1-4 中央教会
〇これまでの登場人物(今話未登場含む)
・朝尾秀一
この物語において、概ね視点人物である少年。
両親の逝去後、冥加学園理事長である澪河に引き取られる。
聖剣に選ばれたが、異世界に行く気はなし。恋愛に忌避感を抱いている。
・遥原叶夢
秀一の隣家に住む少女。彼の幼馴染として、幼い頃から毎朝起こしにやってくる他、両親のいない秀一にお弁当を作り、夕食を共にしている。
・エトソン・プルルライナ
異世界から来た少女。聖剣を秀一に託し、現在は流されるまま冥加学園に編入し学生生活を謳歌している。『透明化』の魔法を使うことができるが、使用時に右目が赤く染まる。
・九沙吹藍良
冥加学園の『孤高のマドンナ』。高い身長と無口で冷たい瞳は、軟弱な生徒を寄せ付けない。剣道部に所属しており、竹刀を携帯している。
・上吉小梅
入学式後に助けられたことで、秀一を慕う一年生の少女。少し不気味なくらい執着してくる。
・千家梢
校内奉仕部に所属するクラスメイト。なんとなく和を思い出させる落ち着いた見た目の少女。
・和泉劫雲
校内奉仕部の三年生。血気盛んな男子生徒。
・津川鳩冬
生徒会執行部の一年生。臆病で保守的な少年。
・紅那須偲歩
ミス研会長。ホラー好きで、中でも七不思議を愛する眼鏡少女。
・雁野康介
ミス研所属の少年。これといって特徴のない、秀一の友人。
・葛御丘妙栄
冥加学園の生徒会長の少女。含みのある細目は、知慮に富んでいる。
・百合原恵夢
クラスメイトの少年。百合好きの明るいお調子者。なんだかんだ生徒会執行部の一人。
・青枝桧希
衒いのない、感じの良い青年。
・ボリス
桧希の連れ。シャーマンみたいな服を着た女。モニと呼ぶ存在と話しているようだ。
・朝尾理亜
現在、冥加学園初等科に通っている、秀一の妹。特進組として、海外学習プログラムに参加しており、家を空けている。
・澪川冥加
冥加学園の学園長。年齢は不詳だが、若見えする方である。この世界がフィクションなら、確実に悪役だと訝しまれすぎて、最近は言葉遣いを寄せているらしい。
・相田春子
朝尾家のハウスキーパー。6:00~17:00くらいが勤務時間
・フラテルニテ
自称、秀一の「第六感」。叶夢には見えていないらしい……。
・影勇王アーサー
エトソンの世界で魔王に寝返り、世界の半分を受け取ったという、マクルワリオンの前任者。
早いもので、四月が終わろうとしている。ゴールデンウィークと呼ばれる、よく分かってはいないがとにかく長いその休みが近づくにつれて、生徒たちは浮足立つ。
とはいえ、冥加学園の生徒の大半は、学園に拾われた子供たちであるために、金に余裕があるわけでもなく、旅行に行ったりはしない。学園から支援を受けるほどの才能のある生徒は、多くが大会に出かけることだろう。僕はというと、当然惰眠をむさぼる予定だ。
「それで、先輩はゴールデンウィークのご予定はあるのでしょうか?」
「ああ、あるよ。叶夢っていう、幼馴染なんだけど、買い物に付き合う予定なんだ」
こういう時だけ名前を出すのは良くないだろうか、と思いつつも、言い訳に便利な幼馴染を引き合いに出してしまう。エトソンがちょうど教室にいないのも好都合だ。もし聞かれたら、結局家から出ないといけなくなってしまう。
「わ、私もご一緒したら、ご迷惑ですよね……」
「まぁ、叶夢に聞いてみないと分からないが、あいつ中々人見知りなところがあるしな。上吉は、他に予定とかないのか?」
ふてぶてしく予定に割り込もうとする後輩、上吉小梅に聞き返して、ゆっくりと話題を逸らす。毎日というわけではないが、こうして彼女は僕の教室までやってきては、よく知らない一年生の噂話をして帰っていく。
迷惑している、というには少しかわいそうなので追い返さないでいるが、もし彼女が本当に僕に好意を持っていた場合、どうすればいいのかは分からない。当然、そんな女心を叶夢に聞くわけにもいかず、だらだらと朝の時間を潰すばかりだ。
「私は、特には……。強いて言えば、駅前のモールに買い物に行こうかな、とは」
「いいじゃないか、せっかくのゴールデンウィークだしな」
鉢合わせないように予定を組まないといけないと考えるのは、さすがに上吉に悪いだろうか。彼女だって、別に悪意があるわけじゃないし、まして悪人でもない。彼女を避けているのは、単なる僕の無気力のせいだ。普通の先輩だってもう少し付き合ってあげるだろう。
特にこれと言って実のある話もしないまま、朝礼前のチャイムが鳴る。
