第7話 洗濯係の耳
洗った布は、遠くから見ても分かる。
厩舎の戸口に白い山が動いている。近づくと、その下から若い女の顔が出た。籠を腰へ引っかけ、もう片方の手に小さな袋を持っていた。
「北竜厩舎の布は、こちらに置けばいいですか」
「はい。重かったでしょう。そこへ置いてください」
俺は籠を受け取ろうとした。女は首を振り、台へ自分で載せた。受け渡しの途中で中身を落とすより、置いた方が早いと分かっている手つきだ。
「ミナです。洗濯場から来ました。返す分を数えてもらえますか」
年は十九だという。数える間に聞いたら、向こうでは誰が運ぶか決まっておらず、手の空いた者が回るらしい。
布は種類ごとに畳まれている。俺が肩の手当て用へ手を伸ばすと、ミナが別の束を示した。
「そちらは油が完全には落ちなかったので、装具を拭くのに使ってください。肌に使うのはこっちです」
俺は布を鼻に近づけた。言われてみれば、乾いた布の匂いの奥に、少し油が残っている。
「助かります。分けてくれたんですね」
「同じ釜で洗うと全部に油が移るので、洗濯場でも別にしています」
俺は棚を二つに分けていたが、洗う前の桶までは同じだった。ミナに見せると、彼女は空いている小桶を指した。
「汚れた段階で分けてくれると、間違えにくいです」
「そうしましょう。俺たちも覚えます」
俺が紙を探しているあいだ、ミナは籠の底から炭筆を出した。油布には丸、手当て布には線。字を読まなくても分かる小さな印を描いた。
手早いが、雑ではない。
ミナが帰ろうとしたとき、外から空の飼料車が戻ってきた。
車の脇で、留めていない鉄輪が鳴った。シグが奥で首を上げる。俺はいつものことだと思いかけたが、ミナが足を止めた。
「あの音、さっきもしましたね」
「荷車の金具ですか」
「はい。鳴るたびに竜がこっちを向くので、気になりました」
シグは水桶から離れたままだ。喉の奥で短く鳴き、鼻先を戸口へ向けている。
俺は荷車を止めてもらった。外で運んでいる男は、車が軽いのでつい速く押していたという。鉄輪は荷を縛るとき使うもので、空だと横木へ当たる。
「布を挟めば、しばらく音は止まります」
ミナが自分の袋へ手を入れた。出てきたのは、端のほつれた細い布だ。
「捨てる分です。返す数には入っていません」
「使ってもいいですか」
「こういうときに使おうと思って持っています。籠の持ち手が擦れたときにも巻けますから」
俺たちは鉄輪を横木へ縛った。荷車を少し動かすと、車輪の音だけがした。
シグの首がすぐ下りたわけではない。それでも戸口へ身体を向け続けるのをやめ、水桶の方を見た。
ミナは両手を前掛けに置いたまま、小さく息を吐いた。
「怖くないんですか」
彼女が俺に聞いた。
「怖いので、今は柵の外にいます」
「私、声を出したら怒られるかと思ったんです」
「誰に」
「竜にも、ここの人にもです。洗濯係が余計なことを言うなと怒られるかと思いました」
俺は結び目を確かめる手を止めた。
その言葉を知っている。余計なことを言う前に、まず仕事を終えろ。終わるころには、気づいたことを話す相手がいなくなる。
「気づいたことなら、教えてください。俺は今、金具を見てませんでした」
ミナは俺の顔を見た。冗談かどうか確かめるような目だ。
俺は荷車の男にも言った。
「音を出した人を責めたいわけではありません。この竜が気にするみたいなので、空のときは留めてもらえますか」
男は鉄輪を揺らし、頷いた。
「荷を積んでりゃ鳴らんから、気にしてなかった。次から括るよ」
それで一つ決まった。大きな喧嘩をしなくても、音は減らせた。
隊長はミナの帰りを少しだけ延ばしてもらった。
洗濯場へは伝言を出した。本人が勝手に持ち場を離れたことにしないためだと、隊長は説明した。
「どの音で、どんな動きをしましたか」
ミナは最初、俺の方を見た。俺が頷くと、自分の言葉で話し始めた。
鉄輪が鳴ったときに首が上がり、次に前足が半歩動いた。木の車輪が鳴ったときは、目が向いただけだった。毎回そうかは分からない。
隊長は最後のところも書いた。
「確かめるために、もう一度大きな音を出す必要はありませんね。今後、自然に同じことがあったら記録しましょう」
俺はほっとした。竜をわざと驚かせて正しかったと証明するのは、やりたくない。
ガランが鉄輪を見に来た。布の結び目を見て、ミナへ尋ねる。
