↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうやら僕の運命は、まだ終わらずに続いていくらしい  作者: 錆井
第三話『暗い洋館を懐中電灯片手に一人で探索してみたいと思うのはゲームしてる時だけ』
PR
12/20

3-2 検証!学校の七不思議!

〇これまでの登場人物(主に三話登場)

・朝尾秀一(あさお しゅういち)

 この物語における騒動の中心である少年。

 両親の逝去後、冥加学園理事長である澪河に引き取られる。

 ひょんなことから聖剣に選ばれたが、異世界に行く気はなし。恋愛に忌避感を抱いている。

 その身には、世界を意のままに操れる力が埋め込まれているというが……?


・遥原叶夢(はるはら かなん)

 秀一の隣家に住む少女。彼の幼馴染として、幼い頃から毎朝起こしにやってくる他、両親のいない秀一にお弁当を作り、夕食を共にしている。

 秀一同様に冥加学園の特待生であり、『新律者(ニューオーダー)』の一人。正体を隠して秀一と過ごすその目的は——?


・エトソン・プルルライナ

 異世界から来た少女。聖剣を秀一に託し、現在は流されるまま冥加学園に編入し学生生活を謳歌している。『透明化』の魔法を使うことができるが、使用時に右目が赤く染まる。地形や建物のマップ把握や、相手の強さを解析したりできるらしい。


・パレネ/宵原晴音(よいはら はれね)

 人を舐めた態度だがどこか憎めない小悪魔的少女、に見えるが、その正体は——?

 『新律者(ニューオーダー)』の一人であり、エトソンの命を狙う。


・紅那須偲歩(あかなす しのぶ)

 ミス研会長。ホラー好きで、中でも七不思議を愛する眼鏡少女。趣味は怪談の自作だが、ミス研内ではやや不評。


・雁野康介(かりの こうすけ)

 ミス研所属の少年。これといって特徴のない、秀一の友人。



 ————トイレの花子さんの噂、知ってる?


 ————え、初めて聞いた。今時、花子なんて名前の人、いるんだ。何組の人?


 ————いや、そういうんじゃなくて。二階の女性用トイレの、奥から三番目の個室に、二回ノックをしたら………。


 ————それはトイレのノックだよって落とされるの?


 ————あのね、トイレだから。面接試験会場じゃないからさ、履歴書テンプレートの就活花子さんじゃないの。


 ————それじゃあ、何が起こるって言うの?


 ————ノックするとね、誰も入っていないはずなのに、中から「赤い紙と青い紙のどっちが欲しい?」って声がして、赤って答えると体を血まみれにされて、青って答えるとトイレに流されちゃうんだって!


 ————肌色って言ったら、何色の判定になるの?


 ————あのね、花子さんはまだ多様性に配慮してないから、薄橙だから赤寄りだと思うけどね。この噂には続きがあって、質問を無視して「そんなことより遊びましょ」って言うと、「はぁい」って返ってきて、花子さんと鬼ごっこをすることになるんだって。


 ————捕まえたら、どうなるの?


 ————ナチュラルに鬼側の思考だ。捕まえたら、「今度は花子さんが鬼」って三度唱えて、逃げる側になるの。それで、ええと、塩水を口に含んで………。



「————1週間以内に3人以上の人に、花子さんの噂を広めないと呪い殺されるのよっ!!!!」


 語気を強めた紅那須(あかなす)が、勢いのまま最後の蝋燭(ろうそく)を消す。か細い明かりが消え、煙のたなびきだけが暗闇にうっすらと見える。百物語がようやく終わり、疲労と安堵の混じる吐息が自然とそろった。


「じゃあ、電気付けるぞ」


 雁野(かりの)が一応断りを入れてから、ランタンのスイッチを付ける。初めに百本の蝋燭が付いていた時と変わらない、ぼんやりとした間接照明の光で部屋が照らされた。エトソンの少し眠たげな顔が、眩しそうに縮んだ。


「最後の一個にしては気合が入っていたが、溜めていたのか?」


「そりゃあ、百物語の最後はきちんと締めないとでしょうに」


「あははっ、そのせいで中盤は、エトソン先輩のポイズンモンスター悲話でしたけどね」


 宵原(よいはら)が楽し気に背をもたれさせると、名前を呼ばれた異世界人はゆったりと視線を動かした。目を擦ると、子犬のように顔を振って眠気を追いやり、胸の前で待ち遠しそうに指を合わせた。


 狼の遠吠えが聞こえて、放課後のその向こう、夜の学校に心躍らせた僕たちが、部室に呪術のように並べられた蝋燭を見て絶句してから、かなりの時間が経っている。時刻は天を指す少し前だ。当然、このまま学校で寝泊まりして終わりとはいかない。


「今から、校内探検をするのですよね?」


「ええ、もういい時間になったし、いよいよ今日の本題ね。とりあえず、これを見て」


 紅那須がクリアファイルから出したのは、ホームページに記載されている校内の地図だ。これから向かっていく場所なのだろう、いくつか赤い丸でマーキングされている。階段のところから赤い線が伸び、「二十段!」と注釈が丁寧だ。


