4-1 角じゃなくても出会いはある
〇これまでの登場人物(主に四話登場)
・朝尾秀一
この物語における騒動の中心である少年。
両親の逝去後、冥加学園理事長である澪河に引き取られる。
ひょんなことから聖剣に選ばれたが、異世界に行く気はなし。恋愛に忌避感を抱いている。
その身には、世界を意のままに操れる力が埋め込まれているというが……?
・遥原叶夢
秀一の隣家に住む少女。彼の幼馴染として、幼い頃から毎朝起こしにやってくる他、両親のいない秀一にお弁当を作り、夕食を共にしている。
秀一同様に冥加学園の特待生であり、『新律者』の一人。正体を隠して秀一と過ごすその目的は——?
・エトソン・プルルライナ
異世界から来た少女。聖剣を秀一に託し、現在は流されるまま冥加学園に編入し学生生活を謳歌している。『透明化』の魔法を使うことができるが、使用時に右目が赤く染まる。地形や建物のマップ把握や、相手の強さを解析したりできるらしい。
・九沙吹藍良
冥加学園の『孤高のマドンナ』。高い身長と無口で冷たい瞳は、軟弱な生徒を寄せ付けない。剣道部に所属しており、竹刀を携帯している。大体いつも第二図書室にいる。
・上吉小梅
入学式後に助けられたことで、秀一を慕う一年生の少女。
・アマリリス
中央教会の司祭。日本語英語イタリア語を操る少女。
・オレノン
『新支配者の饗宴』参加者の一人。イタリア出身の殺し屋で『ヴェネツィアの葉脈』に所属している。主に衛星に侵入することで標的を追い詰める。
六月になると、途端に春の気配は薄れていく。時折訪れる肌寒さに、三寒四温を懐かしく思いながら、やってくる初夏の匂いに穏やかな郷愁を誘われるものだ。
高校二年生というものは、いわゆる受験とはまだ無縁だと思いたい。夏が過ぎれば、三年ゼロ学期とかいう意味の分からない期間に突入するそうだが、どこに進学するとも決めていない僕にとっては、よっぽど非現実な展望に思える。
「おはようございます。定期報告に参りました、アマリリスです。朝尾様、お元気そうで何よりです」
「教会とやらに関わらずに済んでいるから、晴れ晴れとした気分だよ。だが、自分でも理由は分からないが、本当にお前たちが機能しているのかという点には、疑問があるな。プラシーボ効果で守っている、なんて詭弁を弄するわけではないだろうな」
「そのようなことは、決してありません。守護者は、きちんとその職務を果たしている、と報告も受けております」
その守護者とやらが結局誰なのか、いっそ聞いた方が楽になる気もしてくる。とはいえ、一度意識してしまえば、いたら気になるわ、いなくても不安になるわで、平穏どころではなくなってしまいそうだ。だがやはり、守護者と関係なく何か危険な目に遭ったような気はしてならない。こいつら、そもそも相手の情報とかきちんと把握できているのだろうか。
「ですが……教会も少し立て込んでいまして」
「前に言っていた、ヒノキだかクスノキだかいう人間のことか?」
「いえ、それもありますが、別口で捜索していた殺し屋組織が、この冥加市にやってきているという情報があり、現在捜索中なのです」
冥加市の人口なんて大したものではないし、セントラル・スカーヴァティーで開催される種々の興行のために、イベント会社の人間なんかの出入りは多いとしても、そんなに殺し屋が流入していたら、大問題じゃないか。もしかしたら、今日学校に行くまでに、何人か殺し屋とすれ違うかもしれない。
「その組織は、国際指名手配中の勝紋麾下と呼ばれる凶悪な集団で、教会でも少なくない犠牲が出ています」
「じゃんゆー、なんだって?」
「勝紋麾下、日本語に訳すなら……タコさん印の子分たち、といったところでしょうか。総人数は不明ですが、構成員は、タコの触手のような刺青があるとされています。当目とされる、丈夫という名の大柄な男の目撃情報がありました」
多分、かなり意訳なんだろうが、ずいぶんと可愛いグループ名だ。まぁ、殺し屋だからといって、可愛い名前を冠してはいけないということも無いだろう。その名を知った者の中に、苦言を呈することのできる人間はおそらくいないということか。互いの名前を馬鹿にするのは、強さを認め合う者同士の、じゃれ合いのようなものなのだ。
「タコさんだかイカさんだか知らないが、関係のない人間が巻き込まれるようなことにならないといいがな」
「おっしゃる通りです。我々も、朝尾様の警護を続けつつ、対象の殲滅に動く算段を検討中です」
検討してないで早く行動してほしいが、そう何度も定期報告されても困る。そもそも、殺し屋なんて、僕のような一般人には関係のない話であるべきだ。人の生き死になんて血なまぐさい話題に慣れてしまう前に、早く対処してほしい。
「アーサー、準備できましたっ」
「それじゃあ、僕は行くからな」
「ええ、お気をつけて」
軽い会釈で別れて、僕はいつも通りの日々に戻る。すり鉢のような回転音が聞こえて、アマリリスの背を振り返って見たが、そこにはもう誰もいなかった。気にするようなことではない。事実、今日まで平和な日々が続いているのだ。明日もその次も、きっと平和で穏やかな時間はやってくることだろう。
**************
「あ、すっかり忘れていたな」
一学期の中間テストが終わり、家に持って帰る必要もないかと置いて行った教科書を整理していると、ファイルの隅に隠れていた、少しよれているチケットと再会する。クラスの人にもらったのは、先週だったはずだ。慌てて日付を確認したが、印字された予約日には二週間ほどの間があった。商店街の福引が終わるまでは景品の山に埋もれている気だったのだろう、余裕のあるスケジュールに安心する。
「何かありましたか? も、もしかして、ラブレターとか……」
今日も今日とて、先輩のクラスに臆面も無くやってきていた上吉が、挙動不審に頬に手を当てた。本当にラブレターだったら、すっかり忘れていた僕は人でなしである。
「いや、そういうのじゃないよ」
「あら、それセスバのチケットじゃない。偶然。もしかして、被っていないわよね」
「おわっ、叶夢! ああいや、ちょうどよかった。って、お前も持っているのか」
音も無く現れた幼馴染は、僕が机の影に隠そうとしていたチケットを見て、不安げな目をした。彼女の手には、配色のよく似た長方形の紙が握られている。
「ちょっと見せて。え~っと……良かった。別のチケットね。それじゃあ、はい」
「あ、ありがとう?」
叶夢は二枚持っていたチケットの片方をちぎり、僕に渡した。印刷された半角のカタカナを見るに、ライブホールで開催されるアイドルのコンサートらしい。僕は現実のアイドルには全く詳しくないが、たまに校内で噂を聞いたことはある気がする。動画投稿アプリなんかでも、ジャンルを跨いで、いろんな人がダンスや歌のカバーを出していたはずだ。
