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第19話 証人は怪異、証拠は未決裁

国土基盤継続特別審査、開始十五分前。


 成海さんは、何事もなかったように戻ってきた。


「どこへ行ってたんですか」

「条件を確認しに」

「何の条件です」

「審査で話します」


 白手袋はしていない。


 手の甲の『受理』を、隠さず見せている。


 山本さんが問い詰めようとした瞬間、三人の入館証が同時に赤く光った。


『三機能の自律を確認』


『相互停止手順を開始します』


 私の両手が、勝手に打ち合わされた。


 一拍。


 神楽の輪が山本さんだけを囲う。


「山本礼世。あなたは契約官として、停止申立を――」


 言いたくない命令が、喉から出ようとする。


 山本さんの足元から青い鎖が伸び、成海さんの両腕を縛った。


 成海さんの背後では、黄泉の扉が開く。


 扉の向こうに、私の名前が書かれた死亡届が見えた。


「これが、相互破壊……」


 能力が、国家の指示どおり仲間へ向いている。


 山本さんが喉を押さえた。


 一時間三十語の枠を越え、声が無理やり引き出される。


「停止申立を、契約違反として拘束――」


 途中で、自分の口を手で塞いだ。


 成海さんは鎖に縛られたまま、私を見る。


「斎藤さん。聞いてください」


 神楽の輪の中で、彼女の本音が響く。


「私は、あなたを開いて再配置させたくありません」


 山本さんも、声を絞った。


「私は、春夏冬さんを縛りたくない」


 私の本音も、隠せない。


「私は、二人へ命令したくない!」


 三人の手に、地下十三階で交わした『更新』が浮かんだ。


 配属理由を、本人の価値としない。


 単独で供出しない。


 相手の選択を、聞く前に止めない。


 異議は、関係終了ではなく協議開始とする。


「後からした契約を、優先します」


 山本さんが言う。


 青い鎖が、成海さんではなく古い人事図へ巻きついた。


「相互停止指示は、当事者三名の現在意思を欠く」


 声が途切れない。


 三十語を越えても、水脈は彼女の喉を裂かなかった。


「よって、履行を拒絶します」


 鎖が人事図を引き裂く。


 黄泉の扉が閉じ、神楽の輪が私の手へ戻った。


 山本さんは、自分の喉へ触れた。


「声が」


 もう一度、確かめる。


「戻っています」


「本当に?」

「確認のため無駄話を要求しないでください」


「完全に山本さんだ!」


 ハンコさんが破れた指示書へ飛びつき、『本人拒否』を押した。


 国家が私たちを壊すために作った命令を、三人で最初の証拠に変えた。


     ◇


 審査室は、議場と手術室を足して笑顔だけ引いたような場所だった。


 中央に長い卓。


 正面に日本地図。


 右側が国家席。


 左側が申立人席。


 そのさらに端へ、金属製の台が一つ置かれている。


 札には『設備席』。


「春夏冬成海はこちらへ」


 案内職員が言う。


 成海さんは設備席を通り過ぎ、私たちの隣の椅子へ座った。


「指定席です」

「私の条件です」


 久世が顔を上げる。


 成海さんは、昨夜の続きを公の場で言った。


「最終の死を選ぶ主体として、まず私を人と認めますか。そう確認しました」


 審査室が静まる。


「久世さんは、答えませんでした」


「現行規程上、即答できなかった」

「人でなければ、死を選ぶこともできません。設備の廃棄許可を、私の自由とは呼ばないでください」


 最終停止許可書を卓へ置く。


「よって、国家からの個別解決案は受けません」


 私を安心させるためではない。


 彼女自身が、条件を満たさない契約を拒んだ。


 久世は書類を回収しなかった。


「申立人席への着席を、審査終了まで暫定的に認める」


 人としてではなく、まだ暫定。


 それでも成海さんは、自分で選んだ椅子に座った。


     ◇


 審査が始まる。


 申立側。


 斎藤葵。


 山本礼世。


 春夏冬成海。


 名無し一二四七名共同申立人。


 国家側。


 久世真臣。


 御厨真昼。


 法制、防災、施設、記録保全の担当者。


 透明タンクのミツハは、隣室から映像だけがつながっている。


 水位は胸の下まで落ちていた。


 最初に山本さんが立つ。


「八洲継続協定の緊急改定は、成立形式を満たしているため有効です」


 国家側の担当者がわずかに緩む。


「しかし、正当ではありません」


 青い水脈が、原決裁と十七回の再配置記録を結ぶ。


「当初の同意は『次の協議まで一度だけ』。現在の成海さんは、その後一度も自由意思による更新をしていない。怪異側の名前を消し、撤回条項を削り、人格の異同を無視した改定に、十年延長の根拠はありません」