「五人でぞろぞろ行っても風情に欠けるから、二手に分かれようと思うの」


「私はアーサーと一緒がいいですっ」


「俺は誰とでもいいけど、紅那須と秀一は別にしてくれよ。俺、解説とか無理だからさ」


「僕もこだわりはない。宵原は、何か希望はあるか?」


「うーんと、ボクは嘘つきじゃないけど、エトソン先輩は正直者だよ」


「今は論理の問題をやっているわけじゃないんだが………まぁ、こだわりがないなら、紅那須に付いた方が面白いかもな」


 雁野は僕たちと一緒に行くことになり、紅那須からそれぞれ個人持ちのペットボトルを受け取る。中身は塩水らしいが、人からもらった塩水ほど怖いものはない。多分、生理食塩水よりは濃いだろう。


「今が二階だから、朝尾班は上の階に行って、音楽室と理科室を。私と晴音ちゃんは、下の階に行って、正門前の金次郎を確認した後、花子さんと鏡の異世界を見てくるわね」


「鏡の異世界は、0時説と丑三つ時説があるけど、どっちにするんだ?」


「両方見に行くに決まっているでしょう? 今からが一回目。戻ってきて、また霊力を高めたら、もう一回行きましょう」


「さっきの百物語は、そういう役割だったのか………」


 こじつけも甚だしい、というのはそもそも七不思議からそうなので、口にしても仕方がない。次はこっくりさんでもやるつもりなのだろうか。


 準備を手早く整えて、部室から近い階段まで移動する。夜だということは理解していたが、月光が差し込む夜闇を目にすると、一層に夜の学校という特別感に胸が高鳴る。どこか青みがかった気すらする世界は、春にしては肌寒く感じた。


「それじゃあ、しっかりまとめてくるのよ」


「アイデアを、だな。でも実際、こんな雰囲気あるとは思ってなかったぜ。何も出なくても、一記事くらいは書けそうだな」


 ネタをまとめるためのタブレットを持って、僕たちは階段を一段ずつ、反対の方向へ進み始めた。念のため動画を取りながら、カウントアップの声が遠ざかっていく。


「四階まで来たが………」


「見事に二十段、ですねっ」


「まぁ、確認ってことでいいだろ。帰りはもしかしたら、ってこともあるし」


 校舎の最上階までやってきた僕たちは、突き当りの角にある音楽室へ向かう。準備の良いことに、夕方の内に借りて来ていた鍵を指で回しながら、雁野は口笛を吹いた。校内の警備は、毎朝理事長がしているとかで、見回りの警備員に配慮する必要もない。


 ポロンポロンと鍵盤(けんばん)の音一つ聞こえない廊下は、むしろ人肌が恋しい冷ややかさだ。生霊がいるでもないはずの音楽室の鍵は、授業の時よりもすんなりと開いて、赤いカーテンに月光を遮られた暗闇が僕たちを迎える。


「ま、誰もいない、よな」


 雁野が死亡フラグのように確認した。紅那須からは、何も変なところがなかったとしても、とりあえず十分ほどは観察して、感想をメモするようにと言われている。まるで課外活動みたいだが、授業よりは楽しいものだ。


 夜の音楽室は、案外廊下への扉から差し込む月光だけで明るい。金管楽器の照り返しはどこか不気味で、密林の食虫植物のようだ。


「何かあったか?」


「何もないけど、なんかこう、カーテンが揺れてるのが人みたいじゃね?」


 雁野はフラッシュを焚(た)かずに写真を撮った後、首をひねって改めてフラッシュを焚いて取り直した。雰囲気作りは大事だが、レポートとしてまとめるなら、分かりやすさの方が大事だ。


「きゃっ!!」


「エトソンっ————!?」


 壁の染みが顔に見える角度を模索(もさく)していると、音楽準備室の方から悲鳴が聞こえる。どうせ転んだとかだろう、とは思うが、転んだだけでも十分に危ない。学校というのは、案外、角を取り切れていないのだ。


 僕と雁野が準備室の扉を開くと、さらに濃い闇が視界を埋め尽くした。こんな暗さじゃあ、転んでも仕方ない。とはいえ、まさか幽霊や怪奇現象が起きることは————。


「うわああああぁぁぁっ!!」


「どうし、のわああああぁぁっ!!」


 雁野が腰を抜かしながら絶叫した方に目を向けると、そこには怪光線を放つベートー………いや、あの特徴的な白ロールはバッハだ。


 ともかく、立てかけられた肖像画が鋭い眼光を放っている。モーツァルトなら片目で済んだものを、こちらを自信気に見る白髪カツラの男は、赤い眼光をまさにレーザービームのように照射していた。壁の接触面を観察するに、ただの光のようだが、それでも怪奇現象には変わりない。音楽室のベートーヴェンの噂は本当だった、というわけなのか。


「あははっ、大成功ですっ」


「え、エトソン………?」


 暗闇の中で赤い光に照らされ、一瞬目がくらんだ次の瞬間、肖像画の前に座り込んで笑う美少女の姿があった。これまで見たことがないほど愉快そうに、目じりに涙まで浮かべている。


「おい、どういうことか説明してくれ」


 過呼吸になりながら、床を叩いて笑うエトソンに詰め寄る。どう考えても、何か魔法を使ったに違いないが、雁野が茫然自失としている今なら問い詰めても構わないだろう。


「ご、ごめんなさい、アーサー。少し、驚かせようと思ったのですが、思ったより、驚かせてしまって………」


「そういうことが聞きたいんじゃない。さっきのは、どうやったんだ?」


 エトソンの姿が見えなかったこと自体は、彼女が唯一使えるという『透明化』の魔法で納得できる。だが、てっきりライトか何かを持っていると思ったがその様子も無く、音楽室にもそんな気の利いたドッキリ道具は見当たらない。だとすれば、結局のところ、怪光線バッハを見つけたエトソンが、白々しく隠れていただけということになってしまう。


