第16話 お母様はご存じですか
支払う予定だと書かれた人の名前を、私たちはまだ本人の返事として受け取っていなかった。
十月十一日、事務室で、水野主任が費用の確認記録を開いた。
悠真から届いているのは、家族へ相談しているという返事だった。美緒の希望する追加の案は増えたが、会社からは、未確認の援助を前提に正式な手配をしないと伝えていた。
私は各担当から出た案を並べ、決まった物と、候補の物を分けた。
「最終の見積を確認する前に、支払予定者を含めた場を作ります」
主任が言った。
「ご家族にも、お二人から出席を相談していただくんですね」
「はい。まず、会社から方針を説明します。朝倉さんが話をしたつもりでも、お母様がどこまで了承されているか、同じ席で確かめたいです」
私は記録へ目を戻した。
午後の打合せで、主任は二人へ会社の方針を伝えた。
私たちは相談室の廊下側へ座り、新郎新婦は向かいだった。机には、確認中の追加案と、実施までの予定があった。
「ご家族が費用をご負担される予定と伺っていますので、その方も含めて、ご確認の場を設けたいと思います」
主任が話すと、悠真は紙の端を押さえた。
「俺が話せば、済むと思うんですが」
「これまで、確認中と伺っています。どなたが、どの金額をご負担になるか、会社として、同じ内容を確認する必要があります」
「決まってないから、待ってくださいって、言ってますよね」
私は彼の声が少し大きくなるのを聞いた。
主任は遮らず、最後まで待った。
「はい。ですから、決まっていない範囲は、今も正式な手配へ進めていません。ただ、この先も、いつまでも候補のまま残せるものばかりではありません」
彼女は予定を示した。
新郎新婦の選択を聞いてから、制作側へ頼むまでに必要な時間がある。最終の判断を先へ送れば、同じ内容で準備できるとは限らない。
私は見積を受けた日と、まだ正式に頼んでいない項目を、それぞれ指した。
「お母さんにも、来てもらえばいいんじゃない」
美緒が言った。
悠真は隣を見た。
「仕事も、あるし」
「候補日を、聞いてみたら。私も、いつまでも、どこまでできるか分からないのは困る」
彼女は自分の資料をそろえた。
私はこの返事を待っていた自分に気づいた。彼がもう、先へ送れなくなるところを見たかった。
手元の記録へ戻った。
「ご参加が可能か、朝倉様からご相談ください。ご連絡に使う先も、そのうえで、会社へお知らせください」
主任が言った。
悠真は少し黙り、それから、分かりました、と答えた。
私は候補日を二つ渡した。
「どちらも難しい場合は、その旨を、こちらへお願いします」
伝えると、彼は頷いた。
美緒が、当日は私も来ます、と言った。
主任はお二人と、負担されるご予定の方で確認します、と答えた。
帰り際、悠真が、少しだけ紗季と話しても、と言った。
私は主任を見た。
「業務のお話でしたら、こちらで伺います」
主任が答えた。
彼は笑い、そこまでのことじゃないと首を振った。
「昔から知ってるから、説明しやすいと思っただけで」
私は鞄を持つ手を、自分の横へ戻した。
親族への説明を頼まれた日のことを、覚えていた。
「お仕事の用件は、会社の窓口へお願いします」
私が言うと、彼は分かったって、と短く答えた。
美緒は少し先のロビーで待っていた。悠真が近づくと、携帯を鞄へ入れ、二人で出口へ向かった。
私は追いかけなかった。
主任と相談室へ戻り、今日の確認を記録した。
事務室には、ほかの式の資料も届いていた。
私は自分が受け持つ別の確認を一つ済ませた。こちらの二人は夕食の時間をゆっくり取りたいので、友人の出番を一つ減らしたいと伝えてきていた。
何かを減らせば、それで残念な式になるわけではない。
そういう返事を、私は仕事の中で何度も見てきた。
悠真と美緒にも、減らす物を自分たちで選んでもらうことになるかもしれない。
その時、私がうれしそうな顔をしないように、ということだけを目標にはしたくなかった。
何を残したいか、聞けるかどうかを考えた。
高瀬さんからは、予定どおり、素材の確認事項が来た。
私は仕事の範囲を返し、主任へ共有した。
前の週、言い合いになったことは、その文にはなかった。彼が私をどう思っているかも、そこからは読めなかった。
丁寧な返事が来ると、以前より遠くなった気がした。
丁寧でなくなれば、きっと、それも気にしただろう。
私は画面を閉じた。
今は、仕事の返事を、私的な気持ちを測る道具にしない方がよかった。
会社を出る前に、悠真から個人の連絡先へメッセージが来た。
見慣れた名前が、自分の携帯の上にあった。
私はその場で開かず、まず、手元の資料を片付けた。読む前から仕事の続きとして扱ってしまえば、また、自分だけで返す理由を探してしまう。
外へ出てから、本文を開いた。
そんなに、難しくしなくてもいいと思う。母も、紗季なら分かると思ってるから。
私は一度、携帯を伏せた。
誰が何を思っているかを、また、彼が代わりに伝えてきた。
返事は、会社の窓口へ用件を送ってほしいという内容にした。
私的な話なら、何についてか先に知らせてほしい、とも書いた。
送ってから、仕事に関わる依頼が個人宛に届いた旨を、主任へ必要な範囲で報告した。
電車を待っている間に、また届いた。
仕事の話じゃない。紗季とは、ちゃんと話した方がいいと思ってる。
私はその文字を見た。
五月、私が、ちゃんと話したいと伝えた時、彼はもう話すことはないだろうと言った。
あの時の返事を、そのまま返したくなった。
でも、指を動かさなかった。
用件を先に、と、もう一度だけ送った。
次の返事は、少し時間を置いて届いた。
昔みたいに、落ち着いて話せたらと思っただけ。
駅へ電車が入ってきた。
私は携帯をしまい、列の前の人に続いた。
昔みたいに、と言われても、どの頃かを、私はもう選べなかった。
彼が望んでいるのは、私が何を言っても、最後には分かったと答えた時間かもしれない。
そこへ、戻る約束だけはしなかった。
家へ着いてから、明日、短い時間なら話を聞けると返した。
式の条件を個人的に調整する話は受けない。先に、その一文を置いた。
会えば、前よりつらくなるかもしれなかった。会わなければ、自分の中に、彼が何を言うのかを待つ場所が残りそうだった。
私は話すための時刻と、切り上げる時刻を決めた。
場所は、人の通る会場近くにした。昔、一緒に行った店を、待ち合わせの候補から外した。
今度は、彼が終わったと言うまで、座り続けるつもりはなかった。




