01:コスパ至上主義の迷宮と、時代遅れの大剣
五年前、世界に『ダンジョン』が現れた。その原因は今なお不明である。
突如として日本全土、いや世界中の主要都市に出現した漆黒の巨大な陥没穴と、そこから這い出す未知のモンスターたち。人類はパニックに陥り、世界はファンタジーの恐怖に呑み込まれるかに思われた。
だが、人類は逞しかった。
いや、冷徹なまでに計算高く適応したと言うべきか。
ダンジョンとモンスターが利益を生むということに気付いたのだ。
あらゆるモノや事象が未知だったダンジョン。手探りながらも調査が進むにつれ、ダンジョンから発掘される鉱石が地球のものとは明らかに異なること、そして資源として遥かに質が高いことが判明する。
さらに、討伐したモンスターの肉、毛、皮、骨に至るまで、食用や加工素材として有用であることも分かった。
一転して、ダンジョンやモンスターは恐怖の対象ではなく、この上ない資源を抱えた宝の山として見られるようになる。人々は我先にとダンジョンへ潜り、競うようにモンスターを狩り始めた。
やがて、ダンジョンやモンスターから得られるあれこれが、世の中が回るために必要なモノであると認識されるようになり。それらを得るための『探索者 (シーカー) 』と呼ばれる職業まで現れ。一攫千金を得た成り上がりや急成長企業などを多く生んだ。その規模が大きくなるにつれ、ダンジョンを起点とした一大経済圏が形成されていく。
そして現在。わずか五年で、ダンジョンは『それなりに危険だが実入りのいいインフラ産業現場』と成り果てていた。
現代世界に突然生まれたダンジョン。その創造主の思惑がどんなものだったのか、神ならぬ人間には分かるはずもない。だがしかし、想定していたものから大きくズレていることは確かだろう。
◇ ◇ ◇
新宿駅の一角にぽっかりと口を開ける『新宿巨大ダンジョン』。その第一階層である『苔生す廃都』エリアには、今日も無数の探索者たちがひしめき合っていた。
しかし、彼らの姿は、かつてゲームや漫画で描かれた『冒険者』とは似ても似つかない。
「おい、今日のスライム粘液の買取相場はいくらだ?」
「グラム八円に下がってますね。大手企業ギルドが上の階層で乱獲したせいで値崩れしてます。これじゃ弾薬代のペイも怪しいですよ」
「チッ、タイパ最悪だな。ならゴブリンの骨狙いに切り替えるぞ。アプリのマップデータだと、北東のエリアが空いてるはずだ」
迷彩服に身を包んだ男たちが、スマートフォンの専用アプリ『D-NAVI (ディーナビ) 』の画面をスワイプしながらボヤいている。彼らが手にしているのは剣でも杖でもなく、魔力を物理弾に変換して射出する最新式の魔導アサルトライフルだ。
少し離れた場所では、数人のグループが設置型の自動迎撃タレットを置き、安全な場所でコーヒーを飲みながら、誘い込んだスライムが流れ作業で処理されていくのを眺めている。
これが、現代のダンジョン探索だ。
かつてあったファンタジーな娯楽作品の数々。それらに触れた者たちの多くが、現実にダンジョンが現れたことにより胸を躍らせた。ゲームやアニメ、マンガで見たような体験が実際にできるのだと。
しかし、ダンジョンから得られる利益が知られ、その環境が様変わりしていくにつれて。夢やロマンを求めてダンジョンに足を踏み入れる者はいなくなっていった。
今はもう、心躍る冒険はそこにはない。
『探索者』は『冒険者』ではなく。
多くの人にとって、ダンジョンは仕事場。