「そういえば、アーサーにはまだ言っていませんでしたね。見ていてくださいっ」


 エトソンは、僕の前に両手を伸ばして差し出した。その指の先がだんだんと透けていき、第六感でしか彼女がそこにいることを知覚できなくなる。と、彼女がついに消滅しようとした瞬間、彼女の目だった場所が苛烈(かれつ)な光を放つ。懐中電灯にするには光量の強い灯は、灯台のように彼女の視線を可視化する。背後から雁野がまた驚いた声が聞こえたが、今は心配してやることもできない。


「私の『透明化』の魔法は、自分に使用すると、こんな風に魔力が逆流して、漏れ出してしまうのです。なので、かくれんぼには向いていなくて、すぐに見つかっていました」


 かくれんぼには、というよりも、何事においても致命的な弱点である。こんなに明るい目印が出ては、『透明化』の意味がない。『透明化』なんて最強スキルじゃないか、と思っていたが、彼女がひけらかさない理由が分かった気がする。


「なるほどな。まったく、だからって驚かすのに使うんじゃあない」


「はい、申し訳ないです。紅那須さんの話を聞いて、一度試してみたくなったもので」


 気持ちはちょっとわかるので、あまり強く追及はできない。誰だって、暗い場所で懐中電灯を持てば、顔を下から照らして変顔したくなってしまうものだ。


 まだ驚きに震えている雁野に、エトソンの悪戯だとだけ伝えて抱え起こす。気丈そうに振舞っているが、すっかり彼の唇は真っ青だ。タブレットには、恐怖の生々しい感想がつづられているが、記事にするにはあまりにも駄文だ。


「とりあえず、少し休ませよう。必要なら『月光』くらいなら弾けるが」


「お、おまっ、二重奏になったらどうするんだよっ」


 目を瞑っていれば、怪奇現象もコンサートもそう差はないと思うが、すっかり怯え切ってしまっている。まだ暖かいくらいの時期だが、震えはすぐに止まりそうもない。全く、エトソンに悪戯を覚えさせてはいけないな。


「きゃあああああぁぁぁぁぁっ————!!」


「なんだっ!?」


「あ、紅那須の声だ」


 雁野を落ち着かせるために、カーテンを開けて、いつもよりも大きく見える月を眺めていると、先ほどよりも迫真の悲鳴が遠くから聞こえてきた。反響のこもり具合から見て、花子さんの検証中だろう。紅那須は結構ビビりな方だし、ためらいなく絶叫できるタイプだから、トイレで水滴が肌に付いたとか、それくらいかもしれない。だが、きっと大丈夫だろうと思おうとするには、月光は心の不安を照らしていた。


「すまない、エトソン。雁野を見ていてくれるか?」


「はいっ、承知しましたっ」


「い、いや、あいつのことだ。どうせ虫でも出たんじゃないか?」


「少し、嫌な予感がするんだ。第六感ってやつさ」


 言い終わる前に音楽室を飛び出す。何かあると思ったわけではない。ただ、何も起こらないでくれと願っているだけだ。


 階段を五段飛ばしで駆け降りる。ちょうど踊り場に降り立ち、手すりを軸に体を回して再び駆け降りていく。階段早登り・早降りの技術を持つ僕は、移動教室に遅れたことはない。


 最速で二階にたどり着き、奥まった場所にあるトイレを目指す。特別教室棟のトイレは、改修が進んでいないこともあり、多くの生徒は使おうとしない。副教科の授業中に催した生徒が、教室棟まで走る間に漏らしたという話の方が、よっぽど怖い話だ。


 多少常識的な躊躇いはあるが、古びた女子トイレの中に入る。橙の弱い光が明滅するスイッチは、トイレを明るくはしてくれないらしい。冷たいスイッチから手を離すと、井戸の中を思わせるような、湿気た冷たい風が肌を撫ぜる。


「大丈夫か、紅那須っ」


 トイレの床で腰を抜かしていた紅那須は、安堵した様子で弱弱しく個室を示した。奥から三番目、花子さんのいるという場所である。


 一応の心の準備をしてから中を覗くと、そこには髪の毛のように長い毛糸が、水を吸って赤黒く垂れていた。


 トイレの汚れとは違う、乾いた染みの付いたその人形は、濡れてほどけた布の瞳で、僕を虚ろに見上げる。助けてくれと言わんばかりにさらけ出された腹部には、刃が露出されたカッターナイフが突き刺さっていた。それは残酷な生命の終わりを意味するようでいて、実際には、かくれんぼの始まりを示唆するものだ。