「友達が、どうしても外せない用事ができたからってくれたの。なんでも、倍率数億倍だとか」
「そ、そんなレアな物、よく譲ってくれたな」
「一応、これは学内用だからね。なんでも、たあむちゃんが冥加学園からの出資を受けることになったから、その返礼ライブらしいわよ。それで、冥加学園の学生を無料で招待してるの。私、応募外れてたから、ラッキーって感じね」
そんな話は初耳だが、理事長の手の広さは幅が知れないし、それくらいやっていてもおかしくはないだろう。そもそも、聞いていても忘れてしまっているだけかもしれない。ライブやコンサートなんて、普段から進んで行こうとは思わない。賑やかなのが嫌いなのもあるが、それほどグルーヴ感と言うやつに乗り切れないのだ。
「じゃあ、俺からはこれ。数億倍のライブチケットと比べたら、見劣りするかもしれないが、こっちも貰い物だしな」
「遊園地、いいじゃない。結構あるけど、残り誰にあげるか、当てとかあるの?」
叶夢が聞いた瞬間、勢いよく響いた異音に、思わず会話が止まる。机に両手をついて立ち上がった上吉が、身を乗り出してチケットを見つめていた。
「わ、私、立候補します! せ、先輩と遊園地、行きたいですっ!」
視線を奪われた僕と幼馴染は、同じタイミングで顔を見合わせる。面識はほとんど無いはずだが、上吉が来ることに反対ではなさそうに、彼女は優しい笑みを見せた。
「じゃ、じゃあ、これ————」
「あ、ありがとうございますっ!!」
恐る恐る差し出した手に、猛獣のように上吉が飛びついた。チケットをもぎ取ると、機嫌よさそうに教室を去っていく。なんだか、また面倒なことをしてしまった気がする。
「良かったのか? 知らない後輩と一緒になるが」
「知らないって言っても、別に悪い子じゃないんでしょう? 珍しく、秀一が人と関わっているんだから、大事にしてあげないとね」
余計なお世話だ。と言いたいところだが、かといって、あの場面でチケットをあげないほうが、性格が悪いだろう。上吉に意地悪をしたいわけではなく、日頃の恩を返す家族団らんの機会だと思っていたから、気持ちが切り換えきれていなかっただけなのだ。友人と遊ぶものと割り切れば、別に彼女がいても憂うるほどではない。
「それで、もう一枚は誰に渡すつもりなのですか?」
すでに一枚は自分がもらうと確信している、こちらも中々に図太いエトソンが、椅子を少し寄せて僕に聞いてくる。
叶夢の両親に渡すには数が少ないし、そもそも僕は友達が少ない。強いて言えば心当たりがないでもないが、果たして受け取ってくれるだろうか。そもそも、僕に渡す勇気があるだろうか。
「理事長っていう手は————」
「それだけはない」「それだけはないですっ」
総攻撃、いや双攻撃を受けた僕は、渋々他の人を探すことにする。とはいえ、心当たりは残り一つくらいしかなかった。後は、僕の勇気次第である。
**************
気の進まない午前の授業がいつの間にか終わり、昼休みのチャイムが鳴った。僕は教室を静かに出て、さらに人気のない校舎の隅、第二図書室の扉を開けた。
別に、彼女——九沙吹藍良という少女は、いつもこの場所にいるというわけではない。ただ静かな場所で、僕が本を読むだけの日も多かった。
だが、今日この時間だけは、不思議と運命的な力で、彼女がここにいると僕は確信していた。そして、やはりというべきか、扉を開いた先で顔を上げた物静かな少女に、僕は臆病な心を飲み込まざるを得ないのだった。
「こんにちは、朝尾くん」
「や、やあ、こんにちは」
珍しく挨拶をしてくれた九沙吹さんに不意を突かれ、僕は機先を制することができなかった。それ以上に、彼女が僕の名前を憶えていてくれたことに驚いてしまい、柔らかな唇の動きから奏でられた音が、そんな意味を成しているという事実を信じられていない。
あまりにも不自然に、読書を続ける彼女の横で立ち止まった僕に、彼女は視線を向けた。整った前髪がさらりと垂れて、切れ長の細い目を露わにする。化粧気の薄い肌は、瑞々しくも力強い。
「どうかしたの?」
「あ、いや、そんな大したことではないんだけど、さ。こ、これ、良かったら」
用意していた言葉など、口の先で回転して消えて行ってしまい、上ずった声を出して僕はチケットを差し出した。まじまじとした視線が痛い。
ひんやりとした指が、紅潮した僕の指とぶつかり、彼女はチケットを受け取った。不思議そうな表情で、チケットの内容を確認して、改めて僕の顔を見上げる。見上げると言っても、彼女の座高は僕の身長とそれほど変わらず、つまりはそこから彼女の膝から腰までの長さが大体導けるというわけで、要するに見つめるというには近すぎる視線がほぼ目の前から、僕をまっすぐに貫いている。
「……私は、遊園地に向いていないよ」
バイオリンの弦が震えるように、優美に発された音に、僕は一瞬意味が分からなくて困惑する。肯定か否定かでいえば、否定寄りの言葉だ。
「え、と。向いていないなんてこと、無いと思うよ。九沙吹さんは、ほら、身長も高いし、モデルさんみたいに脚もすらっと長くてさ、遊園地の被り物だってきっと似合うし————」
「私は、そんな風に日向を歩いていい人間じゃないの。私がいるだけで、みんなが不幸になる。遊園地みたいに幸せの集まる場所、私は行かないほうがいい」
「そんな、そんなことっ————」
思わず大声を出してしまいそうになって、僕は言葉に詰まる。二人だけしかいなくても、ここは図書室だ。声を荒げるような場所ではない。上滑りした言葉がしりもちをついて、ゆっくりと立ち上がる。
僕は、彼女のことを、実際には全く知らないと言ってもいい。彼女の孤独な様子に同情するのも、みっともない姿をさらしても彼女に話しかけてしまうのも、すべて僕のエゴでしかない。彼女がどんな不安を抱えて、どんな苦しさを背負っているのかなんて、僕には推し量れようも無い。
けれど。それでも、どうしても言いたくなってしまった。それがお節介で、彼女からしたら理解の乏しい、心無い言葉だとしても、なぜだか許せなかったのだ。
「君が、そんなことを気にする必要はない。だって、僕の目に映る君は紛れも無く輝いていて、とても陰にいるとは思えないんだから。そ、それでも君が陰にいたいっていうなら、ほらっ、そのっ、僕が影を作るからっ」
口から勝手にこぼれた言葉は、自分が思っていたよりもずっと恥ずかしい言葉で、僕は動揺して両手を広げ、彼女の顔に影を落とした。
僕はただ、上吉が図々しく遊園地へのチケットを獲得したのに、九沙吹さんが遠慮するのは割に合わないと、そんな苦言を述べたかっただけなのに、これじゃあ口説いているみたいじゃないかっ!
