人を包む。
「……旅人さんの言う通り、です」
声に、もう震えはなかった。
「忘れたく、なかったんです」
一度、息を吸う。
「忘れたら……本当に、全部、終わってしまいそうで」
浅尾は、焼け跡をまっすぐ見つめていた。
人がどれほど取り残されようと、世界は残酷なほど、前に進み続ける。
「生きる道筋は……まだ、見えません」
けれど、と浅尾は続ける。
「持っていくものは、はっきりしました」
林から抜ける光に、二人は目を細める。
旅人の視界で、浅尾の輪郭が、どこか滲んでいた。
「……空韻さん、ありがとうございました」
「いえ。私は、ただ、ついて来ただけです」
浅尾は、かすかに笑う。
「……そういうことにしておきます」
一拍の沈黙。
それから、浅尾は静かに言った。
「でも、空韻さん……あなたも」
旅人は、目を細める。
「……忘れたくないものが、あるんでしょう」
返す言葉はなかった。
ただ、胸の奥で、何かが深く押し広げられていくのを感じていた。
最近暑すぎてとけそう