「宵原はどうした?」


「だ、大丈夫………ただの、悪戯よ。私が腰を抜かしちゃったから、あの子は朝尾くんを呼びに行くって言っていたけれど、すれ違わなかった?」


 念のため、廊下に出て端まで見通してみるが、足音一つ聞こえない。いくら急いでいたとはいえ、こんな夜の校舎ですれ違って、気が付かないわけも無かった。


 そんなはずはないと思いながら、一応、女子トイレの鏡を手で触れて実態を確かめてみる。異世界に消えた、なんてことあるわけがないよな。


「まぁ、とにかく悪戯なら良かったよ。少し思ってはいたが、宵原の奴、結構アクティブなところあるよな。紅那須も平気そうなら………紅那須?」


 月が雲に隠れたのか、個室の中が暗くなったように思えて僕は声を投げる。何かに手招きされているようにすら思える暗闇で、紅那須は返答しない。


 ざらりと制服が床に擦れる音がして、僕は紅那須が回復したのかと安堵する。それなら、声の一つくらいかけてくれれば、というのは怯えた人間には酷だろうか。


「紅那須、大丈————」


「————次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから次は私が鬼だから」


「お、おい、紅那須?」


 トレードマークのはずの眼鏡を落としても、紅那須は拾う素振りすら見せない。俯いた表情は見えないが、泡立つように漏れ出すその言葉は呪詛のように繰り返される。


「————朝尾くん、み(・)ぃ(・)つ(・)け(・)た(・)ぁ(・)」


 確かに僕を見据えた両の瞳は、しかし焦点どころか視線すらも捻じ曲がり、中に別の生物がいるかのように不規則に動いている。だらしなく開く口から垂れた舌には、人間としての理性は感じられず、滴り落ちる唾液は野生動物のようにとめどない。


 じりじりと近づいてくる彼女に合わせて、僕は後ずさる。助けるという選択肢はすでに手遅れに思えた。それよりも先に、逃げるほうが正しいのだろう。そこまで考えてもまだ走りだせていないのは、まだ彼女のひどい悪戯であるという可能性を信じていたかったからだ。しかし、紅那須が演技を得意としていた記憶はないし、何よりも怪談の検証に真摯(しんし)な彼女が、意味も無いドッキリをする理由もない。


 無意識に腰に当てた手は、聖剣の柄を探る。ゴーストには相性抜群だとエトソンは言ったが、呪いの類にも効くだろうか。いや、効果が問題ではない。人を、友人である紅那須を切ることは、こんな状況でも僕にはできない。たとえ、パニック映画の世界に迷い込んだって、同じ人間を手にかけるなんて選択は、選びたくはない。


「すまん、紅那須っ」


 飛びついてきた友人をすんでのところで回避し、足を引っかけて転倒させる。素早く踵(きびす)を返して、僕は女子トイレから離脱した。


 どこかに身を隠すべきだろうか。いや、それよりも先に他のみんなの安否を確認するべきだ。行方の知らない宵原は後回しとして、音楽室に置いてきたエトソンと雁野が心配だ。


 廊下に立ち込める闇は、より一層に深く思える。覗き込めば引きずり込まれそうな廊下の奥から目を逸らして、階段に向かおうとした瞬間、窓の外が閃光弾のような眩しさに埋め尽くされる。発光源は上の階だ。


「————エトソンっ!」


 ゴム底の校内履きが解けるほど力強く、足は動き始める。詳細は分からなくとも、この学校で荒唐無稽(こうとうむけい)な光を放てるのなんて、異世界人以外にあり得ない。それは同時に、彼女がこの世界で魔法を使うべきだと判断するほどの何かが、音楽室で起こったということに違いなかった。


**********


 秀一が音楽室を後にしてから、エトソン・プルルライナは、怯えた男子生徒に声をかけ続けていた。多少の罪悪感と多大なる心配から、暗闇の恐怖が彼を襲わないように、とりとめのない話題を繋ぐ。


「アーサーなら、きっと大丈夫です。それより、さっきは驚かせてしまって申し訳ありませんでした」


「い、いや、大丈夫だ。むしろ、いい体験ができたよ。あんなに驚いたの、いつぶりだろうな」


「アーサーも、顎が外れるくらい驚いていましたよっ」


 口を大きく開いた、共通の友人の驚いた顔の真似に、雁野も思わずくすりと笑う。張っていた気が抜けて、目尻からこぼれた涙に、エトソンも優しく微笑んだ。


「なんかさ、お前がこの学園に転入できた理由、ちょっとわかった気がするよ」


「理由、ですか?」


 エトソンは、冥加学園の学力も、世間から受ける高い評価も未だ理解できていないままであった。学校という制度を見よう見まねで続ける彼女にとって、その始まりである転入手続きを疑ったことはなかった。


「エトソンさ、日本語うめぇし、外国人とか正直そんなに気にしてなくてさ。どちらかっていうと、同じ匂いがしたんだ。なんて、失礼だけどさ。俺や紅那須と同じで、色んなことに抑圧されて、現実って上手く行かねぇんだって嘆いてさ。

 でも、この手に何も掴んでなくても、今が楽しいんだって逃げて、逃げて………逃げてるだけなんだよなぁ、俺はさぁ。お前とは違う。アイツもそうだ。未(・)来(・)を、見てる。不確実で何も保証なんてされてないのに、運命がそこにあって、そこに歩んでいくことに胸を張れるんだ」


 いくらでも声を飲み込む暗闇に、弱気な心が雪崩(なだ)れ込む。彼の境遇を知らない異世界の少女には、その背を撫でることで精いっぱいだった。彼女は、優しい言葉で慰(なぐさ)めるほど幼くはなく、強い力で励ますほど豪胆(ごうたん)でもない。ただ、彼女にできるのは、ありのままであることくらいだ。


「………本当は、私も逃げてきたんです。何もかもが嫌になって、向こう見ずに走り出して、不安に立ち向かうなんてできなくて、泣いてばかりでした。それでも、今前を向けているとしたら、それは、アーサーのおかげです。彼の差し伸べてくれた手が、すべてを変えてくれたのです」