蛍光灯の淡い光から隠れた彼女の表情は、一層暗く見える。凛とした顔立ちは、恥ずかしがることも、茶化すこともせず、まっすぐに僕を見つめていた。
「……私が輝いて見えるのは、あなたが太陽だからだよ。あなたの傍には、日陰なんてどこにもない。私にはそれが、少しだけ羨ましい」
「え————?」
突拍子もない彼女の言葉に、上手く意味を理解できない。頓狂に両手を掲げたままの僕から、九沙吹さんはもう一枚のチケットを抜き取った。手元に残していた僕のチケットを静かに観察して、元のように僕の手に差し込む。
「あなたを困らせたかったわけじゃないの。予定を合わせると言ったのは、私の方。他の人も来るなら、少しは私の影も薄れるかもしれないし」
不自然に間の空いた発券番号は、連番のチケットであることを悟らせてしまったらしい。二人きりでないことに、むしろ安堵したような九沙吹さんに、僕の胸はどうしてか、路地裏に吹いた風のようにざわめいてしまう。
「その、迷惑だったら申し訳ないのだけれど、他にもいろんな場所に、君を連れて行きたい。この世界が、もっと暖かくて明るい場所だって、君に教えてあげたいんだ」
彼女は、能面のように冷たい表情で顔を傾げた。瞼がほんの少し開いて、それでも九沙吹さんは微笑まない。
「考えておくよ」
ふわりと空気が甘い匂いに包まれる。それがいつもの、彼女の石鹸みたいな淡い香りだと気が付いたときには、背は遠ざかり始めていた。だけれど、僕は彼女との距離が、また少しだけ、縮まったように思えたのだった。
**************
幸いにも、殺し屋とは出会わずに一日が終わり、いつも通り和やかな食卓を囲んだ僕は、風呂上りにぼんやりとリビングでくつろぐことにした。夜は相田さんもいないから、これまでは一人だった気がするが、そんな記憶も薄れそうなほど、エトソンが絶え間なく話しかけてくる。そんな賑やかさも悪くはないと最近は思う。
「アーサーっ、これが遊園地というものですかっ」
「ああ、ちょうど話題になっているらしいな」
僕の予想よりも、叶夢の誘ってくれたライブの注目度は高いらしく、ローカルネットの特番で、セントラル・スカーヴァティーの特集が組まれていた。遊園地が映るたび、アトラクションの仕様を聞いてくるエトソンに都度答えつつ、ずいぶんと人気なアイドルの情報を仕入れることにする。
「直感系アイドル、奔羽たあむ……か」
知らない有名人は、フルネームの方が聞き馴染みがない。ファンからの愛称だという、本バタやばたみゅ、とかいう単語で、ようやく、クラスでたまに聞こえて来ていた呪文と合致する。勝手に、料理やミュージカルの話だと思っていたが、すべて彼女の話だったらしい。
テレビで紹介される写真は、野外のライブで撮られたベストショットらしく、ひたむきな汗を流す姿は、思わず応援したくなる気持ちにも頷ける。とはいえ、トレンドに疎い僕には、世界中で人気と言う喧伝には、首を傾げたくもなる。見る限り、ただの少女だ。茶髪のショートヘアは、確かに彼女の魅力を引き出しており、容姿や歌唱力、パフォーマンスへの努力も他人以上に積み重ねているのだろうが、冥加学園にいる特待生でさえ、世界的な水準とは高い壁なのだ。
「あっ、私この曲知っていますよ! 恋のパンケ~キっ、抱きしめてぎゅっと!」
「ダンスまで。ステップもつけるなんて上手いじゃないか。叶夢にでも教わったか?」
エトソンは、テレビで流れる広告の曲に合わせて踊り切ると、満面の笑みでブイサインを見せる。楽しそうな表情に、無粋なことを考えていた思考も穏やかにさせられた。それはそれとして、彼女の自信気な顔には、なんとなくだが、いやな予感がしてくる。
「クラスの方に教えていただいたのですっ。なんと、一緒に踊らせていただいた動画が、二百万人もの方に見てもらえたのですよっ」
それは一人につき三回までカウントされるんだぞ、という言葉を口にする意味のない再生数に、僕は両目を瞑って現実逃避する。もし、エトソンを連れ戻しに異世界から執事なんかががやってきていたら、きっと卒倒してしまうだろう。僕だって気を失いかけている。
「一応聞くが、動画に顔を出したのか?」
「それが……投稿した次の日には、動画が削除されてしまったのです。せっかくの、クラスの方との思い出だったのですが……」
ありがとう、世界の抑止力。まぁ、まじめに考えれば、学園の職員か誰かが、運営に働きかけたのだろう。いくらエトソンが異世界から来た美少女だとしても、数時間で再生数が回るほど、世界は甘くない。きっと、もともとアイドルの特待生あたりが、バズ狙いでエトソンを悪用したのがばれたのだ。
「アーサーは、今週末に本物を見に行くのですよねっ。いーなー」
「そんな顔しても、こっちのチケットは二枚しかないんだ」
だからお前が行け、とはさすがに今回は言えない。別に、このたあむちゃんとやらに興味はないが、それほど人気のライブに行ける機会をわざわざ逃す手はなかった。
「オンライン視聴もできるそうなので、相田さんと一緒に見ることにしますっ」
「まぁ、好きにしろ。そんなに好きなら、何かグッズでも買ってこようか?」
「それなら、パンケーキミックスがいいですっ」
花より団子の王女様に呆れているうちに、特集番組は終わりを迎えた。テレビがニュースに変わったことに気が付いて、エトソンはそそくさと部屋を出ていく。本当に切り替えの早いやつだ。
ニュースの一面は、今日も平和な物ばかりだ。果たしてそれが、本当に冥加市が平和だからなのか、それとも、水面下で取引される命をまだ誰も把握していないだけなのかは、僕には知る由もない。
ふと思い立って、『奔羽たあむ』のウィキサイトを検索してみる。カルト的な物から健康そうな日記まで、様々な人が彼女に熱狂しているらしい。
ゴシップまがいの記事に目移りする中で、プライバシーの権利を侵害しているのではないかというほど詳細に経歴をまとめた記事の一節で、コンコルド効果に毒された視線が止まる。五年前と言えば、僕も彼女も中学生の頃だ。
「親とは別居し、現在は事務所で寝泊まりしているとは本人談……」
