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万年馬丁のおっさん、配置換えで竜厩舎に回されたら王国中の竜が俺にしか懐かなくなった ~騎士様が頭を下げに来るけど、俺はただ世話をしてるだけです~  作者: さくらろ
第2部 名前で呼ばれる

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第14話 報告書の二文字

 査察の日に着る服を、俺は持っていない。


 上着を二枚並べ、袖の薄い方と、肘の継ぎ当てが目立つ方を比べた。どちらも洗ってある。迷った末、ボタンが全部揃っている方を選んだ。


 厩舎へ入ると、ミナが俺の袖を見た。


「そこから糸が出ています」


 彼女は鋏を取りに行き、飛び出した糸だけを切った。継ぎ当てを隠そうとはしなかった。


「これで引っかかりません」


「ありがとう」


 俺は袖を下ろした。見栄えを直してもらったつもりだったが、彼女は仕事がしやすくなるように直してくれた。その方が落ち着いた。


 隊長が今日の予定を話した。騎士団の管理を確かめる役人が二人、書記が一人、それに若い騎士が付き添う。竜を見せるだけではなく、世話と装具の状態も確認するらしい。


「普段どおりでお願いします」


 言われて、俺は少し困った。


 第三馬厩では、偉い人が来る日は普段どおりではなかった。目に見える藁を新しくし、桶の外側を磨き、古い道具は棚の奥へ押し込んだ。馬の足元を見てもらう時間より、入口で挨拶する時間の方が長かった。


 俺は青い刷毛をどこへ置くか迷った。


 隊長が気づいたらしい。


「その刷毛も使いますね」


「はい。ただ、柄が古いので、出しておいてよいか迷っていました」


「使うものは、いつもの場所に置いておいてください」


 俺はいつもの鉤へ掛けた。青い柄は他の道具より短く、毛先も不揃いだ。それでもシグが鼻を寄せるものだ。



 役人たちは、予定より早く来た。


 ちょうどシグが餌を食べているところだ。俺は戸口へ走ろうとしたが、隊長が手を上げた。


「食事が済むまで、こちらで説明します」


 廊下に人が増え、シグの目が動いた。俺は皿のそばへ寄らず、いつもの位置にいた。若い付き添いの騎士が一歩前へ出かけ、隊長の説明を聞いて止まる。


 役人の一人は、紙を挟んだ板を持っている。


「給餌中は、清掃をしないのですか」


「食事中に後ろへ人が入ると食べるのをやめてしまうことがあったので、今は分けています」


 隊長が答えた。


「その分、時間が増えませんか」


 俺は餌皿を見た。底が少しずつ見えている。食べ残しを捨てて、また用意する朝が減った。


「皿を何度も出し直す時間は減りました」


 口に出してから、俺が答えてよかったのかと隊長を見た。


 彼女は頷いた。


「ダグさん、前と今の違いを話してもらえますか」


 俺は覚えていることを話した。最初の朝は皿へ近づいても食べなかったこと。掃除の戸を開けるたびに後ろを向いたこと。今は一度で多くを食べ、食後に移動できること。


 役人は、毎回全部食べるのかと聞いた。


「残す日もあります。今朝はあれだけ残っています」


 俺が皿を示すと、彼は身を伸ばしかけ、白線を見て足を止めた。


 書記が何かを書いた。俺にはその場では読めない。


 シグが水へ向かったところで、役人たちは道具棚を見ることになった。


 油布と手当て布の印、夜番の記録、使用を止めた古い鞍。どれも隠していない。


「まだ、これが置いてあるのですね」


 役人が古い鞍を指した。


 ガランが答えた。


「不具合を確かめられるよう残しています。新しいものと取り違えないよう、札もつけてあります」


 役人は赤い布と札を見て、書記へ何か伝えた。叱られるかと思っていた俺は、少し肩の力を抜いた。



 水場へ回ると、役人は井戸から桶を引くところを見たいと言った。俺は空桶を下ろした。滑車が回り、縄が掌を擦る。満ちた桶を上げるには、身体を少し後ろへ引く必要がある。


「竜の水は、一度で足りますか」


「いいえ、大桶が満ちるまで何度か汲み上げます。それからこちらへ運びます」


 俺は樋へ水を移した。勢いよく注ぐと跳ねるので、少し傾けて待つ。役人はその間、何も聞かなかった。桶が空になってから、もう一度下ろすところまで見ていた。


「台を高くすれば、持ち上げる距離が減りますね」


 彼が言った。


「はい。ただ、桶を置いたまま縄を引く場所が狭くなります」


 俺は足を置くところを示した。ガランが近づき、反対側へ台をつける案なら通路を塞がないと話した。


 役人は板の上へ簡単な図を描いた。俺の水運びが途中で止まると、隊長が残りを引き継いだ。話を聞く間も、水は要る。


「今すぐ工事を認められるわけではありませんが、この図は持ち帰ります」


 役人は言った。


 俺は礼を言いかけ、それより先に、雨の日には足元が滑ることを付け加えた。彼は図の横へ線を引き、排水も確認、と書いた。俺が苦労している様子だけでなく、何があれば変わるかを聞かれたのは初めてだった。


