↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたの結婚式、私が最高に幸せにしてあげる  作者: 雨宮 弦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/30

第17話 あの頃はよかった

 悠真は私がまだ飲んでいないコーヒーの話から始めた。

 十月十二日、会場の近くの広場で、私は植込みの前に立っていた。昼を過ぎ、人が途切れず通っていた。

 話せるのは十五分、と先に伝えてあった。

 彼は角を曲がって来ると、道路の向こうの店を見た。


「あそこ、前によく買ったよね」


「今日は、ここで聞きます」


 私は答えた。

 店へ入れば、何かを頼み、飲み終えるまで座ることになる。今日は、その時間を作りたくなかった。

 悠真は少し肩を動かし、分かった、と私の前へ立った。

 式場の机を挟んでいないと、以前の距離へ戻ったように見えた。

 私は半歩だけ、植込みから離れた。



「ちゃんと、話した方がいいと思って」


 彼は言った。


「何について」


「いろいろ。五月の時も、最後、言い合ったままだったから」


 私は頷かずに待った。

 言い合いの途中で、私が勝手に帰ったのではなかった。話すことはもうないと、彼が切り上げた。

 その言葉を訂正するところから始めれば、十五分はすぐに終わる。

 私は彼が何を話しに来たかを聞こうと思った。


「最近、思うんだよね。前は、もう少し楽だったなって」


 悠真は自分の靴の先を見た。


「仕事から帰って、紗季がいて。何か決めることがあったら、ちゃんと調べてくれて」


「私は毎日、家にいたわけじゃないよ」


 思わず返した。

 彼はすぐに、そういう細かい話じゃなくて、と笑った。


「落ち着いてた、っていうこと。俺も、ひどいことを言ったとは思ってる」


 私は彼を見た。

 聞きたかった言葉が、一つ、混ざっていた。

 それだけで、もう少し話を聞こうとする自分がいた。

 腹が立ったのは、その自分に対してもだった。



「何を、ひどかったと思っているの」


 私は尋ねた。

 悠真は少し黙った。


「仕事のこととか。紗季も、忙しかったんだろうし」


「忙しかった」


 私は答えた。


「でも、私が忙しかったら、美緒と付き合っていていいことには、ならないよ」


 彼は目を伏せ、分かってる、と言った。

 その言葉が、何についての返事かを、私は今も一つずつ聞かなければ分からなかった。


「今は、それを責め合うために来たわけじゃない」


 悠真は言った。


「ただ、俺たち、全部が悪かったわけじゃないだろ。ちゃんと合ってたところも、あったと思う」


 私は道路の向こうを見た。

 あの店でコーヒーを買った朝も、あった。仕事がうまくいかなかった日に、帰ると食事を用意してくれていたことも。

 彼がいつも、悪い人だったわけではない。

 だから、別れた時、何もかも間違えていた自分を笑って終わることは、できなかった。


「あったよ」


 私は答えた。

 悠真が顔を上げた。


「楽しかったことも、親切にしてもらったことも、覚えてる」


 彼の表情が、少し緩んだ。

 私はその先を急がずに続けた。


「だから、今のことまで、なかったことにはできない」


 彼は返事をせず、私を見ていた。



 自転車を押す人が通った。

 私は一歩よけ、通り道を空けた。悠真も体をずらし、それから、近すぎない位置へ戻った。


「紗季が、仕事として来てくれると、俺も落ち着くんだよ」


 彼は言った。


「何を聞いても、ちゃんと分かるし。美緒はやりたいことが、次々変わるから」


「それは、美緒と話して」


「話してるよ。でも、なかなか、まとまらないから。紗季も、分かるだろ」


 私は返事をしなかった。

 分かると答えれば、彼は二人で同じところに立てたと思うだろう。その先で、私が美緒へ説明する役に戻る。

 昔も、意見が合わない人のことを、彼は私へ話した。私が間へ入ると、助かったと言った。

