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どうやら僕の運命は、まだ終わらずに続いていくらしい  作者: 錆井
第三話『暗い洋館を懐中電灯片手に一人で探索してみたいと思うのはゲームしてる時だけ』
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3-4 魔法使いと夜

〇これまでの登場人物(主に三話登場)

・朝尾秀一(あさお しゅういち)

 この物語における騒動の中心である少年。

 両親の逝去後、冥加学園理事長である澪河に引き取られる。

 ひょんなことから聖剣に選ばれたが、異世界に行く気はなし。恋愛に忌避感を抱いている。

 その身には、世界を意のままに操れる力が埋め込まれているというが……?


・エトソン・プルルライナ

 異世界から来た少女。聖剣を秀一に託し、現在は流されるまま冥加学園に編入し学生生活を謳歌している。『透明化』の魔法を使うことができるが、使用時に右目が赤く染まる。地形や建物のマップ把握や、相手の強さを解析したりできるらしい。

 秀一を信じ吸血鬼と相対するも、力及ばず噛み殺されてしまった。まだ助ける方法はあると鴉野は告げたが———?


・パレネ/宵原晴音(よいはら はれね)

 人を舐めた態度だがどこか憎めない小悪魔的少女、に見えるが、その正体は不老不死の吸血鬼である。『新律者(ニューオーダー)』の一人として、計画のためエトソンの命を狙う。


・紅那須偲歩(あかなす しのぶ)

 ミス研会長。ホラー好きで、中でも七不思議を愛する眼鏡少女。趣味は怪談の自作だが、ミス研内ではやや不評。


・雁野康介(かりの こうすけ)

 ミス研所属の少年。これといって特徴のない、秀一の友人。


・鴉野安吾(からすの あんご)

 思慮深い細目をした和装の男。ジャックナイフたちと同様に、シュガーを護衛する任務を請け負っている。不思議な詠唱を扱うようだが———?


 静謐とした空気が、コンクリートの無骨な部屋に漂う冷気を一層に感じさせる。月の穏やかな光すら、今は暖かく思えた。


 僕は、首をかき切られ血だまりに沈んだ、エトソンの死体を見下ろした。溢れるばかりの生気は見る影もなく、蝋人形のように、美しい肌は青白く意思を失っている。美しい金色の髪も、濁った血液に染まり、淀んだ内臓の色に変わっていた。


「………………ぁぁ————」


 言葉が出るよりも先に、こぼれた涙で喉が詰まった。彼女の方に進まなければならないのに、彼女の向日葵のような笑顔の思い出が、幾重にもフラッシュバックして胸を締め付ける。


「まずは、謝らせてほしい。彼女の死を止められなかったこと、それに、君をきちんと信用してあげられなかったことを」


 鴉野の落ち着いた声は、葬送人のように、静かに現実を告げる。エトソンは、死んだ。僕は救えなかった。彼女が傷ついている間、迷っているだけで、何もできなかった。


「エトソンは、死んだ………」


「うん。でも、まだ彼女を生き返らせる方法はあ————」


「————いったいどうすればいい! 僕にできることなら、何だって! なんだって差し出す………いったい、どうすればいいんだ………」


 衝動的に胸ぐらをつかんだ僕を、顔色一つ変えずに鴉野(からすの)は見つめた。乾き始めた指先の傷口で汚れることも構わず、彼は僕の手を優しく包む。冷たい手のひらは、残酷な真実を告げるようで、僕は息を飲んだ。


「君は、魔(・)法(・)ってものが存在すると言ったら、信じるかい?」


「魔法————?」


 唐突なその言葉に、僕はとっさに返答できない。


 魔法が存在するということは知っている。だが、それはエトソンのいた世界の話だ。この世界の人間には、通常魔力を知覚することはできず、仮にできたとしても、僕のように弱弱しい操作しかできない。つまりは、彼が普通の人間ではないということだ。


「この世界には、奇跡も魔法も存在しているんだよ」


 彼の言葉に、ようやく思い出したのは、中央教会の男の記憶だ。『新支配者たちの饗宴(ティタノマキア)』に気を取られて忘れかけていたが、あのダイアンサスとかいう司祭は、確か手から炎を出していたはずだ。少なくとも、この世界での魔法は、異世界由来だけではないと言えるだろう。そう考えれば、鴉野の正体についても、心当たりがないわけではない。


「お前が、守護者なのか………?」


 僕が呟くと、彼はようやく表情を崩した。一瞬目を丸くしてすぐに逸らした鴉野は、目を伏せて考え込む。


「………そうか、君が————。申し訳ないけれど、僕は、中央教会の人間じゃない。ただの通りすがりの、魔(・)法(・)使(・)い(・)さ。本当は、君にも明かすつもりはなかったんだけど、僕の代わりにシュガーを追い詰めてくれたことへの感謝と、敬意のつもりだ。

 僕がこの町に来た理由は一つ。家族の仇である、吸血鬼を殺すためだ」


 魔法使い。その言葉は穏やかな青年から聞くには、いささか非現実な響きだったが、不思議と疑問を抱くことはなかった。


「さっきの……シュガーを消したのが、お前の言う魔法か」


「うん、そうだよ。僕の家系は、この世界に刻まれた記(・)憶(・)と接続する力を、神様から借り受けてきた。

 人間の魂というのは、記憶によって構成されている。それまで生きて、蓄積されてきた情報と言い換えてもいいね。たとえ、器が同じだとしても、記憶を失えば、それは全くの別人と言える。反対に、記憶さえ取り戻せば、あらゆる事象は修復が可能だ」


