第26話 まだ見ぬ青い竜のために
運搬業者の男は、帽子を両手で潰しながら話した。
「箱から出すときに、少し手間がかかるかもしれません」
隊長はすぐ返事をせず、机の上の送り状を見た。俺とガランも呼ばれていた。次に北へ来るのは、青い雌の成竜だという。
名はルリ。
紙には、扱いに注意、とだけ書かれている。
「どのような手間がかかるのでしょうか」
隊長が聞いた。
男は帽子を握り直した。前の移送では箱の戸を開けても出ず、後ろから人が近づくと激しく動いた。今回は途中の宿駅で様子を見たが、餌もあまり減っていなかったらしい。
「噛もうとするんですか」
俺が聞くと、男は首を傾げた。
「歯は見せます。ただ、人に向けていたのか、縄が嫌だったのかは分かりません」
分からないことを、分からないまま話してくれた。それは助かった。
俺は紙の端へ、歯を見せた、縄が近く、と分けて書いた。凶暴、と一言にしてしまえば、その後に見るものまで変わりそうだ。
「どんな箱ですか。戸はどちらへ開きますか」
ガランが尋ねた。
男は形を描いた。両側の板を外せるが、普段は後ろの戸から出す。床は厚い板で、下ろすための斜面をつける。中で向きを変える余裕はない。
俺は箱の中の竜を想像しかけ、やめた。見ていない身体の様子まで、分かったつもりにはなれない。
「これまで、どんなときに落ち着きましたか」
男は少し考えた。
「道中、布を掛けて人の姿が見えなくなったら動きが減りました。音を気にしていたかどうかは分かりません」
俺はそれも書いた。
まだ会っていない竜のために、最初にできるのは、分かっていることを少しずつ増やすことだ。
俺は紙の一番上へ、ルリ、と大きく書いた。扱いに注意という文字より先に、名前が見えるように。男はその字を見て、自分も道中ではそう呼んでいたと言った。俺たちのところへ来る前から、その名で呼ばれている生き物なのだと、改めて思った。
◇
ルリを迎える囲いは、シグから一つ離れた場所になった。
隣同士にすれば世話は楽だが、初めて会う成竜同士を、いきなり鼻先の届くところへ置かない。隊長とリーネがその位置を決めた。
俺たちは床を洗い、乾いたところへ藁を敷いた。厚すぎると足を取られ、薄すぎると滑る。ガランが板の端を確かめ、浮いていた釘を打ち直した。
ミナは布の仕切りを運んだ。
「全部隠しますか」
「隠れられる場所だけでなく、外を見て確かめられる場所も残したいです」
俺はそう答え、隊長に確認した。シグにしたことをそのまま全部当てはめるのではなく、ルリが選べる余地を作りたかった。
水桶は一つに決めず、置ける場所を二つ空けた。最初は輸送箱に近い側。飲まなければ、邪魔にならない範囲で位置を変えられる。
俺は桶を持って、箱を下ろす場所から囲いまで歩いた。
途中に、門の柱が一本張り出す。
人なら身体を横へすれば通れる。だが大きな竜が怖がって向きを変えようとしたら、肩をぶつけるかもしれない。
「箱をもう少しこちらへ向けられませんか」
ガランは地面へ線を引き直した。斜面の先がまっすぐ囲いへ向く。人が立つ場所は狭くなったが、人の方は柵の外へ回れた。
「人が見やすい置き方だったな」
彼が言った。
「出てくる竜からどう見えるかは、考えていませんでした」
俺は頷いた。
箱が来る前なら、線は何度でも引き直せる。
◇
午後、ラウルが隊長のところへ来た。
俺は桶を洗っていて、声だけを先に聞いた。先日の見学とは違い、正式な書類を持っているらしい。
「今度来る竜の騎手候補に志願し、こちらで訓練を受けるよう言われて来ました」
隊長は書類を読み、俺も小部屋へ呼んだ。
ラウルは俺を見ると、わずかに顎を上げた。前のことを謝る言葉はなかった。
俺も、彼の態度を今すぐ変えようとはしなかった。目の前には、明日来る竜の図がある。
「まずは竜を受け入れる準備から始めます」
隊長が言った。
「騎手に決まったわけではありません。身体の状態と、竜が人に慣れるまでの様子を見ます」
「承知しています。乗れるようにしてみせます」
ラウルの返事は早い。
隊長は紙を机へ置いた。
「明日の仕事は、乗ることではありません」
少し間ができた。