「ははっ、なんだそりゃ。結局、あいつ(秀一)がすげぇって話か」


「はいっ、アーサーはすごいのですっ!!」


 天真爛漫(てんしんらんまん)に、少女は破顔した。その耳は、風とは思えない軋みの音や、静かに教室に近づいてくる足音を捉えていたが、彼女は向日葵(ひまわり)であり続けた。しかし、日が陰れば花も萎れる。


「そりゃあ、良かっ………た」


「雁野さんっ!?」


 怯えを隠して気丈に笑おうとした雁野は、重力に耐えきれなくなったように、ゆっくりと瞼(まぶた)を閉じた。力が抜けて脱力した彼を、エトソンは何とか支える。倒れこまないように、安定した三角座りの姿勢に整えた時、頭上で数匹のネズミが駆けた。音を追う視線よりも速く、誰かが壁をノックしたような音が不規則に弾ける。今は誰もいないはずの音楽準備室から、木琴が揺れ動き不協和音を奏でる。


「あれ、おっかしいな。キミにとって、『夜(・)』は寝る時間じゃないの? ボク、できれば楽に殺したかったのになぁ。あ、もちろん、ボクが楽ちんって意味ね」


「………何者ですか」


 エトソンは、軽く腕を広げて雁野をかばう姿勢を取った。その目は扉の影に隠れた不審者を探る。音楽室に飾られた肖像画がガタガタと揺れ始ても、その集中は途切れない。


「————『夜』が覆う」


 声が呟いた瞬間、黒い津波のような影が世界を隠す。前後左右、回避しようのない闇に飲まれ、美しい金髪も光を反射しない。ほんの一寸、指の端すらも不確実に思えるほどの暗黒は、平衡(へいこう)感覚すらも狂わせる。視覚を完全に失い、一歩すら踏み出すことを躊躇(ちゅうちょ)したエトソンには、高笑いの声が四方八方から聞こえてくるようだった。


 ほんの少しそよいだ風に防御姿勢を取った瞬間、重たい靴底の一撃が交わした腕にぶつかった。天井に跳んだ気配を捉え、エトソンは入り口の方向にアタリを付け、暗闇に身を投げ出す。愉快そうな笑い声が、さっきまで立ち尽くしていた場所を裂いていく。


「っ————『孤独な光』っ!!」


「————眩しっ!?」


 エトソンは両手の指先を合わせ、闇を裂くまばゆい白光を放つ。本来、線香花火のように小さな光球を生成する魔力操作術は、体内の魔力を入れ過ぎると暴発し、閃光弾のように炸裂する。


 先んじて目を瞑(つむ)っていたエトソンは、わずかに眩みから有利を取る。月光に照らされた教室を素早く見渡したエトソンは、眩しさに顔を隠した少女を認識すると同時に、教壇の陰に座らせていたはずの雁野の姿が見えないことに気が付く。刹那、さらなる妨害を以て強襲者からの離脱を考えていたエトソンの思考は、単身離脱に切り替わった。目的地は当然、勇者(アーサー)のもとへ————。


「————『駆け身風』っ!」


 わずかに体が浮き上がり、滑るように宙を走って、エトソンは教室から廊下へ出る。彼女の世界において、コンロの火を付けたり、全力で走ることと同列に並べられる微細な魔力変換は、魔法とは呼ばれない。それでも、勇者の言葉に従い、魔法のない世界に順応しつつあった彼女にとって、とっさに使わされた魔力は、全身に危険信号を発する。


 少女が細目を開けた時、すでにエトソンはいなくなっていた。爽やかなつむじ風だけが緩やかに消えていく。


「あらら、逃げられちゃった。彼女、まさか魔法が使えるなんて、異世界人っていうのも本当なのかな」


 脱兎のごとく消え去った異世界人に、強襲者の少女は思わず苦笑する。尖った牙が月光を反射して怪しく光った。夜闇によく馴染む赤黒いジャンパースカートは、静かに揺れる。


「俄然、興味が湧いてきたよ————!」


**********


 廊下を風のように疾駆(しっく)したエトソンは、ひとまず校内を侵(おか)すような夜闇が迫ってこないことを確認して、三階の踊り場で足をついた。


 これまで、彼女が魔力を使ってこなかった理由は、大きく分けて二つある。


 一つは、この世界が魔力を使った行動を前提としていないからである。道は狭く、便利な技術が生活を支えている。これといって不便することもない日常において、ことさらに魔力を意識することもない。


 もう一つは、エトソン自身が、この世界に馴染みたいと思っていたからだ。『魔法』は、彼女の敬愛する勇者の言うところの「非現実の産物」である。例え、小さな光を生み出し、少し脚が速くなる程度のものであっても、不必要に彼の前でひけらかすことは憚(はばか)られた。それは同時に、『魔法』を一目見ることで、彼がその仕組みを理解し、「非現実」の世界の住人となってしまわないようにという心遣いでもあった。


 結局のところ、その配慮は、勇者を導くものとしては不必要で不適切なものであったが、いつのまにか、魔力という「非現実」を意識しなければ、穏やかな日々の幸せが続くように思えてしまったのだった。


「二階……でも、女子トイレは、どこだったでしょうか……」


 本来、夜闇を恐れることはないエトソンも、学校という雰囲気の持つ不気味さに、かすかな寒気を覚えざるを得ない。勇者という頼れる相手の存在は、同時に、安心という心の隙を生んだ。共にいる安らぎは、失えばひどく空白に思える。


