第11話 雨の日のロケハン
雨の庭へ出る前に、高瀬さんは鞄の口を全部閉めた。
九月二十六日。リーヴェルの軒下から、私は濡れた庭を見ていた。新郎新婦が希望している、港を背景にした写真の候補地だった。
今日は二人は来ていなかった。会場の確認として、水野主任と私、映像の高瀬さんが集まっていた。
雨天の場合の案を、晴れた日の図だけで決めずに見ておく日だった。
「ここから、全員に出ていただくのは難しいですね」
私は軒の先を見た。
雨が細く落ちていて、その下だけ、石の色が濃かった。屋根があるからと、全員が待てる場所にはできない。
主任が人数を記した図を閉じた。
「庭に出る案は、雨の時にはやめます。会場内の案を、二人へ見せられる形にしましょう」
私は頷き、こちらへ戻る道を見た。
濡れた傘を持った人が、扉のところで立ち止まれば、その後ろに続く人も動けなくなる。傘を置く場所だけを増やして、同じ道を使うわけにはいかなかった。
「庭へ出る前に、ロビーから会場へ案内を変えるんですね」
「そうしましょう。どの時点で判断するかも、進行に入れます」
主任が答えた。
高瀬さんは傘を畳み、扉から少し離れたところで水を落とした。私も同じようにしてから中へ入った。
会場の窓の手前へ、三人で戻った。
外は白く見え、晴れた日より、港の輪郭が薄かった。私は図を持ち、高瀬さんは鞄から必要な物だけを出した。
「ここへ集まっていただく場合、椅子はどこまで動かせますか」
彼が尋ねた。
主任が会場の担当へ確認し、移せる範囲を示した。私は客が通る道と、戻る道を、それぞれ指でたどった。
先日、花店と相談した台の案も、ここへ重ねた。
「花をこちらへ寄せると、後ろの方からは、二人の顔が見えにくくなるかもしれません」
高瀬さんは自分が立つ候補の位置から言った。
私は彼の横まで歩き、同じ高さから見た。それから少しかがんだ。
座っている人の位置なら、もっと低くなる。
「この台は、動かした後の位置も含めて、花店へ確認します。置いてよい範囲だけを、先に示して」
私が言うと、彼は頷いた。
「写真の方にも、この図を見てもらいたいです。映像は、写真の正面へ入らないようにしますが、こちらも、通る道をふさがない位置を選びます」
主任が確認先をまとめた。
私は机の置き場所を変えた図と、変えない図を並べた。
新郎新婦へ、雨が降ったらこちらになりますと、一枚だけ出すつもりでいた。けれど何を残し、何が変わるかを一緒に見せた方が、当日、別の式にされたとは感じにくいだろう。
「海は、晴れた日ほど、はっきり見えません」
私は言った。
「でも、外へ出なくても、皆さんと同じ場所で写ることはできます。そこを、説明したいです」
「はい。窓の向こうを見せるだけが、ここで撮った記録ではありませんから」
高瀬さんは答えた。
私はその文をそのまま書かず、案の写真で伝えられるところを考えた。
いい言葉を一つ渡せば、がっかりする気持ちまでなくせるとは思わなかった。
確認を終える頃には、雨が少し弱くなっていた。
主任は事務室へ戻り、私は共有する図をまとめた。高瀬さんが片付ける間、確認の写真へ、今日の日付と仮案の番号を付ける。
庭を使わない時の案を、新郎新婦と各担当へ見てもらう。決まった内容は、会社の記録へ残す。次にすることは、そこまでだった。
「帰り、駅の方へ行かれますか」
高瀬さんに聞かれ、私は顔を上げた。
「はい。今日は、これで終わりです」
「私もです。途中まで、ご一緒しても」
私ははい、と答えた。
道を教える必要はなかった。駅まで、彼も知っている。
それで一緒に歩くのは、昼食の店へ案内した日とは、少し違っていた。
傘は、二本あった。
横に並ぶと端が当たるので、私が少し前へ出て、それから、広い道で並び直した。
高瀬さんの鞄には、薄い覆いが掛かっていた。
「よく、準備されているんですね」
私が言うと、彼は自分の鞄を見た。
「一度、濡らしました」
「それで?」
「はい。よく準備した人というより、困ったことを、少し覚えている方です」
私は笑った。
私の傘の先から、水が靴へ落ちた。
少し持つ角度を変えると、今度は高瀬さんの傘へ当たった。すみませんと言うと、彼も、自分が近づきすぎました、と傘を持ち替えた。
通りの小さな店が、窓へ灯りを点けていた。
私は焼菓子の並んだ店の前で、つい足を緩めた。地元の婚礼企画の協力店とは違う店だった。
高瀬さんも止まり、こちらを見る。
「買われますか」
「いえ。今日は、買いません」
財布を出す予定も、人数分を数える必要もなかった。ただ、色の違う小さな菓子が並んでいて、見たくなっただけだった。
彼は急がず、隣で窓を見た。
「三つずつだと思って見ていたら、あそこだけ二つですね」
言われて、私は棚の端を見た。
一種類だけ、二つ残っていた。
「誰かが、一つ買ったんでしょうか」
「一番、人気なのかもしれません」
「最後の一つだけ、売れなかったのかもしれませんよ」
私が言うと、彼は少し笑った。
「全部、私たちの想像でした」
「はい。確認は、しません」
私は笑い、また歩き始めた。
駅へ近い道を曲がると、古い建物の窓に、青い鳥の飾りがあった。
私はこんな物、ありましたか、と言った。
高瀬さんは首を傾げ、少し離れて見上げた。
「前から、あったと思います。ただ、今日はよく見えますね」
白い空の前で、鳥の色だけが濃かった。
私は携帯を取り出しかけ、やめた。傘を持ちながら撮るほどの用事ではない。
覚えていれば、次に見られる。
「晴れの日も、見てみます」
そう言うと、彼は私も、と答えた。
何も買わず、何も撮らずに、二人で同じ物を見た。
改札へ向かう前、私は傘を畳んだ。
高瀬さんは少し離れたところで自分の傘をまとめ、鞄の覆いを外した。濡れた物と、乾いた物を分けて入れる。
「今日、歩けて、よかったです」
私は言った。
彼が顔を上げた。
「庭は、歩けませんでしたが」
「そちらは、よくなかったですけど。帰り道の方です」
言い直すと、彼は笑った。
「はい。私もです」
別れてから、私は電車の中で、今日の図を一度確かめた。
雨天の案は、まだ確認する人が残っていた。明日、会社から連絡する。
資料を鞄へ戻し、窓へ顔を向けた。
次に高瀬さんと仕事をする日を、既に知っていた。
仕事のない帰り道にも、また会えたらと思ったことは、どこにも書かなかった。