「も、もうこんな時間……す、すみません、先輩。お邪魔しましたっ」
「ああ、気をつけてな」
朝の時間を上級生の教室で過ごすなんて、よほど自教室の居心地が悪いのだろうかと、心配しながら上吉の去る背を見送る。いじめやらに巻き込まれていないといいが、なんて都合のいいときだけ良い先輩面しようとする自分に、なんだか嫌悪感を抱く。あまり考え過ぎは良くないか。
担任教師と共に、配布物を抱えて入ってきた日直のエトソンを見て、少し肩の力が抜けた気がする。そうだ、あまり思い悩むのは良くない。異世界人だって、なんだかんだクラスに馴染んで楽しくやっているのだから、僕が抱え込む理由はない。少し愛想の悪くて、付き合いの悪い先輩でいいじゃないか。思い返せば、別に話のつまらない子というわけでもない。恋愛だのなんだの、気にしてしまう方が悪いのだ。
気にしてしまうと言えば、最近はエトソンを意識することはあまり無くなっていた。今でも、校内を二人で歩いていると奇異の目線を向けられるし、エトソンが不用意に僕の手を握ったり、すり寄ってきたりすると、どこからか舌打ちが聞こえてきたりするが、それはそれとして、僕の中での彼女の認識は、初めて会った時と変わりつつあった。
初めは不思議な美少女だと思っていたが、一緒に過ごすうちに、子供っぽい頑固な妹のように感じるようになった。そして、『夕暮れの原風景』で初めて見た異世界の人間らしい割り切った態度を知って、エトソンのことを一人の人間として、その強かさを認めつつあった。天真爛漫で愛想がよい。それは皇族としての顔であり、彼女にとっては世渡りの術なのだろう。思えば、今も祖国が魔物(魔族?よく知らないが)との戦争中なのだ。本当は気が気でないのかもしれない。
あまり異世界に行くことを先延ばすのも良くないのかもしれないな、なんて思い詰めるのも、やはり深く考えすぎなのだろうか。当のエトソンは、しばらくは平気と言っているが、どこまで本気かは分からない。
「アーサー、体調が悪いなら、保健室に行きますか?」
「いや、問題ない。少し、余計なことを考えすぎていただけだ」
気が付けば、午前の授業は終わり、昼休みが始まろうとしている。深く考えないようにしようとすればするほど、いらない心配ばかりが浮かんでしまう。結局、そのすべてをどうにかできるほどの行動力も、決断力も僕には無いというのに、まったく余計なことだ。
「余計な……はっ、もしかして、エッチなことですかっ?」
「断じて違う。はぁ……少し気分転換に出てくる」
叶夢に、それこそ余計なことでも教わったのか、鎖骨の辺りを両手で隠しながら目を丸くするエトソンに、きっぱり否定を告げる。
席を立った僕に、何か気を遣ったのか、エトソンは軽く頷くと、自分の机の上で弁当を広げた。今日はなんだか、弁当を食べる食欲も湧かない。本当に風邪でも引いたのかもしれない。
気分転換と言っても、校内は代わり映えのない景色だ。私立の綺麗な校舎も、歴史のある我が校はむしろ温かみがあると言った方がいい。中庭で新鮮な空気を吸ってみても、頭のモヤは消えそうになかった。
こんな時は、精神統一をするに限る。と言っても、僕は修験者ではない。単に本でも読んで、他のことに集中してみようというだけの話だ。校内中がゴールデンウィークを待ち望むように静かで、僕は自分の鼓動すらも聞こえるような気がした。誰もいない廊下を進んで、より静かな方へ。校内マップを見ても文字が潰れてしまうくらい小さな一画に、その場所はある。
第二図書室と書かれた標示のドアをゆっくりと開けて中に入る。誰もいないと思っていても、図書室にはそうして入るのが礼儀のような気がしている。古ぼけた表紙の本が並ぶこの部屋は、いつも通り本の匂いで満ちていた。それは実際、かび臭いというのとあまり変わらないのだが、集中するには良い場所だ。
「———?」
「———!」
適当な本を手に取って、席に向かった時、そこに一人の生徒がいることに気が付く。栗毛色の長い髪が静かに揺れる。長いまつ毛が瞬いて、区切られた一回分だけ僕の方を見た。その瞬間、僕と彼女の間の静寂は一層凪いで、空気中に浮かぶ埃の一粒までも見えるような気がした。
僕は静かに、足音を立てないようにそっと長テーブルに近づいて、黙々とページをめくる女子生徒、九沙吹藍良の斜向かいに着席した。ズボンが椅子に擦れる音が書架の間に消えていき、もどかしい静寂が満ちていく。
————いや、何をしているんだ、僕はっ!! 明らかに不自然じゃないか!?