「これなら、濡れたときにも解けるか」
「端を引けば解けます。締まりすぎても、ここに指を入れられます」
ミナが見せると、ガランは自分でも触った。
「いいな。雨の日は乾いたのに替える。外したものを戻す場所も作ろう」
木箱の脇へ釘を一本打つことになった。使っていない布がそこへ掛かった。
ミナは帰りの籠を抱え直したが、まだ竜を見ている。
「近くで見るのは、初めてです」
「隊長の許可があれば、ここから見られますよ」
俺が言うと、隊長は安全な立ち位置を示した。
ミナは柵へ飛びついたり、手を振ったりしなかった。足を揃えて立ち、目の前の黒い背を見上げた。
「この布を、こんなに大きな身体に使うんですね」
驚いたのは爪でも牙でもなかったらしい。
「何枚も替える理由が、やっと分かりました」
俺は肩の手当てに使う布の大きさを手で示した。ミナはすぐ、今の幅なら二つ折りで余ると気づいた。
「端切れを捨てずに揃えておけば、その幅にできます。継ぎ目は肌に当たらない側へ寄せます」
隊長が頼めるかと聞くと、ミナは少し背筋を伸ばした。
「洗濯場の当番と相談します。私が縫う分なら、今日の仕事が終わった後でもできます」
「勤務時間の中でできるよう相談します。仕事が終わってから余分に働く約束は、今はしなくていいです」
ミナの肩が、目に見えて下がった。安心したのだと分かった。
◇
夕方、彼女はもう一度来た。
持っていたのは縫い終えた布ではなく、小さな紙だった。洗濯場で許可をもらい、しばらく午後の一部だけ、こちらを手伝えることになったという。
「まずは布の整理をお願いします。竜のいる囲いにはまだ入りません」
隊長が説明し、ミナが頷いた。
俺は棚の前を空けた。彼女は汚れ布の桶に印をつけ直し、濡れたものを密閉しない置き方を教えてくれた。
「熱が残ると匂いがこもるので、水を切ってからここへ置いてください」
俺は言われたとおりに置いた。世話を教える人間が来るのかと思っていたら、俺が教わっている。
途中で、俺は乾いた布をいつもの畳み方で重ねた。ミナがそれを取り、三つ折りに変えた。
「この畳み方なら一枚ずつ抜けます」
「崩れませんか」
「下から引かなければ崩れません。急いでいるときにも端が掴みやすいです」
俺は実際に一枚取ってみた。厚い指でも布の端がすぐ分かる。二枚一緒についてくることもない。
「今まで、全部広げて取り直してました」
「濡れた手で触る回数も減ります」
ミナは言ってから、俺の返事を待った。俺が畳み方を戻すのではないかと気にしているらしい。
俺は残りを彼女と同じ形に畳んだ。最初の二枚は幅が揃わなかったが、棚の端を目印にすると早くなった。
「こうですか」
「はい、その畳み方です」
声が少し明るくなった。布を畳むことなら、彼女は俺よりずっとよく知っている。俺が年上だというだけで、その手を止めさせる理由はない。
棚が片づくと、ミナは炭筆でシグの横顔を描いた。丸を重ねただけの俺の絵とは違い、鼻の曲がりと角の向きがよく分かった。
「上手ですね」
「洗濯物の持ち主を覚えるのに、顔を描くんです。名前だけだと間違えるから」
俺は手帳を開き、今日の音の記録を見せた。ミナが横へ竜の首の向きを描くと、どこを見たかが一目で分かる。
借りてもいいかと聞かれ、俺は手帳を渡した。大事なものだったので少し手が遅れたが、ミナは頁を折らずに、端をそっと押さえた。
「この絵の続きを、時々描いてもいいですか」
「助かります。俺が描くと馬も竜も同じになってしまうので」
ミナは笑いかけ、途中で遠慮したように口を閉じた。
「笑っていいですよ。俺にも区別がつきません」
今度は小さく笑った。
シグが鼻を鳴らしたので、二人で顔を上げた。竜は水を飲み終え、奥へ戻るところだ。荷車が外を通っても、鉄輪は鳴らなかった。
ミナはそれを最後まで見届けてから、籠を持った。
籠の持ち手には、朝はなかった白い布が巻かれている。俺がそこを見ると、彼女は指の赤い跡を隠しかけ、それから笑った。
「自分の籠の持ち手も直しました」
「その方が長く運べます」
俺は門を開けた。洗い物の数を記した紙を、風で飛ばさないよう籠の下へ挟んで渡した。
「また明日来ます」
「はい。待ってます」
俺がそう言うと、彼女は戸口でもう一度振り向いた。
初めてここへ来た日、俺も明日を尋ねられた。今日は、自分が誰かの明日を待つと言えた。




