第2章 女神の素顔
放課後の教室は、どこか現実感が薄かった。
窓の外では、夕焼けがゆっくりと色を変えている。
橙から紫へ、そして群青へ――その移ろいを、昴はぼんやりと眺めていた。
(いる……)
視線の先。
数列向こうの席に、あの少女――小暮鈴がいた。
電車で見たときと同じ、静かな佇まい。
背筋を伸ばし、誰とも騒がず、ただそこにいるだけで、周囲から少し浮いている。
(やっぱり……あの人だ)
胸の奥が、わずかに熱を帯びる。
あのときの笑顔。
あの一瞬の、柔らかな空気。
(女神みたいだった……)
思い出すだけで、心が少しだけ軽くなる気がした。
疲れ切っていた自分に差し込んだ、ほんの一筋の光。
(……話しかけてみるか?)
そう思った瞬間、喉が詰まる。
無理だ、とすぐに打ち消す。
自分のような人間が、ああいう存在に近づいていいはずがない。
(どうせまた……)
頭の中に浮かぶのは、これまでの失敗ばかりだった。
女子に振り回され、利用され、気づけば惨めな立場にいる自分。
(でも……)
それでも、足が動いた。
気づけば昴は、鈴の席の前に立っていた。
「あ、あの……」
声が、情けないほど震える。
鈴はゆっくりと顔を上げた。
その視線が、まっすぐ昴を捉える。
(近い……)
思っていた以上に、距離が近かった。
整った顔立ち、透き通るような肌、静かな瞳。
やっぱり綺麗だ、と素直に思う。
「あの……電車で……」
言葉を繋ごうとした、そのとき。
「ああ、あのときの人?」
あっさりとした声だった。
一瞬、昴は戸惑う。
思っていた反応と違った。
もっとこう、柔らかく、少しは特別な空気があると思っていたのに。
「え、あ……はい」
間の抜けた返事になる。
鈴は少しだけ首を傾げた。
「で、何?」
その一言に、昴の思考が止まる。
(え……?)
冷たい、というほどではない。
でも、どこか距離がある。
「いや、その……」
何を言おうとしていたのか、自分でも分からなくなる。
ただ、あのときの印象が頭の中で崩れ始めていた。
(なんか……違う……)
その違和感を振り払うように、昴は言葉を絞り出す。
「助けてくれて……じゃなくて、あの……その……」
何を言っているのか分からない。
自分でも情けなくなる。
その様子を見て、鈴は小さく息をついた。
「……ねえ」
声のトーンが、少しだけ低くなる。
「私を何だと思ってるの?」
その問いは、静かだった。
だが、まっすぐに突き刺さる。
「え……?」
昴は言葉を失う。
何だと思っているのか――そんなこと、考えたこともなかった。
いや、考えないようにしていたのかもしれない。
ただ、“あの笑顔の人”として見ていただけで。
鈴は続ける。
「女神とか思ってる?」
心臓が、どくりと鳴る。
図星だった。
「……別に」
反射的に否定するが、その声は弱い。
鈴の目が、わずかに細くなる。
「あんたさ」
その口調は、はっきりと変わっていた。
「人を一つのイメージに押し込めるの、楽でいいよね」
昴の胸に、冷たいものが落ちる。
「可愛いから、清楚そうだから、大人しそうだから――はい、この人はこういう人、って決めつける」
言葉が、一つ一つ、逃げ場を塞ぐように並べられていく。
「で、違ったら“裏切られた”って顔するんでしょ?」
昴は何も言えない。
その通りだったからだ。
「それってさ、ただの怠慢じゃない?」
最後の一言が、強く響いた。
教室の空気が、一瞬止まったように感じる。
昴の中で、何かが崩れていく。
(違う……そんなつもりじゃ……)
そう思うのに、言葉が出ない。
なぜなら、自分でもどこかで分かっていたからだ。
楽な方へ、楽な方へと考えていたことを。
鈴は、昴から視線を外した。
「私は女神なんかじゃない」
その声は、先ほどよりも静かだった。
「ただの人間よ」
その言葉に、ほんの一瞬だけ、影が差した気がした。
「いろんな面があるの。それを勝手に切り取って、勝手に期待して……」
小さく息を吐く。
「勝手だよね」
その横顔は、冷たく見えた。
でも同時に、どこか疲れているようにも見えた。
昴は立ち尽くしたまま、何も言えなかった。
頭の中で、電車で見た笑顔が、ゆっくりと剥がれていく。
(あれは……なんだったんだ……)
偽物だったのか。
それとも、今が本当なのか。
分からない。
ただ一つ、はっきりしていることがあった。
(僕は……何も見てなかった)
見ていたのは、ただの“理想”だった。
鈴はもう、昴を見ていなかった。
興味を失ったように、机に視線を落としている。
会話は終わりだった。
昴はゆっくりとその場を離れる。
足取りは重い。
胸の奥に、じわじわと広がる痛み。
(……でも)
教室を出る直前、昴は一度だけ振り返った。
鈴は変わらず、静かに座っていた。
その姿は、やはりどこか孤立していて――
(本当に……それだけの人なのか……?)
完全に否定しきれない何かが、心に残っていた。
幻想は壊れた。
だが、すべてが消えたわけではなかった。
その中途半端な感情が、昴の心に深く沈んでいく。
――それが、この先のすべてを動かすことになるとも知らずに。
草稿を入力してAIが書きました。
人間は多面体です。まあ、態度があまり変わらない人もいるでしょうが。




