第7話 差し戻し理由:担当者が二十三年前から同一
百人百話の祭りが成功した翌朝。
補助金申請は、九分で差し戻された。
理由――祭神の法人番号が未記入。
「神様に十三桁の番号を求める国、だいぶ怖くないですか」
「宗教法人として申請したのはこちらです」
「祭神本人を法人扱いしたのは会計課です!」
山本さんは黙って申請書を修正した。
昨夜、社で聞いた母親らしき声について、彼女は何も話さない。手首の内側には青い縄の痕が残っていたが、白いシャツの袖で隠している。
触れれば切れる糸ほど、見えているのに触れられない。
私が様子をうかがうと、山本さんは赤ペンを向けた。
「斎藤さん。祭神の所在地を『笑門山のだいたい上のほう』と書いたのは誰ですか」
「現地で聞いても、山全体だと言われたので」
「地番を取ってください」
「山の神様に住民票を移せって?」
「私に行政へ勝てと言ったのはあなたです」
怖い。昨夜より怖い。
◇
二回目の差し戻し。
理由――死者参加者に係る交通費の取扱いが不明。
「交通費、申請してませんよ」
「参加者名簿に死亡者二十一名とあるため、移動実態を確認したいそうです」
成海さんが真剣に考える。
「彼岸から社までなら、片道でしょうか」
「帰したので往復です」
「成海さんまで会計課の世界観へ入らないで!」
三回目。
理由――映像参加者は現地参加者数へ算入できない。
「でも、昨年のオンライン地方創生フォーラムは参加者数へ入れてますよね」
「制度が違います」
「同じ国のインターネットなのに?」
四回目。
理由――笑い声を成果物とする場合、検収方法が不明。
ハンコさんが机の上へ立ち、昨日の「ぷぇっ」という押印音を再現した。
ぽん。ぷぇっ。
「成果物が一件、納品されました」
「返品してください」
五回目。
理由――事業実施日に参加した死者が、実施後も現地へ残留しない保証がない。
「保証した担当者名を書けばいいんですね」
成海さんが申請欄へ自分の名を入力する。
システムが警告音を出した。
『入力された保証人は、死亡しています』
「だから死者を帰せるんです」
『死亡者による死亡者の帰還保証は受理できません』
「論理は通っています」
『ご冥福をお祈りします』
「最後に勝手に会話を終えないで!」
私は端末の電源を抜いた。
端末はバッテリー駆動へ切り替わった。
『ご冥福をお祈りします』
「執念が怪異なんですよ!」
◇
六回目の差し戻し通知を見た瞬間、成海さんの指が止まった。
理由――参加者名簿別紙二の五行目、旧字体を現行字体へ改めること。
「どうしました?」
彼女は画面を見たまま答えない。
山本さんが通知番号を検索する。
「この文言、過去の差し戻しコメントから引用されています」
「いつのですか」
「二十三年前。同じ百笑祭の補助案件」
担当者欄に、春夏冬成海とあった。
私は現在の成海さんと画面を見比べた。
「二十三年前から同じ誤字を注意してるんですか」
「覚えていません」
そう言いながら、彼女の手は迷わず別紙を開いた。
旧字体を一文字だけ直し、添付ファイル名の末尾へ「確定」を付け、その後ろに全角数字の一を加える。
「なぜ一を?」
「分かりません。そうすると通る気がします」
送信。
七秒後、形式審査を通過した。
「人間の記憶より、役所のテンプレートのほうが長生きしてる……」
成海さんは自分の指先を見た。
「私が覚えていなくても、手順だけは残るようです」
過去案件には、三十一回分の差し戻し通知も添付されていた。紙の端へ、当時の成海さんらしい字で短いメモがある。
差し戻し理由は捨てないこと。制度が自分の言葉を忘れたとき、そのまま返せばよい。
「二十三年前の成海さん、かなり根に持つタイプですね」
「合理的な記録管理です」
「今の成海さんも同じ顔してます」
彼女はメモを指でなぞった。
「この人は、次の私が読むと思って書いたのでしょうか」
「少なくとも、誰かが続きをやると思ってた」
「では、読みます」
成海さんは三十一枚を一枚も飛ばさず保存し直した。自分の思い出ではないものを、今度こそ消させないように。
笑ってはいなかった。
◇
過去案件をたどるには、旧電子文書管理システムへ入る必要があった。
現在の庁内端末からは接続できず、地下十三階の書庫から、分厚い灰色のノートパソコンが発掘された。
起動音が鳴るまで三分。
画面が明るくなるまで二分。
マウスカーソルが動くまで四分。
「怪異より召喚に時間がかかってます」