開かれた一ページ目、良く知らない偉人の格言を、初めて自転車に乗るように何度も目で追い直す。視界の中で、本の少し上から覗いた彼女の頭頂部が少し揺れるだけで、僕の集中はたちまちに途切れた。恐る恐る本を前に傾けて、彼女が僕を訝しんでいないかと、そっと確認してみる。九沙吹さんは、伏し目がちに視線を上下させ、読書に集中しているようだ。
良かった、というのも変な話だ。現に僕が傍迷惑なことをしていることは間違いないわけで、それを彼女の優しさなのか鈍感さなのかで無視されているというだけなのだから。
かといって、「いやぁ、突然前に座ってすみませんでした」なんて謝ろうものなら、狂人というのも生ぬるいモンスターである。僕が九沙吹さんのことを気にしているとか、そういうことを抜きにしても怖い。
ともかく、当初の目的に戻ろう。九沙吹さんがいるなんて思いもしなかったが、僕がここに来たのは読書のためなのだ。むしろ、彼女からマイナスイオンというか、良い匂いみたいなものが漂ってきて、より集中できる気がする。
「———!」
何気なく、ほんの出来心でちらりと九沙吹さんを見た瞬間、不思議そうな目で僕を見つめていた彼女と目が合ってしまう。とっさに視線を落としたが、これでは変質者丸出しだ。何か言い訳をしなくては———。
「その本、つまらないよね」
不意に、九沙吹さんが呟いた。僕はその静かな唇の動きに目線を奪われる。遅れて言葉が脳の中をぐるぐると回る。本の内容など、一文字も頭に入ってはいなかった。
「……む、昔の小説だから、肌に合わないのかもしれないな」
名作と言われ語り継がれている本だが、現代的仮名遣いの小説と比べれば、読みづらさはあった。大まかな話の筋は知っているからいいが、それ以外の人間関係を覚えておくことは、メモでも取らないと難しい。まるで古文の授業みたいな気分だ。
僕の返答に、鳩が豆鉄砲を食ったような、と言ってもほんの微細な表情の静寂の後、彼女は本よりも少し下に視線を落とす。
「……ごめんなさい」
九沙吹さんは、そう呟き残すと、本にしおりを挟んで、静かに立ち上がった。何に対しての言葉なのだろう、と聞き返すよりも先に、確かな足取りで図書室を去っていく。
建付けの悪い扉が閉まって、僕は自分の返答が間違っていたのだろうと反省する。僕にはやっぱり、人の心を理解するなんて難しいのだ。ではなんと返せばよかったのだろう。きっとその答えにたどり着くのは、地獄で仏を見つけることよりも難しい。
昼休みが終わるまで、孤独な静けさと共に読み進めた物語は、どこか色褪せて感じられた。
**********
午後最初の授業中にこっそり遅弁を敢行し、うとうと眠たくなっているうちに一日が終わる。ホームルームが終わると、エトソンが机から顔を出すように、へりに顎を乗せた。
「アーサーっ、今日もミス研に行きましょうっ」
『夕暮れの原風景』に行って以来、エトソンは露骨に生徒会を嫌うような態度を見せるようになった。一日で攻略できる、と言っていた割に、放課後はミス研に執拗に行かせたがるのも、紅那須のほら話を聞きたいからではないだろう。
むしろ、どうして紅那須と康介には懐いたのだろうかと考えて、単にあいつらの人当たりが(というか、子供ウケが)良いからだと納得する。なんだかんだ、エトソンは駄菓子で懐柔される単純な側面もある。
「今日は休みだって言っただろ。さっさと帰るぞ」
休みと聞いて、露骨に肩を落としたが、帰ると言うと目を輝かせる分かりやすいヤツだ。僕としても、別に生徒会に協力しようという気は今のところないし、目下問題となりそうな、エトソンの中間試験対策でもしてやろう。それくらいは、普通の学生としての振舞いだ。
下校の代り映えしない道で、エトソンは上機嫌でスキップしながら僕の前を行く。
「アーサーはぁっ、すごく強いっ勇者さまぁ~」
「何を歌っているんだ?」
