第6話 誰が払うと言いましたか
予算の返事は、上限の数字だけだった。
九月十三日、共有の連絡に、悠真から、ひとまず三百万円で見てください、と届いた。誰が負担するかを確認した欄には、何も書かれていなかった。
私は返信を作り、途中で止めた。
ひとまず、のまま見積を作ることはできる。けれどそれで頼んだことになれば、あとで数字の方を動かすのが難しくなる。
水野主任へ声を掛け、返事を一緒に読んでもらった。
「美緒さんも確認した金額か、まず、そこからですね」
主任は言った。
私は頷き、お二人でご確認いただいた上限でしょうか、と書き足した。追加の正式な手配は、まだ進めていないことも添えた。
返事は、昼を過ぎて届いた。
美緒には話します。
私は見積の前提の欄を、確定へ変えなかった。
その日の夕方、二人と短い打合せをした。
こちらは主任と私が相談室にいて、画面の向こうでは、美緒と悠真が別々の場所から参加していた。
美緒の後ろには白い壁があり、悠真の方は、何も置いていない会議室のようだった。どこなのかは、尋ねなかった。
「お時間をいただき、ありがとうございます。今日は、案を作るための費用の確認です」
主任が始め、私は前回の希望を画面へ出した。
今の概算と、追加したい物。まだ金額が出ていない希望も、混ぜずに並べていた。
「三百万円でお願いするって、送ったと思うんですが」
悠真が言った。
私は美緒へも、同じ金額でよいかを確かめた。
「その中で、できるんだったら。でも、私、まだ花も、映像も、ちゃんと見てないので」
「はい。ですので、先に上限を決め、その中でどの希望を形にするか、比べていただくことになります」
美緒は少し首を傾げた。
「やりたいことを全部出してから、最後に合わせるんじゃないんですか」
私は紙へ目を落とし、それから画面へ戻した。
全部出してよい。ただ、合わせる仕事の中には、何をやめるかを選ぶ時間も必要だった。
「ご希望を伺って、それぞれの案を出すことはできます。けれど合計が上限を超えた時、全部を残したまま、金額だけを下げるお約束はできません」
美緒はそうですね、と答えた。
その横で、悠真の画面が少し揺れた。彼が携帯かパソコンの位置を直したらしい。
「分かった。案を見てから、考える。それでいいでしょ」
私は金額が確定する前に手配できない物があることを伝えた。
主任が、変更の依頼と会社の承認が済んだ範囲で進める、と続けた。
悠真は頷き、では見積を、と言った。
「もう一点、費用をご負担される方について、確認をお願いします」
私が話すと、悠真は画面を見直した。
「それって、俺たちじゃないの」
「お二人でご負担になる金額と、ご家族などにご相談中の金額がある場合は、確認された範囲をお知らせください」
「細かく、分ける必要があるんですか」
彼は笑いかけた。
私は画面の美緒を見た。彼女は何かを考えるように、目を下へ向けていた。
「ご負担が決まっていない部分を、決まった予算として扱わないためです」
主任が答えた。
「ご家族が負担されるご予定であれば、ご本人にも確認いただいた内容かを、伺います。ご相談がこれからなら、そのようにお知らせください」
美緒が顔を上げた。
「悠真くんのご両親が、出してくれる分も、あるんだよね」
私は記録の行を一つ空けた。
悠真はすぐには答えなかった。
「その辺は、家で話すから」
「はい。では、ご相談が済んだ範囲と、これからの範囲を、分けてお返事ください」
私が言うと、彼は分かったよ、と答えた。
少し強い声だった。
美緒が、そのあとに、私もまだ数字までは聞いていなかったので、と続けた。
私は二人の返事を、そのまま書いた。
確認の日を決める時、悠真は来週は忙しいと言った。
私は返答を待ち、主任が、いつなら相談できるかと尋ねた。
「週末に顔を出すつもりだったけど、まだ、向こうの予定も分からないし」
「直接会わないと、難しいお話でしょうか」
「電話で金の話だけするのも、変でしょ」
私は彼の母親と初めて食事をした時を思い出した。
何を手伝えばよいか分からず立っていた私へ、恵子さんは、お茶を選んでもらえる、と言った。棚にあった二種類の箱から一つを選ぶだけでよかった。
その人へ、別れたあと、一度も自分から連絡していなかった。
今も、私が電話をすれば早い、という話にはしたくなかった。
「ご家族へ相談する時期は、お二人で決めてください。ただ、こちらが手配を進めるために必要な確認の日は、決めさせてください」
主任は予定を示した。
その日までに確認が取れなければ、決まった予算の範囲で案を作る。追加したい物の中には、希望通りの準備が難しくなる物もある。
悠真は画面の向こうで息を吐き、分かりました、と答えた。
美緒はその日を、自分の手元へ書き留めた。
私は予定している人と、実際に了承した人は違う、という文を書きかけた。
必要なのは、説教の文ではなかった。
誰が、何を、いつまでに確かめるか。そちらへ書き直した。
通話が終わり、私は画面を閉じた。
相談室には、私と主任だけが残った。誰もいなくなった向こうの椅子が、妙に広く見えた。
「朝倉さんのお母様と、以前、お会いしたことがあります」
私は言った。
主任は頷いた。
「私から連絡を取れば、聞けるかもしれないと、思ってしまいました」
「今の私たちに必要なのは、その連絡ではないです」
「はい。分かっています」
そう答えたあと、私は少し黙った。
分かっているのに、別のことも思っていた。
彼女は私の婚約がなくなった理由を、何と聞いたのだろう。
自分が仕事を優先したからだと、今も思われているだろうか。
費用の確認という名目があれば、声を聞ける。その先に、私の知っていることを話せる隙間があるかもしれない。
「私自身が、聞きたいこともありました」
口にすると、主任は私を見た。
「それなら、なおさら、分けておきましょう」
私は頷いた。
事務室で記録をまとめていると、美緒から追加の連絡が来た。
お母さんたちには悠真くんが話すので、その前提で案をお願いします。
私は主任へ見せた。
返す内容は、さっきと同じだった。相談する予定として承知したこと、確認後の内容を待つこと。了承された予算としては扱わない。
送信を終え、私は自分の予定を開いた。
花店との相談の日が近づいていた。宣伝になるから、という美緒の希望についても、会社から整理して伝えることになっていた。
私は花店への質問を一つ書き、手帳を閉じた。
帰る前、悠真から、今週は親も忙しいので、少し待ってほしいと届いた。
主任が会社の窓口から、決めた確認の日までは待つこと、その時点の返事を求めることを伝えた。
私は記録の支払予定者の欄へ戻った。
悠真と美緒の名前の下に、相談中、と書いた行が残っていた。
母親の名前は、まだ書かなかった。




