↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
万年馬丁のおっさん、配置換えで竜厩舎に回されたら王国中の竜が俺にしか懐かなくなった ~騎士様が頭を下げに来るけど、俺はただ世話をしてるだけです~  作者: さくらろ
第3部 戻らなくていい

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/30

第24話 笑わなかった人

 第三馬厩から、返事と空の布袋が届いた。


 返事には、朝の作業が前より早く済んだこと、水の場所を変えた老馬が飲んだことが書かれている。最後に小さな字で、腹帯も見ています、とある。


 俺はその行を指で押さえた。


 空の布袋は、俺が向こうへ置いてきたものだった。届けに来たのは、昔一緒に働いていた二人の男だった。ひとりは馬具の手入れ、もうひとりは飼料の倉庫を受け持っていた。


 顔を見れば名前も、よく使う道具も思い出せる。けれど、休みの日に何をしているのかは知らない。長く隣にいても、仕事以外の話はあまりしなかった。


「北を一度見たいと思ってな。見学の日は今日だと聞いた」


 馬具係が言った。


 門番が予定を確認し、俺は小部屋へ案内した。二人とも、第三馬厩の戸を入るときより少し足取りが慎重だ。


「広いな。おまえには持て余すくらいだろう」


 倉庫係が梁を見上げた。


 俺は台の上を片づけ、椅子を出した。


「皆で使っています。広いので、移動の順番を決めないと手が足りません」


「竜が二頭なら、馬十七頭より楽そうだが」


 俺はトトの部屋の方を見た。小さくても夜に起きる。餌も水も、馬の手順とは違う。説明しようとして、まず座ってもらった。


 長い間、俺は相手の言い方を聞いてから、どこまで言うか決めていた。今日は、見に来たなら見てもらえるものがある。


 古い鞍を見せると、馬具係は黙って指を入れた。


 壊れた芯の出方を確かめ、新しいものとの違いを尋ねる。俺は職人が直した箇所を示した。専門の話になると、彼の目がよく動く。


「人が乗ると縫い目が中へ入るから、横へ逃がしたのか」


「はい。鞍を合わせたとき、シグが足を引いたので気づいたんです」


「そういう具合の悪さは、座ってみないと分からないな」


 彼は頷いた。俺が大した仕事をしたかどうかより、鞍の具合を知ろうとしている。その顔は、昔、隣の台で見たものと同じだった。


 倉庫係は夜番表へ目を向ける。


「誰が何時に寝るかまで、ずいぶん細かく書くんだな」


「全員が起きている晩が続いたので、起きる人と休む人を両方決めることにしたんです」


「前は、おまえが全部見てたじゃないか」


 俺は頷いた。


「今は皆で分担しています」


 それだけ答えると、彼は少し拍子抜けした顔をした。


 前と同じようにできるだろう、と続けたいのかもしれない。俺はその言葉を待たず、洗った布の棚を見せた。ミナが仕事で手を離せないので、俺が説明した。


 油布と手当て布を分ける。濡れたものは別の桶へ。晴れの日と雨の日で干す場所を変える。


 倉庫係は途中で、これは洗濯場へ任せればよいのではと言った。


「洗濯場の人に教わったやり方です。こちらで分けておくと、向こうで洗い直す手間も減るんです」


 彼は棚の印を見直した。


 俺が全部考え、全部する話ではない。それを一つずつ話すと、北の仕事の形が、自分にも前よりよく分かった。


 倉庫係は棚の奥に並んだ袋へ目を留めた。口の結び方が二種類ある。開封したものと、まだ開けていないものを分けるためだと話すと、彼は近づいて確かめた。


「字がなくても分かるのか」


「暗い朝でも結び目に触れば分かります。ただ、最後は中身の匂いと状態も見ます」


 彼は自分の倉庫では、印を墨で書いていると言った。雨で滲むことがあるので、結び方も変えてみるらしい。俺は予備の紐を渡し、解くところまで見せた。


 そのあいだ、馬具係は古い鞍の帯を畳み直した。革に癖がつかない向きへ巻き、端を下へ挟む。俺が礼を言うと、彼は少し驚いた顔をした。


「手が空いたから、しただけだ」


「次に見せるとき、取り出しやすくなりました」


 彼はもう一度、巻いた帯を見た。俺たちは昔も同じ台で道具を触っていた。そのときには、互いがした小さなことを、ほとんど言葉にしなかった。


◇


 シグを見せたとき、二人は言葉をなくした。


 煤色の頭が柵の向こうへ現れ、鼻息で床の藁が転がる。倉庫係が反射的に後ろへ下がった。俺は笑わず、その場所でよいと伝えた。


 青い刷毛を持つと、シグが顔を寄せた。


 俺はいつものように払った。額が下がり、掌へ重さが来る。今日は長く預けず、竜はすぐ水の方へ行った。