 言っていることはよく分からないが、ともかく、その『記憶』があれば、エトソンを蘇生することもできるということだろう。しかし、記憶と言っても、彼女についての思い出を語り聞かせればいいのだろうか。


「普通の人間は、生命活動を停止した時に、器から記憶が消滅する。分かりやすく言えば、魂が抜けるとでも表現するべきかな。魂が消えてしまえば、例え神様にだって命を復元することはできない。

 でも、理由は分からないけれど、彼女————エトソンさんの魂は、今もまだ消滅せずに、この場に留まっているようだ。この魂を器に戻せれば、彼女は生命を思い出せるはずだ」


「僕に、何か手伝えることはあるか?」


「もちろん。記憶を復元する魔法は、僕一人では力不足だ。人の生命を呼び戻すためには、神の名において契約を結ぶ必要がある。簡単に言えば、交換条件を設ける。それが困難であるほど、魔法の強度が上がるんだ」


 魔法に、契約………。あまりいい予感はしないが、エトソンの命が助かること以上に大切なことはない。今は、眉に唾を付けるよりも、為すべきことがある。


「契約の条件はなんだ?」


 人は死ねば、決して蘇ることはない。そんな世界の法則を捻じ曲げる魔法の条件だ。到底容易なことではないだろう。だが、金の玉の枝でも、燕の子安貝でも、この身を賭して探してみせる。それが僕にできる、数少ない贖罪(しょくざい)なのだから。


「————僕を、あの吸血鬼——パレネのもとへ案内してほしい。そして、君は僕のことを忘れて、安全な日常へ帰るんだ。決(・)し(・)て(・)、(・)僕(・)を(・)助(・)け(・)な(・)い(・)で(・)く(・)れ(・)」


「なんで、そんな————」


 あまりにも、簡単すぎる。僕に何のデメリットもなく、契約として成立するのかも分からないほどじゃないか。それに、パレネの強さは異常なほどだ。ジャックナイフですら、何の苦も無く殺してしまったというのに————。



「どうして、一人で抱え込もうとするっ! あいつは、僕にとっても仇だ。確かに、僕には魔法は使えない。だが、少しくらい役には立つはずだっ! なのに、なんで、そんなっ————!」


「一人で抱え込んでいるのは君の方さ、朝尾くん。君は確かに強い。まだ未熟とはいえ、あの吸血鬼が手も足も出せないなんて、正直驚きだ」


「なら————」


「でもね、君はまだ子どもで、君の未来には、君が思う以上にたくさんの可能性が広がっているんだ。僕の復讐になんて、付き合う必要はないさ。それに、僕と違って、君の大切な人はまだ生きられる。その幸せを、大切にするんだ」


 何か、反論しなければならない。お前ひとりで何ができるんだと、彼を引き留めなければならない。彼は、見ず知らずの僕を助けてくれるというのに、その恩を覚えておくことすら許されないなんて、間違っている。しかし、その葛藤は同時に、彼の提示した条件が、ただ鴉野を見捨てるというだけの行為が、僕にとっていかに困難かを理解させるようでもあった。


「————分かった」


 嗚咽(おえつ)を噛みしめて、ようやく絞り出したのは、そんな情けない言葉だった。鴉野を説得したいのに、言葉がまるで出て来ない。僕はどうしようもない、腑抜けた人間だ。一人を救うために、また一人を犠牲にすることしかできない。


「契約成立だ。朝尾くん、手を出して」


 重ねた手を、エトソンの亡骸の上に掲げる。生気のない体の上で、ナニカが僕を見つめている気がした。


「ムネモシュネーの名において、宣告する。現世の狭間にて彷徨いし魂よ、その器に戻りて、安寧の記憶を復元せよ————」


 鴉野の詠唱で、何も無いはずの部屋が閃光に包まれる。眩しさに思わず目を瞑ると、部屋に立ち込めていた薄ら寒さが和らいでいくようだった。


 ゆっくりと、光の落ち着いた世界を受け入れる。足元に広がっていた血だまりは、いつの間にか無くなっていた。エトソンの美しい金髪は、血液の染み一つなく流麗と広がっている。まるで、ただ転んでしまっただけのように、彼女は傷一つない姿で、うつ伏せに倒れ込んでいた。


「終わった、のか?」


「うん。彼女の魂は、無事に器に戻ることができた。僕自身、こんな理論上でしかありえないことが成功するとは、正直賭けだったけど、上手く行ってよかったよ。明け方には、元気に目を覚ますはずさ」


 心配している様には全く見えない、相変わらずポーカーフェイスの上手な塩顔は、安心したように笑った。


 夢じゃない。確かに元通りになった彼女の首には、正常な脈が戻っていた。今のところ起き上がる気配はないが、すぐに目を覚ますような予感がある。


「案内するのはいいが、紅那須……僕の知り合いが、人質にされているんだ。あいつらの安全が確保できるまでは、傍にいさせてもらうからな」


「うん、わかった。それくらいなら、契約にも抵触しないはずだよ」


 まだすっかり気を失って、体重分の質量を感じるエトソンを背負う。


 鴉野の先導に従って館内を進むと、巧妙に隠された回転扉の奥に、黒い鉄柵に阻まれていない出口が息をひそめていた。切れ目も見えない壁を、躊躇いなく看破していく姿に、これが魔法使いというものなのかと疑いながら、開放感のある夜の空気を吸い込む。


