16:崩壊 (スタンピード) の始まり
「――目標魔力圧、限界突破! きます!」
ロジカルズの精鋭オペレーターの声が、ベースキャンプに響き渡る。
第四階層『結晶の洞窟』の最奥部、巨大な青い水晶の群生地。ロジカルズが仕掛けた魔力増幅器が限界まで稼働し、ダンジョンの核 (コア) に干渉する不可視のパルスを放った。
彼らの目的は、高純度の魔石を持つレアモンスターを人工的に出現させること。計算通りなら、この刺激によって空間が歪み、数体の『クリスタル・キマイラ』や『アーク・ドラゴン』などの希少種がポップするはずだった。
だが、実際に起こったのは想定外の事態。まるで『ダンジョン』というシステムへ違法に触れたチートプレイヤーに対して、カウンタープログラムを実行したかのように。
「――ッ!? な、なんだこれは!?」
オペレーターの悲鳴に近い声が上がる。霧島をはじめとするロジカルズの索敵デバイス、そして玲の『絶対演算』のモニターが、一斉に真っ赤に染まった。
「魔力反応、想定の五倍から十倍……いや、五十倍を突破!」
「空間座標が完全に歪んでいます! 座標の特定ができません!」
「何だと……!?」
常に冷静さを保っていた霧島の表情に、初めて驚愕が走る。
次の瞬間、ダンジョンが割れた。
ズガァァァァァァンッ!!
耳をつんざくような轟音が響く。それと共に、ベースキャンプを取り囲む洞窟の壁、天井、そして床下から、漆黒の空間の歪み (ゲート) がいくつも開いた。
「グォォォォォォォォッ!!」
「シャアァァァァァァァッ!!」
その歪みから溢れ出したのは、数体のレアモンスターなどではなかった。
オーク、リザードマン、ミノタウロス、そして名もなき異形の魔獣たち。
第四階層には本来出現しないはずの、上位階層の凶悪なモンスターたちが、まるで黒い濁流のように、無尽蔵に湧き出してくる。
まさに、スタンピード (大氾濫) であった。
空気を震わせるモンスターたちの咆哮。
分厚い装甲のような皮膚が擦れ合う鈍い音。
地を揺らす数多の足音。
それらが一つに混ざり合い、圧倒的な重量感となってベースキャンプを押し潰そうとする。ロジカルズが用意した堅牢な防護シールドや自動迎撃タレットも、この圧倒的な質量の前には、まるで砂上の楼閣のように頼りなく見えた。
「――ヒィィィッ!!?」
「な、なんだよこれ! 話が違うじゃねえか!!」
この地獄絵図を前に、真っ先に心が折れたのは、安全地帯にたむろしていた雇われ探索者たちだった。
ほんの数分前まで、彼らは「ロジカルズの傘下にいれば安全に儲かる」、「リスクを取る奴はアホだ」とイキり散らしていた。だが、いざ本物の『死の恐怖』を前にすると、その薄っぺらい信念は容易く崩れ去った。
「嫌だ! 死にたくない!!」
「誰か助けてくれ! 俺はただ日当をもらいに来ただけなんだ!!」
ある者は持っていたアサルトライフルを放り出して逃げ惑い。ある者はその場にへたり込んで失禁し。ある者は「俺は悪くない! 全部ロジカルズのせいだ!」と泣き喚きながら責任転嫁を始める。
例えるなら、普段、SNSの匿名アカウントでにわか知識を振りかざして強者ぶりながら、追い詰められると途端に被害者面をするような連中。そんな輩の振る舞いとまったく同じ構図が、そこに広がっていた。
「お前ら落ち着け! 防衛ラインを維持しろ!」
ロジカルズの警備員が戦列を保とうと怒号を飛ばす。だがパニックに陥った彼らにその命令は届かない。
逃げ惑う数人の探索者の前に、ひときわ巨大な影が立ちはだかった。
体長五メートルを超える、全身を黒鋼の鎧で覆われたモンスター『アーマード・ミノタウロス』。
「あ、あ、あああ……っ!」
探索者の一人が、震える手でサブマシンガンを乱射した。魔力弾がミノタウロスの鎧に当たるが、火花を散らすだけでまったく効果がない。
ミノタウロスは鬱陶しそうに鼻息を荒くすると、丸太のような豪腕を、無造作に振るった。
ドシャァッ!!