 廊下の向こうから聞こえてくる足音に、エトソンは防火扉の影に身を隠したまま、耳を澄ます。聞いたことのない足音ではない。しかし、余裕のある確かな足取りは、アーサーのものとは思えなかった。


 夜闇が煙のように体を蝕(むしば)んでいくように思えて、エトソンは口を手で塞いで呼吸を止める。近づいてくる足音と、今にも背後に立ち込めそうな暗い気配に挟まれ、身動きが取れない。足音が近づくにつれ、その体格、歩き方の癖が一人の人間を思い出させた。曖昧(あいまい)な既視感が確信に変わった時、それが罠である可能性など立ち消え、エトソンは防火扉の陰から飛び出した。


「————叶夢(かなん)っ!」


「エトソン……どうしたの、こんなところで」


「叶夢こそ、どうしてここにいるのですかっ?」


 思わず抱き着いた少女を、叶夢は優しく撫でる。疑うことのない瞳を穏やかにのぞき込んで、安心させるように微笑んだ。


「私が学校にいて、何(・)も(・)お(・)か(・)し(・)い(・)こ(・)と(・)な(・)ん(・)て(・)無(・)い(・)わ(・)。ちょっと部活で遅くなっただけよ」


 エトソンは頷きながら、彼女の胸に顔を埋(うず)めた。暖かな体温は、夜に冷やされた体を落ち着かせる。いつまでもそうしていたいと思う気持ちを、優しい手がほどいた。子供に言い聞かせるように、柔らかな頬を両手で支えて、叶夢は告げる。


「秀一を探しているんでしょう? それなら、この廊下をまっすぐ歩いて行きなさい。決して、振り返ったらだめよ。そうしたら、必ず会えるから」


「叶夢は、一緒に行かないのですか?」


「私には、まだやることがあるもの。エトソン、一人で歩けるわね?」


「………はいっ。分かりました」


 エトソンは一瞬だけ表情を曇らせて、それから気丈に頷く。軽く肩を叩いた勇者の幼馴染は、するりと体を通らせて互いに背を向けた。静かに、共に歩き出す。


 数歩歩いて、エトソンは立ち止まった。夜闇が、後ろから世界を壊していくように思えて仕方がなかった。その果ての黄泉(よみ)に、大切な友人が消えていくように思えて、少しずつ、立ち止まった足が踵(きびす)を返そうとする。


「っ————!」


 苦しくふさがる胸を片手で掴んで、エトソンは駆けだした。彼女が付いた嘘は、きっと、優しさのためなのだと信じるために。


**********


 二階の女子トイレから駆け出した僕は、少し遠回りだが元来た道とは別の階段から、四階の音楽室まで疾走(しっそう)した。違う道をとった理由は、もしかすると、宵原がまだ校内を彷徨(さまよ)っているかもしれないという小さな期待からだ。もっとも、彼女は、紅那須をおかしくした犯人である可能性が高いし、もっと言えば、今エトソンを襲ったのも彼女かもしれない。


 夜中にしたって暗すぎる廊下は、曲がり角がどこにあるかも分からない。幸いにも、ポケットの中に入っていた懐中電灯で、一旦の視界は確保できた。ホラーゲームなら、ブレーカーを上げたりして電気を付けられるものだが、まったく……。懐中電灯片手に探索するなんて、現実では恐怖でしかない。僕たちはいつだってライフ1なんだ。


 そもそも、紅那須を転ばせて逃げたものの、何か事件が起こった音楽室に向かっているものの、僕は怪異や超常現象に対処する術があるわけではないのだ。


 ホラーゲームだって、誰もが怪物を倒すわけではない。僕は軍人でもなければ、霊媒師でもない。銀の弾丸も無いし、聖なる十字架も無い。なるべく足音を立てず、ロッカーに隠れたりして恐怖をやり過ごすしかないのだ。多少脚には自信があるから、ふわふわの壁みたいな鬼が出てきたら、華麗なサイドステップで撒(ま)くこともやぶさかではないが、基本的には階段を往復するくらいしか、僕にはできることがない。


 勇んで階段を上ってきたものの、果てしなく感じる暗闇には、忍び足を余儀なくされる。学校の廊下は、こんなにも長かっただろうか。今にも懐中電灯を上げれば、巨大な怪物がいるのではないかという緊張感が肌を刺す。


 何とかたどり着いた音楽室は、廊下と変わらず真っ暗だ。さっきはあんなに差し込んでいた月の光も、今は眠ってしまったように沈黙している。


「エトソン! 雁野! いないのか?」


 部屋中を明かりで照らしてみるが、これといった形跡も、二人の姿も見えない。いつも通りの学校、当たり前の風景は夜闇の中でも変わらなかった。


 ……そりゃあそうだ。夜だからって、ここはただの学校である。事件なんて、起こるはずもない。


 そんな常識的なこととは別に、いなくなった二人の行方を考える。もし、僕がエトソンだったとして、やむにやまれぬ事情があり、言いつけられた場所を離れる決断をしたとする。その場合、どこを目指すだろうか。


 答えは簡単だ。僕が行った先、二階の女子トイレである。しかし、それが分かったところで、僕がうっかり行き違いになったことが判明しただけで、解決には至らない。


 では、今度は立ち位置が逆転し、二階の女子トイレに向かうエトソンと、音楽室にいる僕。エトソンに出会うためにはどんな道を通ればよいだろうか。


「エトソン、無事なら返事をしてくれっ」


「アーサーっ! その声は、アーサーですねっ!!」


 結論、エトソンの行動予測は女子トイレにいる段階ですべきだったと反省し、来た道を戻る。案の定、二階の廊下をよろよろと進むエトソンと鉢合わせることに成功した。酷く憔悴(しょうすい)した様子の彼女は、涙交じりに表情を緩めて、僕の胸に飛び込んできた。