「アーサーが魔王を倒した後に歌う凱歌ですっ」
「気が早すぎるし、どうせなら、もう少し威厳のある感じで頼みたいな」
特に僕の注文を聞く気はないらしく、童謡みたいな間延びしたリズムで歌うエトソンに、僕は肩をすくめるしかない。
「エトソン、車来てるぞ」
歩道の狭い一車線道路で、後ろ向きに歩く彼女の手を軽く引いた。少ししてから、車が静かに僕たちの横を通り過ぎていく。犬の散歩のように、どこかに行ってしまわないよう、もう少しだけ手を握ったままでいると、エトソンは僕を見上げると、軽く微笑んでから腕に顔を預けた。本当に犬みたいなやつだ。
「大体、なんで車道側を歩くんだ。お前はフラフラしてて危ないんだから、こっち側にいてくれ」
「ですが、それではアーサーがマクルワリオンを抜きづらいと思います。もしもの時に、邪魔になってはいけません」
「もしもの時ってなんだよ。登下校にそんなもしもはない」
ぶうぶうと文句を垂れるエトソンは、僕が車道側に行こうとすると、子供のように回って、また僕の右手を掴んだ。まったくこの子は言うことを聞かないんだから……と親心のような呆れが芽生える。
「—————っ!!」
今日のところは、僕が折れてやるかと諦めて歩き出した瞬間、全身の毛が逆立つような殺気を感じて、僕はエトソンを抱き寄せた。ガスコンロを点火するあの一瞬のような、火花が炎に変わる炸裂音が頭上に響き、僕はエトソンを抱えたままで、後ろに飛び退いた。
「あ、アーサーっ!?」
刹那、稲妻が落ちるように、さっきまで僕たちがいた場所に衝撃が走り、黒煙が立ち込める。アスファルトの表面が溶け、水たまりのように黒い液が煙の奥から流れてくる。
「誰だ、お前は」
すぐに逃げ出せるように、息をひそめたエトソンをきつく抱き寄せたまま、煙の向こうに問いかける。不審者、変質者、そんな優しいものではない。そんな存在を認めたくはないが、超能力者だろうか。異能なんて日常では一笑に付されるが、鼻先でくすぶる焦げた臭いは到底笑えそうにない。
周囲を確認しようと、さっと視線を巡らすと、風が強いのか、煙は周辺の家の二階くらいの位置でかき消えている。煙を不審に思った誰かが消防に通報、なんてことも起こってはくれ無さそうだ。
辺りはしんと静まり返っている。それは、下校時刻の住宅街では不自然なほどだ。むしろその静寂な状況が、気配を殺した誰かに囲まれているという、危機的な状況を示してもいた。殺伐としたアクション漫画でこんな空気が流れ始めたら、仲間が一人ずつ離脱していく展開だろう。
煙がゆっくりと晴れ、目の前に大柄な男が姿を現す。白い礼服——修験道のような法衣というよりは、司祭が着る祭服に近い——を着た男が顔を上げると、周囲に潜んでいたのだろう、似た礼服の人間が次々と姿を現す。
逃げるにしても、戦うにしても数が多すぎる。まして、エトソンを守る動きを考えると、絶望的な状況だ。そもそも、何のためにこいつらはやってきたんだ———。
「オ~、アナタ、スバラシイデスネ!」
緊迫した空気をものともしないのか、能天気に明るい声で、祭服の男は両手を広げた。武器を持っていないことを示すような態度だが、手から煙を上らせていては説得力がない。
「お前は誰だ、と聞いているっ!」
「ア~、オ~ン。イエ~ス!」
男は、道化るように手をこまねいて、何を言うかと思えば、何も言わない。西洋的な顔立ちは、祭服と合わさって神父のように見えるが、少なくとも、突然襲い掛かってきたことに間違いはないのだ。動く気配のない周囲の礼服にも注意しながら、男のふざけた表情を睨む。
「朝尾秀一さん、で間違いないでしょうか」
声と共に男の横から突如として現れながら、少女は汗ばんだ金色の髪を耳にかけた。制服なのか、似た意匠の白い礼服は、汗の匂い一つ感じさせない清廉さだ。手にした長い杖は、形状こそ校内奉仕部が持っていたものに似ているが、洗練された装飾と細かな螺鈿細工は、高潔な聖具に見える。