そこにあるのは『未知へのロマン』でも『己の限界に挑む試練』でもない。いかに安全に、いかに低コストで、いかに短時間で利益を上げるか。
タイパとコスパ。それが探索者たちを縛る絶対のルール。
罠があればマニュアル通りにドローンで解除し、少しでも危険なモンスターがいれば戦わずに迂回する。死の危険が伴うダンジョンにおいて、『自己責任』と『徹底したリスク管理』こそが正義であり、無理をする者は『計算ができないバカ』として自己責任の名の下に見捨てられる。
息が詰まるほど徹底的に合理化された、退屈で安全な採掘現場。
それが、今のダンジョンの姿であった。
◇ ◇ ◇
ダンジョンは本来、人類の理解を超えた不可解なシステムである。どれだけマニュアルで縛り、効率化を図り、危険を回避しようとしても、時として確率論やデータを嘲笑うかのように例外 (イレギュラー) が牙を剥く。
「――ッ! なんだあれは!?」
スライムの粘液を採取していた探索者が、悲鳴のような声を上げた。
第一階層の開けた広場。安全なはずのその場所に、突如として空間が歪み、巨大な影が『ポップ』したのだ。
身長は三メートル近く。隆起した赤銅色の筋肉に、血管が不気味に浮かび上がっている。手には、車のエンジンブロックをそのまま固めたような巨大な鉄斧が握られていた。
「オ、オーク……いや、違うぞ! 肌が赤い! 『狂戦士 (バーサーカー) 』の変異種だ!」
誰かがARグラスで対象をスキャンし、絶望的な声を上げた。
オークの狂戦士。通常なら第三階層以降にしか出現しない、極めて凶暴でタフな上位モンスターだ。
それがなぜか、初心者の集まる第一階層に現れた。
「ブォォォォォォォォォォォッ!!」
オークの狂戦士が雄叫びを上げ、巨大な斧を振り回した。その風圧だけで、近くに設置されていた自動タレットがスクラップのように吹き飛ぶ。
その場にいた数十人のコスパ探索者たちは、即座に動いた。
戦うためではない。
逃げるためだ。
「撤退だ! 全員引け!」
「冗談じゃねえ! あんな分厚い皮膚、アサルトライフルじゃ何発撃ち込まなきゃならねえんだ! 弾薬代の大赤字だぞ!」
「倒したところでドロップ品が割に合わねえ! 労災も下りないんだ、さっさとズラかるぞ!」
彼らの判断は、現代の探索者として百点満点だった。
勝率と利益を天秤にかけ、割に合わないと判断すれば即座に『損切り』する。見事なまでの合理性である。
蜘蛛の子を散らすように探索者たちが逃げていく。
だが、全員が逃げ切れたわけではなかった。
「ああっ……!」
荷物持ちとして雇われていたらしい若い新人の探索者が、パニックで足をもつれさせ、瓦礫に躓いて転倒してしまった。背負っていた巨大なリュックから、集めたばかりの魔石がバラバラとこぼれ落ちる。
「た、助けて! 誰か!」
新人が悲痛な声を上げる。
だが逃げ去るベテラン探索者たちは誰も振り返らない。
彼らの頭の中の電卓は、『あいつを助けに戻るリスク=自身の死亡率上昇及び利益ゼロ』という冷酷な計算結果を弾き出しているのだ。見ず知らずの他人のために自分の命と経費を懸けるバカは、このダンジョンには存在しない。
オークの狂戦士が、血走った目で倒れた新人を見下ろした。
太い腕が振り上げられ、巨大な鉄斧が凶悪な影を落とす。
新人探索者は絶望に顔を歪め、ぎゅっと目を閉じた。
――俺は、こんなコスパ最悪な死に方をするのか。
死を確信した、次の瞬間だった。
ガシャン!
