第18話 彼は復讐の小道具ではない
高瀬さんの名前が、花の確認の途中に出てきた。
十月十五日、リーヴェルの相談室で、私は美緒へ、花店から届いた案を見せていた。水野主任は隣で、確認が必要な箇所を開いていた。
悠真は来ていなかった。今日は新婦の好みを聞き、費用に関わる決定は二人で確認してもらう席だった。
美緒は枝の間に光の通る案を選び、こちらの写真が好き、と言った。
私はその返事を書いた。
「映像の人も、これを見るんだよね」
彼女が尋ねた。
「はい。置く位置と、撮る方向を確認します」
「紗季と、仲がいいんだね」
私はペンを止め、彼女を見た。
美緒は資料の角を指で押さえ、笑っていた。
花の見せ方を相談していた時より、少しだけよく知っている顔だった。
「お仕事で、ご一緒しています」
私が答えると、美緒はそうなんだ、と言った。
「一緒に帰ったり、食事に行ったりしてるって、聞いたから」
誰からかを、すぐには尋ねなかった。
人に見えない場所で会っていたわけではない。会場のスタッフが見かけたことも、あっただろう。
だからといって、その場で私が、時刻と店と会話を説明する必要はなかった。
「その話を、今の打合せで確認する必要は、ありますか」
私が言うと、美緒の指が少し動いた。
「別に。よかったと思っただけ。紗季も、もう次へ行ってるんだったら」
私は何も返さなかった。
彼と付き合っていると答えれば、美緒は安心しただろうか。私がもう傷ついていないことにして、今の式を進められる。
反対に、もっとよい相手を見つけたと、彼女へ見せたい自分も、少しだけいた。
高瀬さんの声や、肩へ掛けた鞄を思い浮かべた。
それを、ここへ並べるのは嫌だった。
「高瀬さんとは、交際していません」
私は答えた。
主任が一度、こちらを見た。
「それと、私に新しい相手がいるかどうかで、この仕事の確認は変わりません」
美緒は黙って私を見た。
「私たちのこと、話した?」
美緒が尋ねた。
さっきより小さい声だった。
「自分が、以前、婚約していた相手の式だという話はしました。仕事の中で、どこまで続けるかは、主任と確認しています」
「じゃあ、私のことも、知ってるんだ」
彼女は資料へ視線を落とした。
私は自分が全て隠しているような返事をするのも、違うと思った。
「元の友人が新婦だということは、伝えています。詳しい経緯や、こちらの打合せの内容を、私的に全て話したわけではありません」
主任が机の紙へ手を添えた。
「業務の情報は、必要な範囲で共有しています。篠原の私的な交友関係について、この場で確認を続けることはいたしません」
美緒は分かりましたと答えた。
でも、花の写真へは、すぐ戻らなかった。
「私だけ、悪い人っていうことになってたら、嫌だなと思って」
私は彼女を見た。
私が悪い人かどうかを、彼に判断してもらうために会っているわけではない。そこは、言えた。
けれど自分だけが被害者のきれいな話をしてしまいたいと思う時は、あった。主任へも、自分の動機を話すまでに時間が掛かった。
全部、違いますと答えられるほど、自分を信じ切れなかった。
「私がどう話すかを気にする前に、ご自身が何をしたかは、考えてほしいと思っています」
私は答えた。
その言葉を、仕事の返事にはしなかった。
「今の一言は、私個人の気持ちです。式の内容を変えるための条件ではありません」
主任が、ここで一度、休憩にしましょう、と言った。
私は頷き、資料から手を引いた。
休憩のあと、主任が先に用件を戻した。
花店へ伝える好みと、まだ決めていない費用の範囲。どちらの案も、正式に頼む前に二人で確認する。
私は美緒の言った言葉を、読み上げた。
枝の間が見え、顔の周りに明るさが残る方がよい。花を増やすことより、その印象を大事にしたい。
美緒ははい、と答えた。
「こちらへ近づける場合に、何を残せるかを、お店から出してもらいます」
私が伝えると、彼女は少しだけ頷いた。
「私、本当に、これが好きなんです」
「そのように、伺っています」
私は答えた。
この人は、私に勝つためだけに、全てを選んでいるのかもしれないと思っていた。
でも、写真の前で好きだと言った声まで、私が勝手に空っぽへ変えることはできなかった。
花の案は、仕事として確認した。
終わりに、主任が次の合同打合せを確認した。
悠真の母親にも出席を相談し、日程を合わせている。会社は、本人が参加を了承したことを、所定の連絡で確かめる。
美緒はその時は予算も、ちゃんと話せますね、と言った。
私はその返事を聞き、彼女が何を知っているかを想像するのをやめた。
金額の確認は、その席で行う。
見送りの前、美緒が鞄の紐を直した。
「高瀬さん、紗季に優しいんだね」
また、その名前だった。
私はすぐには返さなかった。
「私たちの前で、楽しそうにして見せなくても、いいのに」
彼女は笑った。
悪意の全部を、冗談の方へ置ける言い方だった。
私はさっきの休憩の間に、何を言っておきたいかを考えていた。
「彼はあなたたちに見せるために会う人ではありません」
私が答えると、美緒の笑みが止まった。
「私が誰かと楽しそうにしていても、その人を、二人への仕返しとして選んだことにはしないでください」
声は、自分でも思っていたより落ち着いていた。
高瀬さんが私をどう思っているかは、まだ分からない。前に言い合ったところも、残っている。
「そんなつもりで、言ったんじゃないよ」
美緒は答えた。
私は伝えておきたかったので、とだけ返した。
主任がロビーへ案内し、私は相談室の扉のところで、頭を下げた。
事務室で、今日の打合せを記録した。
美緒の好みと、次に各店へ確認すること。それから、私的な話題が出て休憩したため、主任と進め方を再確認したこと。
高瀬さんが優しいかどうかという話は、仕事の記録にいらなかった。
主任は文を読み、次の打合せでも、同じ話題を続けないようにすると答えた。
「ご負担を掛けています」
私が言うと、彼女は今の体制で対応できたかを見ましょう、と返した。
私は休憩してから、花の確認へ戻れたことを確かめた。
帰り道、パンとスープを買った店の前を通った。
高瀬さんが、別々の物を一つずつ頼めばよいと言った声を、思い出した。
チーズが出たと話した彼へ、自分の指のソースを見せて笑った。その時間を、美緒がどう呼ぶかで変えたくなかった。
私は店へ入り、今夜、食べたい物を買った。
持ち帰りの袋は、一人分だった。
高瀬さんと話したいことはあった。
でも、二人に何を言ってやったかを聞いてもらうために、連絡するのはやめた。
会うなら、彼自身の声を聞きたい。
その希望が、帰り道では、前よりはっきりしていた。