「緊急状態は継続している」


 法制担当が反論する。


「継続しているのではありません。継続させる制度を、緊急状態と呼び替えている」


 山本さんの声は短く、強かった。


「有効であることと、正当であることを混同しないでください」


 久世が手を上げる。


 壁一面へ、崩壊予測が出た。


 七封土の圧力低下。


 四十七地点の相互依存。


 成海さんを戻さない場合、七十二時間後の安定率六十一パーセント。


 一週間後、三十八パーセント。


 最悪条件では、河川と道路と墓域の境界が重なり、避難経路そのものが死者の通路になる。


「不正な制度でも、今は人命を支えている」


 久世が言う。


「代案の正当性だけで、崩落は止まらない」


 反論できない数字だった。


 現行制度へ戻ることは、成海さんを傷つける。


 戻らないことは、別の誰かを傷つける可能性がある。


 正しさだけでは、地面は固まらない。


     ◇


「全国分散案を提出します」


 私は立った。


 一枚目、赤目貯水池で作った暫定共同所管実施要領。


「一つの担当が全責任を負えない場合、権限ごとに管理を分けられます」


 二枚目、赤目貯水池の更新契約。


「個人の記憶供出は、町名の公的記録と定期聴聞へ代替できました」


 三枚目、笑門村の百人百話契約。


「一人へ集中した祭祀負担は、共同体の記録へ分散できました」


 四枚目、古墳で行った分割決裁記録。


「巨大な一括境界は、帰属先ごとの小規模決裁へ分けられます」


 四つの前例を、日本地図の四十七点へ重ねる。


 中央のYOMI-00から伸びる太い朱線を、地域ごとの細い線へ分けていく。


「記憶は記録へ。負担は共同体へ。決裁は地域へ。選択は本人へ」


「規模が違う」


 久世の反論は早い。


「ダム一基、村一つ、古墳一件の実績で、列島全域の安定を証明できない」


「証明はできません」

「なら、合理的代案とはいえない」

「だから、当事者と一緒に三十日で検証します」

「検証中に壊れれば?」

「責任分担と撤回条件を入れます」

「怪異へ責任を負わせる法的主体性がない」


 そこへ、ミツハの映像が揺れた。


『我が負う』


 審査担当が首を横へ振る。


「怪異の発話は参考情報です。法的人格がなく、証人資格を認めません」


『名を奪った者が、名がないから話すなと言うか』


「規程です」


 御厨さんが立ち、隣室へ合図する。


 透明タンクの表示が『人格情報削除・再開準備』へ変わった。


「審査で当事者資格が認められなければ、予定どおり固定処理を行います」


 御厨さんの声は規程どおりだった。


 手だけが、強く握られている。


     ◇


 このままでは届かない。


 私は手を打った。


 一拍。


 二拍。


 三拍。


 神楽の輪を、審査室全体へ広げる。


「斎藤さん、審査参加者への能力行使は――」


「本音を、証拠にします」


 朱と金の光が、一人ずつ口を開かせる。


 久世真臣。


「代案が本当にあるなら、私は止めたい」


 御厨真昼。


「秘密を守ることで、人を消す仕事に疲れた」


 法制担当。


「前例がないのではなく、前例にした責任を負いたくない」


 防災担当。


「現行制度が安全だと信じているのではない。変更した日に災害が起きるのが怖い」


 春夏冬成海。


「生きるか死ぬかを、役目ではなく私として選びたい」


 山本礼世。


「契約を守りたい。だから、相手を消して続けるものを契約と呼びたくない」


 最後に、輪が私へ返る。


「勝てる自信はありません」


 声が震えた。


「この案で全員を守れる保証もない。でも、失敗する前提で一人を戻し、次の人へ先送りする制度へ、もう『仕方ない』とは押したくない」


 光が消える。


 本音は出た。


 けれど、本音だけでは証拠にならない。


「代替可能性を示す客観資料が不足しています」


 審査担当が告げる。