 頼られているから、ここにいてよいと思っていた。

 その場所を、今、また差し出されていた。


「今日、何を頼みに来たの」


 私が尋ねると、彼は頼むっていうか、と言葉を遅くした。


「母のことも、もう少し柔らかく進められないかと思って。紗季も知ってるし、悪い人じゃないから」


 私は彼を見た。


「お母さんが、悪い人だとは、言ってないよ」


「分かってる。ただ、会社から金額を細かく聞かれたら、びっくりするだろうし。先に、どういう話か、紗季から伝えてもらえたら」


 声は、頼み慣れた物だった。

 私は彼が私を見ているのか、私の返事を待っているだけなのか、分からなくなった。


「それは、式の仕事の話です」


 私が言うと、悠真は息を吐いた。


「今、そんな言い方をしなくても」


「先に、受けないと伝えました。会社の窓口へお願いします」


 彼は目をそらした。



「前は、こんなふうに、全部分けたりしなかったよね」


 悠真が言った。


「紗季が考えてくれたら、大体、うまくいった。俺も、もっと、ちゃんと礼を言えばよかったんだと思う」


 私は自分の手を見た。

 鞄の紐を握りすぎて、指先が白くなっていた。

 礼を言ってくれれば、それでまたできるのか。私が何をしたいかを聞かず、うまくいった頃を戻そうとする。

 彼の言う、楽だった時間が、ようやく分かった気がした。


「戻りたいのは、私じゃなくて、便利だった暮らしでしょう」


 口にすると、彼が顔を上げた。


「そんな、決めつけなくても」


「私が、何をしたいか、一つも聞いてないよ」


 私は彼を見た。


「仕事を受けた理由も、今、どんなふうに暮らしているかも。前みたいに私が考えれば、っていう話だけだった」


 彼は少し黙った。

 今なら、では紗季はどうしたいの、と聞けたはずだった。

 でも、来た返事は、そういう意味じゃなかった、だった。

 私は小さく頷いた。



「私は婚約を戻すつもりはありません」


 私は伝えた。

 悠真はそこまでは、と言いかけた。


「はい。だから、先に言います。昔のよかった時を持ち出して、今の式の条件を変える話も、受けません」


 彼は唇を閉じた。

 風が吹き、植込みの葉が揺れた。私は時計を見た。

 決めた時刻に、近かった。


「私的な精算のことは、相談している窓口を通して続けます。式の話とは、別です」


「紗季」


 呼ばれ、私は顔を上げた。

 彼は少し迷うようにしてから、こんなに、こじらせたかったわけじゃないんだ、と言った。

 私がこじらせている、という返事に聞こえた。

 でも、そのことをまた説明し直す時間は、今日は取らなかった。


「私はもう帰ります」


 そう言って、鞄を持ち直した。

 彼は追いかけてこなかった。

 私は振り返らず、駅へ向かった。



 歩き始めてから、脚の力が少し抜けた。

 言いたいことを言えたら、もっと軽くなると思っていた。胸の辺りは重いままで、どこかに座りたかった。

 広場とは別の通りにある、小さなベンチへ腰を下ろした。

 泣くつもりはなかったが、目の奥が熱くなった。

 彼が、自分のしたことを全部分かって、後悔する返事を待っていたのかもしれない。

 そうは、ならなかった。

 私が去ることは、できた。


 携帯を出し、主任へ伝えることを整理した。

 個人的に親への事前説明を頼まれ、断ったこと。今後の業務の依頼は、会社へと伝えたこと。


 必要なところだけを送り、携帯をしまった。


 高瀬さんの名前を開きかけ、やめた。

 今、誰かに、私を選ぶと言ってもらいたくなっていた。その願いを、高瀬さんと会いたい気持ちと、一緒にしてしまいそうだった。

 私は顔を上げ、目の前の通りを見た。

 夕食を買って帰る人が歩いていた。私も、帰って何か食べる。

 立ち上がる時には、さっきより脚に力が入った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。