キラキラしたステージ上の姿とはかけ離れた波乱万丈な人生に、公式では同い年の少女を見る目が変わる。人気アイドルなんて、幸福で裕福な温室育ちだと思っていたが、どうやら、冥加学園からの出資を受けることになったのも、教育を十分に受けられなかった彼女の出自によるものが大きいらしい。アイドルとして栄光を掴んでも、一人の少女として、親からの愛を受けられないというのは、ひどく辛いことだったに違いない。
ラジオなどで話された情報が、真偽不明のうわさ話に変わったところでページを閉じた。成功者だから、有名人だからと色眼鏡で見るのは、冥加学園の生徒として恥ずかしい。彼女は立ち上がり、今を輝き、未来に進んでいるのだ。外野がとやかく言うことではないだろう。
念のため確認したが、彼女が冥加学園に編入するなんてことはなさそうだった。さすがに自意識過剰な考えだったようである。
「どちらにしても、僕には関係ない話だ」
今日も今日とて、トイレの電気をつけっぱなしにするエトソンにため息を吐いて、僕は普段通り、眠りにつくのであった。
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週末に予定があれば、平日などはあっという間に去ってしまうもので、喧騒とは程遠い日常が流れていく。
学内チケットの制限のおかげで、着ていく服に悩まされなかった僕は、同じように見慣れた制服姿の叶夢と並ぶ。エトソンは今にも飛び出してきそうな表情で、門扉に体を預けていた。
「それじゃあ、良い子にしているのよ」
「はいっ、生ばたの感想、聞かせてくださいねっ」
決して僕は、ライブを楽しみにしていたとか、そわそわして色々調べてしまったとか、そういうミーハーで流されやすい性格ではない。ないのだが、あえて知識を確認させてもらうならば、直感系アイドルと呼ばれている奔羽たあむの愛称が、本バタやばたみゅなどと、名前の真ん中であるばたを強調した言い方なのは理由がある。
ジュニアアイドルとしてデビューした彼女は、当初、ピッコロトッコというグループのメンバーだった。洋菓子をモチーフとした愛称で統一されたメンバーは、今ではほとんどが脱退しているが、ソロ活動を選んだ奔羽は、当時のバター担当の愛称やコールを、今でも大切にしているのである。代表曲である『拾って、パンケーキ!』も、当時のフィーチャー楽曲なのだ。
「秀一は、セスバ行くの初めてだっけ」
「ああ、そういえばそうかもな」
地元の大きい施設だから、何となく行った気がしていたが、思い返してみれば、実際に行くのは初めてな気がする。叶夢のように運動部なら、練習試合なんかで使うこともあるらしいが、僕には縁のない話だった。両親が亡くなってからは、どこかに出かけることも無かったし、それ以前はそもそも記憶がない。
家の最寄り駅から数駅進む間に、電車内はいつの間にか満員になっていく。セントラル・スカーヴァティーのライブホールは一万人くらいのキャパシティだったはずだから、一度に電車に乗り込めば、先にパンクするのは電車の方だ。
「すまん、もう少し寄ってもいいか」
首根っこに手を回され、頭一つ近く違う幼馴染の首元に顔が引き寄せられた。爽やかなオレンジミントの制汗剤の香りが、鼻を包む。
「あんまり離れると、車内でもはぐれるわよ」
「僕はエトソンじゃないんだぞ」
超満員となった圧力で、肩に回されたままの腕を払いのけることもできず、叶夢と密着したまま電車に揺られる。芯の暖かさを感じる彼女の筋肉質な腕は、穏やかな優しさを感じさせた。
「……ようやく着いた」
ほんの十分ほどのはずだが、永遠のように感じられた閉塞感が、扉から吹き込む風と共に緩んでいく。席に座っていた人たちが降りるのを待ってから、落ち着いて一歩を踏み出した。
セントラル・スカーヴァティーは、駅からの展望を魅せるために、わざと窪んだ配置となっている。段差の多い敷地は、傾斜を利用したアトラクションにはもってこいだ。まるで崖から海を見るように、圧倒されてしまうほど近未来的な景観に息を飲む。
「慣れると、普通にきれいな場所って感じだけどね」
「それでも、ワクワクはするだろ。サイバーパンクなゲームの始まりみたいでさ」
中央にそびえたつランドマークタワー『ユーフォリア』は、電波塔でもあり、恋人たちの聖地でもある。多幸感という名を冠するだけあって、噂では、『ユーフォリア』で告白したカップルの成婚率は、百パーセントを超えるという。おそらく、一夫多妻制とかそういうことだろう。
ともかく、それなりに歴史がある割に、未だ真新しさを保つ興行施設は、いかにも何かが起きそうな予感で僕を待ち構えている。全世界で有名なアイドルのライブなんて、やっぱり楽しみでないわけがなかった。
「迷わないように、手、繋ぎましょ」
「僕はエトソンじゃないと、何度言ったら……」
叶夢の差し出す手を仕方なく握ると、幼馴染は屈託のない笑みを見せた。もしかすると、今度は冗談だったのかもしれない。
壮観な風景に思わず立ち止まっていた僕は、彼女に手を引かれ、清廉な道路を並んで歩く。エトソンの手が温かいせいか、力強い叶夢の手はまるで同じ一人の人間だったかのように、馴染んで思える。
そうだ。ずっと昔は、こうやってよく手を繋いでいたっけ。
いつから離してしまったのか、それとももっと幸福な温かさが間に入ったせいか。久しぶりに思える幼馴染の温度は、気の置けない安心感を与えてくれた。
「そういえば、秀一は、学校に好きな人とかいるの?」
「————えっ!?」
突拍子も無く、単刀直入に、ストレートな豪速球を飛ばしてきた叶夢は、本当に軽く聞いただけのように、驚いた僕を不思議そうな目で見た。そんなまっすぐな目で見られると、一瞬意識してしまった僕が馬鹿みたいじゃないか。
「ああ、ごめんね。ほら、遊園地のチケットさ、一枚余っていたでしょ。上吉ちゃんはともかく、エトソンちゃんの面倒は私が見るし、渡したい人がいるなら、と思ったんだけど」
「なんだ、そのことか。それなら、もう渡したよ。く————」
喉元まで出かかった言葉が、直感的に引き留められる。遅れてきた理性は、自分の反射的な抑制に疑問を抱いた。別に、普通に言えばいいだけのはずだ。最後のチケットは、九沙吹さんに渡したのだ、と。
