第6話 二人で決めるために
セシリアは書きかけの手紙を机に置き、廊下へ出た。父はまだ使者と話していたが、娘の姿に気づくと問いかけるように眉を上げた。
「明日の話し合いについて、確認してもよろしいでしょうか」
使者が向き直り、頭を下げる。セシリアは、明日の午後には結婚式の予定を決めることになっていると伝えた。
「殿下がご出席になれない場合、どうすればよいか伺いたいのです。準備を進めるため、明日までに決めなければならないこともあると聞いておりますので」
「担当の者へ確認し、今夜のうちにお返事をお届けいたします」
「お願いいたします。それから、こちらを殿下へ」
自室から持ってきた手紙を託すと、使者は丁寧に受け取った。その姿を見送ったあと、父はセシリアの顔を確かめるように覗き込んだ。
「夕食は、先に食べることにしようか」
「はい。お母様もお待ちでしょうし、料理長にも、もう待たなくてよいと伝えていただけますか」
父は頷き、廊下に控えていた使用人へ声をかけた。セシリアも食堂へ向かおうとしたが、歩き出す前に父が静かに尋ねる。
「楽しみにしていたのだろう」
「ええ。ですから、残念です」
そう答えると、父はそれ以上慰めようとはせず、娘へ腕を差し出した。セシリアはその腕に手を添え、並んで食堂へ向かった。
用意された料理は、どれもクラウスと一緒に食べようと思って選んだものだった。母は席についたセシリアへ一度だけ気遣う視線を向けたが、食事が始まると、庭で咲き始めた薔薇の話をしてくれた。
セシリアも、夕方にアンナと確かめた花の様子を話した。クラウスに見せたかった庭は明日もそこにあるし、料理もまた用意できる。それでも今夜会いたかった気持ちは残っていたので、食後に母からもう一杯お茶を勧められた時には、素直に頷いた。
*
王宮から返事が届いたのは、セシリアが部屋へ戻ってしばらく経ってからだった。
明日の話し合いでは、花や会場の設営、使用人の配置など、先に手配する必要のある事項を確認する。二人の食事の時間を含む進行については、クラウスとの協議を終えてから決定するという。期限が迫っているものと、まだ待てるものを分けた一覧も添えられていた。
その書類とは別に、クラウスからの手紙が入っていた。
『私も、今夜会えなくて残念だった。君の手紙を読んで、同じ気持ちでいてくれたことが嬉しかったよ』
セシリアは椅子へ腰を下ろし、その一文をもう一度読んだ。残念だと伝えたことで彼を困らせたのではないかと、返事を待つ間に少し考えていたのである。
『明日の夕方、協議を終えてから、王宮で君と話す時間を取った。遅い時間になってしまうが、都合はどうだろう。疲れていれば別の日にするので、無理はしないでほしい』
最後には、夕食は取ったので安心するようにと書かれていた。セシリアは小さく笑い、明日は王宮で待っていると返事をした。ただし、話し合いの時間が遅くなるなら食事を用意してほしいとも添えた。彼が食べたかどうかを手紙で確かめるより、一緒に食卓につく方がよいと思ったのだった。
*
翌日の話し合いで、セシリアはいつもより多く質問をした。
挙式から祝宴までの流れを聞き、衣装を替える場所と、そこまでの移動にかかる時間を確かめる。両親と過ごす時間については、どの部屋を使い、誰が案内してくれるのかまで聞いた。
以前なら、専門の人々が考えてくれているのだからと、そのまま受け入れたかもしれない。けれど、予定表に時間が残っていることと、実際に落ち着いて過ごせることは同じではなかった。
「こちらのお部屋まで移動して、お父様とお母様をお迎えするのですね」
「はい。公爵夫妻には、こちらでお待ちいただく予定です」
「それでしたら、私が先に着いていた方がよいでしょうか。お二人がいつまでも待っていると、次の予定に遅れてしまうのではないかと気になさると思うのです」
女官は少し考え、挙式後の案内を担当する者と確認してから返事をした。セシリアの希望を聞くだけではなく、どうすれば実行できるかを一緒に考えてくれる。そのやり取りを重ねるうちに、質問をすることへのためらいも薄れていった。
説明が一通り終わると、セシリアは式後の予定表を手元へ戻した。
「殿下とお食事をする時間ですが、会場を移す必要はあるでしょうか」
「最初に予定していたお部屋は、来賓の控室として使う案が出ております。ただ、別室をご用意することは可能です」
「遠いお部屋でなければ、どちらでも構いません。料理も、祝宴と同じものをすべて出していただく必要はないのです」
女官が顔を上げたので、セシリアは続けた。
「殿下と座って、少しお話ができれば嬉しいです。何品も用意していただくと時間がかかるのでしたら、一皿でも。そのあと、皆様へのご挨拶に伺えればと思います」