「無事でよかった。雁野はどうした?」


「それが、何者かに襲われてしまい、その際に見失ってしまいました。勇者様に頼まれたというのに、不覚です………」


「ひとまず、お互いに生きていることを喜んだ方がいいらしいな。こっちも、紅那須がおかしくなった。宵原の悪戯らしいが、どうもそれだけとは思えん」


 エトソンは、何かさらに伝えようと口を開いて、怯えるように顔を埋めた。力強く腰に回された腕の感触に、僕は彼女の背をさする。夜の闇は今も冷たく世界を包んでいるが、触れ合う体温は暖かかった。


「しかし、そうなると八方塞がりだな。理事長に連絡するにも、荒唐無稽(こうとうむけい)な話だと思われそうだし、雁野たちの安否を確かめるまでは逃げるわけにもいかない」


「しかし、アーサー。あの襲ってきた相手は、かなりの手練れでした。いくら勇者様とはいえ、相手の領域で戦うよりは、一度体勢を立て直すのも手かと」


「お前がそこまで言う相手と、真っ向から戦おうなんて思ってないさ。ただ、何者かも分からないのに、すごすごと逃げ帰るのはあいつらに悪いってだけだ」


 遠慮なく僕の服で涙を拭って、エトソンは毅然(きぜん)と立ち上がる。その目に怯えはもうない。いつもよりも勇敢に見えるその表情は、けれど、いつも通りに微笑んだ。


「それならば、一つアーサーにお教えしたい技が————」


 エトソンが僕の手を取った瞬間、何かが震えるような、苦し気な呻き声が校内に響き渡る。すっかり紅那須にホラー脳にされていた僕は、学園七不思議の一つ『夕暮れの呻き声』を思い出したが、そもそも今は夜だ。校内放送からだろうか、濡れたコップを指でなぞったような不快な響きは、しかしどこかで聞き覚えがある。


「————ニワトリか?」


 曖昧だった鳴き声は、ようやく調子を取り戻したのか、聞き馴染んだリズムで強弱をつけた。コ(・)ケ(・)コ(・)ッ(・)コ(・)ー(・)、あるいはク(・)ッ(・)ク(・)ア(・)ド(・)ゥ(・)ー(・)ド(・)ゥ(・)ル(・)ド(・)ゥ(・)ー(・)、と甲高い声が耳を衝き、僕たちの目を覚まさせる。ラッパの音よりも高らかに、狂鳥の鳴き声は朝を告げた。


 瞬間、トンネルを抜けて雪国だった時のような眩しさに、僕は目を瞑る。肌に触れる冷たい外気の質感が柔らかくなったように感じて、エトソンがまだそばにいることを確かめた。


「アーサー、外をっ」


「いつの間に………今、何時だ?」


 エトソンの指さした窓の外は、朝日が昇り始め、健康的な人々がウォーキングを始めている明るさだ。朝露の匂いが肌を撫でた気がして、とっさにスマートフォンを探るが、部室に置いてきてしまっていた。タブレットは音楽室だ。


「一度、他の場所も見て回りましょう」


「その方がよさそうだな」


 まだ少し暗い朝日を受け、なんだかとても優等生のような気分で校内を巡る。教頭なんかはこのくらいの時間に門を開けるのだろうか。


 音楽室も二階のトイレも、特段変わった点は無かった。それは、何も変化がなかったというわけではなく、何もかもがいつも通りだったという正常な異常である。どこにも、なにもない。僕たちが感じていた恐怖も、さっきまでの学校探検も、何もかもひどい幻覚だったかのように消え失せてしまった。


「ここに、人形が沈められていたんだ。ほら、二十個目くらいに紅那須が話していたやつ、覚えてるか?」


「ふたり鬼ごっこ、でしたっけ」


「ひとりかくれんぼだ。二人で鬼ごっこするなら、かけっこでいいだろうが」


 太陽の光を浴びていると、だんだんと気持ちも落ち着き、他愛のない会話ができる程度には回復する。とはいえ、清潔すぎるほどに掃除の行き届いた個室は、あまりにも不気味だった。


 結局、雁野も紅那須も見つけられず、僕たちは部室に戻ってくる。オンボロ扉を開くと、出発した時のまま、儀式みたいに溶けかけの蝋燭が並んだ机が僕たちを迎える。雑然とした部室の景色は、むしろ、何もかもが無かったことになるわけではないのだと、僕たちに現実を突きつけているようでもあった。


 これからの作戦を考えようと、僕が自分の定位置に座った時、机の上に置き放していたスマートフォンが震え始める。着信を見ると、交換した覚えはないが、絶賛行方不明中の宵原からのようだった。