ラウルは頷き直したが、目は装具棚へ向いている。新しい竜に最初に乗れば、手柄になると思っているのかもしれない。俺にはその考えまでは分からない。ただ、質問が鞍と飛行に寄っていることは分かる。
「箱の戸を開けるのは、誰ですか」
俺は運搬の図を示した。
ラウルがこちらを見る。
「俺が開けてもいい」
「竜の進む所へ立たないよう、戸を開けた後にどこへ下がるかを先に決めます」
「怖がらせなければいいんだろう」
「何を怖がるのかはまだ分かりません」
俺は紙へ指を置いた。
「だから、驚いたときにも逃げられるように道を空けておくんです」
ラウルは図を見た。俺ではなく、線を見て考えてくれるなら、それでもいい。
◇
受け入れの役割を確かめるため、空の荷車を使った。
運搬の男が戸の位置を示し、隊長が指示を出す。ガランは斜面の固定を見る。俺は竜が出た後の通路と水。ラウルは外側の柵を閉じる役になった。
「竜が通り終わる前に柵を閉めないでください」
俺が言うと、彼は不満そうだった。
「それくらい分かる」
俺は頷き、実際に歩いてみた。箱から出る者のつもりで、ゆっくり進む。ラウルは俺が通ったところで柵を閉めようとした。
ガランが杖を上げた。
「尾がまだ後ろにあるぞ」
ラウルの手が止まった。
俺の身体を竜に見立てても、長さは同じではない。ミナが長い縄を持ち、俺の後ろへ伸ばした。尾まで出たと考える位置が分かるようになった。
もう一度やる。
今度は、ラウルが最後の縄を見届けてから柵を閉めた。勢いよく当てず、静かに留め具を落とす。
「そのタイミングです」
隊長が言った。
ラウルは返事をし、手を離した。目立つ仕事ではないが、通るものを見て待つ必要がある仕事だ。
俺は彼が閉めた柵を確かめた。問題はない。
「これなら竜が通った後で、きちんと柵を閉められます」
俺が言うと、ラウルは少しだけこちらを見た。礼を言われたと思ったのか、ただの確認だと思ったのかは分からない。
俺は次の斜面を見に行った。
運搬の男が帰る前に、俺は箱をいつ引き上げる予定か聞いた。
「箱を下ろしたら次の荷を積みます。空箱は使いませんが、車は必要なんです」
俺は隊長を見た。竜が出るまで待つと言っても、運ぶ人には次の仕事がある。そこを知らずに待ってくれと頼めば、明日になって急がせる理由ができてしまう。
「箱を一晩、置く場合の費用を教えてください」
隊長が言った。
男は驚いた顔をした。追加の手間を黙って飲み込ませる話ではないと分かると、車だけ先に戻し、箱は後で回収する方法も話してくれた。下ろすための人数は必要だが、竜を慌てて追い出すよりはよい。
隊長はその条件を紙へ書き、運搬所へ確認してもらうことにした。今日中に返事を届けると男は言った。
「こちらも、無理に出して怪我をさせたくはないんです」
帽子を被る手が、来たときより落ち着いている。
俺は門まで送り、道中で休んだ場所と、水を替えた時刻を聞いた。男は指折り思い出し、分からないところは同行の者へ確かめると答えた。運ぶ人の仕事にも、俺たちがまだ聞けていないことがある。
◇
夕方、囲いの床は乾いている。
ミナが運んだ布は片側を隠し、もう片側からは外の光が入る。水桶は空のまま、明日の朝に新しい水を入れることになっていた。
俺は戸口へ立ち、少し腰を落とした。竜の目の高さとは違うが、人が通路へ立つとどう見えるかだけでも確かめたかった。
白い壁に、道具の影が大きく映っている。
俺は吊っていた長い鉤を棚の内側へ移した。影が消え、壁が広くなった。これが役に立つかどうかは、明日ルリを見なければ分からない。
ガランが水場から戻ってきた。
「気になるか」
「どんな竜なのかまだ分からないので、気になります」
「ただ分からんと待つより、何が分からんのか確かめて迎える方がいい」
彼は床へ残った線を一つ消した。使わなくなった古い置き場所の線だった。明日、迷わないために。
俺は手帳を閉じた。準備の欄は増えたが、ルリの好みはまだ一つも書けていない。
シグの前を通ると、黒竜が鼻を寄せた。俺は短く撫で、明日もおまえの世話をすると声をかけた。新しい竜が来るからと、今いる竜の一日を空けるわけにはいかない。
明日の水桶は、ひとつ増える。
俺はその重さを思い浮かべ、当番表の名前をもう一度確かめた。