「……ああ、間違いない」
「突然のことで、申し訳ありません。私たちは、中央教会より朝尾様を守るために派遣された、『公正防衛機関』の守護者です。彼は、司教のダイアンサス。日本語は不自由なもので、申し訳ありません」
突然並べ立てられた、理解の追い付かない単語の羅列に、僕は呆気にとられ、エトソンをかばっていた腕を離す。エトソンは僕にぴったりとくっついたまま、右手を強く握っている。その感触は、『夕暮れの原風景』の時とは違う、彼らが警戒に値する強さの持ち主であることを伝えていた。
「朝尾様、あなたの体に埋め込まれた強大な力を狙い、『新支配者の饗宴』が開かれました。長きに渡り隠し通されてきた、蓮御希縁による運命の研究。ついに、その歯車が動き出したことが観測されています。あなたの命は、もはやこの世界の命運を握っていると言っても過言ではありません」
「あっあっあっ」
「すでに、海を渡って、刺客がこの町にやってきているという情報もあります。あなただけではない、身の周り全ての人間が、危険に晒されることになるのです。どうか、私たちと共に、参りましょう」
「あっあっ、う、うるさぁぁぁぁい!!」
日常を生きる頭では処理しきれない言葉の羅列に、脳がパンクしてしまう。運命なんて、聞くだけでも嫌なのに、逃げられない状況でまくしたてられては限界も来る。なんだこいつらは、意識高い系の就活生か。それとも、痛々しい厨二病か。
ともかく、ごちゃごちゃと言われても、何がなんやらだ。なんだ、ティタノマキアって。ボクが考えたサイキョーのバトルかっ!
叫んですっきりした頭で、記憶の隅の情報を整理する。蓮御希縁は、冥加学園の設立者であり、初代理事長でもある。彼が、何か実験をしていたということか? 思い当たる節は……あるな。『夕暮れの原風景』だ。四月終わりの微妙な時期に、怪しげな集団に声をかけられる理由としても十分だ。あの異世界に首を突っ込んでしまったせいで、余計な物を呼び込むことになったのかもしれない。
僕の体に埋め込まれた強大な力、というのはよく分からないが、何かあるのだろう。問題は、ティタノマキアとかいう何かが開かれたらしいということだ。
「ど、どうされたのですか?」
突然発狂した僕に、鼻の高い少女は困惑した表情を浮かべる。困惑したいのはこっちの方だというのに、まったく。
「いったい何を言っているのか、さっぱり分からない。僕は一介の高校生に過ぎないし、命を狙ってきたのは、そこのそいつだろうが」
「その点については、申し訳ありません。ダイアンサスが、どうしても、朝尾様の力を測りたいと言うので……不信を買う結果となったことは、申し開きのしようもありません」
少女は、少し垂れ目がちな緑色の瞳を伏せて、頭を下げた。エトソンとは違うタイプのお淑やかな美しさだ。見た目はどう見ても日本人じゃないし、バイリンガルなのだろうか。
「それはもういい。その、刺客というのは……いや、その前に、あんたたちは何者なんだ?」
「説明を省く形になったご無礼を、お詫びいたします。私たちは、中央教会所属の守護者。主に、任を受けて対象を守り抜くことを生業としています。教団の教義に従い、殺し屋や暗殺者による、終わりのない報復を終わらせるために発足した組織といえば、分かりやすいでしょうか」
そもそも、その中央教会というのがよく分からない。教会というのは、東方とか、西方とかいう感じじゃなかっただろうか。中央ということは、中道主義みたいなことなのだろうか。
「自己紹介が遅れました。私はアマリリス。僭越ながら、あなた様をお守りするためにやってきました。中央教会では、未熟な身ながら司祭を務めさせていただいております」