最初に願いを伝えた時には、料理を減らすことまで考えていなかった。だが、何を楽しみにしていたのかを改めて確かめると、譲ってもよいことも見えてくる。
女官は書類へ目を通し、会場の配置を示した図をセシリアの前に置いた。
「こちらの小広間でしたら、祝宴の会場にも近く、厨房から料理を運ぶ際にも支障がございません。ご挨拶の開始を少し遅らせられれば、お時間を確保できるかと存じます」
「では、その案を今夜、殿下と相談してもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます。来賓の到着時刻についても、改めて確認しておきます」
セシリアは礼を言い、渡された図を大切に書類の間へ挟んだ。まだ決まってはいないけれど、クラウスと話したいことが具体的になっていた。
*
夕方、クラウスが部屋へ入ってきた時、セシリアは窓辺で本を読んでいた。
「待たせたね」
声に顔を上げると、彼は扉の近くで足を止め、安堵したように笑った。約束の時刻より少し遅れていたが、先ほど侍従から、会談が終わり、こちらへ向かっていると知らせを受けていた。
「お疲れさまでした」
「君も。今日の話し合いは長かっただろう」
「途中で休憩を入れていただきました。アンナとお茶もいただきましたし、待っている間はこちらの本をお借りしていたので」
表紙を見せると、クラウスは興味を引かれたように近づいた。庭園の花について書かれた本で、昨日一緒に見られなかった薔薇の話をすると、彼は公爵家の庭にある品種をいくつか尋ねた。
話しながら食卓へ移り、温かなスープが運ばれてくる。クラウスはそれを見て、嬉しそうに息をついた。
「食事も一緒に、という君の提案に助けられたよ。ここへ来てから食べようと思っていたので、随分腹が減っていた」
「私もです。今日は、私の分まで頼んでおいてよかったと思いました」
食べ始めると、クラウスはしばらく会談のことを話した。意見の違う相手同士が、一つの言葉をどう受け取るかで議論が止まってしまうこともあるという。細かな内容はセシリアには分からなかったが、彼が何に時間をかけていたのかを聞けるのは嬉しかった。
食事が落ち着いたところで、セシリアは昼間の書類を広げた。小広間を使う案と、料理の数を減らしてはどうかと考えたことを伝えると、クラウスは図を見ながら頷いた。
「ここなら、移動も短いね。私も、料理が何品あるかより、君と座っていられることの方が大事だ」
「では、この案でお願いしてもよろしいですか?」
「ああ。ただ、ご挨拶の開始時刻は私からも確認しよう。到着が遅れた使節を、着いた途端に急がせることにはしたくない」
セシリアは頷いた。自分たちの時間を残すために、別の誰かへ無理をさせたいわけではない。クラウスも同じことを考えていると分かり、図の上へ置いていた指を少し動かした。
「挙式が終わったあと、すぐに移動すれば、もう少し時間を取れるでしょうか。こちらの回廊を通って……」
「それは儀典の担当者に聞こう。私も案内される側なので、勝手に近道をすると怒られるかもしれない」
真面目な顔で言うので、セシリアは笑ってしまった。クラウスも笑い、手元の紙へ確認することを書き留める。
その様子を見ているうちに、セシリアは、もう一つ話しておきたいことを思い出した。
「殿下。使節の夫人たちとのお茶会についても、伺いたいのです」
クラウスのペンが止まった。
「出席したいと思っている?」
「お引き受けする前に、どなたがいらして、何をする席なのかを知りたいと思っています。今日、女官の方から少し伺いましたが、殿下のお考えも聞きたくて」
「そうだね。昨日、相談すると約束したばかりだった」
彼はペンを置き、セシリアへ向き直った。
「君に頼めれば助かる。夫人方の中には、王妃殿下と親しい方もいるし、これから君と顔を合わせる機会も多くなるだろう。ただ、式の前日まで予定を詰めることには、今も賛成しかねている」
「翌日の茶会にまとめることは難しいでしょうか」
「滞在の短い方がいるんだ。前日の席は、その方のために設ける案だった」
事情を聞くと、セシリアにも判断の手掛かりができた。大勢を迎える正式な茶会を二度行うのであれば負担は大きいが、人数や目的によっては違う形にできるかもしれない。
「王妃殿下にご相談して、短いご挨拶の席にすることはできますか。私一人でお迎えするのではなく、ご一緒させていただけるのでしたら」
クラウスは少し考え、頷いた。
「それなら、相談してみる価値はある。君は、その形なら出席したい?」
「はい。ただ、準備に必要なことを教えていただいて、難しいと思ったら、もう一度ご相談したいです」
「もちろん」
