第26話 当日の朝にすること
十一月十六日の朝、雨は、予報より静かに降っていた。
リーヴェルの業務用の扉を入り、私は上着を脱いだ。八時二十分。ロビーの反対側にある小さな挙式室も、まだ客を迎える前だった。
事務室で最終の進行を受け取り、使う版の番号を確かめる。
十一時に挙式、十一時半に披露宴。終宴は二時の予定だった。
窓の外には、白い空と、濡れた庭があった。
「屋内の案へ切り替えます」
水野主任が、会場の責任者と確認して言った。
私は手元の図を開いた。九月の雨の日に、高瀬さんと歩いた場所が載っていた。
決めておいた方の準備を、各担当で始めた。
私はロビーで客へ案内する順番を、受付の担当へ渡した。
庭へ出てもらってから戻すのではなく、挙式後、会場内の窓側へ案内する。席へ戻る道を、次に集まる人の道と重ねない。
会場の責任者が、椅子と台の位置を確かめた。
変える必要があれば、担当へ伝え、全体へ返す。
小野さんが花の位置を見て、光の方へ少し向きを変えた。
私はその手が止まるまで、横から触らずに待った。
「ここまでなら、通れますか」
千春さんに尋ねられ、私は会場の担当と一緒に、図の道を歩いた。
撮影の人が立つ場所まで確かめ、使う位置を合わせる。
花が、写真の中だけでなく、今、人の集まる場所へ置かれていた。
「ありがとうございます。こちらで、お願いします」
私は答えた。
大きな背景をやめた案だった。小さくなったからと、どこへでも簡単に置ける物には、なっていなかった。
新郎新婦へは、主任が朝の説明をした。
雨天の案へ切り替えることは、既に確認してもらっていた。それでも実際の雨を見れば、残念な気持ちはあるだろう。
私は美緒が会場へ入ったところで、窓側の花と、移動する場所を示した。
「あの図の方ですね」
彼女が言った。
「はい。お二人から、こちらへ移動していただきます。途中は、担当がご案内します」
美緒は窓の向こうを見て、庭、濡れてますね、と言った。
私ははい、と答えた。
彼女は花へ目を戻し、ここは、明るく見える、と呟いた。
私はその返事を受け取り、次の案内へ進んだ。
悠真はどの時点で友人へ声を掛ければよいかを尋ねた。
私は担当と、確認した順番を伝えた。
彼が私の顔へ親しそうな笑いを向けても、返事の中身は変えなかった。
当日の朝に、その境界を説明し直すことは、必要なかった。
九時四十分、準備が一つの区切りまで進んだ。
私は業務用の扉の内側で水を飲み、手元の確認を閉じた。高瀬さんが、こちらへ来てもよいですかと尋ねた。
彼は必要な機材の準備を終え、次の撮影の開始まで、短い間があった。
「五分くらいなら、話せます」
私が伝えると、彼は頷いた。
私たちは通る人の邪魔にならない、壁際へよけた。
外で雨の話をした日のように、並んで立った。
「先日は、言い切ったことを、もう一度謝りたいです」
高瀬さんが言った。
「担当を降りた方がいいと、こちらで決めて話しました。すみませんでした」
私は彼を見た。
一度、謝ってもらったことだった。でも、時間が空いたあとで、どこを気にしていたかが、同じ言葉で届いた。
「私も、高瀬さんなら、説明しなくても分かってくれると思っていました。それで、少し強く返しました」
私は答えた。
「あのあと、自分が何を聞いていなかったか、考えました」
彼は続けた。
「仕事がつらいと聞いて、なくせば楽になると思いました。でも、篠原さんが、どこを続けたいかは、聞いていませんでした」
「私も、あの時、全部は話していません」
私は壁の少し上を見た。
「二人が困るところを見て、うれしくなる自分がいました。確認することが正しくても、その気持ちまで、きれいにはなりませんでした」
彼は黙って聞いた。
私は言葉を続けた。
「主任へ相談して、仕事の進め方を見直しています。私が大丈夫だと言えば済む形ではなくて。今日も、その体制で来ています」
「はい」
「自分が、よい人だから続けられたとは、思っていません。でも、ほかの人と確かめながら、仕事を終えたいです」
高瀬さんは少しだけ息を吐いた。
「今、聞けて、よかったです。私は篠原さんが傷つかないようにできる人では、ないんだと思います」
私は彼を見た。
「でも、何をしたいかは、聞けます。次は、こちらの答えを先に置かず、返事を待ちたいです」
私ははい、と答えた。
それでも今日ここで、同じ仕事をする前に、その声を聞けた。
「高瀬さんは今日、私に、何を確認してほしいですか」
私は尋ねた。
彼は少し驚いた顔をしたあと、会場の方を見た。
「窓側へ案内する前、客の方が移動を始める時点を、もう一度教えてもらいたいです。私は先へ回るので、こちらから、見えないところがあります」
「分かりました。会場の責任者にも合わせて、担当から伝えるようにします」
私は答えた。
彼はお願いします、と頷いた。
「それと」
彼は少し声を変えた。
「篠原さんは、どこで終わったと、区切れそうですか。今日の仕事が」
私は自分の手元の紙を見た。
式が終わり、客を見送り、担当分の確認と引渡しを終えたところ。
翌日にも、会社で報告する仕事はあった。でも、今日の帰る時刻は、そこへ全部まとめなくてもよかった。
「自分の分の引渡しを終えたら、帰ります。全部、誰かが困らなくなるまで待つ、という終わり方にはしません」
私が言うと、高瀬さんは分かりました、と答えた。
私は時計を見た。決めた五分が、近づいていた。
「また、話したいです。今日の仕事のあとも」
私から言った。
彼ははい、と答えた。
「私もです。今度は、急いで話し終えなくてよい時間に」
私は少し笑った。
次に何を返せばよいか、仕事の言葉では、すぐには出なかった。
でも、笑っているうちに、スタッフに呼ばれた。
私は返事をして、会場へ戻った。
窓側の確認は、担当へつなぎ直した。高瀬さんは自分の位置へ向かい、小野さんは花の最後の確認をしていた。
誰か一人が全部を見ているわけではなかった。
私がいま何を見ていて、どこが見えないかを、伝えればよかった。
ロビーから、客を迎える声が聞こえ始めた。
私は襟元を確かめ、手元の紙を持ち直した。二人の名前が、一番上にあった。
朝倉悠真様、相沢美緒様。
初めて読んだ日には、紙を開いたことを後悔した。
今日は、その名前の下へ、確認された予定が並んでいた。
雨は、まだ降っていた。
晴れた方がよかったと、思う人はいるだろう。
それでも来た人がここで過ごす時間は、これから始まる。
私は会場の責任者へ、担当分の準備が済んだと伝えた。
彼女が頷き、次の案内を出した。
私も、自分の場所へ向かった。