高く見積もっても二十代かそこらに見える少女の自己紹介に、僕はますます疑念を深める。女性の、それも少女の司祭……正教会ではなく、カトリック寄りの教義なのだろうか。いや、そもそも中央などと言っているからには、既存の概念から外れているのかもしれない。あるいは、教会という言葉を冠しているだけの全く別物。教室という名の指導塾の大人が必ずしも先生ではないように、教会を騙る無法者の組織なのかもしれない。
「それで、その司祭様がなんで僕を守るって話になるんだ」
さっき言ってくれていた気もするが、正直よく分かっていない。セールストークをとりあえず頷きながら聞いているときのように、覚える気のない言葉は短期記憶にも残らないのだ。
「ご説明いたします。朝尾様は、『新支配者の饗宴』のことは、まだご存じないのですよね」
「知るわけがあるか。神々が戦争でもするのか?」
「『新支配者の饗宴』は、裏社会の富豪たちが己の力を示すために始めた権力闘争です。『ギアナの怪物』アロドロファミリー、『ヴェネツィアの葉脈』プロリフェラーレなど、各国の裏世界の住人を巻き込んだ抗争を、彼らはゲームのように楽しんでいるのです」
まったく聞いたことがない組織が次々出てくるが、知らない世界なんてそんなものだろう。ともかく、とんでもないものに巻き込まれているらしい。それがどうして僕なのかは、依然分からないままだ。
「ゲームのようにって、殺し屋が出てくるならその富豪とやらも命が危ないんじゃないか?」
「『新支配者の饗宴』の参加者は、あくまでも傘下の殺し屋組織。高額な報酬を餌に、殺し屋同士を争わせる、悪趣味な構造です」
「その悪趣味な争いに、どうして冥加学園が関係するんだ?」
アマリリスは、逡巡するように目を伏せて、静かに語り出す。
「あなた様が狙われたのは、『新支配者の饗宴』のホストの差し金です。我々教会が把握しているだけでも、世界では様々な実験が行われてきました。以前から、この冥加学園を隠れ蓑にした実験は注視されていましたが、ついに運命の歯車が動き出したという噂が広まり、その力の簒奪のために、あなたさまが標的となったのです」
「なるほど。闘犬遊びをしていたら、強い犬を持っているらしいという噂を聞いたから、自分のものにしたいということか。だが、実験と言っても、冥加学園の人間なんて、所詮全国レベルの才能がいる程度で、殺し屋なんかを差し向ける理由が分からないな」
まぁ、全国レベルの暗殺者を裏で育成していたら、話は違うのかもしれないが。少なくとも、僕はそんな影に生きる人間ではない。なぜ狙われないといけないのだ。
「ホストが狙っているのは、才能でも教育でもありません。あなた様の中に埋め込まれた、運命を引き寄せる力です。その力があれば、世界を意のままに操る支配者になれると喧伝しています」
「待った待った。さっきから、僕に力がどうのと言っているが、何の根拠があってそんなことを言っているんだ」
「朝尾秀一様。それはあなた様が幼少より、冥加学園に育てられた特別な生い立ちをしているからです。ミオカワミョウガにただならぬ愛情を向けられているあなた以外に、力を託す先は無いと、我々は推測しています」
出た、推測だ。結局のところ、僕のこれまでの人生や経歴を俯瞰して、こうあるべきだという理想を押し付けているに過ぎない。僕が人生の中で何を考えて、何のために生きてきたかなんて度外視の、都合のいい押し付けだ。
両親が死んで、理事長に引き取られて、そこに非現実的な特別性なんて介在しない。ただのありふれた悲劇と、ささいな幸運にすぎない。僕がそれで特別な人間になるわけじゃないし、まして、理事長にとって僕も、ただの冥加の子の一人にすぎないはずだ。
「悪いけど、僕にそんな力はない。狙われているだって? 勘違いも甚だしいと思うね。僕はただの高校生で、暗殺者も殺し屋も縁がない。これから一生だ。それでも、無駄足を踏みたいなら、勝手にすればいいが、僕の日常を邪魔するのはやめてくれ」