ざわめきだした鼓動は、繋いだ手の先に伝わることはなく、ただ僕の心だけをかき乱す。飲み込んだ生唾は、劫の時間を進んでいる。
いったいなぜ、躊躇ってしまったのだ。叶夢は家族みたいなものだ。家族に好きな人を言うことくらい……いや、当たり前ではないか。母には隠すし、姉には一層隠すだろう。妹にはバレたくないし、祖母の口は空気より軽い。
一旦、叶夢が家族同然の存在であることは置いておいて、幼馴染に好きな人のことを話すというのはいかがなものか。叶夢のことだ、きっと応援してくれるだろう。顔も広いし、校内人気も高い。博学多才で人当たりも良く、まさに特進組の代表と言える存在の叶夢なら、僕の恋路を成就させるくらい容易くやってのけるに違いない。
いや、そもそも。別に、僕は九沙吹さんのことを好きとかそういうんじゃない。そういうなんか、邪な気持ちで見ているわけではなくて、かといって、彼女の暗い部分に同情するでもなく、ひとえに友人になりたいと、そう、友人に! 仲良くなりたいという純粋な思いだ。彼女に抱く特別な感情というのは、友達のいない僕が、友達になりたいと思ったというだけのことなのである。つまり、別に何もやましいことはなく、堂々と九沙吹さんに渡したことを、叶夢に宣言すればよい。どこに後ろめたさを感じる必要があるのだろう。
「————九沙吹さんに渡したよ。最近、どこかに行こうって話をしていたからさ」
「……へー」
気にしていない素振りで、なるべく明るく何気なく返したつもりだったが、妙な沈黙が重たくのしかかる。な、なんだ……? うまく話せなかったみたいだ。
整備された道を歩く二人の歩調が、五月雨のように折り重なって聞こえる。鼓動のように一定に、しかし足並みはそろわない。
「……好きなの?」
「え、あ、いや、好きってその、たまに話すってだけで、交友関係というか、友人として、その、健全な学生付き合いをだな————」
流れるように出てきた長めのフィラーは、立ち止まった叶夢を追い越してしまう。目を逸らしていた僕も、軽く引っ張られた手に視線を向けた。
「————なぁんだ、意外! てっきり秀一って、女の子にキョーミないのかと思ってた。エトソンちゃんにも靡かないし、思春期なのに、手繋いでも平然としてるしさ」
腰をかがめて、僕の頬を突いた叶夢に、僕は面食らう。明るい口調は、僕をからかっているときの声色だ。はっきりと言われると、指先の触れた頬が途端に恥ずかしく思えるが、煽られてばかりも癪である。
「そ、それは僕だって、人に興味くらいはあるさ。というか、エトソンは妹みたいなもので、靡くとかそういうのはないっ。それに、叶夢だって、今更恥ずかしがる仲じゃないだろ。ずっといっしょにいる、家族みたいなものなんだから」
僕の買い言葉に、近づいてきていた彼女の顔がぴたりと止まる。からかうようだった粘着質な視線が薄れていき、冷凍庫のような寒気すら感じさせる暗さを落とす。見上げなくても、彼女が色を失っているのだとわかる。
「……うん、そうだね」
な、なぜだ。完璧な応答をしたつもりでいたのに、確実に何かを踏み抜いてしまった。僕には、九沙吹さんの心は分からないことは知っていたが、そもそも、乙女心を理解できていなかったのだ。叶夢のような、身近にいる人間の心一つ分からずに、高根の花の心など知る由もあるまい。
「————うおわっ!?」
「ま、今はたあむちゃんのライブに集中集中っ! こんな幸運、そう無いんだからさっ」
無理矢理首に腕を回され、肩を組まれる。傍から見れば、痛々しいカップルのように見えるかもしれないが、僕からすれば、酔っ払いに絡まれているのと同じだ。
校内では品行方正ぶり、エトソンの前では大人ぶっているが、本来の遥原叶夢という僕の幼馴染は、もっと子供っぽくて横暴なのである。そうだ、すっかり忘れていた。僕が叶夢の手を離したのは、そもそも彼女が手なんて繋がず、抱き着いてくるせいだったのだ。まったく、どの口でエトソンに注意していたんだ、こいつは。
幼少期とは違い、体格も運動量も負けている僕は、押しのける気力もなく、暑苦しい重みを感じながら、ライブホールへの歩を進めるのだった。
「ねぇ、今重たいって思った?」
「めんどくさいな、本当に」
**********
依存を直す方法は依存先を増やすことだとはよく言ったもので、席に付けば普段通りの叶夢に戻った。もしかしたら、近くに知り合いでもいたのかもしれない。
ライブホールの熱狂は想像以上で、画面越しの予習では分からない眩しさが、五感全てに働きかけて興奮させる。豆粒のように見える反対側のテラス席すら、笑っていることが分かるほど、会場全体が幸福な熱気に包まれている。
ここまで盛況だと、むしろ無意味な不安の方が胸に沸き立ち始めるものだ。会場全体が、笛に導かれる子供のように盲目に見えて、自分だけがその影を振り返らなければいけない義務感に襲われる。この世界は紛れもない現実でしかなく、会場に爆弾も無ければ、アイドルを狙う殺し屋もいないはずだと頭では分かっていても、杞憂のために天を仰がざるを得ない。
会場は超満員で、円形のホールの床は見えないほどだ。いくら超人気アイドルとはいえ、同い年の少女一人が背負う重圧は、相当なものだろう。もし自分が、こんな多くの人たちに凝視されるとしたら、怖気だってしまう。
「始まるよ」
叶夢が小声で僕に示すと、会場の照明が薄暗く弱まった。先ほどまでの熱狂が幻のように、ホール全体が静まり返る。誰もが一人の少女を待っている。僕たちの目を奪う、完璧で究極な偶像の舞台は、今まさに始まろうとしていた。
スポットライトが暗闇を裂き、円形にステージを切り取った。その中心の深淵に見つめる僕たちを、緩やかに回転しながらせり上がってきた少女が見つめ返す。迷いや焦りなど微塵も感じさせない意志の強い瞳が、何万倍もの視線と対等に、いやそれ以上に圧倒的な存在感でもって己を示す。宣材写真や過去のライブ映像と同じく、淡い茶色のショートヘアは、活発かつ闊達かつ感覚的なアイドル像の体現だ。