「あ~、おっはよ~、朝尾せんぱぁいっ」


「ああ、ずいぶんと気持ちのいい朝だが、今どこにいるんだ?」


 元気そうな第一声に、誘拐の類ではないようだとひとまず安心する。ボイスチェンジャーの低い声に身代金でも要求されたらどうしようかと思っていたところだ。


「それがぁ………ううぅ、ぐすん。悪い人に捕まって、助けに————」


「要件があるなら早く話せ」


 僕が言葉を遮ると、宵原は、通話越しにも聞こえる大きなため息を吐く。


「はぁ………ボク、紅那須先輩にちょっと悪戯しただけなのに、なんでそんなに怒ってるんですかぁ?」


「エトソンを襲って、二人を連れ去った。それ以上に理由が必要か?」


「あはっ、バレてやんのぉ。でもさ、先輩。自分の立場、分かってる?」


 電話の向こうで、彼女の声はひどく冷たく落ちる。ドアスコープを覗き込まれたように、不気味な威圧感が強まった。


「キミの言う日常だとか、平穏だとかいうふざけたものは、こんなに簡単に崩れるものなんだよ。キミは、強大な力を前にしても、平凡に頭を擦りつけて謝ることすらできない。なぜなら、キ(・)ミ(・)は(・)主(・)人(・)公(・)だ(・)か(・)ら(・)。ボクが人を傷つけることを、他人事だと無視することができないんだ」


「………何が言いたい」


 宵原、あるいはそんな名を騙(かた)った誰かは、口笛を吹きながら軽快に歩き回る。硬い靴の足音は、学校ではない。もっとしっかりした木造りの、例えば洋館みたいな場所にいるのだろう。


「明日、って今日のことだけど。19時にエトソンちゃんも連れて、豪英館で会おうよ。そこで、冥加学園の評議役員の金持ちが、娘をかくまっているんだってさ。その娘と、二人の身柄を交換ってことにしよう。箱入り娘の臓腑(ぞうふ)って、きっときれいなピンク色をしていると思わない?」


「僕が目的なら、直接僕を狙えばいい」


「そんなこと、ボクが言った? ボクが見たいのは、キミの絶望に沈んだ顔なんだぁ。キミという人生の極上のフルコースで、ボクが前菜になれ————」


 与太話をこれ以上聞く気になれず、電話を切った。とりあえず、今日の夜に何かを仕掛けるつもりらしい。深夜中校内を走り回って、寝不足のはずの頭は、部室に入り込む朝日でゆっくりと回り始める。


「アーサー、行くのですか?」


「ああ、だが今はとりあえず家に帰ろう。作戦を立てられるほど、元気じゃないからな」


 ひとまず部室の散らかりようは置いておくとして、僕はエトソンと部室を後にする。当たり前のことだが、もしエトソンがこうして元気でいなかったら、僕は今、一人だったのだろう。彼女が隣にいることは決して当たり前の日常ではないのかもしれないと、そう思わされる恐怖は、僕に少しの勇気だって与えてはくれない。


 それでも、進み始めてしまった物語の中で、僕は前に進まなければならない。そうしなければ、誰一人だって、幸せな日常には戻れないのだから。


 ずいぶんと長く感じる昇降口までの道のりも、永遠ではない。靴を履き替えて校門に差し掛かったところで、向かう道からやってくる人影に気が付く。


「あれ、秀一じゃない。ミス研の合宿? まだやってたんだ」


「ああ、まぁな。叶夢こそ、今日は早いじゃないか」


 非日常に浸食されそうな世界の中で、幼馴染はいつも通りの制服姿で、少しけだるそうに通学かばんを肩に背負い直した。車通りのない道路で軽く左右を確認してから、十分な睡眠の軽快な足取りで駆け寄ってくる。


「なぁに言ってんの。部活はいつもこの時間だってば。秀一は普段早寝なんだから、ちゃんと帰ってから休むのよ?」


「分かっている。叶夢も、無理しないようにな」


 彼女は、うっすらとほほ笑むと、軽く手を上げて示して、そのまま歩き去っていった。朝だからか、いつもよりも優しい気がするのは気のせいだろうか。


 そういえば、と右手を包む暖かい感触に目を落とすと、エトソンは人見知りをしたように、僕の体に顔を隠していた。よっぽど夜更かしが堪えたのだろうか。ぎゅっと瞑られた眼は、苦しそうにも見える。


「エトソン、大丈夫か?」


「は、はい。私は、問題ありません」


「すまないが、家までもう少し辛抱してくれ。夜のことは、また起きてから考えよう」


 疲れ切った様子で僕に体重を預けるエトソンを、今日ばかりはそのままにして、僕たちは寄り添いながらゆっくりと家に帰った。


 普段ならば、土日は休みのはずだが、我が家で家政婦として働く相田さんの靴が玄関に置かれている。学校探検の申請を聞いた理事長が、気を利かせて連絡したそうだ。そういうのはお節介というのだが、今は素直に礼を言いたくなる。


 相田さんにエトソンを預けて、僕は先に自室に上がる。せっかく風呂を沸かしておいてくれた相田さんには悪いが、疲労というよりも精神的な不調とでも言うべき思考の胡乱さは、入浴よりも睡眠を必要としていた。


 聖剣を観葉植物の隣に刺し置いて、僕はベッドに倒れ込む。遮光性の高いカーテンに感謝しながら、僕は目を瞑る。人は夜にだけ眠るわけではないように、人は夜にだけ夢を見るわけではない。泥に沈んでいくように、僕は深い意識の底へ飲み込まれていった。





 やめて!『夜』の吸血鬼の特殊能力で、平穏な世界の光を隠されたら、星の運命で秀一と繋がってるエトソンの命まで奪われちゃう!


 お願い、死なないでエトソン! あんたがここで死んだら、秀一の平穏な日常はどうなっちゃうの?

 魂はまだ残ってる! ここを耐えれば、吸血鬼に勝てるんだから!


 3-3「次回!エトソン死す!」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。