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万年馬丁のおっさん、配置換えで竜厩舎に回されたら王国中の竜が俺にしか懐かなくなった ~騎士様が頭を下げに来るけど、俺はただ世話をしてるだけです~  作者: さくらろ
第2部 名前で呼ばれる

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第19話 何があれば楽になりますか

 王女の使いが持ってきた質問は、紙一枚に収まっている。


 竜は何を食べるのか。誰がいつ世話をしているのか。今の道具で困ることは何か。


 最後の行で、俺の目が止まった。


 必要なものを、優先する順に。


 俺は筆を持ったまま考えた。新しい桶は欲しい。水場の台もあれば楽になる。夜番がもう少し増えれば、隊長が書類のあとに眠らず見回る晩も減る。


 けれど、どれを先に書けばよいのか分からない。欲しいものを並べすぎれば、来たばかりなのに要求の多い男と思われるかもしれない。


 何も書けずにいると、ガランが覗き込んだ。


「紙が綺麗なままだな」


「今の道具と人数でも仕事はできているので、何を頼めばいいのか迷います」


「できるかどうかを聞いているのか」


 俺は質問を読み直した。困ること、必要なもの、とある。


 ガランは水場を指した。


「昨日、桶を持ち上げるとき、腰へ手をやったな」


「少し腰が固まっただけです」


「それを書けばいい。痛いときでもできる、と書き足す必要はない」


 俺は紙に、井戸から水を移す台、と書いた。書いてみると、欲深い言葉には見えない。今、腰で埋めている高さの分を、木の台へ頼みたいだけだ。


 紙の上に一つ書けると、次を考える余地ができた。俺は要求を小さく見せるために字まで小さくしていたことに気づき、行を改めて書き直した。読む人が苦労するほど縮めても、木の台に必要な幅は変わらない。


 次に、布を乾かす場所を書いた。ミナが来ると、雨の日には食堂裏も塞がると教えてくれた。晴れた日しか見なければ分からないことが、紙の上へ増えた。


◇


 王女が再び来たのは、数日後の午後だった。


 今度は最初から小部屋へ座り、手袋を二つとも従者へ預けた。俺とガラン、ミナの前には質問の紙がある。


「今日は、竜の前で話し込まないようにします」


 彼女はそう言って椅子を引いた。


 俺は水桶を空のまま持ってきていた。なぜこんなものを王女の前へ置くのか、門番に少し驚かれたが、紙だけでは説明しづらかった。


「この縁まで水を入れて、ここから持ち上げて大桶へ移すんです」


 俺が動作を見せると、王女が立ち上がった。


「空の桶なら持ってみてもよいですか」


「はい、取っ手のここを持ってください」


 王女は両手で持った。空でも木は重い。すぐ膝が少し曲がった。


「水が入ればもっと重くなるんですね」


「はい。水の入ったものを持つのは、今はやめておいた方がよいと思います」


「そうします」


 彼女は無理をせず台へ戻した。立派な人ほど何でもできるところを見せるものだと思っていたので、できないことをそのまま置く姿は意外だ。


 ガランが台の図を広げた。先日の役人が描いた案を、現場の幅に合わせて写したものだ。


 王女は値段を聞いた。ガランは木材と工賃を分けて答え、正確な額は職人に見積もってもらう必要があると言った。


「私がよいと思うだけで、支出は決まりません。けれど、何のために必要かを説明する材料にはできます」


 王女は紙へ印をつけた。


 すぐに台ができるわけではない。それでも、俺の腰の痛みが、誰かの前で木材と工賃の話になった。


 ミナは布の束を二つ出した。乾いたものと、乾ききらず重くなったものだ。湿ったまま重ねると匂いが残り、洗い直しになる。


 王女は二つの重さを比べ、干す場所の幅を聞いた。ミナは指で見せてから、紙へ線を引いた。緊張していても、布の話なら言葉が続く。


 人手の話になると、俺はまた黙った。


 隊長が夜番表を出した。俺の眠る時間が書かれた表だ。王女はそれを見て、隊長の名前が昼と夜の両方にあることに気づいた。


「騎士の仕事に加えて、こちらの夜番もしているのですか」


「今はそうしていますが、このまま続けるつもりではありません」


 隊長は答えた。


 俺は膝の上の手を動かした。


「俺が、もう少し夜も」


 言い終える前に、ミナが朝の記録を開いた。俺が眠れず、餌を二度量りかけた日の頁だった。


 彼女は責めるためではなく、起きたこととして机へ置いた。


「交代にしてから、抜けが減りました。引き継ぎを読む時間も取れています」


 王女はその頁を見て、俺へ顔を向けた。


「眠らない人を探すより、眠っても仕事が続く人数を考えるべきなのですね」


 俺は頷いた。


 自分の失敗を、誰かの前で隠さずに置くのはつらい。けれど紙は、俺を辞めさせる理由にはならなかった。人が必要な理由として読まれている。


 隊長は午後に手伝うミナの時間も説明した。洗濯場の仕事と重なれば、こちらへ来られない日がある。今の手伝いに全てを頼る予定は組めない。


 ミナは黙って聞いている。正式に雇う話は、まだ決まっていない。今日の紙に希望だけを書けば、もう採用されたように思わせてしまう。隊長はその違いをはっきり伝えた。


 王女は持ち帰る資料を選び、別の費用と比べるために、必要な時間をもう少し整理してほしいと言った。俺たちは何を記すか確かめた。仕事のたびに長い文章を書くのではなく、始めと終わりの鐘、したこと、人数を残す。