「共同申立人は未受理。ミツハの証言資格もない。申立は却下相当です」


 透明タンクの水位が、腰まで下がる。


     ◇


「客観資料なら、あります」


 私は地下十三階から運んだ箱を開けた。


 未決裁文書、一二四七件。


 水。


 土。


 死者。


 声。


 国が相手方の名前を消し、設備異常や災害として処理した申立の束。


「これは全部、国家が受け取らなかった陳情です」


「未受理文書は、証拠能力を持ちません」


 国家側の記録担当が言う。


「提出者も特定されていない。正式資料として採用できない」


「受理されなかったから、存在しなかったことにするんですか」

「規程上は」


 その瞬間、箱の中で何かが跳ねた。


 ハンコさんだった。


 最初の一枚へ飛び乗る。


 ぽん。


 受理。


「公印権限を停止してください!」


 職員が立つ。


 ハンコさんは二枚目へ跳ぶ。


 ぽん。


 三枚目。


 ぽん。


 遅い。


 四十年分の未決裁を、四十秒で取り返す勢いだった。


 ぽん、ぽん、ぽぽぽん。


 水の申立。


 土の申立。


 墓から届いた異議。


 祭りから外された声。


 朱印が紙から床へ走る。


 床から壁へ。


 壁から天井へ。


 一二四七の受理印が全国の怪異へつながっていく。


「連続押印を止めろ!」


 国家側の職員が追う。


 濡れた紙で滑る。


 ハンコさんは資料束を踏み台にし、空中で一回転して次の頁へ着地した。


「君、今日だけで公印史に残るよ!」


 本人は『当然』を押しながら走る。


 最後の一枚。


 春夏冬成海の提供停止申立。


 ハンコさんは止まった。


 資産からの申請へ、公印は押せない。


 退職願の夜と同じ壁。


 成海さんが立つ。


 自分の指を朱肉へつけた。


 ハンコさんが、その指を両手で持つ。


「私は、申立人です」


 紙へ下ろす。


 ぽん。


 受理。


 人として登録されたからではない。


 本人が、自分の意思で押した。


 一二四七件と一人の申立が、正式な共同申立へ変わる。


 審査画面に表示が出た。


『名無し一二四七名共同申立人――暫定当事者資格を認定』


「これで、ミツハさんは証人です」


     ◇


 隣室で透明タンクが割れた。


 轟音とともに、水が審査室へなだれ込む。


 国家側の職員たちは一斉に資料を持ち上げた。


 全冊、最初からラミネート済みだった。


「水神を審査する準備だけ完璧!」


 私たちの百八十頁は水を吸い、三倍に膨らんだ。


 その水から、ミツハが立ち上がる。


 胸に赤目旧町の地図。


 腕に、戸村家の表札。


 赤い目が久世を見た。


『我らは、この国を壊したいのではない』


 水が日本地図へ流れ込む。


『土地を守る。水を巡らせる。死者を境へ返す。人が名を記し、負担を分け、改定のたび我らへ聞くなら、我らも封土を守る』


「義務違反時は?」


 山本さんが問う。


『我らも異議を受ける。人へ被害を出したなら、名をもって責任を負う』


 契約の相互性。


 怪異へ権利だけでなく、義務も戻す。


 全国分散案の実現可能性が、ゼロではなくなった。


 久世が地図を見つめる。


「審査を中断する。暫定協定の条件を――」


 そこで、四十七の赤点が揺れた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 六つの点が、赤から黒へ変わる。


 消えた。


 水を戻しても、停止申立を撤回しても点かない。


 久世が初めて、顔色を変えた。


「違う」


 黒点の履歴を開く。


「停止で壊れたのではない」


 六地点の劣化開始時刻は、成海さんが申立を出すより前だった。


「もう、停止前から死に始めていた」


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