第25話 待っている方へ
第三馬厩への二度目の応援は、夕方の手順を見るためだ。
朝の仕事は二人で回り始めていたが、訓練から戻る馬が重なると、洗い場が詰まるという。俺は北の当番を代わってもらい、決めた半日だけ向こうへ行った。
若い馬丁たちは、止まった場所を紙へ残してある。
馬を待たせる場所。濡れた馬具を置く台。水桶を洗う順番。
俺が着くと、質問が三つ出た。困っていることが分かる言葉になっていたので、以前より話が早い。
洗い場の横へ空いた場所を作り、戻った馬の順番を騎士にも伝えた。一度に三頭を入れず、一頭ずつ。待つ間に確認できることは外で済ませる。
最初の馬が洗い場から出たとき、二頭目の騎士がそのまま入ろうとした。若い馬丁が手を上げた。
「床の水を流すので、少しだけお待ちください」
声は前に会った日より大きい。騎士は馬の手綱を持ち直し、その場で待った。もう一人の馬丁が長い板で水を溝へ押し、泥の塊を取り除く。
俺は空いた桶を運ぼうとして、手を止めた。二人はそこも分けていた。水を流した者が桶を替え、待たせている馬を見る者は、その間も顔を向けたままにする。馬の注意を手放す時間が短くなった。
二頭目が入る。さっきまでは戸口で首を振っていた馬が、空いた場所を見て静かに進んだ。
「ここに濡れた鞍を置くと通れなくなるんですね」
若い馬丁が自分で言い、別の台へ運んだ。俺が朝から全部教えたことではなかった。動いてみて、自分たちで見つけた箇所だった。
俺は紙にその変更を書いてもらった。次に困ったとき、最初の手順を守れなかったと考えるのではなく、何を変えたか分かるように。二人は頷き、濡れた指を拭いてから筆を持った。
俺が帰る時刻になっても、作業はまだ残っている。
「ここからは二人でやってみます」
若い馬丁が言った。
俺は頷いた。手を出せば早い箇所はいくつも見える。それでも、彼らが自分たちで続ける時間を取らずに帰れば、俺はまた全部をして帰るだけになる。
オーデンには、配置の返事はまだ待ってほしいと伝えた。彼は短く息を吐いたが、俺の持ち帰る袋へ手を伸ばすことはなかった。
裏戸を閉め、北へ向かった。
空には夕方の薄い雲があり、道の石はまだ昼の熱を持っている。新しい長靴で歩くと、往復の疲れはあっても、踵の痛みは少ない。
俺は懐の鍵を確かめた。
◇
北の門が見えたところで、重い声が聞こえた。
シグだ。
普段、顔の近くで聞く鼻息とは違う。厩舎の奥から門まで届く、低く長い呼び声。俺は足を速めかけ、途中で戻した。駆け込むほどの騒ぎではない。門番も慌ててはいない。
「お帰りなさい。今日はよく門の方を見ています」
門番が言った。
「何か気になる音でもしたんでしょうか」
「いつもの荷車くらいです」
俺は通路へ入った。シグは柵の近くに立ち、顔をこちらへ向ける。水桶には水があり、寝床も乾いている。ミナとガランが世話をしてくれた跡が見える。
俺を見つけると、黒い首が伸びた。
「ただいま」
俺は道具袋を下ろした。
シグは俺の上着を嗅いだ。馬の匂いがついているのだろう。鼻先が胸から袖へ動き、少し強く息を吐く。
「向こうの馬を見てきたんだ」
言葉が分かるわけではない。それでも説明したくなった。
俺は青い刷毛を鉤から取った。シグが額を下げる。待っていたものを見つけたような動きだ。
掌へ頭の重さが来た。
俺は足を踏み直し、逃げ道を塞がない位置で受け止めた。大きな竜を胸で抱えるような真似はできない。ただ片手を添え、もう片方で短く払う。
シグはいつもより長く、そこにいた。
俺がいない間、餌を食べなかったわけでも、水を拒んだわけでもない。それを聞いて安心したあとに、俺が帰るのを待っていたらしいことが、じわじわ胸へ入ってきた。
世話ができる人は、ほかにもいる。
その上で、俺を待ってくれる生き物がいる。
◇
トトの部屋へ行くと、ミナが記録を揃えていた。
幼竜は敷物の端へ顎を載せ、俺を見ると一度鳴いた。前足が動き、皿の来る方を見たので、俺は笑った。
「俺が来ると、餌だと思うのか」
「さっき食べました。追加はありません」
ミナがすぐ言った。
「はい。分かりました」
俺が真面目に返事をすると、彼女も笑った。
記録には、今日の餌と水、眠った時刻が並ぶ。途中で敷物を一枚多く替えた理由も書いてある。俺がいなくても、見た人の言葉が残っている。