「パレネの所へ行く前に、エトソンを安全な場所に運ぶわけにはいかないか」


 豪英館の壁沿いを歩く鴉野の背に問うと、彼は静かに満月を見上げ、難色を示した。月は煌々と西の空で輝いている。


「もうすぐ夜が明ける。吸血鬼の活動時間が終われば、君の知り合いだって、安全が保障できないと思うよ」


「————実は、そのことについて、一つ仮(・)説(・)があるんだ」


 僕は荒唐無稽な、けれど、あのパレネという吸血鬼の異常なほどの強さについての推論を話した。僕にとっても半信半疑の推理は、普段ならノートの端の落書きに消えていくようなものだろう。しかし、魔法という非現実を提示した彼となら、その仮説は確証に変えられる気がした。


「……君の話が本当なら、その仮説もあながち間違いとは言い切れないね。信じると言い切るには、少し空想じみているけれど、その筋なら、確かにシュガー以外の気配のなかったこの館に、パレネが突然現れたことも説明できる。

 だけど、三十分だ。君の仮説の検証のために割けるのは、それだけだと思ってほしい。体内時計に自信はあるかい?」


「ああ、二時間までならな」


 心の中のストップウォッチを起動させる。ランニングの時は、何となく体の疲労感で走行距離も分かるくらいだ。そもそも、全力で駆ければ、家まで三十分もかからないだろう。風魔法とやらが使えれば、もっと楽なのかもしれなかったが、今は才能を悔やんでも仕方ない。


「それじゃあ、ここで待っているよ」


「ああ、すぐに戻る」


 エトソンを体の前に抱え直し、夜の街を疾駆する。慎重だった往路は一時間近くかかったが、道を選ばなければ五分ほどの復路だ。熟睡しているであろう住民には悪いが、屋根越しの足音は、大きめのネズミだとでも思っていてもらおう。あるいは、迷惑をかけるような相手など、そこにはいないのかもしれなかったが。


 防犯意識の希薄な窓から、自分の部屋に侵入する。ベランダがあるとはいえ、二階の窓から入ってくる空き巣はいないだろうと思っていたが、まさか自分が使うことになるとは思わなかった。相田さんは一階の清掃を職務としているせいで、二階に来ることはまずないし、これを機に意識を変えるべきだろうか。


「大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」


 ベッドに寝かせると、か細い力で手を握ってきたエトソンに、そう伝え残す。薄いブランケットをかけ、丁寧に扱われている妹のぬいぐるみたちを並べてやると、少し表情が和らいだ気がした。


 二階の窓から、再び一階の屋根に出ると、夜の風が改めて新鮮に感じられる。いつの間にか、息が詰まっていたみたいだ。少し高い視界は非現実的だったが、到底、自由を感じさせるものではない。背を焦がすような義務感に、僕は弱気になりそうな心を振り払う。


 隣家で休んでいるはずの叶夢の安全を確認しようかと振り返ったが、すぐに冥加山の方向に体を向け直す。叶夢は、この非現実に巻き込むべきではないと、そう強く思った。この境界線を越えれば、僕たちの日常はきっと、二度と戻ってこない気がした。


 屋根から屋根へと飛び移り、さながらエージェントのように夜の街を往く。サーチライトのように僕の背を照らす満月は、赤い光で僕を溶かし尽くしてしまいそうだ。


 夜闇の中で見ると途端に廃墟らしくみえる豪英館の前で、鴉野は月を見上げている。僕の足音に気が付いて、彼は細目を僕に向けた。


「どうやら、君の仮説は正しかったらしい。あの赤い月も、美しい星空も、あれから少(・)し(・)も(・)動(・)い(・)て(・)い(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)よ(・)」


「……なおさら、身を引き締めないとな」


「君は気を楽にして、友人を助けることだけを第一に考えるほうがいい。助け出せたら、すぐに出口を探すんだろう?」


 僕が鴉野に話したのは、パレネの持つ能力についてだった。それは同時に、僕がいずれ向き合わなければならないであろう『新律者(ニューオーダー)』に関する考察でもある。


「ああ、仮説が正しければ、必ずどこかに『朝のカタチ』があるはずだ」


 最初に違和感を覚えたのは、ジャックナイフが協力を承諾してくれた時だ。夜明けまで六時間ほど、そう彼は言ったが、あの時点でそれほどに夜が更けているはずはない。いくら夏が近いとはいえ、19時に豪英館にたどり着いた僕たちには、夜明けまではもっと時間があったはずだった。


 加えて、進みの遅い館の時計。あれが劣化や故障ではなく、この世界における正常な時間の進みであったとするならば、僕には、この長いマヨナカの正体に心当たりがある。


 ————『夕暮れの原風景』。あの世界における特異な現象と、現在の世界に対する違和感は一致していた。


 僕たちは、昨日の学校においても、今晩の出発においても、どこか遠くで聞こえた狼の遠吠えによって、夜の始まりを認識した。さらにいえば、学校で僕とエトソンは、ニワトリの鳴き声によって、唐突に朝日の眩しさを知覚したのである。


 『夕暮れの原風景』が、チャイムから始まりチャイムに終わる、部活動時間の知覚を成立の条件としているなら、この長い夜が、狼の遠吠えによって更け、鶏の鳴き声によって明ける、仮称『夜の原風景』の中だとしてもおかしくはない。


 パレネは、自分のことを『新律者(ニューオーダー)』と、さらには僕の先輩だとまで宣っていた。もし、彼女の発言が真実だとすれば、中央教会の祭女が話した、僕の中に眠る力と言うやつは、その『新律者(ニューオーダー)』とかいうものに類すると考えられる。殺し屋たちを汗一つ垂らさずに殺して見せたパレネの異常性を思えば、『新支配者たちの饗宴(ティタノマキア)』なんていうイカれた興行が開かれるのも理解できた。


