第22話 その約束は聞いていない
今度の相談室には、四人分の資料だけを置いた。
十月二十五日。前日の記録を確認したあと、水野主任は悠真と美緒をもう一度迎えた。
両親は来ていなかった。
二人が用意できる額と、親が費用を引き受ける合意はないという内容は、昨日、全員で確かめていた。
私はその記録を、机の端へ置いた。
「今日は、実施する内容と、判断の日について、ご説明します」
主任が話すと、美緒ははい、と答えた。
悠真は資料を開かず、鞄を横へ寄せた。
いつもの笑いで始めようとはしなかった。
会社が示した判断の日は、十一月三日だった。
それまでに、実施する内容を二人で確認し、変更の書面と支払いの確認を終える。
追加の候補を全て入れるなら、確認できている二百二十万円との差額についても、用意の見通しを本人たちが示す。今ある範囲を選び直す案も、作れる。
実施を取りやめる場合は、その時点までの準備と契約の内容に沿って、会社の担当が説明する。
「今、残っている日数で、できる案をお出しします。新たに何でも一から頼める期間ではありません」
主任が伝えた。
美緒は見積を読み直した。
「じゃあ、今まで希望を言っていたのは、何だったんでしょうか」
私は顔を上げた。
「できると思って、考えていたんです。後から、全部追加だったって」
「追加候補としてご提示した物と、今の範囲でできる物は、それぞれお伝えしています」
主任は返した。
私は各案を渡した日を示した。
ただ、送りましたという記録だけを、二人へ突きつけるのではなかった。どの時点のどの紙か、一緒に確かめられるよう、手元の版をそろえた。
「美緒様が気に入ってくださった明るさの案は、追加の大きな背景を入れなくても、残せる部分があります」
私が言うと、彼女は写真を見た。
悠真が、そういう方へ変えればいいだろう、と言った。
美緒は隣を向いた。
「先に、何を頼めるか、分かってたら、そう考えたよ」
悠真は返事をせず、資料へ視線を落とした。
「お母さんが出してくれるから、って言ったよね」
美緒の声は、強くはなかった。
「それを聞いて、私も、自分のお金だけで全部選ぶつもりでは、考えてなかった」
「出してくれると、思ってたんだって」
悠真は答えた。
「じゃあ、違ったって分かった時、どうして先に言ってくれなかったの」
彼はしばらく黙った。
私はペンを机へ置いた。
その問いに、会社が代わりに答えることはできなかった。
「ちゃんと、話せてなかったから」
「お母さんとは、話せてなかった。でも、私には、出してくれるって話したんだね」
美緒は自分の紙を押さえた。
悠真は何か言おうとし、少し止まった。
「最初、俺は二百六十万くらいって言っただろ」
「私は三百五十万くらいって言ったよ。だから、何を入れられるか、もう一度話すことになったんじゃない」
私は最初の確認の記録を見た。
そこには二つの数字があった。会社から、上限と負担者を二人で確認するよう求めたあと、悠真はひとまず三百万円で、と返していた。
ひとまず、という言葉が、いつの間にか、払える額のように使われていた。
「お二人のご認識に違いがあったことは、確認できました」
主任が話した。
「ここからは、今、確認された二百二十万円を基にした案を作るか、別の用意を確認するか、選んでいただきます。まだ、どなたも引き受けていない差額を、会社や協力店がなくす案にはできません」
悠真は頷き、美緒は黙っていた。
私は今の二人へ、全部やめたらどうですかと言いたくなった。
何のために結婚するのか、本人たちが答えられないのなら。
その問いを、仕事の紙へ書くことはしなかった。
「私はこういう式ができると思って、ここを選んだんです」
美緒が写真の一枚を指した。
背景の高い、華やかな会場だった。
「これがなくなったら、何が残るんでしょうか」
私は紙をこちらへ引かず、彼女の前に置いたまま答えた。
「何を残したいかを、一緒に整理することはできます。ただ、私が、こちらを残せばお二人は幸せだと、決めることはできません」
美緒は顔を上げた。
私は言った自分の声を聞いた。
高瀬さんへ、自分の代わりに決めないでと伝えた日のことを、思い出した。
二人へも、同じ返事を待つ必要があった。
主任が、小さな紙を二人へ一枚ずつ渡した。
残したい物を、それぞれ三つ挙げるための物だった。
「最初から同じ答えにしなくて構いません。何を大事にしているかを、それぞれ書き、次の打合せへお持ちください」
悠真は紙を受け取り、料理と、口にしかけた。
主任は相手の答えを聞く前に、ご自身で考えてみてくださいと伝えた。
彼はペンを戻し、その紙を鞄へ入れた。
美緒は自分の分を、しばらく見ていた。
「全部、みんなには、もう、話しているのに」
彼女は言った。
「この会場で、ああいう写真が撮れるって。お店の物も、すごくいい物を、いろいろ作ってもらうって」
私はその場へいなかった友人たちの顔を、勝手に想像しないようにした。
何を言われるかを恐れる気持ちは、分かった。自分も、婚約がなくなったと伝える時、誰にどこまで話すかを何度も考えた。
だから私が代わりに立派な理由を作ってやる、という返事にはしなかった。
「変更された内容は、お二人から、必要な方へ説明いただきます。会場側が、違う理由を作ってお伝えすることはできません」
主任が答えた。
美緒は小さく、はい、と言った。
次の打合せは、十月二十八日になった。
二人が三つずつの希望を持って来る。会社は、基本の案の範囲でどう残せるかを、協力店と確かめておく。
追加する場合も、選ばなかった場合も、元の範囲が分かるようにする。
私は次の仕事を、手帳へ書いた。
「こちらで、どちらを選ぶかは、今日決まっていません」
最後に、主任が確認した。
「結婚式を実施するかどうかも含め、お二人で考える時間としてお持ちください」
悠真が、分かりました、と答えた。
美緒も頷いた。
二人は資料をまとめ、席を立った。彼女は手元の白紙を、一番上へ載せた。
見送りのあと、私は主任と、次に確認する範囲を整理した。
最初から、小さい方を正解として押し付ける案にはしない。本人たちが残したい物を聞き、そのために何を変えるかを示す。
花店へは、基本の範囲で、美緒の好きな明るさをどこまで残せるかを尋ねる。
映像の追加制作をやめても、本人たちが書いた文章と、選んだ写真を、基本の範囲でどのように使えるかを、高瀬さんへ確かめる。
「二人が何を答えるか、まだ分からないですね」
私が言うと、主任はそのために、今日は決めませんでした、と答えた。
私は頷いた。
言い合っている二人を見れば、もう無理だろうと思うことはあった。
でも、二人の生活の先まで、私が決めて終える話ではなかった。
事務室へ戻り、残したい物を三つ、と自分の手帳にも書いてみた。
最初の一つは、企画を続けることだった。
次に、休日の時間と書き、少し迷った。
誰と過ごしたいかを考えると、同じ人の顔が浮かんだ。
私はその名前を、仕事の予定の欄には書かなかった。
そう思って、三つ目の行は、今夜は空けておいた。