 井戸の縄を片づけると、掌に赤い筋が残っている。いつもなら手を握って終わりにするところだ。今日は、その高さと重さが、紙へ移っていった。



 トトの保温室では、付き添いの若い騎士が一番緊張している。


 部屋へ入る人数を絞ったので、彼は廊下で待っている。俺が餌皿を下げに出ると、目が皿の方へ向く。


「もう餌を食べるんですね」


「よく食べます」


「生まれたばかりなのに」


 俺は頷いた。彼は戸口を覗きたいようだったが、勝手には近づかなかった。


 待っている間、俺が水の桶を持ち上げると、彼が取っ手の反対側へ手を添えた。


「持ちます」


「ここから水場まで運びます。道が少し狭いので、ゆっくり行きましょう」


 二人で運んだ。桶は軽くなったが、歩幅が合わず最初に少し揺れた。俺が歩く速さを落とし、彼も持つ位置を変えた。


「すみません、こぼしました」


「これくらいなら拭けば大丈夫です。次はそこの段差に気をつけてください」


 若い騎士は足元を見た。今度は揺らさず置けた。


 俺が布を取ると、彼もしゃがんだ。膝に埃がつくのを気にしていない。腰の剣が邪魔になり、少し姿勢を変えている。


「こういう仕事を、毎日しているんですか」


「水は毎日要りますから、こうして運んでいます」


 俺は答え、ふと彼が何を聞きたいのか分からなくなった。苦労を語ってほしいのか、竜の秘密を聞きたいのか。


 彼は濡れた布を畳んだ。


「訓練の前に、水も装具も揃っているのが当たり前だと思っていました」


 顔が少し赤い。


「ありがとうございます」


 声は小さい。誰かに聞かせるための礼ではない。


 俺は布を受け取った。


「今は俺の方が手伝ってもらいましたから」


 そう言うと、彼は首を振りかけ、やめた。俺も続けて何か言おうとせず、二人で桶を乾いた場所へ戻した。



 査察の最後に、書記が報告の内容を読み上げた。


 装具の更新が進んでいること。竜医の確認が続いていること。食事と清掃の分離で、シグの食べる量が戻ってきたこと。夜番は分担し、幼竜の記録をつけていること。


 俺は戸口の横で聞いている。


「世話係ダグの観察により、給水位置および作業順序を調整」


 二文字が聞こえた。


 自分の名前だと分かるまで、少し間があった。


 俺は手に持った布を握った。隊長が先日見せてくれた紙にも名前はあった。だが、知らない書記が声にして読むと、別の重さがある。


 役人がこちらを向いた。


「ダグ殿、記載に誤りはありませんか」


 殿と呼ばれることに慣れず、返事が遅れた。


「はい。ただ、桶を動かしたのは隊長で、音を減らしたのはミナさんと荷車の方です。ガランさんも床を見てくれました」


 書記が筆を止めた。俺は話しすぎたと思い、口を閉じた。


「分担が分かるよう、追記します」


 彼は紙の端へ書き足した。


 俺の名前を線で消すのかと見ていたが、消さなかった。名前の後ろに、ほかの手が続いていった。


 帰るとき、役人の靴底に藁が一本ついていた。俺が取ろうとすると、彼は自分で足を上げ、戸口の箒で払った。見学に使った外套にも、厩舎の匂いは残るだろう。紙だけを持ち帰るより、今日の水の重さや藁の感触も覚えていてほしいと思った。口には出さず、俺は門までの道を空けた。


 役人は最後に、予算や人員の判断は持ち帰ると言った。その場で何かが決まるわけではない。だが報告の写しは厩舎へ残された。



 皆が帰ったあと、隊長が写しを机へ置いた。


「読みますか」


 俺は頷き、紙を受け取った。綺麗な字で、自分の名前を探す。水桶の場所まで、俺が話した通りに書いてある。


 ミナが横から覗いた。


「ダグさんの名前がありましたね」


「はい」


 俺は紙を返そうとした。隊長は棚を指した。


「そこへ綴じておきます。いつでも読めます」


 自分のものとして持ち帰る紙ではない。厩舎の仕事の紙だ。その中に俺の名があり、明日もそこにある。



 夕方、青い刷毛を洗うとき、俺は毛先の抜けたところを確かめた。まだ使えるが、新しいものも用意する話になっている。


 古い方は、よく乾かして鉤へ掛けた。


 隠しておく必要のある道具ではない。今日、何人もの前で、俺が使うものとしてそこにあった。


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