せり上がりステージが動きを止める瞬間、花火のような閃光が赤黄青に瞬く。遅れて会場を埋め尽くしたイントロに、僕は歓声を上げることすら忘れて意識を引き込まれた。肩を優しく叩かれ、僕は初めて自分が心を盗まれていたことに気が付く。
隣席に顔を向けると、叶夢がペンライトを手渡してきた。観客席を見渡せば色とりどりの光が花畑のように咲いている。色の指定があるのは最後の一曲だけだったはずだ。
アップテンポの曲調に、意識せずとも体が動き、会場の波に合わせるようにペンライトを振る。コールアンドレスポンスなんて、恥ずかしくて声を出せないと思っていたが、照明が震えるほどの熱狂の中では、黙っていることなど誰にもできない。
憂いも不安も忘れさせる芯の通った歌声は、力強くも繊細だ。目も耳も心すらも、ステージの中心で舞うただ一人に奪われる。人間でないと言われても信じてしまいそうな完璧で隙のない、しかし、手を伸ばせば一つになれそうな求心力を持つ蠱惑的な雰囲気は、会場の熱狂だけでは説明できないほどに、テレビ越しとは比べようもないほどだ。
テラス席から見えるステージは、ジオラマのように小さい。しかしなぜか、彼女の汗の一滴すらも輝いて見えるほどに、その存在は確かに視認できた。彼女の指さした先は有象無象を向いているようで、常に僕を見ているように錯覚すらしてしまう。
一曲目が終わり、純白のステージの上で、たあむちゃんがマイクを手に取る。全員が統制されたファンではないはずなのに、会場は彼女の声を待って静寂に包まれ、マイクのホワイトノイズすら聞こえてくるほどだ。
「一曲目、『あいまだきゃっち!』でしたっ。みんなのコーレスで、あたしもすっかり温まっちゃった! すぐ二曲目に行きたいところだけど、今日はね、たくさんお礼を言わないといけない人がいるのっ。
奔羽たあむ7thライブ『Blessing』は、冥加グループのご支援により開催が決まりました。今日のライブのバックダンサーにも、冥加学園に現役で通いながら、ダンサーとしても、アイドルとしても活躍している『.Grace』のみんなに来てもらってます!」
たあむちゃんの示した先で、学園内で見たことがある気もする少女たちが、慎ましく手を振った。このライブホールは、彼女たちにとってはホームグラウンドのはずだが、ここまでの満員もそうないのかもしれない。
「冥加、って言葉の意味、みんなは知ってる? って、この会場に来てくれた冥加学園の学生さんたちには、まさしく釈迦に説法かな。
冥加っていうのは、思いがけない幸運のことを言うんだって。この場所でみんなに出会えたことを表すのに、ぴったりの言葉だよね。一階席のみんなも、二階席のみんなも、今日を忘れられない日にしてあげるから、あたしから目を離さないでねっ!」
二曲目のイントロが静かに流れ始め、ゆっくりと会場の光が揺れ始めた。ほんの二時間、しかし長く熱い饗宴が幕を開ける。
*********
夕暮れのような橙が会場を染め、名残惜しく揺れている。濃密な余韻の中心にいる少女は、静かにマイクを握り、祈るように目を瞑っている。長いアウトロは、まだ終わってほしくないという僕たちの心を反映しているように、いつまでも続きそうだった。
「今日は、この曲で最後ですっ。こんなに大きい会場でライブさせてもらえるなんて、アイドル冥利に尽きるなぁ。なんて、実は次のライブの日程も決まってたり……」
悪戯っぽく笑うたあむちゃんの声に、観客も一体となって、つられ笑いをこぼす。ステージ上をゆったりと歩く彼女は、不意に立ち止まって顔を上げた。
「今日は最後に、会場のみんなへサプライズがありますっ」
溜めに溜めた満面の笑みでそう告げた直感系アイドルに、会場がどよめく。その反響は、間違いなく悪い意味である。
これは決して、僕が夜更かしして彼女の過去ライブや経歴を遡って見ていたとか、そういうことではないのだが、奔羽たあむがサプライズと称した重大発表を行ったことは、これまでに三度ある。
一度目は、まだピッコロトッコに所属していた際、振り返れば卒業ライブとなった小規模イベントのアンコール後だ。公式からの発表も、イベント内での告知も無い状況で、唐突に彼女はグループからの独立を発表し、ピッコロトッコは電撃解散となった。
二度目は、彼女の単独2ndライブだ。独立後も、グループ事務所に籍を置いて活動していた彼女は、ソロアイドルとして順風満帆のように思えた。しかし、再びカーテンコールのタイミングになって、衝撃の報告をおこなう。
それは個人事務所の設立と、それに伴う事務所の脱退であった。五年を共にした事務所からの離脱に対する批判や不安の声は、かなり大きなものだったという。その後、奔羽たあむという稼ぎ頭を失った事務所は倒産し、彼女の事務所は活動意欲のあるアイドルを迎えることになる。自由に活動していると呆れられてもいた奔羽たあむが、畏敬の念を持って、直感系アイドルと呼ばれる所以となった。
三度目のサプライズは、5thライブの最後だ。重大発表と晴れやかな顔で告げた彼女は、身構えるファンに向けて、滔々とこれまでの活動を語り始める。まさか、引退かと涙を流し始める者すらいる中で、直感系アイドルは言い放った。
「ようやく、私は胸を張って、みんなのためにアイドルができますっ!」
これまでは両親の抱えていた借金の返済のために活動していたと語った少女は、その完済とともに、アイドルへの熱い思いを滔々と宣言し、ファンのためにさらなる活動の拡大を約束した。
そして、現在。四度目となるサプライズは、古参のファンたちにとって、予想外のことであった。まぁ、サプライズなのだから、予想外で当たり前なのだが、有志掲示板では、奔羽たあむが十八歳を迎える来年になると予想されていたのである。
理由は明確だ。これ以上、過去を超えるほどのサプライズとして発表できそうなこととの代表が、結婚報告だからである。現在の彼女の一日は、番組表と動画投稿サイトを見れば埋まってしまうほどタイトだ。それゆえに、そのプライベートを知る者はおらず、随所で熱愛疑惑や大御所との付き合いが噂されている。
「もう、みんな驚きすぎ。安心して、結婚報告じゃないからさ」