返事を聞いて、セシリアは安心して紅茶へ手を伸ばした。引き受けると決めたら最後まで一人で何とかしなければならない、と思わずに済むだけで、やってみたい気持ちが強くなる。
クラウスは彼女を見ていたが、やがて視線を落とし、苦笑した。
「私は、君に楽をしてもらうことばかり考えていたらしい」
「お気遣いは嬉しいです」
「うん。けれど、君が何をしてみたいのかを、先に聞くべきだったね」
セシリアはカップを戻し、彼の言葉を待った。
「君と結婚できることが、今も少し信じられない時があるんだ。王宮での暮らしを窮屈に感じたり、私の仕事のせいで寂しい思いをしたりして、後悔させたくなかった」
彼がそんなことを考えていたとは知らなかった。いつも落ち着いていて、求婚への返事も待ってくれた人が、今は少し言いにくそうに自分の気持ちを話している。
「それで、ご自分で引き受けていらしたのですね」
「その方が早いことも多いからね。そうして調整をしているうちに、君と会う時間まで減らしてしまった」
クラウスは机の上に並んだ書類を見たあと、セシリアへ目を戻した。
「君を大切にしたいと思っていたのに、私がよいと思うやり方を先に選んでいた。昨日、君に相談してほしいと言われて、ようやく気づいたよ」
「私も、順調ですとばかり申し上げていました。お会いしたいのに、殿下がお忙しいからと、それは書かずに」
セシリアは少し迷ってから、続けた。
「殿下と結婚することを、後悔してはいません。でも、これからも寂しい日はあると思いますし、慣れないことで困ることもあると思います」
クラウスは黙って聞いていた。その視線が変わらず穏やかだったので、セシリアは最後まで話すことができた。
「その時に、お話をしたいのです。何も困らずに暮らせるようにしていただくより、困った時には殿下と相談できる方が、私は安心します」
「……分かった」
彼はゆっくり頷き、テーブルの上へ置かれたセシリアの手に、自分の手を重ねた。
「私も、君に聞いてもらうようにする。今日のように、疲れたとか、腹が減ったとか、そんなことからでも」
「はい。お食事でしたら、一緒にできますから」
クラウスが笑い、重ねた手をそっと握る。セシリアも握り返しながら、温かな食事と、まだ片づいていない書類のあるこの席が、結婚後の暮らしに少し似ているのかもしれないと思った。
*
その夜、二人は儀典を担当する侍従と女官を呼び、式後の予定を改めて確認した。
来賓への挨拶は、到着が遅れる使節の休憩も考え、開始を少し後ろへ移すことになった。二人は挙式後に小広間へ移り、一皿の料理を共に食べてから、祝宴の会場へ向かう。その分、祝宴で予定されていた紹介の順序を変え、全体が長引かないよう調整するという。
説明を聞き終えると、クラウスはセシリアを見た。
「君は、どう思う?」
「こちらでお願いします。お父様とお母様にお会いする時間も、このまま残せるのですね」
女官が頷き、セシリアも予定表へ目を戻した。アンナが式を見る場所も書き込まれている。最初に伝えた願いが、当日の動きとして一つずつ形になっていた。
最後の確認が済み、侍従が書類を揃えようとしたところで、クラウスは小広間での食事の欄を指した。
「ここは、二人の予定として確保しておいてほしい。変更が必要になった時は、ほかの公務と同じように、先に相談を」
「承知いたしました」
侍従の返事を聞き、セシリアは隣へ顔を向けた。クラウスは彼女の視線に気づくと、少し照れたように笑った。
「一緒に温かいものを食べると約束したからね」
「はい。私も、楽しみにしております」
部屋を出る頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。クラウスは馬車まで送るために立ち上がり、セシリアが書類を持とうとすると、その半分を受け取った。
廊下を歩きながら、セシリアは翌日の茶会に向けて王妃へ相談したいことを話した。クラウスも、まず面会の時間を確かめようと答える。すべてを決めてもらうのでも、自分だけで抱えるのでもなく、途中で尋ね、考えを伝えながら進めていける。
馬車の前で別れる時、セシリアは彼の袖へそっと触れた。
「殿下。昨日、寂しいと書いてよかったです」
「私は、読めてよかったよ」
クラウスはそう答え、彼女の手を取った。
「次は、楽しかった話も省略せずに聞かせてほしい」
「それでは、お手紙が長くなります」
「楽しみにしている」
セシリアは笑って頷いた。馬車へ乗り込んでからも、彼が手を離す前に親指でそっと撫でてくれた感触が残っている。
膝の上には、二人で確認した予定表があった。結婚式の日、その紙に書かれた小広間で、何を話そうかと考えながら、セシリアは家へ向かう道を眺めた。