 つまり、『新律者(ニューオーダー)』とは、『夕暮れの原風景』のような異世界による力を行使できるというわけだ。ニュー・オーダーの名前通り、この世界の法則を捻じ曲げるような異能力なのだろう。もしかすると、『夕暮れの原風景』の最奥には、元凶である『新律者(ニューオーダー)』がいるのかもしれない。


 思えば、『新律者(ニューオーダー)』なんて、いかにも理事長が考えそうなダサい名前だ。もっとも、世のオジサンの感性はそう変わらないのかもしれないが。


 ともかく、この世界が『夜の原風景』だとすれば、パレネから逃げる方法は見当がつく。『夕暮れの原風景』と同じく、夜の先、すなわち朝につながる場所がどこかにあるはずだ。もし、パレネが夜明けの時間を自由に管理できるとすれば、鶏の鳴き声を待つよりも、『朝のカタチ』と呼ぶべきその出口を探す方が確実だ。その時には、もちろんエトソンも連れていく必要がある。


「原風景、か。言われて見れば、確かにこの夜はどこか変な感じがするね。あまりにもありきたりというか、知っている夜のそのまますぎる」


「おそらく、集合的無意識みたいなものなのだろうな。夜(・)と(・)は(・)こ(・)う(・)い(・)う(・)も(・)の(・)だ(・)、と思ってしまうからこそ、その異常さに気が付くことができなかったんだ」


 冥加山の頂上にある冥加神社を目指して、僕たちは長い参道を進む。夜の静謐とした空気に馴染む穏やかなフクロウの声は、実際には存在していないのかもしれない。


「つくづく、君には驚かされるよ。でも、あまり考え込なまくて大丈夫。君の日常には、すぐに関係がなくなるからさ」


 励ますように微笑む鴉野に、ぼくはむしろ不安になった。本当に、これでいいのだろうか。


 彼を信用していないわけではない。彼には、吸血鬼を倒す手段があり、ジャックナイフやバードフェイスと比べても、パレネへの勝ち目はあるように思えた。


 だが、なぜだか、心にかかった暗い霧は取り払えそうにない。なにか、大事なことを見落としている気がしてならない。記憶に残ったパレネの余裕そうな笑みに、僕はまだ何かを騙されているように思えた。


「作戦は簡単だ。君の友人の場所が分かったら、僕がパレネの注意を引く。その隙に、君は友人を連れて逃げるんだ。できるだけ遠い方がいい。戦いの余波が及ぶ危険があるからね」


「……ああ、分かった」


 鴉野は、僕が紅那須たちを連れて戦線を離脱できると信じている一方で、僕は戦えないただの子供なのだと気を遣ってもいる。それはダブルスタンダードというべき、大人の都合のいい考えだ。そう分かっていても、僕には頷くことしかできない。それ以外に、僕たちの日常を守る方法なんて無いはずだから。


 冥加神社の境内は、いつも通り静まり返っている。立地の悪さから、正月以外ににぎわうことのない敷地は、手入れも杜撰なのか、枯山水も凪いでいる。


「あ、ようやく来てくれた。って、あれあれ? アーサーくん、シュガーちゃんは連れてこなかったの?」


「ヤツは僕が殺したよ、吸血鬼! 次は貴様の番だ————!」


 本殿の前に無造作に寝かせられた紅那須と雁野の上に座っていたパレネは、鴉野の発破を聞いて退屈そうに立ち上がると、ため息を吐いて顔をしかめる。細い小指で耳の穴をほじり、立てた指の先に息を吹きかけると、改めて僕たちに目を向けた。


「あ~、ありがと? ……で、キミは誰?」


「N'appartenez plus au mal(『その運命に光を』), mais au bien.————!」


 素早く詠唱した鴉野の元から閃光がほとばしり、顔を軽く傾げたパレネの頬を掠める。吸血鬼は、自分の頬にできた傷を指でなぞると、不機嫌に顔をゆがめた。


 山の頂上、月光に明るく照らされているはずの境内は、しかし本殿すら曖昧に見えるほどに暗い。闇が波のように迫ってくるかの如く、山の木々が黒く消えていく。


「僕は鴉野安吾(あんご)。ここで君を殺す、魔法使いだ————!」


「『伝承殺し』の魔法………ああ、もしかして、あちこちで吸血鬼を殺して回っているのってキミ? どうでもいいけど、邪魔しないでほしいな————」


 暇そうに呟いたパレネを、鴉野が強襲する。呪詛のような墨が入れられた青錆色の短剣は、暗い世界の中で仄かに光っている。パレネは軽く振り上げた手で、彼の一撃を受け止めた。猛獣のように毛が生え膨らんだ腕は、難なく鴉野の体重がかかった攻撃を押し返す。


 僕は彼の猛攻に乗じて、暗い闇の中を進むことにした。吸血鬼に夜目があろうと、暗い方が視認は困難だろう。


「ようやく見つけた、父さんと母さんの仇! ここで果たす————!」


「もう、めんどくさいなぁ……。って、あれ? アーサーくんはぁ————?」


 素早く境内を大回りして、紅那須と雁野を抱き起す。死んだように眠る二人には、幸いにも脈があった。パレネが僕に気が付く前に、建物の陰に回り込む。鴉野の短剣が響かせる甲高い金属音は、パレネが僕を探すほど余裕のない状況の証明だ。


