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透き通ったガラス越しに  作者: 湘南乃炎


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19/36

5-3



 依頼当日。


 旅人は早朝、叔父の仏壇に手を合わせた。


 静寂の中、朝の光に照らされ、蝋燭の炎が揺れている。


「旅人くん、そろそろよ」


「はい。今行きます」


 旅人は蝋燭の火を消し、外へ向かった。


「三枝さん、車の用意ありがとうございます」


 外には一台の普通車。その側面には、(しきい)の文字。


「社用車だけどね。兼親さん以外、あまり乗らなかったのよ」


 懐かしい。


 叔父の探偵業を手伝った頃、よく乗ったものだと旅人は思う。


「あ、来たみたいね」


「あの……今日は、お願いします」


「はい。浅尾さん、では」


 旅人は運転席へ、浅尾は助手席へと乗り込む。


 エンジンが静かに唸った。


「それじゃあ、気をつけてね」


「はい、行ってきます」


 ガラス越しに手を振り、車は走り出す。


 目的地までは高速を使って約二時間。長い道のりだった。


 しばらく、エンジン音と路面を刻むタイヤの音だけが続いた。


「――昨日、友人のSNSを見たんです」


 浅尾がぽつりと口を開く。


 旅人は前を見据えたまま、返事をせずに待った。


「楽しそう、でしたよ。私とは……大違いで。

 結局、あれから止まったままなのは、自分だけだと、思いました」


「今、当時のご友人とは?」


 ハンドルを握ったまま、旅人は静かに問う。


「疎遠、ですね。心配してくれた友人を信じきれず、逃げました。

 それに……皆の幸せそうな姿を見て、僻む始末です」


 自嘲の笑み。


 隣の車線を走る車が追い越していき、車体がわずかに揺れる。


「……ご家族とは、どうなんですか?」


「完全に、絶縁状態です。

 全部、私が悪い。けど――どこかで、期待してたんです。

 最後の味方でいてくれるんじゃないかって」


 静かな語り。


 だが旅人には、それが抑え込まれた叫びのように聞こえた。


「浅尾さんは、随分と自分が嫌いなんですね」


 共感が、言葉として零れた。


「そりゃ、そうです。

 こんなことを言いながら、心のどこかで正当化しようとしてる。

 そんな自分が……大嫌いです」


 旅人の胸に、鋭く突き刺さる。


 彼は被害者でも、加害者でもない。


 ただ一人の、人間だ。


「人を羨むのも、期待するのも、戻りたい場所がある証拠ですよ。

 本当に堕ちた人間は、そんな感情すら抱けない」


「だからこそ、です。

 未練がましく、過去に縛られているのは、自分自身だと」


 重力が体をシートに押し付ける。


 息が詰まるような感覚の中で、旅人は言った。


「その自己嫌悪は、自分を罰しているようで、実は――

 誰にも近づかない言い訳にもなり得ます」


 浅尾の歯が、きしりと鳴った。


「あなたが今まで抱いてきた感情は、生きている側のものです。

 今日は、それを消しに来たわけじゃないでしょう?」


 返答はない。


 だが、否定もなかった。


「少し、休憩しましょう。コーヒーでも」


 ウインカーを出し、車はサービスエリアへ滑り込んだ。


 ――


 紙コップの温もりが指先に伝わる。


 コーヒーの香りを纏いながら、再び車は走り出す。


「――空韻(そらおと)さんは、ご家族とどうだったんですか?」


 沈黙を破るように、浅尾が尋ねた。


「急に、どうしたんです?」


「いえ……なんだか、自分のことだけじゃない気がして……」


 旅人はすぐに答えなかった。


 ハンドルを握る力だけが、強くなる。


「――ろくなものじゃ、なかったですよ」


 フロントガラスの先を見つめながら、旅人は語り出す。


「高校生の頃、家族の事情で親戚の家を転々としました。

 どこへ行っても、自分の居場所なんてなかった」


 沈黙。


 その無言が、旅人の胸のガラスに、静かにひびを入れる。


「そこで辿り着いたのが、叔父……深谷兼親の元でした」


「その方が、(しきい)相談所の……」


「元は探偵事務所でしたけどね。

 叔父さんは、真に触れることを何も言わなかった。

 ただ、割れないように、そっと包むように接してくれた」


 タバコとコーヒーの残り香が、記憶を呼び起こす。


「もう少し……その方の話を、聞かせてください」


 浅尾の視線を感じ、旅人は頷いた。


「――ええ。もちろんです」


 ハンドルを握る手に力を込め、旅人はアクセルを踏み込んだ。

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