「何か困ったことはありましたか」
「水皿を前足で押したので、台の端から少し戻しました。それから、ガランさんが囲いの掛け金を調整しました」
俺は掛け金を動かした。引っかかりがない。いつもより軽く閉まる。
ガランが部屋の外から顔を出した。
「戻ったか。おまえの当番が始まるまで、まだ少し時間があるぞ」
「手伝います」
「荷物を置いて、手を洗ってからだ。向こうの藁が袖についてる」
俺は自分の袖を見た。栗毛の短い毛が一本ついている。
払って、手を洗う。ここへ戻った身体に、ここの仕事を始める順番がある。
ミナは帳面を俺へ渡し、今日の自分の欄を指した。
「ここまでは終わっています」
「助かりました。落ち着いて向こうを見られました」
彼女はその言葉を聞いて、少し肩を伸ばした。留守番の仕事が、俺の仕事も助けていたと分かったのかもしれない。
◇
夕食のあと、隊長が小部屋で待っていた。
第三馬厩の状況を聞くためだった。俺は二人の馬丁が自分で質問をまとめたこと、洗い場の順番を変えたことを話した。
「二人で続けられそうですから、次は少し間を空けて様子を聞けると思います」
俺が言うと、隊長は頷いた。
「応援は、役に立ちましたね」
「はい」
言い切れたことに、自分で少し驚いた。全部直ったわけではない。それでも何をしたかと、その後誰が続けるかは分かる。
隊長は机の上の紙を揃えた。
「どちらで働きたいか、考えられましたか」
俺は両手を膝へ置いた。
「まだ決められず、返事を待ってもらっています」
「分かりました」
彼女は急がせなかった。紙を閉じ、窓の外を一度見た。シグの囲いの灯りが、廊下の壁へ薄く映る。
「その前に、私の希望も伝えさせてください」
俺は顔を上げた。
「ダグさんには、ここにいてほしいです」
胸の中が静かになった。
隊長は続けた。
「シグが懐いているからだけではありません。分からないことはそう言って相談し、変だと思えば止めてくれる。ミナやガランが気づいたことも世話に取り入れてくれる。そういうダグさんに、ここで働いてほしいんです」
俺は返事を探した。
必要だから戻れという言葉は、何度も聞いた。ここにいてほしいと、何をしている俺なのかまで言われたことは、ほとんどなかった。
「もし俺が他へ行くと言ったら、どうしますか」
自分でも意外な問いだった。
隊長は少し考えた。
「困ります。でも、私が困るからといって、あなたの選ぶ自由を奪うつもりはありません。そのときは引き継ぎを相談します」
俺は息を吐いた。
いてほしいという言葉が、扉を閉める鍵ではない。俺が持っている鍵と同じで、入るかどうかを自分で決めるためのものだ。
「ありがとうございます」
俺は言った。
「ちゃんと考えて返事をします」
隊長が頷いた。その顔を見て、返事を急がずに待ってもらえることにも、重みがあると思った。
席を立つとき、彼女は明日の飛行予定を渡した。配置の返事がまだでも、俺が朝に確かめることは変わらない。返事をするまで仕事を外されることも、試すように特別な仕事を増やされることもなかった。俺は予定を受け取り、明日の自分の欄へ目を通した。
◇
部屋へ戻る前に、シグをもう一度見た。
黒竜は横になっていた。俺が戸口へ立つと片目を開き、鼻から短く息を出す。
「今日は、よく働いたな」
俺は竜へ言った。それから、飛んでいない日なのにと思い直した。
シグはただ、食べて、休み、俺の帰りを待っていた。その一日が、俺にはずいぶん大きかった。
近づいて撫でることはせず、眠りへ戻るのを見た。鼻先が藁の上へ下り、目が閉じる。
俺は廊下の灯りを一つ落とした。
懐には鍵がある。明日の当番は、表に書かれている。ここにいてほしいと言った人は、返事を待っている。
第三馬厩の馬たちも、忘れたわけではない。
ただ、心配する相手が別の場所にいることと、自分が毎晩どこへ帰るかは、同じでなくてもよいのだろう。
◇
俺は自室の戸を開けた。
窓辺に置いた杯へ水を注ぐ。誰かへ先に届けるための水ではない。乾いた喉へ飲み込み、椅子へ座ると、今日歩いた道の長さが脚に戻ってきた。その疲れを、ここで休めていいと思えた。
机に置いた紙の上へ、自分の名前を書く場所を空けたまま、今夜は灯りを消した。