「『孤独な光』————」


 二人を両脇に抱えながら、必死に暗闇を進む。肌感覚で階段の近くまで来たところで、足元を軽く照らした。小さな光とはいえ、夏の夜に蛍が眩しく思えるように、こちらに意識が向けば、すぐに見つかってしまうかもしれない。


 無限に思える参道の階段を降りていく。さながら黄泉路(よみじ)のごとく、か細い希望の光を頼りに、僕は神社に背を向けて、荒い息を吐いた。振り返るな……振り返れば、決意が鈍ってしまう。


「くっ————」


 暗い夜の闇に、欠けた段差を見落としてしまい、一段踏み落として思わぬ衝撃が走った。なんとかバランスを保とうとすると、三人分の体重が足首に鈍痛を走らせる。幸い、転ぶには至らなかったが、体力よりも緊張感と恐怖で早まる鼓動は、足を震わせた。


 怖い、恐い。背を焼くのは、何の恐怖だ。


 吸血鬼に狙われていること————違う。


 逃げられないかもしれないということ————違う。


 動悸が激しくなり、腕に上手く力が入らない。階段の平場で、二人を鳥居にもたれさせる。落ち着いた寝顔は静かで、平穏そのものだ。だがそれは狭窄(きょうさく)した視野がもたらす錯覚である。


 今にも、神社からパレネがやってくるかもしれない。今度は、宵原を装って、小悪魔的な態度で笑うだろう。鴉野の血をたっぷりと浴びた笑顔で、僕を高らかに嘲笑うだろう。


 何もかも、壊されてしまう。結局何もかも上手く行かないのだ。これまでも、これからも、すべてが無に帰してしまう。それは彼女のせいで————。


 ————違う、そうじゃないんだ。


 何もかもが壊れるのは、これからの運命が消えていくのは、僕(・)が(・)逃(・)げ(・)て(・)い(・)る(・)か(・)ら(・)だ(・)。僕が運命から背を向けているからだ。鴉野の嘘(・)に騙されたふりをして、見ないふりをして逃げているからだ。

 パレネが怖いのだと自分自身すら騙して、運命から逃げることへの、誰でもない人間になることへの恐怖を誤魔化している、弱虫で臆病な自分のせいだ。


 僕は暗闇の中で、確かに振り向いた。絶望に向かって、恐怖に向かって、愚かにも振り返ってしまった。けれど、さっきよりもずっと前に進めそうな気がしている。


「逃げてどうなる————立ち向かえ、アーサー!!!」


 それは僕の心の殻を破って飛び出した渇望だったのかもしれないし、聖剣から溢れ出した激情だったのかもしれない。確かに、その瞬間、僕と聖剣は共鳴し合った。同じ方向を、ほんの一寸先の闇なんて眼中にないくらい遠い夢を、共に見た。


 腰元で聖剣が光に包まれる。柄から剣先まで、生まれ変わるみたいに輪郭が白光を放ち、暗闇から姿を現す。


 僕は、聖剣の望む通り、そして僕の思い描く通り、聖剣を手に取り暗闇を薙ぎ払った。参道を覆っていた、そして世界に立ち込めていた闇が晴れていく。真っ暗な世界はその形を取り戻し、はっきりと目指すべき場所が見えた。


「ごめん。少しだけ、待っていてくれ」


 鳥居に寝かせたままの二人に言い残して、僕は逃げてきた道を駆けのぼる。永遠のように思えた道は、瞬く間に過ぎていく。境内も少しだけ明るくなり、本殿まで見渡せるようになっていた。


 激しい攻防を繰り広げる二人の元へと向かうと、片方が吹き飛ばされ、社殿で激しい砂埃が待った。本殿の前に立つ髪一つ乱れていないパレネが、僕を見て楽しそうに笑う。


「あはは、やっぱり戻ってくるんだ。ほら、ボクの言った通りになったでしょ?」


 パレネの嘲笑に、僕は電話越しに告げられた言葉を思い出す。「なぜなら、キミは主人公だから。ボクが人を傷つけることを、他人事だと無視することができないんだ」と。


 確かに、彼女の言う通りだ。僕は、殺し屋たちの死を止めることができなかったにもかかわらず、目の前で死んでいく鴉野のことは諦められずに戻ってきたのだ。それはひどく不格好で、情けなくて、不甲斐なくて、自分勝手なのだろう。


 だが、それの何が悪いというのだ。それが、僕という人間だ。それが、朝尾秀一という、到底主人公には向いていない、平凡でひねくれた人間なのである。


「な、んで……朝尾くん、契約を忘れたのか————」


 立ち上がることもままならないまま、傷だらけの鴉野はそう呼び掛けてくる。どこまでも面子を保とうとする男だ。僕も人のことは言えないのだが、虚勢を張るには、ボロボロじゃないか。


 僕は彼から目を背けて、戦うべき相手を見据える。吸血鬼は赤い月の下、不敵に笑う。


「僕はお前なんか知らないし、助けに来たわけじゃない。ただの通りすがりの、勇者(ヒーロー)だ————!」


 言い終わると同時に地面を蹴る。間合い百メートルはある距離が、互いの跳躍で一瞬にして至近距離に変わる。パレネの凶暴な爪は、近くで見るとその大きさがよく分かった。人の胴を穿(うが)てそうな鋭い先端は、黒光りして命を狙っている。聖剣の一撃をなんなく受け止める硬度は、獰猛な殺傷能力も裏付けていた。


