第12話 眠る人の名前
夜中に、トトが鳴いた。
最初は短く、次は少し長く。俺は寝床から身体を起こし、靴を探した。片方が見つからず、布団の下から引き出す。その間にも、小さな声が廊下を伝わってくる。
今夜の番は俺ではない。
だが、聞こえてしまえば、横になってはいられない。
保温室へ行くと、宿直の若者が困った顔で立っている。餌の皿は空で、敷物も替えてある。部屋の温度は決めた範囲内だ。
「食べたのに、また鳴くんです」
俺はまずトトの動きを見た。前足で布を押し、鼻を上げ、また鳴く。息苦しそうではないが、眠る姿勢が決まらない。
手を入れる前に、敷物を見た。端が一枚だけ折れ、下へ木枠が覗いている。トトはそこへ腹を寄せようとして、動きを止める。
「布を直す間、トトを見ていてください」
俺はトトが反対側へ動いたときに布を広げた。余りは外へ折り、爪が引っかかる輪を作らない。幼竜は同じ場所へ戻り、腹を下ろした。
鳴き声が止まった。
若者が深く息を吐く。
「そんなことだったんですか」
「今夜はこれが気になったのかもしれません。ただ、別の夜も同じ理由とは限りません」
言いながら、俺は椅子へ座った。トトが眠るまで、もう少しだけ見ようと思った。
次に目を開けたとき、机の灯りがずいぶん短くなっていた。若者が俺の肩へ毛布を掛けていた。
「部屋で寝てください」
俺は慌てて立ち上がり、椅子の脚へ足をぶつけた。
痛みより先に、トトを起こしたかと巣を見た。幼竜は眠っている。起きていたのは、俺と、俺の代わりに心配している夜番だった。
◇
翌朝、俺は餌の量を二度数えた。
量り終えたと思ったのに、もう一度同じ袋へ手を伸ばしていた。ミナが横から秤を指す。
「もうここまで入っています」
「ああ、そうでした。ありがとう」
俺は手を引いた。危ないところだった。多ければ喜ぶというものではないことを、リーネから聞いている。
眠気は目の奥だけでなく、手順にも入り込んでいる。
ミナは何も言わず、使い終えた袋を別の台へ移した。俺が次に同じところへ手を伸ばしても、空いているようにしたのだ。
シグの掃除では、箒をどこへ置いたか忘れた。ガランが自分の足元から拾い、俺へ差し出しかけた。
「昨夜、何時に寝た」
「寝たのは、いつもどおりの時刻です」
「では、何時に起きた」
俺は答えられなかった。
ガランは箒を渡さず、自分の膝へ横に置いた。
「飯のあと、隊長と話そう」
怒られるのだと思った。仕事中にぼんやりしているのだから仕方がない。俺は頷き、床の藁を手で拾おうとして、ガランにまた止められた。
「そこまでして働かなくていい。今は立ってるだけでも足元が怪しい」
俺は手を膝へ戻した。自分の身体が、今日の仕事を邪魔している。そのことが恥ずかしい。
◇
隊長は叱るための紙を持っていなかった。
代わりに、横へ長く線を引いた紙を机に広げた。
「昨夜、誰がどの時間に起きていたのかを書き出します」
俺は椅子へ座った。ミナとガラン、宿直の若者もいる。
若者が自分の番を書き、俺が起きた時刻を言った。俺は夜中だけでなく、前の晩も一度起きている。その前も、鳴き声がしたので戸口まで見に行った。
紙の上に、俺の名前が何度も出た。
「夜番がいる時間に、ダグさんも起きています」
隊長が指で辿った。
「心配になって、確認するだけのつもりで起きたんです」
「確認のあと、眠れていませんね」
俺は頷いた。
ミナが小さな帳面を出した。洗濯場でもらった、使い残しの頁を綴じたものだという。
「鳴くたびに全部ダグさんを呼ぶのではなく、先に何を確かめればいいか書いておきませんか」
宿直の若者が顔を上げた。
「温度と餌の時刻、それから敷物ですね。ほかに確かめるものはありますか」
「息の様子は俺が勝手に決めず、リーネ先生に何を見ればよいか確認したいです」
俺が言うと、隊長が頷いた。今日の診察で聞くことを、紙の端へ書いた。
夜中に見るものと、すぐ竜医を呼ぶ変化と、自分で直せること。ひとつの欄へまとめず、分けることになった。
俺は机を見た。夜のたびに起きて全部見るより、今ここで話す方が、先の夜を長く変えられるのかもしれない。
ミナはトトの絵を描いた。眠っているときの前足、鼻を上げているときの顔。俺の説明だけでは曖昧だった布の折れ方も、絵にすると分かりやすい。
「この端は、内側へ入れない方がいいですね」
