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万年馬丁のおっさん、配置換えで竜厩舎に回されたら王国中の竜が俺にしか懐かなくなった ~騎士様が頭を下げに来るけど、俺はただ世話をしてるだけです~  作者: さくらろ
第3部 戻らなくていい

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第22話 足のために払う金

 右の長靴を脱ぐと、靴下の踵だけ色が濃い。


 雨は降っていない。井戸の水を少し踏んだだけだ。それでも底の継ぎ目から入り、歩くあいだに足へ馴染んでしまった。


 俺は部屋の窓辺で靴下を絞り、長靴を逆さにした。


 前なら、蝋で塞いで明日も履いた。今も蝋はある。道具袋の端に、小さくなった塊が布に包んで入っている。


 手を伸ばしかけて、給料袋が目に入った。


 新しいものを買える。


 そう考えたのに、すぐ店へ行こうとは思えない。古い靴も、完全に履けなくなったわけではない。晴れた道なら歩けるし、底の外側はまだ残っている。


◇


 翌朝、ガランに見つかった。


 水場で片足を浮かせ、靴下の位置を直していた。彼は俺の長靴を見て、何も言わず指を差した。


「裏を見せろ」


 俺は壁へ手をつき、足を上げた。ガランはしゃがまず、俺が台へ足を載せるのを待った。


「底が斜めに減っている。漏れるところだけ塞いでも、歩き方は戻らん」


「まだ履けます」


「履けることは見りゃ分かる。痛いかと聞いてる」


 聞かれてはいなかったが、答えは分かる。


「踵が少し痛みます」


 ガランは杖の握りを持ち直した。


「今日は買いに行け。俺も用事があるから、店まで付き合う」


 断る言葉が浮かんだ。仕事がある。前の馬厩のことも考えなければ。けれどガランは、午後の当番が誰かまで確かめていた。


「道具は直せても、足を傷めたら困るだろう。足を守る靴に金を使うのは贅沢じゃない」


 俺は長靴を台から下ろした。着地した踵が痛い。


◇


 靴屋は、俺が普段通る道の一本向こうにある。


 店先には新しい革の靴が並び、窓の中に飾られた長靴は、俺の給料袋より高そうに見える。戸を開ける前に、俺は値札を探した。


「飾ってあるものばかり見なくていい。こっちだ」


 ガランは隣の作業口へ回った。中では職人が底を縫っている。椅子の横に革の端切れが積まれ、熱い蝋の匂いがする。


 俺は少し安心した。綺麗な品物だけを並べた場所より、作っている手が見える方が入りやすい。


 職人は古い長靴を見て、修繕かと尋ねた。


「新しいものを探しています」


 言うだけで、喉が少し固くなった。


 職人は頷き、まず履いているものを脱ぐよう言った。俺は靴下の踵を隠そうとしたが、見せなければ分からない。


 踵には赤く擦れたところがあり、小指の外側は硬くなっている。職人は指で押さず、足を板へ置いて形を取った。


「水場で使うのか。泥は深いか」


「井戸と厩舎です。重い桶を持って歩きます」


「走ることはあるか」


「できれば、走らなくて済むようにしています」


 職人が笑った。馬丁だったこと、今は竜厩舎にいることを話すと、笑顔が少し驚きに変わったが、聞くことは変わらなかった。


 屈む回数。床が石か土か。靴下の厚さ。働き終えるころ、足がむくむか。


 俺の仕事を、足から聞かれている。


 職人は左右を別々に測った。俺が同じ幅でいいと言うと、板に写した線を並べた。右の方が、わずかに外へ張り出している。


「同じ幅の靴では、片方だけ窮屈だったんだろう」


 彼は古い長靴の中へ手を入れ、底を確かめた。俺が入れた薄い革が、つま先へ寄って固く重なっていた。隙間を埋めれば楽になると思って入れたものだ。最初の数日はよかった。だが少しずつずれ、また違う場所を庇って歩くようになっていた。


「よく直して使ってる。だが、今の足の形とは合わなくなったな」


 下手な修繕だとは言われなかった。直したことは認められ、その上で替える時期だと言われたので、俺は素直に頷けた。


 ガランも自分の靴を見せた。左右で底の減り方が違う。職人は杖を使う側を確かめ、踵の補修を提案した。ガランは値段を聞き、日を決めた。自分の脚のために金を使う話を、隠しも遠慮もしなかった。