重厚な金属音が響いた。
それは、スマートな現代兵器からは絶対に鳴らない、分厚い鋼鉄の塊が地面を蹴るような、時代錯誤な足音。
「――そこまでだ」
よく通る、芝居がかった凛々しい声が広場に響き渡る。
オークの狂戦士が動きを止めた。
転がっていた新人探索者も思わず目を開ける。
逃げかけていた探索者たちも、何事かと足を止めて振り返った。
彼らの視線の先、オークと新人の間に、一人の青年が立ち塞がっていた。
年の頃は二十歳前後。スマートな防弾繊維のスーツが主流な中、彼はところどころに時代遅れな金属製の装甲 (アーマー) を身に纏っている。
だが、何よりも目を引くのは、彼が背負っている『武器』だった。
全長二メートルはあろうかという、バカみたいに巨大で、分厚い鉄の塊。
大剣と呼ぶことすら躊躇われるような、非効率極まりない無用の長物。
取り回しは最悪。
重量のせいでスタミナを無駄に消費するだけ。
現代のダンジョン探索において最も忌み嫌われる『コスパ最悪』の象徴のような代物だった。
青年は、その身の丈に合わない大剣をゆっくりと背中から引き抜くと、オークに向かって真っ直ぐに切っ先を向けた。
「見よ! 邪悪なる魔獣よ! 我こそは――」
青年は、まるで劇場の舞台のど真ん中にいるかのように見栄を切る。
そして両足を大きく開き、胸を張って高らかに叫んだ。
「絶望の淵に光を灯し、弱きを守る希望の剣! 天城海斗 (あまぎかいと) 、推して参る!!」
唖然とする周囲の空気などお構いなしに、彼は完璧な発声で名乗りを上げた。
「な、なんだあいつ……バカか?」
「わざわざ敵に名乗ってどうする! 隙だらけじゃねえか!」
遠巻きに見ていた探索者たちが呆れたように叫ぶ。
当然、オークの狂戦士が名乗りに付き合ってくれるはずもない。激怒したモンスターは、青年――海斗に向かって、渾身の力で巨大な斧を振り下ろした。
直撃すれば人間など容易くトマトのように潰れる一撃。その場にいる誰もが、海斗がミンチのように潰される未来を想像した。
しかし。
海斗は口元にニヤリと笑みを浮かべ、ただ力任せに大剣を振り上げた。
回避すらしない、真っ向からの力比べ。
物理法則も、効率も、すべてを無視した狂気の沙汰。
「――ロマンに散れッ!!」
ズガァァァァァァァンッッ!!!
爆発のような轟音が鳴り響く。
鉄と鉄が激突した結果は、常識を完全に裏切っていた。
海斗が下から振り上げた大剣は、オークの巨大な鉄斧を紙切れのように叩き割る。そのままの勢いで、三メートルはある赤銅色の巨体を、股下から脳天まで文字通り『一刀両断』に引き裂いたのだ。
「ギャ……アアァァ……?」
オークの狂戦士は、自分に何が起きたのか理解できないまま、左右に真っ二つに分かれて崩れ落ち、光の粒子となって消滅した。
後には、特大の魔石と、オークの巨大な角だけがドロップ品として転がっていた。
「…………は?」
逃げかけていた探索者たちの口から、間抜けな声が漏れる。
一撃。
たったの一撃だった。
数十人が一斉に射撃してようやく倒せるかどうかの変異種を、あんな取り回しの悪い時代遅れの鉄屑で、一刀両断にしたというのか。
静まり返る広場の中、海斗は大きく息を吐き出すと、大剣をくるりと回して背中に納め、見事なポーズを決めた。
「怪我はないか、若き冒険者よ。もう大丈夫だ」
海斗が爽やかな笑顔で手を差し伸べると、へたり込んでいた新人は、顔を真っ赤にして何度も頷いた。その瞳には、打算など一切ない、本物の『英雄』の姿が映っていた。
だが、そんな感動的な空気を切り裂くように。海斗の耳に装着されたインカムから、氷のように冷たい女性の声が響いた。
『――アホ海斗。今のくだらない名乗りと無駄な大振りのせいで、関節装甲の摩耗率がレッドゾーンよ。武器のメンテナンス代と消費カロリーを計算したら、あのレア魔石を売っても五万円の赤字。……本当に、コスパ最悪のバカね』
「ははっ、いいじゃないか! 最高にカッコよかっただろ?」
海斗はインカム越しに聞こえる悪態を気にも留めず、能天気な笑い声を上げる。続けて呆れたような溜め息が聞こえてくるが、彼はもちろんそれも聞き流した。
ともあれ。
コスパ至上主義に染まりきったダンジョンを取り巻く社会において、天城海斗の存在は、あまりにも浮いていた。
だが、この『時代遅れのロマンチスト』が、やがて停滞した世界すべてをひっくり返す最高の冒険譚を紡ぐことになる。
それはまだ誰も――彼自身すらも、知る由はなかった。
-つづく-
次回、第2話。「お説教と絶対演算」。
相棒の正論は、いつも正しい。
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