若者が言った。
「そうです。爪が入ると布を引っ張ってしまいますから」
俺は椅子から身を乗り出した。まだ眠いが、さっきより頭は動く。
「昨日、俺が布を直したやり方を、ここでやって見せてもらえますか」
若者に言うと、彼は戸惑い、それから頷いた。
教えたつもりでも、見ていた人にどう伝わったかは分からない。巣を使わず、空の箱に布を敷いて見せてもらった。折り返す場所が少し違っていたので、その場で直せた。
ミナが横へ絵を一つ足した。
◇
昼、リーネが来た。
俺の顔を見るなり、夜番表を見せてと言った。先に隊長から聞いていたらしい。
「仔竜は夜にも起きる。だから世話をする人間は交代するの。誰か一人が起き続けるのは、世話の方法に入っていません」
俺は椅子へ深く座り直した。
「寝ている間に何かあったらと思うと、落ち着かないんです」
「起きているのに気づけなくなる方も、困るでしょう」
朝の秤が頭に浮かんだ。
「はい」
リーネはミナの帳面へ注意を書き足した。鳴き方だけで空腹と決めないこと。餌の量は決めた範囲で、足りないと思ったら相談すること。息や動きにいつもと違うものがあれば、時刻に関係なく連絡すること。
俺だけが判断する表にはしなかった。
夜番は前半と後半へ分け、昼に働く人間の休む時間も一緒に決めた。ミナは夜通しの番ではなく、夕方の記録整理を受け持つ。ガランは朝の引き継ぎを確認する。
俺の名前の横に、空白ができた。
隊長がそこへ、睡眠、と書いた。
紙の上で仕事をしていない俺が、初めて予定になった。
「この欄は、仕事を入れてよい空き時間ではありません」
隊長は言った。
「必要なときはこちらから呼びます。それ以外は休んでいてください」
俺は空白だと思った欄を見た。文字が入れば、守るものだと分かる。ずいぶん単純な頭だと自分で思ったが、今はその単純さに助けられている。
◇
休む前に、俺は部屋を少し片づけた。靴は左右を揃え、上着は戸の横へ掛けた。呼ばれたときに早く出るためでもあったが、起きなくてよい晩に物音を立てずに済むためでもあった。
机のない部屋なので、夜番表を置く場所がない。ガランに相談すると、使っていない棚板を一枚外し、寝床の横へ低く付け直してくれた。
「釘を打つほどのことでも」
俺が言いかけると、彼は紙を床へ置いた。
「これでは踏むだろう。踏まない高さへ上げるだけだ」
棚には紙と杯が載った。俺の部屋で、俺が使いやすいように何かが動いた。それだけのことで、寝床へ入る気持ちが少し変わった。
◇
夕食のあと、ミナが帳面の写しを持ってきた。字の読みにくいところを確かめるためだという。俺は眠る欄の文字を指した。
「ここの字だけずいぶん大きいですね」
「見落とさないように大きく書きました」
彼女は真面目に答えた。俺は苦笑し、見落とさないと約束した。
◇
その夜も、トトは鳴いた。
俺は寝床の中で目を開けた。足が布団を押し、起きるために膝が曲がった。
枕元に、夜番表の写しがある。
今は、若者の名前。次は隊長。俺は朝の餌から。
廊下に足音がした。慌てて走る音ではない。戸が開き、低い声が聞こえ、しばらくして鳴き声が小さくなった。
俺は膝を戻した。
すぐには眠れなかった。天井の木目を見ながら、もし次に鳴いたら、と何度も考えた。そのたび、朝の秤を思い出した。眠るのもトトのためだと言われれば、少し横になっていられた。
目を閉じる。
◇
次に聞こえたのは、朝の鐘だった。
保温室へ行くと、トトは目を開け、餌の皿が来る方へ鼻を向けた。昨夜の記録には、敷物ではなく、水皿の縁へ足が当たっていたと書いてある。
いつも同じ理由ではなかった。
若者は皿の位置を少し直し、様子を見て、時刻を書いていた。
「朝まで眠れましたか」
彼が俺に尋ねた。
俺は頷いた。まだ眠れる気がするほど、身体が重い。今までの疲れが、やっと重さとして分かるようになったのかもしれない。
「ありがとう。よく眠れました」
トトの方へ言うのではなく、若者の顔を見て言った。
彼は照れたように帳面を閉じた。俺はその帳面を受け取り、朝の欄へ自分の名前を書いた。
秤へ餌を載せる。量り終えた袋は、昨日ミナがしたように別の台へ移した。眠れたからといって、間違えない仕組みを元へ戻す理由はない。トトは待ちきれず鼻を鳴らし、俺は落ち着いて皿を置けた。




