5-2
『やめられない、でしょうね』
旅人には、浅尾が何を欲しているのか、まだ分からなかった。
ただひとつ確かなのは――。
自分には、断罪する資格も、許しを与える資格もないということだ。
「そう……ですか」
正解なんて、ない。
旅人はそう思いながら、目の前に置かれたタバコを手に取った。
「一本……よろしいですか?」
「あ、え……はい」
火を点け、ゆっくりと息を吐き出す。
煙が立ち上り、浅尾の輪郭がぼやけていく。
灰色の靄が、彼の顔色と重なっていくのが分かった。
「――浅尾さん……あなたも、よかったら」
「い、いえ……私は……」
拒む声とは裏腹に、浅尾の表情は恐怖で歪んでいた。
「あなたは一度、自分を裁き続けることを……やめましょう。
今この時だけでも」
「いや、でも……」
「誰も、ここにはいません。
あるのは――自分を隔てる、透明な壁だけです」
浅尾は、ずっと否定し続けてきた。
何度も、何度も、自分自身を。
一度でいい。
裁くためじゃない。
自分を守るために。
旅人は、ただそれを勧めた。
浅尾は、それ以上何も言わなかった。
震える手でタバコを掴み、唇に運ぶ。
旅人は、静かに火を差し出した。
吐き出された煙が、浅尾の世界を曖昧にしていく。
輪郭を溶かし、ほんの一瞬、誰かの目から逃れるように。
「ぐっ……う、うぅ……」
押し殺していたものが、声になって漏れ出す。
涙が落ち、タバコが濡れ、灰皿の火種は自然と消えていった。
「ふう……」
旅人は、立ち昇る煙を見つめながら思う。
この煙のように。
この火種のように。
――この痛みが、消えてくれればいいと。
――
「……落ち着きましたか?」
互いに吸い終え、旅人は浅尾が話せる状態になるまで待った。
震えていた手は、わずかにだが落ち着きを取り戻している。
「すみません……取り乱しました」
灰皿には、二つの吸い殻が確かに残っていた。
「では……依頼内容の確認ですが」
旅人は話を戻す。
タバコが辞められないことは、確かに話の核だ。
だが――本質ではなかった。
「あなたは、結局……どうしたいんですか?」
浅尾の胸が大きく上下する。
一呼吸置き、舞い上がった灰が、静かに落ちた。
「あの時の現場に……もう一度、行きたくて。
同行、して欲しいんです」
「なるほど……分かりました。では――」
依頼は決まり、日程も決まった。
――その日は、叔父の命日。
浅尾の抱えた痛み。
現場に赴くことで、何かが変わるのか。
旅人には、まだ分からなかった。
――
「それで……どうにかなりそう?」
話を聞いた三枝は、目を細めて言った。
「さあ……どうですかね」
浅尾の、あの目が脳裏に浮かぶ。
――彼は、俺と同じだ。
痛みから逃げ、壊れないように透明な壁を作り、
自分の目を失った。
けれど彼は、取り戻そうとしている。
あの場所へ赴き、
もう一度、自分の目で世界を見るために。
「叔父さんなら……どうしますかね」
自然と口について出た旅人。三枝は叔父の遺影を見つめた。
「さぁね。けど、兼親さんならこう言うわね。自分の目で見て、考えろって」
そう言う叔父の姿が、旅人の目に浮かんだ。
「それも、そうですね」
旅人は叔父の傍らに、タバコを1本、置いた。
その遺影がどこか旅人を見つめているように感じた。