エトソンの存在を確かめるように背を抱き寄せて、僕はアマリリスに告げた。言ったところで、僕に何ができるでもなかったが、意志を持った演説で勘違いを正すことができるかもしれない。
アマリリスは、困った表情でダイアンサスを見上げて、別の国の言語を交わした。ダイアンサスの張り付いたような笑顔がこちらを数度うかがっている辺り、悪いことにはならないと信じたいところだ。
「……分かりました。今日のところは、これで失礼します。我々は、しばらく別の任務に専念しますが、すでに学園に手配した守護者が、あなたを警護します。なるべく、あなたの日々を侵さないよう、私から伝えておきましょう」
「助かるよ」
アマリリスは、軽く頭を下げると杖を円状に回した。その瞬間、薄い膜が剥がれたように、周りの景色がわずかに明瞭になったように思える。何かの魔法、と考えてしまうのは、エトソンに毒されているのだろうか。
「朝尾様、念のために伺いたいのですが、ヒノキという青年に出会ってはいませんか?」
「ヒノキ?」
どこかで聞いたような気もするが、咄嗟には思い出せない。そもそも、青年の知り合いなんて、僕にはいない気がする。
「いえ、少し確認したかっただけです。教会のコードネームですから、すでに名前を変えている可能性もあります。余計な心配をかけてしまい、申し訳ないです」
「気にするな。そのヒノキとかいう男、見つかるといいな」
アマリリスは、一瞬驚いたように表情をこわばらせたのち、すぐに笑顔を取り繕う。
「ええ、ありがとうございます」
それでは、と言葉を残して、背を向けた彼女はマジックのようにたちまちに消えてしまった。周囲にいた礼服の集団もいなくなっている。ただ、目の前に残されたアスファルトの焦げた跡だけが、この非現実的な出来事を現実たらしめていた。
「一体、何だったんだ」
落ち着くために、とりあえず素直な心境を吐き出してみる。『新支配者の饗宴』だの、なんたらファミリーだの、メモでもしてくれないと分かるわけがない。
———そういえば、すでに学園に守護者を手配しているとアマリリスは、言っていた気がする。僕が気づいていないだけで、すでに彼らは学園にコネクションを持っているのだ。
「どうかしましたか、アーサー?」
どうかしたかでいえば、だいぶ何事かあったと思うが、ともかくエトソンは違うはずだと思う。だって、異世界から来たのだ。そのうえ教会の間者だったとしたら、設定を盛り過ぎだと思う。彼らに怯えるような態度も、演技だとは思えない。頭をなでてやると、エトソンは子犬のような笑みを浮かべた。
しかし、出身はチグリジア皇国だったか……。アマリリス、ダイアンサス。そして、探しているというヒノキという青年。彼女の言葉から察するに、教会では、花や植物の名前をコードネームとしているのだろう。よもや、チグリジアというのがエトソンの本来の名前で、正体は美少女暗殺者だった、なんて話だったら、お兄ちゃんは衝撃で寝込んでしまう。
いやいや、そんなわけはないだろう。エトソン以外だとして、まぁ、叶夢も違う。これは前提だ。
ほかに、思い当たる人間がいるだろうか。狭い交友関係を、僕はどうにか引っ張り出す。
最も身近でいえば、ミス研の二人だ。雁野康介、は違いそうだ。紅那須偲歩……ナスだな。字は違うが、ナスが名前に入っている。怪しいが、まさかあの紅那須が、殺し屋組織の一員とは思えない。
直近で知り合ったと言えば、生徒会と校内奉仕部の生徒たちだ。和泉劫雲、先輩は関係なさそうだ。千家梢、は梢が植物と言えるだろうか。葛御丘妙栄、は葛が植物。百合原恵夢は、言うまでもなく百合の花。津川何とかという一年は関係ないとしても、候補が多すぎる!なんだ、この学園は。植物をモチーフとした擬人化系ゲームでもあるまいに、名前に植物関連の言葉が入り過ぎているじゃないか!