「二十三年前の機械へ現代の速度を求めないでください」
「待っている間に一件解決できそう」
成海さんが側面の差し込み口を指した。
「記録媒体はここです」
出てきたのはフロッピーディスクだった。
「これ、本物ですか」
「私の頃は一般的でした」
「どの私の頃ですか」
成海さんは答えず、ディスクを差し込む。
画面へ表示されたのは、旧対異調整課の補助金台帳だった。
百笑祭。
赤目貯水池。
古墳境界結び。
これまで私たちが扱った案件が、すべて別名で並んでいる。
担当欄には、受理官、契約官、決裁官の三つ。
「昔も、三人で処理してた」
私は一覧をスクロールした。
受理官の名は年代ごとに違う。
契約官も違う。
決裁官だけ、すべて春夏冬成海だった。
山本さんが一つの添付画像を開く。
旧庁舎の前で撮られた集合写真。
三人の職員が並んでいる。
中央に成海さん。
髪は肩までで、白手袋を外し、こちらへ歯を見せて笑っていた。
「私……?」
今の彼女と同じ顔だった。
左右の二人は、なぜか顔だけ白く飛んでいる。撮影ミスではない。輪郭に沿って、後から光を塗りつけたように消されていた。
胸章だけ読める。
受理官十二号。
契約官RESS-I六号。
「RESS-Iって、山本さんだけの格好悪い型番じゃなかったんですね」
「あなたは今、重要情報と私への侮辱を同時に処理しましたね」
山本さんは画面へ顔を近づける。
「六号。つまり私の前に、少なくとも五人いる」
「受理官は十二号。私も、十三人目かもしれない」
机の上にいたハンコさんが、写真を見た。
次の瞬間、ころりと落ち、机の下へ潜った。
「ハンコさん?」
呼んでも出てこない。
成海さんがしゃがみ、手を差し入れる。
「大丈夫です。取って食べません」
奥で、かたかたと震える音がした。
「噛まれるのは成海さんのほうでは」
やっと出てきたハンコさんは、写真の左右へ何度も「取消」を押そうとした。
だが、印は紙をすり抜ける。
過去は差し戻せない。
成海さんは、自分の両隣をじっと見た。
「この方たちを、私は知っていたのでしょうか」
「一緒に写真を撮るくらいには」
「では、なぜ顔を思い出せないのでしょう」
誰も答えられなかった。
◇
八回目の差し戻しは、会計課から電話で届いた。
『死者を参加者へ含める前例が確認できません』
山本さんは旧台帳を開く。
「二十三年前の同祭では、死者案内に警備費を支出しています」
『警備対象と参加者は別です』
「では今回、死者は参加者でないため、死者残留確認書も不要ですね」
『それは必要です』
「参加していない者が、事業実施後に残留する懸念があると?」
『……』
「参加者でないなら旅費確認も人数制限も不要。参加者なら補助対象。どちらで整理しますか」
電話の向こうで、紙をめくる音が長く続いた。
『前例と同様、特例参加者として扱います』
「ありがとうございます。議事録へ残します」
山本さんが通話を切る。
「勝った……」
「制度は自分の過去と矛盾するのを嫌います。過去の差し戻しも、保存しておけば武器になる」
「官僚ギャグが将来の判例みたいになってる」
補助金申請は承認された。
村へ連絡すると、ナギが電話口で「来年は百一人分集める」と言った。
「一人増やす理由は?」
『余ったら、誰かが笑えん年に回せるやろ』
十歳のほうが制度設計に余裕がある。
◇
写真を保存し直そうとしたとき、裏面データがあることに気づいた。
画像を反転すると、手書きの指示が現れる。
次回再配置時、個人記憶の同期を行わないこと。
理由――対象が退職意思を保持しているため。
「退職意思……」
成海さんが読み上げた。
「以前のあなたは、辞めたかった」
私が言うと、彼女は長く写真を見つめた。
写っている成海さんは、今よりずっと無防備に笑っている。
現在の彼女は、自分の口元へ指を当てた。
「私、こんな顔で笑えたんですね」
昨日、祭りで笑った記憶はあるはずだ。
けれど、母の声を聞いた山本さんも、初めて自分の過去を見た成海さんも、笑い方を確かめるような顔をしていた。
庁内端末が鳴る。
秘密予算の更新通知。
春夏冬成海・再配置作業開始予定変更。
当初予定より一日前倒し。
開始時刻――明日、午前九時。
成海さんは通知を閉じようとした。
私は、その手をつかんだ。
「明日までに、退職意思を持っていたあなたを探します」
「探して、どうするんですか」
「今のあなたに、もう一度選んでもらいます」