 ガランが短く頷いた。


「毎日続けられる分だけ書こう。記録に時間を取られすぎると、世話をする手がまた減ってしまう」


 王女も頷いた。机の上で、書く仕事の重さまで数えられた。


◇


 王女が帰ったあと、隊長は別の封筒を開いた。


「給料の申請です。追加の確認が来ました」


 俺は椅子から立ちかけ、また座った。


 夜番の記録だけでなく、異動命令の写しと、ここで受け持っている仕事の説明が必要らしい。隊長はすでに取り寄せた紙を並べている。


「王女殿下が来られたからでしょうか」


「殿下の訪問より前に、申請を始めています。手続きを確認する助けにはなりましたが、あなたの仕事の対価です」


 隊長は最初の日付を示した。俺が給料の額を答えた、あの日だった。


 紙の束があることに驚いた。昇給とは、誰かが気分よく袋へ銀貨を足すことだと思っていたわけではない。だが、俺のために何度も返事を書き、不足を揃えた人がいるとは考えていなかった。


「お手数をかけてすみません」


「必要な仕事です。それより、ダグさんの希望を確認したいんです」


 俺は顔を上げた。


「今の寝床で休めていますか」


 仮宿直室の棚板を思い出した。ガランが付け直してくれたので、夜番表と杯が置ける。雨も入らない。悪くない、と答えかけた。


 隊長は待っている。


「廊下を人が通ると、自分が呼ばれたのかと思って目が覚めてしまいます」


 言うと、自分でも声の弱さが分かった。


「個室を希望しますか」


「一人になって戸を閉められる部屋があるなら、使いたいです」


 大きすぎる望みを言った気がして、俺はすぐ口を足した。


「物置の隅でも、今より静かなら構いません」


「物置ではなく、住む部屋として希望を出します」


 隊長は紙へ書いた。物置という言葉は書かなかった。


 給料の額と部屋は別に確認が要る。空いている部屋の使用許可も、すぐには出ない。彼女はそのことを説明し、返事が来たら本人に伝えると言った。


 俺は頷いた。


◇


 翌日の昼、隊長と会計の窓口へ行った。王宮ではなく、騎士団の事務棟だ。廊下には兵糧の領収書を持つ人や、旅費の精算を待つ騎士が並んでいる。俺は自分の服を見下ろし、壁際へ寄った。


 順番が来ると、書記が申請を読み、俺へ名前を確かめた。


「こちらへご本人の署名をお願いします」


 筆を持つ指が少し滑った。紙は綺麗で、失敗したら新しいものを使わせることになる。俺は一息置き、ダグ、と書いた。二文字でも、仕事の覚え書きより時間がかかった。


 書記は字の形を笑わず、日付を添えた。隊長が返事の予定を尋ねると、必要な確認はこれで揃ったと言った。まだ可否は告げられなかったが、不足の紙を抱えて戻ることはなかった。


 事務棟を出たところで、俺は隊長を呼び止めた。


「できれば、開けられる窓のある部屋がいいです」


 声は小さかった。それでも彼女は聞き返さず、希望の紙の端へ書き足した。


「確認します」


 俺は頷いた。窓がつくかどうかはまだ分からない。だが、欲しいと言ったことで何かを失ったわけではない。


◇


 夜、仮宿直室の棚へ杯を置いた。


 部屋が嫌いになったわけではない。雨の夜に飲んだ温かい乳も、初めて朝まで眠った晩も、ここにある。


 それでも、次の部屋を欲しいと思った。


 誰かが廊下を通っても、俺への用事ではないと分かる戸。寝床から手を伸ばして、読みかけの紙を置ける台。自分の服を、ほかの道具に混ぜずに掛ける場所。


 考えているうちに、窓を開けられる部屋がいいと思った。朝、厩舎へ行く前に、外の空気を吸えたら。


 俺は手帳を開いた。竜のことを書く頁ではなく、いちばん後ろの余白だ。


 窓。


 一文字を書いて、しばらく見た。


 もう隊長には伝えた言葉だった。それでも書いてみると、自分の望みだと改めて分かった。何を望むかと聞かれたとき、もう全部、何でもいいとは答えられない。


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