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透き通ったガラス越しに  作者: 湘南乃炎


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14/36

4-3

 だが、そんな日常は――長くは続かなかった。


 ――あの出来事までは。


 世界は二分され、透明な壁に隔てられた。


 その狭間に揺れながら、『旅人』はついにガラス越しに世界を見つめることになる。


「――これで、すべての手続きは終了です。それで……先ほどの答えで、よろしいですね?」


 事務的な声音で話は進められる。


 旅人は目を伏せたまま、ただ時間が過ぎるのを待っていた。


「……はい。それで、お願いします」


 流れるようにすべてが終わった。


 それは文字通り流されたのだと、旅人は心の奥で自嘲する。


 何を考えるでもなく、足は前へと運ばれていった。


 もしかしたら――そんな、わずかな足掻きを残したまま。


 学校の外から、かつて自分がいた場所を見つめる。


 そこでは何事もなかったかのように、部活動が続いていた。


 仲間だった者たちの声が、劈くように耳へと刺さる。


 旅人は目を逸らし、その場を後にした。


 気づけば、河川敷に辿り着いていた。


 語り合った場所へ、身体が自然と向かっていたのだ。


 夕焼けが川面を染め、いつもとは違う時の流れを感じさせる。


 旅人の予感は、風とともに訪れた。


「――ここに、いたんだね。旅人くん」


 振り向くと、咲が立っていた。


 その瞳は、今にも消え入りそうで。


 消えゆく雲を掴むように、彼女は旅人の袖を掴む。


 掴めそうで、掴めない。

 そんな距離だった。


「……全部、聞いたんだろ」


 咲は、小さく頷いた。


「そういう……こと、なんだ」


「い、いや……旅人、くん……」


 離さない小さな手。


 旅人は、そっとその上に自分の手を重ねた。


 季節のせいか、それとも別の理由か――冷たく感じられた。


「――今夜、だけは……一緒に、いて」


 それは、願いだったのだろう。


 旅人は断ることなく、触れた手に力を込めた。


 それは、旅人にとっても最後のわがままだった。


 縋るような咲と、諦観を孕んだ旅人は歩き出す。


 その歩調は、いつもとどこか違っていた。


 辿り着いたのは、咲の家。


 舞台が整えられたかのように、家には明かりがなかった。


「入って、いいよ」


「ああ……」


 どこか初々しさを残したまま、二人は家へ入る。


 言われるがままに、旅人は中へと通された。


「旅人くん、お風呂……入ってないでしょ?」


 ここ数日の出来事に押し流され、旅人は風呂に入っていなかった。


「……匂う、か?」


 服に鼻を近づける。


 気恥ずかしそうに、咲は頷いた。


 促されるまま、旅人は風呂に入る。


 明かりはつけず、暗がりが妙に心地よかった。


「……なかなか、温まらないな」


 表示は40度のはずなのに、身体は冷えたままだ。


「――なにか、言った?」


「……いや、なんでもない」


「そっか」


 突然の声に、旅人の身体が震える。


 着替えを置いてくれたのだろう、そう思った。


 だが、物音は止まらない。


「咲、何を――」


 言い終える前に、風呂の扉が開いた。


 暗闇の中、淡い肌色が視界に入る。


「……ほんとに、何を……」


「あまり、こっち見ないで」


 強く言い切る咲に、旅人は言葉を失った。


 咲は桶で身体を流し、ゆっくりと湯船へ入る。


 押し返された湯が、静かに溢れ出す。


 正面にいるはずの咲を、旅人は見つめた。


 暗がりの中で、その表情は分からない。


「……暗くても、やっぱり恥ずかしいね」


 そう言って、咲は背を向ける。


 距離が近づき、柔らかなうなじが覗いた。


「手……握って」


「……ああ」


 見たこともないほど強引な咲に、旅人は身を任せる。


 湯の中で触れる手の温もりが、どちらのものなのか分からなかった。


 静まり返る風呂場。


 2人の息遣いだけが、微かに響く。


「――旅人くんは……遠くに行っちゃうんだね」


 沈黙を破ったのは、咲だった。


「……自分でもどこか、分からない場所にな」


「……嫌だよ。離れたくない」


 握る手に力がこもる。


 その熱は、旅人には届かなかった。


 それを察したかのように、咲はさらに強く握る。


「今まで……旅人くんが、どんな苦しみを背負ってたのか、私は知らなかった。それが……許せないの。どんな過去でも、姿でもいい。私は、受け止める覚悟がある」


「……自分でも、受け入れられない。そんな重さを……咲に、背負わせられない」


 旅人は視線を落とす。


 揺れる水面は暗く、表情を映さない。


 だが、咲は振り向き、旅人の頬に触れた。


 言葉ではない。


 触れているのかも分からない感覚が、旅人の存在を浮かび上がらせる。


「目を……開けて」


 旅人は、いつの間にか目を閉じていたことに気づく。


 咲の顔が、すぐそこにあった。


 拒む理由は、なかった。


 ――そこから先を、旅人は考えなかった。


 風呂を出ると、手を繋いだまま部屋へ向かう。


 咲は、旅人を繋ぎ止めるように身体を絡める。


 旅人は痛む胸を押さえながら、それを受け入れた。


 求め合っているようで、旅人にとっては贖罪だった。


 咲の体重以上のものが、胸にのしかかる。


「――ずっと、待ってる。追いかけてでも……だから、せめて……」


 暗がりの部屋で、表情は見えない。


 だが、旅人の頬に、小さな雫が落ちた。


「その目で……ちゃんと、自分の世界を見て」


 狂ったような夜を越えた。


 夜と朝の狭間。


 微かな光の中で、旅人は服を着る。


 眠る咲の髪に、手を伸ばす。


 だが、その手は途中で止まった。


 カーテン越しの光が、ガラスのように二人を分ける。


 旅人は震える指で、手紙を残し、扉を開いた。


「……ごめん、咲」


 それは、旅人がすべてから逃げ、最後の居場所を手放した瞬間だった。


 隔てられた、ガラスの向こうで。

 

特に書くのが難しいと思ったシーンでした。

色んな感情が入り交じって、ぐちゃぐちゃに感じるかもしれません。

それはそれで味

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