「ようやく、戦う気になってくれたんだね。嬉しいよ。それでこそ、ボクたちと同じ、『新律者(ニューオーダー)』にふさわしい!」


「僕は、お前みたいにイカれた猟奇殺人魔の仲間じゃあないっ!」


 大振りの剛爪を聖剣で防ぐと、素早い拳の追撃が反撃を許さない。細身に反して、その拳は銃弾のように重い。一瞬の隙をついて聖剣を切り払うと、パレネは飛び退いた。


「そんな物騒な武器を持っておいて、どの口が言うんだか。まぁ、それがキミの衝動だっていうなら、ボクも否定はしないけどさ」


 肩をすくめたパレネの側方を狙った鴉野の不意打ちは、軽い大爪の一振りで払われてしまう。鴉野は歯ぎしりしながら立ち上がった。


「まぁ、十分楽しんだし、キミはもういいや」


「何を言っている! 僕はお前を殺すまで————」


「じゃあさ、ほら。撃ってみなよ。一(・)発(・)当(・)た(・)っ(・)て(・)あ(・)げ(・)る(・)か(・)ら(・)さ(・)」


 疑うように僕の方を窺った鴉野に、僕も頷いて応える。いったい、何の真似だというのだ。パレネは冤罪を示すように両手を天に掲げ、身体をゆらゆらと揺らしている。


「クソ野郎ッ……N'appartenez plus au mal(『その運命に光を』), mais au bien————!!」


 握られた両手から放たれた光が、パレネの心臓辺りを貫く。その攻撃が、エトソンの教えてくれた魔法とは、似て非なるものであるということを、僕は肌感覚で理解できた。その光は、物理的な攻撃ではない。エトソンの傷をたちまちに巻き戻した時のような、事象それ自体に干渉する超越的な力だ。


 彼女は衝撃を受けて、一歩後ずさった。しかし、シュガーのように光子となることはなく、むしろ暗い闇が彼女を包むと、くぐもった笑い声が響いた。


「ざぁんねんでしたっ。ボクにはその魔法、効かないんだ~。正確にはぁ、効くけど意味が無いっていうか? 例えるならキミは、医療用のレーザーで、一人の人間を消滅させようとしているような徒労を前にしているのさっ」


「馬鹿な………」


 鴉野が蒼白な表情で崩れ落ちる。彼にとって切り札に等しい一撃が、無駄と切り捨てられ希望を失ったようだった。パレネは心からおかしそうに腹を抱えている。彼の攻撃が効かないと分かっていて、彼女はここまで戦っていたということだろうか。底意地の悪い化け物に反吐が出る。


「それが、『夜(・)の(・)原(・)風(・)景(・)』の力か」


 僕が問うと、パレネは目を丸くして首を傾げた。そういえば、彼女の能力名は僕の勝手な推論で、まったく関係ないものかもしれないのだった。その場合、僕は今、自作の能力を勝手に問い質し始めたヤバいやつだと思われていることになる。


「あれ、キミにはまだ教えていなかったと思うけどな……あ、そうか。あの出来損ないのゴミ溜めに行ってたんだっけ。そこから、キミのすーぱー頭脳で導き出したってわけ?」


「出来損ないのゴミ溜め……?」


「『夕暮れの原風景』のことだよ。誰にも適合しないで投棄された、どうしようもない歪みの世界。ボクさ、あーいう何の目的もないモノ、嫌いなんだよね。誰一人としてあんな場所を求めてないのに、せっかくのきれいな景色が台無しだ」


「あの場所に、目的がないだと? あの世界の怪物は、迷い込んだ生徒を襲っているんだぞ!」


 軽薄なパレネの口調に腹が立ち、つい声を荒げてしまう。彼女は心外だという表情で、こめかみを軽く揉んだ。


「誰も使わなければ、言葉だって死ぬ。誰も気にしなければ、存在っていうものは簡単に消えるんだ。そうして神が死んでいったように、忘れられればあの怪物だって、勝手に消えるよ。それをわざわざ、くだらない正義感か何かのせいで、いつまでも繋ぎ止めているのが悪いんじゃないか。それともキミは、本当に『夕暮れには異世界に迷い込む』なんて信じているのかい?」


 彼女の言い草に僕は絶句する。『夕暮れの原風景』があるのは、葛御丘(くずみおか)たちが気に掛けるせいだというのか。生徒たちを救おうと、微力で及ばずながら努力している彼らの活動は、実際には、その脅威を存続させているだけだったというのか。


「それに比べて、この『夜の原風景』の、いかに素晴らしいことか! この世界は、刺激を求める人間に応えているんだ。夜は、冒険の世界。目の冴えた誰もが、スリルと好奇心を胸に抱いて飛び出すの。こうだったらいいのにと思うみんなの理想が、この世界を作っているんだよ。キミはさぁ、ずっと幸せな時にいることができたら、それが一番だと思わない?」


「そんな理想論、必ずどこかで破綻する。永遠なんて存在しないからこそ、その平穏を求める過程に、人間は幸せを感じるんだ」


「それこそ夢見がちな理想論じゃないか! 人間は誰だって永遠を求めている。それが手に入らないと分かっているからこそ、『夜』の刹那的な快楽に魅了されるんだ。果たして、現実と夢とで、どちらに価値があるかなんて、キミが一番わかっていることだろう?」


 パレネの返答を聞いて、すれ違う価値観の正体に気が付く。


 彼女は、夜のすばらしさを謳(うた)っているわけでも、人間にとっての夜の価値を説いているわけでもない。自分のモノである『夜の原風景』が、いかに優れた搾取装置であるかを自慢しているのだ。根本として、彼女は人間を見下している。そこに人間賛歌の欠片も無い。