 馬具係が息を吐いた。


「馬の世話をしていたときと、手つきが同じだな」


 俺は自分の掌を見た。


「そうですか」


「耳の後ろを触る前に、一度止まるだろう。栗毛にも、そうしてた」


 覚えている人がいる。


 俺は少し顔を上げた。褒められたというより、昔の俺がそこにいたことを、誰かが見ていたのが分かった。


 倉庫係が口を開いた。


「給料も上がったと聞いたぞ。竜のおかげだな」


 俺は刷毛を布へ包んだ。


「上がりました。嬉しかったです」


「前は、文句も言わず働いてたのにな」


 その言葉には、笑いが少し混じる。


 俺は布の端を整えた。昔なら一緒に笑ったかもしれない。文句がない男でいるのが、一番波風を立てなかった。


「文句がなかったのではなくて、言い方が分かりませんでした」


 顔を上げて答えた。


「水を運ぶ台が欲しいと言ってもいいことも、眠る時間を先に決めていいことも、ここで教わりました」


 倉庫係は口を閉じた。


 俺は彼を責める言葉を続けなかった。今日見てもらったものだけで、俺がどちらの暮らしを望んでいるかは分かると思う。


◇


 帰り際、馬具係が一人だけ足を止めた。


 倉庫係は先に門へ行っている。彼は俺の布袋を両手で持ち、なかなか渡さなかった。


「おまえが若い騎士にああ呼ばれていたこと、俺も知っていた」


 俺は動かなかった。


「俺は笑わなかったから、それでいいと思っていた」


 厩舎の中から、空桶を置く音がした。ミナが片づけをしている。いつもの音なのに、急に遠く聞こえる。


「止めなかった。聞こえてたのに、革を見てるふりをした」


 彼は足元へ目を落としかけ、それから顔を上げ直した。


「言い返さないから慣れていて、もう気にしていないんだろうと思っていた」


 俺は口の中が乾くのを感じた。慣れてはいた。次に何を言われるか分かるほど、慣れていた。だから先に袖を隠し、邪魔にならない場所へ退いた。そのことが、平気に見えていたのだ。


「俺も、何も言いませんでした」


「だからといって、何も言わなかったおまえが悪いとは思わない」


 彼の声は低い。


「まず、聞こえていたのに止めなかったと伝えたかった」


 俺は彼の手を見た。革の染みのついた指が、袋の端を折っている。綺麗な言葉だけを持ってきたのではなく、言いにくいことを言うために残ったのだと、その手で分かった。


 それでも、すぐに昔と同じ顔で話せるわけではない。俺は息を一つ置いた。彼は待っていた。


 彼は袋を差し出した。


「悪かった」


 俺は受け取った。


 大したことではなかったと言えば、彼は楽になるだろう。もう気にしていないと言えば、この話は綺麗に終わる。


 けれど、そう言う気持ちはない。


「聞いていたんですね」


「聞いていた」


 彼は目を逸らさなかった。


 俺は袋の口を指で開き、閉じた。


「今いる二人が何か言われたら止めてもらえますか。遅いからと、仕事を全部一人に押しつけることもしないでください」


 彼は頷いた。


「止める。手順が変わったところも、俺から話す」


「お願いします」


 俺はそれだけ言った。


 許したのかどうか、自分でも分からない。だが、これからしてほしいことは言えた。昔のことを無かったことにするより、今の俺にはその方が必要だ。


 彼は頭を下げ、門へ歩いた。


 途中で一度戻り、朝の手順の写しを一枚もらえるかと聞いた。俺は棚から出して渡した。自分の受け持ちではないから知らない、と次は言わずに済むようにするのだという。紙を折る彼の手を見て、謝った後にすることを、自分でも考えてくれたのだと思った。


◇


 小部屋へ戻ると、ミナが椅子を寄せていた。


「片づけは、あと台を拭くだけです」


 彼女は俺の顔を見たが、話した内容を尋ねなかった。俺は布袋を棚へ置き、もう一枚の布を取った。


 二人で台を拭いた。隅に残った木屑が、湿った布へつく。窓から入る光の中で、小さな埃が舞う。


「昔の俺の仕事を見ていた人もいたようです」


 俺はぽつりと言った。


 ミナは手を止めずに聞いた。


「でも、見ていたことを言ってもらえなかったんですね」


「はい」


 俺は頷いた。


 見ていることと、言葉にすることは違う。今日、腹帯を見ていると書いた若い馬丁の字が、どれほど俺を安心させたか思い出した。


 俺はミナの拭いた台を見た。


「きれいになりました。次の人も、すぐ使えます」


 彼女がこちらを向き、少し笑った。


 思ったことを、その場で言う。俺にも、今からできる仕事がある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。