鈴のような笑い声で、アイドルは一万以上の心を巧みに弄ぶ。その言葉に、むしろ懐妊報告ではないかと、さらに動揺が広がった。手持ちマイクをスタッフに渡し、ステージの中央に歩む。視線を一挙に浴びながら、自由気ままに伸びをする姿は、映画の悪役のようにすら見えた。
「冥加って言葉の意味は、初めに説明したよね。思いがけない幸運、新しい支援を受けて、またあたしは、次のステージに進める気がしたんだ。そして、その運命の第一歩目を踏み出すのは、この場所!」
客席を照らしていたライトが消え、スポットライトが会場を回り始める。時折訪れる明暗のコントラストに備えながら、観客は彼女の計り知れない直感が導いた答えを待つ。
「今日、この会場にいるあたしのファンから一人を、あたしの臨時プロデューサーとして任命しますっ————!」
会場が、水を打ったように静まり返る。それは沈黙ではなく、歓声と嬌声による大爆発の助走でしかなかった。一見温厚そうに見えるファンでも、その胸中には一家言が渦巻いていたりする。なによりも、あのたあむちゃんの傍にいられるというなら、どんな日常ですらも投げ打つことができるのだろう。
「あたしの直感が囁いているの。きっとこの場所で巡り合う運命が、あたしをずっと先に進ませる起爆剤になるってさ!」
突拍子のない言葉に、僕はかえって落ち着くことができた。というのも、こういうサプライズは、もともと新しいプロデューサーが決まっていて、それをランダムな運命的な演出にしたいがために行われるのだ。そもそも、アイドルというものは、そうしてファンを欺いてなんぼのものであって、この場にたまたま居合わせただけの僕なんかは、心を焦らせる必要もない。
「みんな、心の準備はできた? 心配しなくても、あたしの直感は当たるんだよ。もしあなたが不安だったとしても、必ず最後には上手く行く。それが、あたしの進む運命だものっ」
騒がしかった会場が、覚悟を決めたのか、はたまた考えるのをやめたのか、だんだんと静かになっていく。ゆっくりと視線がまたステージに集まっていく中、彼女はフライング用のハーネスを手際よく装着した。冥加学園の演劇部が定期公演に使用することもあるこのホールには、出来ない演出はない。
「それじゃあ、運命の抽選タイム、いってみよ~っ」
軽快な音楽に合わせて、ワイヤーの繋がったまま、たあむちゃんはスキップでステージを回る。時折観客の方に手を振ったり、笑顔を見せたりすると、選ばれたのかと思ったファンの悲鳴が響く。気を楽にして階下の恒星を観測する僕も、一瞬目が合ったような気がしてドキリとする。それはただのまばたきか、それともファンサのウインクか、思わず後ろを振り返りたくなるほどこちらに向いた視線は、かなり心臓に悪い。
たあむちゃんがステージを一周回る頃になって、ようやくBGMが彼女のソロ曲のアレンジだと気が付いた。サビの特徴的なメロディが、収束に向けてテンポを下げる。
思わせぶりな三連符で照明が切り替わる。リズムよく悲鳴が響いて、僕は眩しさに目を細めた。どうやら、大当たりの芸能人は、意外と近くの席に座っていたらしい。どんな顔の奴か覗いてやろうと、叶夢に笑いかけようとして、僕はようやく気が付く。
「え————?」
僕の隣席の幼馴染は、驚きから、時が止まったように、口をぽかんと開けている。その表情は、暗い影に覆われていた。とっさに振り返ると、驚いたような表情で目を見開く知らない女性が、同じように硬直し、同じように闇に飲まれている。彼女は、僕が振り向いたことに驚いたわけではないようだった。
野太い悲鳴が、一列前の席から漏れた。それは痛ましい、それでいてどこか嬉しそうな響きを含んでいる。僕は視線をステージの方へ戻した。ライトは、もう僕を照らしてはいない。
そこに降り立った運命は、逆光の中でも変わらずに、眩しいくらいに輝いている。一切迷いのない瞳が僕を貫いて、僕は思わず腰を抜かしてしまう。低反発の座席がずり落ちて、優しく僕を受け止めた。
「ようこそ、新たな運命へ! あたしに、あなたの夢を見せてよ!」
力強い手が、僕に差し出される。その瞬間、僕と彼女は会場の全てから切り離されて、ただ二人だけでいるようだった。同い年とは思えないほど、肝っ玉の座ったその笑顔は、すべてを打ち払ってくれるようにすら思える。
だから、僕がその手を取ってしまったのは、後光のように彼女を照らすステージライトに、夢を描いてしまったせいなのかもしれない。彼女なら、僕の人生を変えてくれるかもしれない、と。
「うわあああああああっ————!」
「しっかり掴まっていてね、耐荷重量には余裕あるはずだからさ」
手を取った瞬間、勢いよく引き寄せられた僕は、そのまま抱き留められて空中に拉致される。新手の誘拐事件に、さしもの幼馴染も反応できない。空中遊泳の怖さよりも、何かとんでもない一歩を踏み出してしまったことへの恐怖の方が強かった。
会場を自由に飛び回り、ステージに降り立った僕たちに、スポットライトが集中する。ステージ上では、案外観客の顔は見えないらしい。とはいえ、一万以上の目がこちらを見ていると思うと、自然に一挙手一投足が引き締められた。
「あなたの名前は?」
「————朝尾、朝尾秀一。冥加学園の二年生だ」
「ってことは、同い年? あたしの直感から言って、これは運命的だねっ。それじゃあ、あたしと朝尾プロデューサーの新たな物語に、ご期待くださいっ!」
「なっ————」
直感系小悪魔アイドルが、僕の顔に頬を寄せる。この衆人環視の中ですら動じることなく、配信向けのカメラ機材に手が振られると、ステージの床が抜けた。なすすべなく、僕たちは、小さなクッション材の敷き詰められた奈落に吸い込まれていく。
落下の衝撃はほとんどなく、デスゲームのような茶番バラエティを怖がっていた幼少期の僕たちを、ようやく安心させられる。だが、そんなことより考えるべきことは、ステージ上に置いて行かれた日常のことであった。
「それじゃあ、これからよろしくね、プロデューサー?」
真っ暗な床下空間で、途端に恐ろしい存在に思え始めてきた超人気アイドルが囁いた。