「吸血鬼が、人間の夢を語るな————!」


 聖剣を中段に構え、目を見開いて笑う怪物に突進する。両手で振り下ろした刃は、太い腕に弾かれた。反動を回転方向に受け流し、カウンターの拳を、肘で支えた剣の腹で防ぐ。細身の聖剣は、顔の前に出しても視界を塞がなくて取り回しやすい。


 力強い獣の拳と、的確で鋭い拳の乱打を落ち着いていなしながら、隙を窺う。怪物の本能なのか、吸血鬼としての経験なのか、洗練された攻撃には淀みがない。人の命を奪うことに躊躇のない連続攻撃は、狩りを楽しんでいるようにも思えた。


 じりじりと後退しながら、わずかに重心を落とすと、押しつぶすように力強い拳が握られる。好機をとらえた獣の、一瞬の油断。わずかに長い溜めの間隙に、聖剣の刃を立てた。


「————そこだ」


 獣を狩るために最も重要なことは、一撃必殺であることだ。

 僕は狩人ではないから、それは、命を苦しめないためにという人道的な理由からではない。単に、殺し損ねた獣の挙動というのは、常に予測不可能であるからというだけだ。この場合の獣には、人間も、知性を持った化け物も当てはまる。様子見もファンサービスも必要ない。僕たちは常に、最初から必殺技を撃つべきなのだ。


「が、ぁあっ——————!?」


 ほんの少し後ろに引かれた左腕を、最短の導線かつ最大の速度で、肩から斬り落とす。視線を向けるまでも無く、頬のすぐ横を、見切った拳がすり抜けた。行き場を無くした暴力は、ブレーキを失い進んでいく。切り裂いた肩は、勢いを残したまま飛んでいく拳に引っ張られていった。


 短い残身。重心を切り返し、目を見開いた吸血鬼の胴体を叩き切る。野球というものに詳しくはないが、ホームランの手ごたえは、きっと同じくらい会心の一撃だろう。


 聖剣の切れ味が良すぎるのか、怪物はバランスを崩すことすらなく、腹が裂け、背骨を断たれた。鮮血が枯山水を潤すと同時に、斬り落とした腕が地面に落下した。


「……あはっ、さっすがぁ」


 連結を失った肉体は、切断面から均衡を失い崩れ始める。折りたたまれるように後ろに倒れた上体が不自然に動きを止め、ギョロリと音が聞こえそうなほど強引に回転した眼球が僕を睨んだ。すぐさま眉間に叩き込んだ聖剣は、手応えなく地面を抉る。


 ドライアイスのように、黒い靄となって溶けたパレネは、五歩先で凝集した。斬りかかれる距離だが、無策で突っ込むわけにもいかない。


「少し手加減したとはいえ、力もろくに自覚していないくせに、こんなに強いなんてさぁ。救世主なんて正直舐めてたけど、これは本気を出さないとかな?」


 パレネは、恍惚とした表情で僕を見つめると、闇を掴むように両手を広げた。気が付けば、さっき払ったはずの漆黒は、再び境内を満たそうとしていた。


「————『夜』が覆う」


 パレネの姿が、音の響きと共に暗黒の中に消えていく。それだけではない、まるで宇宙の中にいるように、平衡感覚すら失ってしまいそうな暗闇が世界を覆い尽くしていた。肉眼で見てもようやく追いつけるような速度の怪物が、舌なめずりをしながら周囲を飛び回っている気配だけが、僕をいたずらに幻惑する。


「くっ————」


 後ろを取られないよう、回転しながら警戒するも、至近距離に迫った強襲に反応が間に合わない。なんとか顔を守ったが、衝撃を受けきれずに暗闇を転がる。立ち上がろうと回した脚に砂利が絡まった。踏ん張りの悪い地形は、防戦には不利だが、もはや本殿の方向すら分からない今、むやみに動くのは自殺行為だ。


「ほらほら、主人公さんっ。背中ががら空きだよっ!」


 高らかな笑い声に振り返った瞬間、真正面から飛んできたハイキックが甘い防御を吹き飛ばす。地面との距離を把握して受け身を考えた頭が、社務所の窓ガラスが割れる音にかき乱される。飛散したガラス片で傷つかないよう、なんとか体を捻り、両足で滑りながら着地した。とはいえ、この後ろは斜面が近いはずだ。もう一撃まともに食らえば、ただでは済まないだろう。


「あははっ、やっぱり、うろたえている人間が一番滑稽(こっけい)だねぇ。ほんとに、エトソンちゃんも、ボクが殺したかったのに、お互い上手く行かないったらないよ」


 ほんの一瞬の風の乱れ以外に、攻撃を捉える方法がない。とはいえ、『孤独な光』で照らしたところで、半径四メートルほどしか照らせない。そもそも、そのために集中できるほど、攻撃は易しいものではなかった。


 防戦も手詰まりかと思った時、両手で構えた聖剣が熱く呼応する。まるで、自分を使えと言うように、その身に纏った気の流れを伝える。まったく、エトソンといい、マクルワリオンといい、異世界は詰め込み教育が流行らしい。


 空気に溶かすように、ゆっくりと息を吐く。時が止まったように感じるのは、何も見えなくなったからだけではない。緊張も焦りも動揺も、戦いには不要なものだ。


「闇にも溶ける影在らば、常世照らす鬼火が灯る————」


 波のように滑らかで力強い聖剣の魔力が、寄り添うように力へ変わっていくのが分かる。マッチ棒のように手で聖剣を擦ると、弾けた魔力は熱を生みだす。僕の手では小さな種火でも、伝え渡せば大きな焔になる。夜闇に人魂のような怪火が浮かび、飛び回っていた気配が警戒して静まった。


