02:お説教と絶対演算
「……というわけで。今回の収支報告よ」
新宿ダンジョンの地上出入り口付近に設けられた、探索者向けの簡易カフェテリア。そこで天城海斗は、プラスチックの安っぽいテーブルの前に座っている。
それを挟んで向かいあう形で座っているのは、彼の相棒である女性・東雲玲 (しののめれい) だ。
彼女が手元のタブレット端末を冷たくタップする。画面に表示された円グラフと無数の数字が、空中にホログラムとなって浮かび上がった。
玲の固有スキル『絶対演算 (システム・アナライズ) 』。
彼女の視界に映るあらゆる事象――確率、耐久値、市場相場などを即座に数値化し、他者の端末にも共有できる、情報化社会のダンジョン探索において最上位に位置するスキルだ。
「さっき倒したオークの狂戦士 (バーサーカー) 。ドロップした魔石と角の現在の市場買取価格は、合わせて約十二万円。これは素直にすごいと思うわ」
「だろ!? なら今日は焼肉――」
「最後まで聞きなさい」
食い気味に立ち上がろうとした海斗を、玲は氷点下の視線で制した。あまりの冷たさと静かな迫力に、海斗は無意識に怯んでしまった。
「まず、あんたがわざわざ重い大剣をフルスイングしたことによる、武器の刀身のマイクロクラック (微細な亀裂) が、修復費八万円。次に、無駄に大声で名乗りを上げたことによる関節装甲の駆動ロスと摩耗率上昇で不具合が出た、アーマーのオーバーホール代。さらに、戦闘後に意味もなくポーズを決めたせいで消費された無駄なカロリーを補うための、高濃度魔力サプリメント代」
そのほかにも、あれやこれやと掛かった経費が彼女の口から紡がれる。タブレットの画面上で、先ほどまで黒々と輝いていた「+120,000」の数字が、凄まじい勢いで目減りしていく。
「合計して、マイナス三万円。見事なまでの赤字よ。……いい加減にしてくれない? 私たちは企業ギルドに雇われている正社員じゃないのよ? 明日の家賃も怪しいフリーランスの分際で、どうしてこう毎回毎回、コスパの悪い戦い方しかできないわけ?」
玲は大きな溜め息を吐きながら、ショートカットの髪を掻きむしった。
彼女の言うことは、現代のダンジョン社会において『絶対的に正しい』ことだった。
五年前、世界中がダンジョンという非日常に呑み込まれた時、人々は一度はパニックに陥った。
しかし、資本主義の力は偉大というべきか。人類はすぐさまダンジョンを『新たな資源の採掘場』としてシステム化してしまった。
現在、探索者という職業は、冒険者などではなく、危険手当付きの日雇い労働者や、企業ギルドの末端社員のような扱いだ。
誰もが『D-NAVI』アプリでドロップ品の相場を1グラム単位で確認し、最も利益率 (コスパ) が良く、最も短時間 (タイパ) で敵を処理できる最新の魔導アサルトライフルを装備する。
怪我をすれば治療費がかさむ。そのため、被弾のリスクがある近接武器――とくに海斗が背負っているような大剣などは、旧時代の遺物として誰にも見向きされない。
「あのオークだってそうよ。私が指示した通り、左膝の古傷を狙ってちまちま削れば、武器の修理代は三分の一に抑えられたわ。なんでわざわざ正面から、一番硬い得物 (斧) ごと叩き割るような真似をしたの?」
「おいおい玲。計算が合わないからって、大事なことを忘れてるぞ」
説教の雨を浴びながらも、海斗はまったく悪びれような様子を見せない。むしろ満面の笑みを浮かべて身を乗り出してきた。
「いいか? 逃げ遅れた若き冒険者の絶体絶命のピンチ。そこに颯爽と現れた俺が、敵の最強の一撃を真っ向から受け止め、さらにその上を行く力で粉砕する……」
海斗はまるで演劇のクライマックスを語るかのように、両手を広げてみせた。
「――最高に『カッコよかった』だろ?」
「はぁ?」
「あの新人の目をみただろ? キラキラしてたぜ。あいつの心には、間違いなく『英雄の姿』が刻まれた。三万円の赤字で、誰かの一生に残るような最高のドラマが作れたなら、むしろ大黒字じゃないか!」
胸を張り、真剣な眼差しでそう言い切る海斗。
彼は、本気だ。
本気でそう思っている。