どうやら、僕が向き合わされる運命と言うやつは、力で解決できるものだけではないらしい。手を取った僕が悪いのだが、すでに頭上の床は閉じられ、僕に逃げ道は無くなっていた。
「ああ、よろしく頼む」
どうしようもなく強引な運命に、僕は何もできない。エトソンと違い、数瞬前の約束は、反故にするにはあまりにも証人が多かった。たとえ不格好な姿を晒そうとも、僕は与えられた役割を全うしなければならない。それは僕自身ではなく、奔羽たあむという少女が作り上げてきた、輝かしい日常を守るために————。
*********
塗装の剥がれた鈍色の床に、男が投げ出される。好戦的な視線は、頭の上に乗った小柄な影によって、痛ましく歪められた。その四肢は棘の付いた鉄線で拘束され、男は身動きすらもままならない。
冥加市の郊外には、殺し屋が身を潜めるのにうってつけの廃墟が林立していた。カウンター席の椅子から男を見下ろした青年は、小柄な仲間に落ち着いた視線を向ける。
「蒼天、あまりいたぶり過ぎるな。魂が傷む」
「おっと、すまねぇ。こっちに来てからは初めての狩りで、まだ興奮しちまってな」
「蒼天兄ぃってぇ、いっつも興奮してるけど、年中お猿さんの物まねしてるからじゃないのぉ? って、身長は物まねじゃないんだっけぇ」
「ガハハッ! そう言ってやるな、帕陽。昂ってやまないのは、オレだってそうだからな! 団長、もう動いてもいいんだろう? 町中が殺気だらけで、堪らねぇんだ!」
少女の三倍はあろうかという巨漢が豪快に笑うと、帕陽と呼ばれた身長の低い少女が、汚物を見るような目で彼を見上げた。蒼天と呼ばれた小柄な男は、ため息を吐いて、綿の飛び出たソファに腰かける。
「もう少し待て、丈夫。こいつを捕まえたのは、殺すためじゃあない。易捌、こいつで間違いないんだな」
「ああ、間違いないぜ。『ヴェネツィアの葉脈』所属の殺し屋。通称は『衛星の監視者』、通り名はオレノン。念のため、身代金でも吹っ掛けてみるか?」
「必要ない。『新支配者の饗宴』に任命する時点で、使い捨ての駒だろう。面倒ではあるが、違ったとしても、当たるまで『接続』するだけだ」
青年の言葉に、長い髪の娼婦のような機械人形が近づいてくる。静かな駆動音と共に体をかがめると、放棄された廃墟に似合う青白い顔は、オレノンの瞳を覗きこんだ。瞳越しに何かを抜き取られたように、オレノンの体が痙攣する。
「コエヲ、タドル?」
「ああ、頼む」
青年が機械人形と五指を合わせると、片目が青く光る。しばらくの間、虚ろな目で目前を眺めていた青年は、やがてゆっくりと目を閉じた。これからを決める団長の一言を、団員は静かに待つ。
「視界は奪えたが、統制はナノマシンで行なっているようだ。拷問するよりは、告陰に操らせる方が早いだろう。彼女はどこに行った?」
「あのパンパン女なら、ゴミ溜めで呪具の試用中だよぉ。『犬の糞をステーキに見せかける』呪いねっ。あはははっ、今頃、間違えて食べてるかもぉっ」
いつもの悪戯加減に呆れることすらしない団員たちの耳が、扉が開かれる音を捉える。目深に暗い色のフードを被った少女は、口の端に付いた雑草を拭うことも無く、左手でぐったりと力の抜けた犬を掲げながら、焦点の定まらない瞳で気味の悪い笑みを浮かべた。
「み、みみ、みんなぁ、今日は、い、犬鍋が食べれるよっ。な、なんと、ステーキ風味の糞を出すんだぁっ」
「あちゃ、忘れてた。告陰って、糞が主食なんだった」
「こ、この辺に、野良犬のコミュニティがあるみたい。しばらくは、ご飯に困らないね」
帕陽を責めるでもなく、指先の汚物を舐めとった告陰は、体を震わせて嬉しそうだ。掲げられた野良犬を受け取った易捌は、胴にナイフを押し当ててさばき方を考える。
「それはいいが、もっとマシな呪具は作ってないのか?」
「えぇ? 作ってるよぉ、例えばぁ、『目の前で鳥が墜落して死ぬ』呪————」
帕陽が言いかけた言葉を、激しい衝突音がかき消した。手入れされていない屋根には丸い穴が開いている。一同が青空から視線を降ろすと、囚人の首に痙攣した鳥が突き刺さっていた。
「……おい」
「……ごめんなしゃい」
脈を確認した易捌に睨まれ、帕陽は二つ括りの髪を揺らした。何も映らない瞳をそっと閉じさせると、鳥を引き抜いて、引き締まった体の男はため息を吐いた。
「こりゃ、アジトも探し直しか」
「効率が悪いな、役割を分けることにしよう。俺と鼓憶、易捌で新しい拠点を探す。帕陽と告陰は、引き続き呪具の制作を続けろ。丈夫と蒼天は、標的の捜索だ。事を荒立て過ぎれば、勘付かれて逃げられる。慎重に行動しろ」
「おうさ、団長! 心配しなくても、オレには考えがある。大船に乗ったつもりでいてくれ!」
「俺は、殺し屋の情報筋を回ってみるぜ。幸い、丈夫以外は顔が割れてねえからな、本国よりは動きやすい」
蒼天は、ぶかぶかの袖をまくって、勝気な笑みを浮かべた。露出した肩には、煮えたぎるように膨れた火傷の跡が、背に向かって伸びていた。
「村の再興のためだ。必ず算宇を連れ戻す」
「ああ、俺たちの団長に、そしてこの傷跡に誓って、必ずだ」
団員たちは、互いの傷を向き合わせ、覚悟を示す。痛々しい傷跡は、彼らにとって勝利を彰かに示した紋章だ。
「それにしても、算宇姉ぇはホントにこの町にいるのぉ?」
「教会が奴の行方を追って、この町にいるらしい。あながち見当外れではないはずだ」
「でで、でも、教会の占いは、精度が悪いですよぉ」
「地面の下に隠れようと、オレがひっくり返して見つけてやるわ! それに、考えがあると言ったろう。まぁ、オレの手腕を見ておけ!」
力強く、丸太のような力こぶを叩くと、丈夫は高笑いを響かせた。
倫理観の欠けた刺客たちは、膨れた傷跡の下に歩み始める。夏がその気配を見せ始めた冥加市では、忘れようもない現実の運命が進み始めるのであった。
次回4-2「グランドルートは忙しない」
彼にとっては壮絶な不運によって、超人気アイドルのプロデューサーをすることになった秀一。
限られた高校生活の中で、さらに狭まる時間の中、けれど青春は彼を退屈させるはずもなく———。
「ウブなプロデューサーのために、モテるカラオケ術を伝授してしんぜようっ」