「あははっ! そんな弱い光で、この闇を払えるとでも————」


「————————『灯影流(ひかげなが)し』」


 妖火がふわりふわりと回り始める。その怪しい光は闇を照らし、隙間を縫って飛び込んできた吸血鬼の居場所を捉える。体こそ闇に隠れているが、それ以外が見えていれば、見えたも同然だ。


 炎を纏った聖剣を振り薙ぎ、孤独な暗闇を明かす。とっさに防御態勢に切り替えたパレネの上体を斬りつけたが、クリーンヒットとはいかない。体勢を崩して転がった、彼女の腹部に聖剣を突き立てる。


「ぁああがぁあああっ————!!」


「これでも死なないとは、本当に不死身なんだな」


 燃え溶けていく腹部は、泡立ちながら再生する影に押し留められている。痛覚はあるらしく、歯を食いしばったまま、パレネは無理矢理に口角を上げた。聖剣を抜き、炎の消えた刃を鎖骨の間に突き刺すと、腹部の傷はあっという間に塞がってしまった。踏み押さえても、何の変哲もない体が復元されている。


「キミが力を使えば、不死身のボクを殺すことだってできるとも。ボクがまだ生きているのは、つまり、キミがまだ、僕を殺すことを躊躇っているということの証明でしがぁっ————!」


「お前には、聞かなければならないことがある。だから殺していないだけだ」


「その見下すような視線……ああ、たまらないねぇっ」


 聖剣を体に突き刺しても、減らず口は治らないらしい。痛みに悶えながらも笑みを浮かべるパレネには、いっそ清々しいほど冷酷になれる。


「お前は何のために僕を狙った? 誰から命令を受けたかを吐け」


「————言えないね。キミには教えてあげない」


 聖剣を揺らしても、軽薄な割に口は堅いのか、見開いた眼の意志は揺らがない。拷問はそれほど得意な方ではない僕に、彼女の口を割らせることはできるだろうか。


「ねぇ、それよりも、キミに提案がぁっ————」


「不必要な発言は許可しない。お前に優越などない」


 パレネは、身動きの取れない、絶望的な状況にもかかわらず、おかしそうに笑った。鳥の声一つしない境内に、彼女の笑い声だけが響く。


「それはどうかな。ねぇ、勇者さん、よく考えてみてよ。キミは確かに強い。でも、キミの大事な友人たちはどうかな。キミがボクを退屈させている間に、宵原晴音ちゃんが、愛すべき先輩方にどんな記憶を植え付けたか、聞きたい?」


「要点だけを話せ」


 聖剣をさらに深く突き立てたが、パレネは挑発的な表情を崩さない。神経の通っていない指が、虫のように痙攣(けいれん)した。


「エトソンちゃんもそうだよ。ボクを殺したって、何もかもが元に戻るわけじゃあない。夜の恐怖は心に根を張り、その芽を育てるのはキミという存在、それ自体だ。キミがいるだけで、この『夜』は永遠に日常を蝕む。誰もが、キミのように苦難を乗り越えられるわけじゃない」


 パレネはまだ、エトソンが生きていることを知らない。だが、目を覚ました彼女に、自分の死の記憶がある可能性は、ゼロとは言えないだろう。

 人は普通、生き返ることはなく、誰一人として、その境界を跨ぐ冷たさを知る者はいない。だが、生きている身でその記憶を持つことになったら、それが彼女の日常を侵すことくらい、容易に想像がつく。死は不可逆のものだが、僕たちはその恐怖を本当の意味で知らないために勇気を持つことができる。本当の死を知ったエトソンが、今まで通りの日々を暮らせるかどうかは、保証できないだろう。それはたとえ、彼女が僕の前で気丈にふるまって見せるとしても。


「原風景の力は、誰もが思う理想の形なんだ。『夜』は暗く、それでいて人の欲望を照らし、最後にはすべてが闇に消えていく。『夜』に見たものは、昼に思い出したって幻のように掴めないものさ」


 さっき使っていた能力は、つまるところ、「夜は暗いものだ」という常識的な認識を具象化したものということだろうか。そう考えれば、吸血鬼とは関係のなさそうな剛腕も、夜に関係する怪物譚の力だと解釈できる。もっと無法な、百鬼夜行みたいなものを召喚しないところを考慮するに、他にも条件がありそうだ。


「『夜の原風景』の力を使えば、キミの日常にとって不都合な、この『夜』の記憶をす(・)べ(・)て(・)無(・)か(・)っ(・)た(・)こ(・)と(・)に(・)で(・)き(・)る(・)。苦痛も絶望も恐怖も、傷跡一つ残さずきれいさっぱりに忘れさせることも可能さ」


 パレネは狂気じみた表情で笑う。まるで、自分の命に執着していないかのように、天秤にその身を預ける。彼女は力を使っていないはずなのに、夜闇はずっと重たく僕にのしかかるようだった。


「さぁ、選びなよ! ボクを殺すか、すべて忘れて日常に帰るかをさ————!」



次回3-5『そして、夜は明ける』

吸血鬼パレネから持ち掛けられた選択。否応なく明ける夜に、秀一の選ぶ道は————。

長い夜の物語は、彼を襲う運命の尖兵に過ぎない。また新たな運命が、動き出そうとしていた………。


「………それじゃあ、またね」

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