そんな相棒を見て、玲は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「……出たわね。あんたのその『ロマン至上主義』。ここは劇場じゃないの。ダンジョンなのよ。命と金がリアルにすり減る現実なの」
「現実がなんだ! 現実が退屈で息苦しいからこそ、人はロマンを求めるんだろうが! 俺は、コスパやタイパで計られるような、ちっぽけな人生を送るつもりはない!」
力強く宣言する海斗。胸を張り、何ら間違ったことを言っていないとばかりに。
周囲のテーブルに座っていた他の探索者たちが、その声を聞いてチラチラと、海斗たちの方を見ている。
「またあの大剣バカが痛いこと言ってるぞ」
「三万の赤字でドラマがどうとか、頭イカれてんな」
「あんな奴と組んでるあの女も可哀想に」
ひそひそと嘲笑する声が聞こえてくる。
玲は他人の視線に居心地の悪さを感じながらも、目の前のバカな幼馴染を見つめた。
世間から見れば、海斗は完全に『時代遅れのピエロ』だ。
効率を求め、利益を優先するこの社会。そのなかで、打算や見返りを一切求めず、ただ「カッコいいから」、「それが英雄のやることだから」という理由だけで、海斗は命を懸けてみせる。
それは現代社会において最も愚かで、最もコスパの悪い生き方だった。
「……でも」
玲は小さく呟き、タブレットの画面を消した。
(でも、あの時……)
五年前。ダンジョンが突如出現し、街にモンスターが溢れかえったあの日。パニックに陥り、大人たちすら他者を押しのけて我先に逃げ惑う地獄絵図の中で。
足がすくんで動けなくなり、ゴブリンの群れに囲まれてしまった玲の前に立ち塞がったのは。震える足で折れた標識を握りしめた、当時十五歳の海斗だった。
『見よ! 邪悪なる魔獣よ! 我こそは――!』
玲の『絶対演算』が目覚めたのは、その時だ。
同時にその能力は、自分を守ろうとする海斗の生存確率を冷酷に『0%』と弾き出していた。計算上、彼は確実に死ぬはずだった。
だが、彼はその『0%』という絶対の数字を、気合いとロマンと、よく分からない熱量だけで叩き割り、玲を救い出してみせたのだ。
「……ま、あんたがバカなのは今に始まったことじゃないしね」
玲は何度目か分からない溜め息を吐きながら、コーヒーの紙コップを手に取った。
どれだけ世間が彼を笑おうと、どれだけ彼のやり方が非効率であろうと、玲だけは知っている。彼のその『損得勘定のなさ』が、計算づくの冷たい世界の中で、どれほどまぶしく、そして得体の知れない『奇跡』を引き起こす可能性があるかを。
「とりあえず、今日の赤字分は夕飯のオカズを減らして補填するから。スーパーのタイムセールで、一番安い鶏胸肉を買ってきなさい」
「ええっ!? 鶏胸肉だけ!? 冒険の後には、せめて豚肉を――」
「文句を言うなら、もやし炒めにするわよ。あ、あと防具の清掃もあんたの仕事だからね」
「くそっ、鬼軍師め……! 覚えてろよ、いつか最高のドロップ品を引き当てて、お前にA5ランクの和牛をたらふく食わせてやるからな!」
悪態のつもりなのかもしれないが、悪態になっていない言葉を吐き捨てながら。海斗は悔しそうな顔をして大剣を背負い直し、簡易カフェテリアを出て行った。
その背中は、赤字を抱えた日雇い労働者には到底見えない。どこまでも前向きで、自信に満ち溢れた『冒険者』のものだった。
「……A5ランクの和牛、ね。期待しないで待ってるわよ、バカ海斗」
玲は呆れ顔でその背中を見送りながら、少しだけ、本当に少しだけ、口角を上げた。
周囲の嘲笑など意に介さず、ただ己のロマンだけを信じて突き進むバカな幼馴染。
彼のそのゴーイングマイウェイな背中を見ていると、数字と計算に縛られた息苦しい日常が、ほんの少しだけマシなものに思える。
不思議なものだ、と、想いながら。玲はまだ冷め切っていないコーヒーを飲み干した。
-つづく-
次回、第3話。「ロマンは金にならないけれど」。
先立つものがなければやっていけない、と理解はしている。
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