第8話 乾いたサンドイッチ
サンドイッチの端が、紙のようになっていた。
九月十八日、会場の下見を終えたあと、私は事務室の隅で、朝買った袋を開けた。食べるつもりで出してから、二時間ほど置いていた物だった。
持ち上げると、パンの角だけが反り返っていた。
「それ、昼食ですか」
高瀬さんが、扉のところで足を止めた。
私は袋を閉じかけ、はい、と答えた。
「今、食べようと」
「すみません。長く確認をしてしまいました」
「いえ。午前の連絡の分もあるので。高瀬さんだけのせいではないです」
答えたあとで、私が食べるかどうかの話を、誰のせいかの話にしてしまったことに気づいた。
彼は袋を見て、少し黙った。
「私はこれから何か買おうと思っています。近くに、食べられるところはありますか」
私は時計を見た。
二時に近かった。次の予定は三時半で、今から昼食を取って戻る時間はあった。
「港の方に、パンとスープの店があります。持ち帰りなら、待たずに買えるかもしれません」
「では、そこへ行きます。場所を、教えてもらっても」
彼が携帯を出した。
私は地図を開く前に、言った。
「私も、行っていいですか」
彼は顔を上げ、もちろん、と答えた。
私は乾いたサンドイッチを袋へ戻した。
外へ出ると、風があった。
高瀬さんは大きな鞄を肩へ掛け、私の少し後ろを歩いた。私は最初の角で待ち、こちらですと指した。
仕事で案内する時より、少しゆっくりになった。
「今日は、花の案を見られて助かりました」
彼が言った。
午前中、千春さんが持ってきた二つの案を、会場で並べて確かめた。高瀬さんは撮る方向を、小野さんは高さと置く位置を確かめ、私は客が通る場所を見た。
全部が決まったわけではなかったが、次に何を用意するかは分かった。
「写真を見ているだけだと、私が台を動かして済ませそうでした」
「動かすと、別の物も動きますからね」
彼は笑った。
私は今日は鞄の置き場まで決まってよかったです、と返した。
「あれが、一番、大きいです」
彼は肩の鞄を少し持ち上げた。
持ちますか、と聞きかけた。必要な物を自分で運んでいる人へ、何でも手を出す必要はない。
代わりに、次の角は少し狭いです、と伝えた。
店の前には、料理の写真が三枚あった。
日替わりのスープと、温かいサンドイッチ。それから、パンだけを選ぶこともできる。
高瀬さんが一歩よけ、私へ、どうぞと言った。
「何を食べたいですか」
聞かれて、私は三枚をもう一度見た。
誰かと同じ物にすれば、注文が早い。パンはさっきの物があるから、スープだけでも足りる。そのあたりを先に計算していた。
「高瀬さんは」
「私はスープと、こちらにします」
彼はチーズの入った物を指した。
私はでは私も、と言いかけた。
「篠原さんも、それが?」
彼が確かめた。
どうしてか、少し笑ってしまった。
「今、早い方を選びました」
「早い方?」
「同じ物なら、二つで済むので」
彼は店の写真を見て、それから入口の方を見た。
「一種類ずつでも、注文は受けてもらえそうですが」
私は声を出して笑った。
高瀬さんは少し困ったように、何か変なことを、と尋ねた。
「いえ。そうですよね。そういうお店でした」
店員が窓口へ来たので、私はハムと野菜の入った物を選んだ。スープは、小さい方にした。
彼は予定通りの物を頼み、会計は別にした。
私が後ろにいた客へ場所を空けると、高瀬さんは商品を受け取る窓の横へ移った。
持ち帰った物を、港の見えるベンチで食べた。
少し離れたところに植込みがあり、その向こうを人が通っていた。私は袋を膝へ置き、紙のカップを脇へ置いた。
仕事の資料を開く場所は、なかった。
「ここ、座って食べたことはありますか」
高瀬さんが尋ねた。
「通ったことは、何度も。でも、たぶん、初めてです」
私は包みを開けた。
パンから、温かい匂いがした。
「いつもは、戻ってから?」
「はい。食べながら、連絡の返事をすることが多くて」
「それで、あのサンドイッチが」
「返事をしている間に、昼食より先に、乾いてしまいました」
高瀬さんが小さく笑った。
働きすぎですね、と言われなくて、助かった。自分でも分かっていることを説明されると、まだできるという返事を先にしてしまう。
彼は自分の包みを開き、一口食べた。
そのあと、水を先に買えばよかったと言った。
「スープが、熱かったです」
私はカップの蓋を開け、少し待つことにした。
「食べる前に、こちらを飲むつもりでした」
「では、今、伝えられてよかったです」
彼はそう答え、もう一口、パンを食べた。
私はそのくらいの親切を、気楽に受け取れた。
食べ始めると、思ったよりおなかがすいていた。
私は包みの端から出た葉を指で戻した。高瀬さんが海の方を見ていたので、口を大きく開けても気にならなかった。
でも、二口目でソースが指へ付いた。
「食べやすい方を、選べばよかったかもしれません」
私が言うと、彼は自分の包みを見た。
「こちらも、チーズが出ます」
「では、同じ物にしても、解決しませんでしたね」
彼が笑った。
私は紙で指を拭き、続きを食べた。
途中で、高瀬さんの携帯が鳴った。
彼は画面を見て、一度だけ短く返事をした。それから、仕事の連絡でした、と言って、鞄へ戻した。
「お返事は、大丈夫ですか」
「あとで確認する時刻を、返しました。今、全部を見始めると、たぶん、食べ終わらなくなるので」
私は頷いた。
先に見ないと落ち着かないところは、自分にもあった。
鞄の中で携帯が震えていないか、確かめたくなり、やめた。
今この場所で返さなければ、誰かが困る連絡を待っているわけではなかった。
食べ終えて、私は空の包みを小さく畳んだ。
高瀬さんはスープを少し残し、冷めるのを待っていた。
私はあの映像の、厨房の場面が好きでした、と言った。
前年に見た、彼の仕事だった。客へ料理を出す前、スタッフが皿をそろえる、短い場面があった。
「ああ。あれは、撮っていい時と、入らないでほしい時を、先に教えてもらいました」
「忙しそうなのに、邪魔をされている感じがしなかったので」
「実際、邪魔な時もあります。だから、使える場所にずっといれば、よい物が撮れるというわけではなくて」
彼はカップを持った。
「その時、そこにいない方がいいこともあります」
私は空の包みを見た。
何もかも、自分の目で確かめなければと思う仕事の中で、いない方を選ぶこともある。
その話を、もう少し聞きたいと思った。
けれど時計を見ると、戻るには、ちょうどよい頃だった。
「そろそろ、戻りますか」
私が言うと、高瀬さんは頷き、残った分を飲んだ。
立つ前に、二人とも、ベンチの下を見た。
食べるだけの時間に、何か置き忘れていないかを確かめるところは、似ていた。
会場へ戻る道で、私は今日の店、また行きたいですと言った。
高瀬さんは今度はスープを後にします、と答えた。
一緒に行く約束には、まだしなかった。
それでもどこで食べたかだけでなく、誰と食べたかを、帰ってからも覚えていそうだった。
私は午後の仕事へ戻る前に、手を洗った。
指に付いていたソースは、すぐに落ちた。
乾いてしまったサンドイッチを前にしていた時より、午後が少し短く思えた。




