第4話 あの人に撮ってほしかった
窓のそばにいた人は、カメラを私へ向けなかった。
九月九日、リーヴェルの会場へ入ると、男性が鞄から出した道具を机の端へ並べていた。三脚はまだ畳んだままで、手元には会場の図があった。
水野主任が先に歩き、私を紹介した。
「制作を担当する篠原さんです。映像の高瀬さんとは、以前、お話をされたことがあるそうですが」
「はい。去年、見積のご相談をしました」
彼が顔を上げた。
高瀬遼さん。私が、自分の結婚式を撮ってほしかった人だった。
「篠原さん。お久しぶりです」
声も、覚えていた。
前年の十二月、短い相談の時間に、彼は私の広げた写真を見た。どんな式にしたいかを話しているうちに、何を撮ってほしいか分からなくなった私へ、残したくない時間は、と尋ねた。
誰かが泣くまで待って、撮り直すのは嫌です。
そう答えると、彼はそれはしません、と言った。
その返事が気に入って、私は家へ帰ってからも彼の映像を見た。
「今回は、仕事でお世話になります」
私は頭を下げた。
彼も同じようにして、机の図を主任へ向けた。
今の案件の映像は、希望する内容をこれから決める段階だった。
会社に登録している制作者の中から、高瀬さんへ相談する。見積と範囲をそろえ、新郎新婦が会社を通じて選ぶ。今日の下見は、そのための確認だった。
私は進行のたたき台を渡した。
「招待の方と話す時間を取りたいというご希望と、写真を多く残したいというご希望があります。映像で何を残したいかは、まだ聞き切れていません」
彼は紙を見て、二人からですか、と確かめた。
「はい。話す時間は主に新郎、写真は新婦からです。ただ、お二人で確認していただくところも残っています」
「分かりました。一つの希望にまとめる前の物ですね」
私は頷いた。
彼は紙の端へ短く書き、では撮る時間も、仮として見ます、と答えた。
「窓側で、皆さんに並んでいただく案ですか」
彼が図を指した。
「写真の候補です。映像も、同じところへ集めれば済むと考えていたのですが」
「同時にできます、と言う前に、位置を確かめたいです。写真の方の邪魔になっても困るので」
彼は畳んだ三脚を持ち、窓の方へ向かった。
私は後ろからついていき、主任は図面を持って机に残った。
窓に近づくと、外の明るさで、顔の見え方が変わった。
高瀬さんは私を立たせてすぐ撮るのではなく、先に、自分が考えた位置を指した。
「ここに二人、その前に写真の方がいるとしたら、私は少し横になります。実際に組む時は、そちらとも確認します」
私は客が席から出てくる道を示した。
椅子と椅子の間を歩き、窓の手前へ集まる。撮り終えた人と、次に来る人が同じ場所ですれ違いそうだった。
「こちらから戻っていただく方が、ぶつからないと思います」
高瀬さんが足元を見た。
「その道に、私の鞄を置かないようにします」
「鞄は、別の場所を用意できます。ずっと持って移動されますか」
「必要な物だけで動きたいです。使う物が決まったら、大きさも伝えます」
それなら、と私は図へ印を付けた。
人を通す線を引くと、そこにあった飾りの台が一つ、置けなくなる。
美緒の欲しい背景の高さを思い出し、私はその台を消す前に、候補を二つ残した。
「何か、動かせない物ですか」
高瀬さんが尋ねた。
「新婦が、座っている時の顔の周りを、明るく見せたいと希望しています。この台をよけるなら、別の形も考えてからご相談したいです」
彼は私の図を見た。
「花を増やしたい、というだけではないんですね」
「そう聞いています」
「では、花店の案も見せてもらってから、こちらの位置を考えます。今、この線を全部確定させなくても」
私はお願いしますと答えた。
美緒の希望を伝えている自分の声を、少し離れたところから聞くような気がした。
窓側の確認を終え、私たちは机へ戻った。
主任が、見積に含める範囲と、別に希望を確かめる物を整理した。私は新郎新婦への確認事項へ、映像を誰と見たいか、当日のどの時間を残したいか、と加えた。
高瀬さんは仕事で確認できる素材があるかも先に伺いたいと言った。
「使ってよい物か、ご本人たちに確かめてもらいます。送られてきた物なら何でも使える、という進め方にはできませんので」
私は頷いた。
自分と悠真が一緒に写った写真が、彼の手元にまだあるかを考えた。こちらが気にしているからといって、今日、その写真を探させる理由にはならなかった。
新郎新婦自身の素材を、本人たちが確かめる。その範囲を紙へ書いた。
「篠原さんからも、使いたい物はありますか」
高瀬さんの問いに、私は顔を上げた。
「協力店の紹介のことでしょうか」
「はい。企画の中で、お店の手元などを残す案もあると伺ったので」
主任が企画書のページを開いた。
私は焼菓子の包みを並べた写真を示した。店を宣伝するための映像にするか、式に来た人へ誰が作った物かを伝える程度にするか。そこも、各店と決める必要があった。
「ご本人たちに喜ばれるだけでなく、作った方にも、続けてよかったと思ってもらいたいです」
口にしてから、少し大きなことを言った気がした。
高瀬さんはどんな映像を見せれば喜んでもらえるか、こちらだけでは決められませんね、と答えた。
「各店へ、見せてよい範囲も聞きますか」
「はい。作業の場所を、当然撮らせてもらえるとは思っていません」
「それなら、確認してから、伺う案を出します」
私は自分のメモへ戻った。
分かってもらえたことがうれしくて、少しだけペンが速くなった。
主任が事務室へ戻ったあと、私は忘れ物がないか会場を見た。
高瀬さんは道具を鞄へ戻していた。私も図を閉じ、今日はありがとうございましたと言った。
「こちらこそ。前に聞いた企画、実施するんですね」
「三月に会社へ提案しました。お見積の相談の時は、まだ、店の名前も決まっていませんでしたけど」
「港の小さな店の物を、帰ってからも使ってもらいたいと、おっしゃっていました」
覚えていたことに、私は少し驚いた。
どんな指輪だったかを覚えていると言われるより、ずっと答えやすかった。
「そこは、同じです」
「そうですか」
彼は鞄の留め具を閉じた。
私の方から、以前の相談が仕事にならなかったことを詫びかけた。結婚しなかったから、という説明を添える必要があるような気もした。
でも、彼はその話を待っている顔ではなかった。
「あの時、お見積の先へ進まなかったことを、気にしていました」
結局、そこだけ伝えた。
高瀬さんは首を横へ振った。
「見積の相談でしたから。決めないことも、あります」
私はありがとうございます、と答えた。
何があったかを知っていたかは、聞かなかった。聞けば、慰めの言葉まで待ってしまう気がした。
彼は鞄を持ち、扉へ向かった。
「次の確認、こちらからも送ります。篠原さんの方で、決まっていないところは、そのまま教えてください」
「はい。仮の物を、完成した案のように見せないようにします」
彼は少し笑った。
「今日の図は、仮だと分かりやすかったです」
褒められたのか、私が気にしすぎているのか分からず、こちらも笑った。
彼を送り出し、私は会場へ戻った。
港の方の窓は、さっきと同じ明るさだった。
今日ここで、自分の式を撮ってほしかった人と、ほかの二人の式の話をした。
その時間の全部が、つらかったわけではなかった。
私は図の隅へ、協力店へ確認、と書いた。
次に彼へ渡したい物があることを、今は、仕事の予定として覚えておいた。