いやいや、さすがに僕の神経がとがり過ぎているだけのはずだ。例えばそう、九沙吹藍良、は草?ということもあるまい。ああ、そうだ。上吉は確か、下の名前が小梅……。
「アーサー、そう心配せずとも、アーサーならババンと撃退できますっ!」
「むしろ味方の心配をしているんだ、僕は……」
僕を守ってくれているという誰か。それは翻っていえば、僕の日常の中に潜む癌だ。他の生徒と変わらない顔で、非日常の刃を潜ませている。
「勇者様、確かに先ほどの方々は少し怪しく感じましたが、守っていただけるということであれば、遠慮する必要は無いと思いますよ。こういうときこそ、泰然自若としていましょうっ」
「難しい言葉を知っているんだな。確かに、その通りかもしれない。はぁ……考えてもしょうがないか」
異世界の姫君だからか、守られることに関しては慣れているのかもしれない。エトソンの落ち着いた言葉に、僕も少しだけ楽になる。
とはいえ、あなたの身の回りに守護者がいます、なんて言われて気にしないわけがない。僕の要望が通ったと考えるなら、明日からよそよそしくなった人間が怪しいのだが、そもそも僕はそれを看破できるほどフレンドリーな人間ではない。まして、裏社会の人間がそんな分かりやすいことをするとも思えない。まぁ、裏社会がどんなものかなんて、僕は知らないのだが。
「なぁ、エトソン」
ようやく家にたどり着き、すっかり慣れた動作で玄関に向かうエトソンの背に声をかける。ドアノブに手をかけたまま、彼女は振り返って小さく首を傾げた。
「お前から見て、僕はどのくらい強く見えるんだ?」
それは何の指針にもならないかもしれない質問だ。けれど、異世界に行くだとか、学園の闇を暴くだとか、そういったものとは関係なく、僕はもっと、自分自身について、知っておく必要があるかもしれないと、そう思わされていた。
「それはもう、こ~れくらいっ!ですっ!」
エトソンは両手で大きく円をかきながら駆け寄ってくると、僕の胸元に飛び込んできた。手の動きを追っていた僕は、不意の行動を思わず受け止める。腕の間から顔を出して、エトソンは天真爛漫な笑みを見せる。
「とっても、とっても勇者様はお強いです。ですから、不安になる必要なんて、これっぽっちもないのですよ」
別に不安になっていたわけではないが、どこか臆病になりかけていた心を見透かされるようで、少し気恥しい。なんだか分かったような態度で慰められたのが癪で、僕を見上げるエトソンの頭をわしわしと撫でた。飼いならされた犬のように、エトソンは目をつぶって頭を擦り寄せた。
天日干しした布団で眠るときのような、優しい充足感が体を満たして、日課でもこなすかと思ったその時、背後でどさりと袋のような軽いものが落ちる音がした。敷布団はたちまち汗で濡れ、太陽を隠した雲から雷雨が降り始めるような予感が背筋を駆け上る。
「しゅ・う・い・ち? 家の前で白昼堂々、良いご身分ね」
素早くエトソンを離し、ゆっくりと振り向くと、そこにはノーハンドで両手の指を鳴らしながら近づいてくる叶夢の姿があった。鬼神のような殺気を放ちながら、その足音は地鳴りのように聞こえる。もうこいつが殺し屋だろ。そうに違いない。
「い、いや、これは違くて! やましいことは何もしてないというかっ、べ、別にしていても良くないかっ!? 個人の自由だろ、そこはっ」
「詐欺師はみんなそういうんだよ? 自由恋愛は合法でも、エトソンちゃんを騙すのはシケイしかないかな」
シケイって、死刑なのかっ!? 私刑なのかっ!? どっちも嫌だっ! そもそも、騙してもいないはずだっ、エトソンは何か弁明してくれよっ!
「うぅ……秀一にムリヤリ……」
「なぁにを言ってる!!」
こういうときだけちゃんと名前で呼びやがって! 叶夢は本当に洒落が通じないときがあるんだから、勘弁してくれっ。
じりじりと距離を詰めてきた叶夢は、射竦められた僕を見下ろして、シンバルを構えるみたいに両手を広げた。ああ、僕の顔はぺしゃんこにされてしまうのだ。走馬灯で思い出すことも特にないが、人生楽しかったということにしておこう。
「———?」
勢いをつけて迫ってきた両手は、しかし優しく頬を挟んだ。意表を突かれた僕の顔を見て、叶夢は意地悪な笑みを見せる。
「なんて、冗談。変な気起こすなら、ちゃんと家の中でしなさいよ」
「起こさないって」
「はいはい。それより、いつもより疲れた顔しているけど、何かあったの?」
冗談というには恐ろしかったが、それも僕が思い詰めていたせいだったのかもしれない。十年以上共に過ごした幼馴染には、そんな不安は簡単にばれてしまうらしい。
「ご飯のときに話すよ。僕もまだ、よく分かっていない」
「アーサーが、殺し屋に狙われているそうなのですっ」
「殺し屋ぁ? また物騒な話ね」
非日常的な動乱も、食卓に上がれば世間話だ。僕はそうやってまた、運命的な予感を平常化する。きっと、まだこの平和な日常が続いて行けるのだと信じて。
だけれど、もしかすると、この安寧の時間の終わりは、もうすぐそこまで来ているのかもしれなかった。
次回1-5「夢・自由・エクスカリバー」
人は誰だって、大声でエクスカリバーと叫んでみたいものだ。
非凡から目を背ける少年、朝尾秀一は、かつて憧れた聖剣を手に、己のトラウマと向き合う————。
「———エクスカリバーッッッ!!!」