 最初に出された一足は、艶の少ない茶色だ。


 飾りも金具もない。丈夫そうな底と、足首のところだけ少し柔らかい革。俺は手で持ち、古い長靴より重いのに戸惑った。


「重く感じるか。履いて歩いてみろ」


 椅子へ座り、足を入れた。


 踵が、変な場所へ滑らない。


 立ち上がると、床が近くなった気がした。底は厚いはずなのに、足が中で迷わない。俺は三歩進み、振り向いた。


「どうだ」


 ガランが聞いた。


「まだ分かりません」


「それでいい。もっと歩け」


 店の端から端まで歩いた。途中でしゃがみ、空の桶を持つ姿勢を取る。足首の前が少し突っ張ったので、職人へ伝えた。


 彼は別の幅のものを持ってきた。二足目は足首が楽だったが、小指の方が余る。三足目は、その中間だった。


 俺は二足目で十分ですと言いかけた。何度も出してもらうのが悪いと思ったからだ。


 ガランが俺の顔を見た。


「毎日履く一足を選ぶんだ。もう少し試してみろ」


 俺は三足目へ足を入れた。


 立ち、歩き、屈む。さっき気になった場所が気にならない。何かが劇的に起きるのではなく、足を使っていることを忘れられる瞬間がある。


「これがいいです」


 俺は言った。


 職人は俺を少し待たせ、棚から同じ形の片方を取り替えてきた。


「縫い目の端が硬い。履き始めに当たるかもしれんからな」


 俺には見分けがつかない。彼は指でなぞる場所を見せ、俺にも触らせた。確かに、端の一箇所だけが指へ引っかかる。


 俺が何度も試して悪かったと言うと、職人は、戻ってきて足に合わないと言われる方が困ると答えた。


 その声を聞いて、俺はシグの鞍合わせを思い出した。外から綺麗に見えても、使う身体が嫌なら直す。俺の足にも、同じだけ確かめる手間をかけてよかった。


 職人は頷き、手入れの油と、濡れた日の乾かし方を説明した。火へ近づけすぎると革が硬くなる。泥は乾ききる前に落とす。中へ紙や乾いた布を入れるなら、詰めすぎない。


 俺は手帳を開いて書いた。竜の肩の記録の後ろに、長靴のことが並んだ。


 値段を聞くと、やはり安くはなかった。


 俺は銀貨を出し、掌の上で数えた。これを渡せば、袋は軽くなる。果物のパンを買ったときとは違う額だ。


 古い長靴を見た。革の皺は俺の歩き方そのもので、側面の継ぎ当ても自分でしたものだ。まだ使える気が、最後まで残った。


「古い方も持って帰っていいでしょうか」


「もちろん。だが水場で使うなら、新しい方を履けよ」


 職人は二足を取り違えないよう、古い方を紙へ包んだ。


 俺は銀貨を台へ置いた。


 数えた分だけ、金が手を離れた。


 その代わり、新しい長靴が俺の足に残った。


 店を出ると、石畳の継ぎ目がさっきと違って感じられた。踵へ尖ったものが当たらない。足首を庇わずに歩くと、腰の捻りも少なくなった。


 ガランは杖をつき、いつもの速さで歩いた。俺もその隣へ並んだ。


「似合いますか」


 聞いてから、自分で少し笑った。作業靴に似合うも何もないかもしれない。


 ガランは下を見た。


「真っすぐ立てるようになったな。よく似合ってる」


 俺は足元を見ず、少し先を見て歩いた。


 角を曲がるときにも、右の踵を先に浮かせなくてよかった。長く続けた癖なので、身体はまだ同じ動きをしようとする。俺は一度立ち止まり、両足へ同じように体重を置いた。痛みを避けるための小さな工夫が、一つ要らなくなっている。


◇


 翌朝、水場には昨夜の洗い水が残っていた。


 俺はいつものように避けようとして、足を止めた。新しい靴を最初から泥へ入れるのは、少し惜しい。


 ミナが桶を運んできた。


「新しい長靴ですね」


「はい。昨日買いました」


「水は入らなくなりましたか」


 彼女の質問は、飾りが綺麗かどうかではなかった。


 俺は浅い水へ一歩入った。底に泥がつく。足の指には、冷たさが来なかった。


「入りません」


 言うと、ミナは嬉しそうに頷いた。


 桶を持ち上げ、歩く。重さは昨日までと変わらない。水の量も、道の長さも同じだ。違うのは、足の中が乾いていることだ。


 シグの水を替え終えてから、俺は一度腰を伸ばした。踵の痛みを先に気にせず、竜の目を見る余裕があった。


 青い刷毛を出すと、シグは新しい革の匂いを確かめるように首を下げた。俺は靴へ口を寄せられない距離を保ち、顔の方へ刷毛を見せた。


「これは俺のだ。おまえの玩具じゃない」


 竜は鼻を鳴らし、いつもの場所へ顔を戻した。


◇


 夕方、部屋へ帰って靴を脱ぐと、靴下は乾いている。踵の赤みも、朝より広がっていない。


 俺は古い長靴の包みを棚の下へ置き、新しい方の泥を落とした。今日使った分を、明日も使えるようにする。よく知っている仕事だ。


 ただ、その世話をする相手が、今日は俺自身の足だ。


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