「ギャアァァァッ!!」
ただの一撃。それだけで、最新の防護服を着た探索者三人の身体が、まるで紙屑のように吹き飛んだ。岩壁に激突し、彼らはピクリとも動かなくなる。
その圧倒的すぎる暴力に、周囲の探索者たちは完全に錯乱した。
「あああああ!」
「逃げろ!! 殺される!!」
蜘蛛の子を散らすように、探索者たちは逃げ惑う。出口はどっちだと考える余裕もなく、彼らはただモンスターのいない咆哮へとやみくもに駆け出した。
だが、その時。
ダンジョンが、轟音を立てながら大きく揺れた。
振動に足を取られて、逃げようとした探索者たちの多くが倒れ込む。
絶望はまだ終わらない。さらに空気を凍らせる事態が発生する。
ズシン、ズシン、という、これまでのモンスターとは桁違いの地響きが、洞窟の奥底から響いてくる。
そして、ひと際大きな空間の歪みが現れた。
「……なによ、この数値……?」
崖の上からモニターを見ていた玲が、震える声で呟いた。
彼女の『絶対演算』が、スタンピードの群れの奥から現れた『それ』のデータを弾き出そうとして……完全にエラーを吐いていた。
大きな空間の歪みから姿を見せたのは――、巨大な四本腕を持つ、悪魔のような姿をした未確認モンスターだった。
ギルドデータベースにも、ロジカルズの極秘資料にも存在しない、完全に未知の存在。それが放つ威圧感は、周囲の空気を物理的に重くし、息をすることすら困難にさせる。
「――状況分析完了」
その極限状況の中、ロジカルズの小隊長・霧島だけは、驚くべきほどの冷静さを保っていた。彼はタブレットのデータを一瞥し、眼鏡を押し上げる。
「魔力反応から推測される敵戦力は、我々の防衛ラインの限界値を300%上回る。勝率、2%未満。防衛は不可能だ」
霧島は感情を完全に排した声で、冷酷に決断を下した。
「これよりプランZに移行する。完全撤退だ。本隊の正規社員は直ちに退却ゲートへ集結しろ。この現場は現時点で破棄。退却した後、スタンピードの地上への波及を阻止するための防衛線を再構築する」
浮足立っていたロジカルズの面々が、上司の言葉に冷静さを取り戻した。同時に自分たちのすべきことを思い出したように、各々が命令に沿って動き出す。
だが、優先順位を把握しきれていない者もいる。
「小、小隊長! 下請けの探索者たちはどうしますか!?」
年若い部下の一人が叫ぶ。彼はまだロジカルズに加わって日が浅く、冷静さを取り戻していないところにまだ未熟さを感じさせる。
「彼らを連れていては我々の退却に遅れが生じる。ゲートが突破されるリスクが高まり、地上へモンスターを出してしまうことになりかねない」
霧島は、逃げ惑い、殺されていく下請けたちを一瞥もせず、冷徹に言い放った。
「契約通りだ。我々の優先順位は、社会インフラの維持と、地上への被害防止にある。彼らの命のコストは、部隊を危険に晒すリスクに見合わない。……彼らは、ここで『損切り』する」
それは資本主義の申し子である彼らが導き出した、非情で、残酷で、しかし社会インフラを守る者としては『圧倒的に正しい』論理 (ロジック) だった。
崖の上からその光景を見ていた海斗の拳が、ギリッと強く握りしめられる。
計算づくの冷たい正論と、無惨に切り捨てられる命。
ダンジョンという狂ったシステムが生み出した地獄が、新宿の地下深くで口を開けようとしていた。
-つづく-
次回、第17話。「脆く崩れ去る、賢しげな者たち」。
自己責任という言葉は、もちろん、非常事態時にも適用される。
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