17:脆く崩れ去る、賢しげな者たち
新宿ダンジョン第四階層に、地獄が顕現した。
無数の空間の歪みから溢れ出すモンスターの濁流。その圧倒的な暴力を前に、ロジカルズの小隊長・霧島は躊躇うことなく『プランZ (完全撤退) 』を発動した。
「――正規社員は速やかに退却ゲートへ! 魔力シールドの出力を一点に集中し、ゲートの防衛を最優先しろ!」
霧島の冷徹な指示のもと、ロジカルズの精鋭たちは一糸乱れぬ動きで撤退を開始した。彼らはパニックに陥ることなく、相互にカバーし合いながら、あらかじめ設置されていた緊急用の大型転送ゲートへと集結していく。
今の彼らの頭には、「いかに自分たちが無傷で生き延び、地上での防衛線を再構築するか」というロジカルな思考しかない。そこには他者への憐憫など介在する余地はなかった。
その一方で、完全にパニックに陥っていたのが、下請けとして雇われていた数十人のフリー探索者たちだった。
「お、おい! ロジカルズの連中、退却ゲートを開いてるぞ!」
「マジかよ、俺たちを置いていく気か!?」
迫り来るモンスターの群れと、自分たちを見捨てて撤退しようとするロジカルズ。その事実を理解した瞬間、彼らの中で保たれていた『賢い探索者』としての薄っぺらいメッキがあっさりと剥がれ落ちた。
「ふざけんな! 俺たちも連れて行け!」
「契約がどうしたってんだよ! 助けろよ、見殺しにする気か!」
彼らは持っていたアサルトライフルや採取用のピッケルを放り出し、我先にとロジカルズの転送ゲートへと殺到した。
ほんの数十分前まで、「他人のためにリスクを取る奴はバカだ」、「賢く稼ぐのが正義」とイキり散らし、海斗の無償の人助けを鼻で嗤っていた者たち。それが今は、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにして「助けてくれ」と泣き叫んでいる。
「おい、そこをどけ!」
「俺が先だ!」
「ふざけんな、俺は借金があるんだ! こんなとこで死ねねえんだよ!」
我先にゲートへ入ろうと、彼らは仲間同士で突き飛ばし合い、殴り合いを始めた。
彼らが信じていた『効率』や『自己責任』という言葉は、自分が安全圏にいる時だけ通用する、ただの都合のいい言い訳に過ぎなかった。自分が『見捨てられる側 (損切りされる側) 』になった瞬間、彼らはその自己責任を完全に放棄し、強者にすがるだけの惨めな弱者へと成り下がったのだ。
「――そこまでだ」
群がる彼らの前に、冷気を纏った声が響く。
ゲートの前に立ち塞がったのは、ロジカルズの精鋭部隊。そして、その中心に立つ霧島だった。彼らが手にする銃は、モンスターではなく、群がる下請け探索者たちに向けられる。
「霧島さん! 頼む、俺たちもゲートに入れてくれ!」
「あんたらの指示通りに動いてたじゃねえか! こんなのあんまりだろ!」
懇願する探索者たちを、霧島は氷のように冷たい眼差しで見下ろした。
「君たちには仕事の前に『業務委託契約書』にサインしてもらったはずだ。非常事態の際、我々は全体の利益と安全を最優先し、君たちを見捨てる権限を有する、とな」
「そ、そんなもん、ただの建前だろ!? 人の命がかかってるんだぞ!」
「建前ではない。我々ロジカルズは、いかなる時もマニュアルと契約に忠実だ」
霧島は眼鏡を押し上げ、冷酷な宣告を下した。
「計算上、君たち数十人をこのゲートに収容する時間は、我々の部隊を全滅の危機に晒す。君たちの命のコストは、我々のリスクと、社会インフラを守るという使命に見合わない。……要するに、君たちはここで『損切り』だ」
「そん、な……」
「ふざけるなあああ!!」
激昂した一人の探索者が、ナイフを抜いて霧島に飛びかかろうとする。 しかし、その男の足に、ロジカルズの警備員から放たれたスタン弾が容赦なく撃ち込まれた。
「ギャアッ!」
男は短い悲鳴を上げて転倒する。
その容赦のない対応に、他の探索者たちは恐怖で完全に足を止めた。
「繰り返す。我々の優先順位は、地上への被害拡大防止だ。君たちはここで、せいぜい長く生き延びて、囮としてモンスターたちの足止めをしてくれたまえ」
霧島が片手を上げると、ロジカルズの正規社員たちが次々とゲートの光の中へ吸い込まれていく。最後に残った霧島は、絶望に顔を歪める探索者たちを一瞥する。
そして、崖の上でこの光景を見下ろしているであろう海斗たちの気配を感じ取るように、フッと冷たく笑った。
「これが『現実 (リアル) 』だよ、天城海斗くん。……新宿の数十万人の命を守るために、我々は彼らを見殺しにする」
その言葉を最後に、霧島とロジカルズたちはゲートの光の中へ消えた。
直後、魔力シールドが解除され、転送ゲートの機械装置が爆発した。自爆システムの作動し、機械装置が粉々に吹き飛んだ。
「あ……ああ……」
残されたのは、退路を完全に断たれた数十人のフリー探索者と、民間人の荷物持ちたち。
彼らの背後からは、容赦のないモンスターの咆哮が迫っている。アーマード・ミノタウロスが巨大な斧を振り下ろし、オークの群れが涎を垂らして迫り、未知の巨大ボスモンスターが地響きを立てて歩み寄ってくる。
「嫌だ……死にたくない……っ!」
誰かが悲鳴を上げた。だが、彼らを助けに来る者は誰もいない。彼ら自身が、これまで弱者を見捨て、自己責任と切り捨ててきたように。今度は自分たちが、誰にも助けられず、ただの『肉の壁』として消費されていくのだ。
残酷なまでの絶望。
それが、彼らが言い募っていた浅い『効率と計算の末路』だった。
◇ ◇ ◇
その一部始終を、海斗と玲は崖の上から見つめていた。
「……なんてこと。本当に、マニュアル通りに見捨てたわ」
玲はタブレットを握る手を震わせていた。
彼女の『絶対演算』もまた、霧島の判断が「組織のリーダーとして、社会インフラの担い手として、100%正しい」と肯定している。感情を排して計算すれば、あそこで下請けを助ける選択肢は絶対にあり得ない。
理屈では分かっている。だが、目の前で大勢の人間が絶望し、見殺しにされた光景は、彼女の心を冷たく締め付けた。
玲は隣に立つ海斗を見上げた。
海斗は、先ほどまで彼をバカにしていた連中が醜く命乞いをする姿を見ても、決して嗤ったりはしなかった。ただ静かに、そして恐ろしいほどの怒りをその瞳に宿し、崖の下の地獄を真っ直ぐに見据えている。
「……俺は行くぞ、玲」
海斗の声は、不気味なほど落ち着いていた。
彼は背中の大剣をゆっくりと抜き放ち、その重い鋼の輝きを、迫り来るモンスターの群れへ向けた。
-つづく-
次回、第18話。「生存確率0%」。
何よりもまばゆく、命が輝く時。
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