18:生存確率0%
「ひっ……! くるな……こっちにくるなっ!!」
新宿ダンジョン第四階層『水晶の洞窟』の奥深く。退路を断たれた数十人のフリー探索者たちは、絶望の淵に立たされていた。
彼らの前には、完全に破壊されて瓦礫となったロジカルズの転送ゲートの残骸。そして背後からは、黒い濁流のようなモンスターの群れが、彼らをエサとして認識し、ジリジリと距離を詰めてきている。
ガァルルルル……
ブモォォォォォォッ!!
先頭を歩くのは、数体のアーマード・ミノタウロス。
そして分厚い鱗に覆われたアーク・ドラゴン。
だが、探索者たちを最も絶望させているのは、その群れの奥から地響きを立てながら歩く、四本腕の巨大な悪魔――未確認ボスモンスターの存在だった。それは、ただ歩を進めるだけで周囲の空気を重くし、本能的な恐怖を人間の脳髄に直接叩き込んでくる。
「あ、あああ……」
普段から他人の失敗を嘲笑い、安全圏から『効率と自己責任』を説いていた探索者。だが自分が絶体絶命になった今、彼らは完全に腰を抜かしていた。武器を握る力すらなく、ただ自身の死の恐怖に怯え、地面を這いずりながら泣き叫んでいる。
「誰か……助けてくれ……。俺はまだ死にたくない……っ!」
その惨めな命乞いは、無情な地下空間に虚しく響くのみだった。
モンスターの群れが、いよいよ彼らを蹂躙しようと牙を剥き、巨大な爪を振り上げる。
「――そこまでだ!!」
洞窟全体を震わせるほどの、腹の底から響く大音声が轟いた。
モンスターたちも、絶望していた探索者たちも、一斉に声のした方角――崖の上を見上げてしまう。
そこに立っていたのは、一人の青年。身の丈に合わない巨大な大剣を背負い、ボロボロの赤いマントを羽織った、天城海斗だった。
海斗は崖の縁に立ち、眼下のモンスターの群れに向かって、堂々と手を掲げて見栄を張る。
「見よ! 邪悪なる魔獣の群れよ! 弱きをくじき、逃げ惑う者たちを蹂躙するその所業、この俺が許さん!」
時代錯誤で、あまりにも場違いな名乗り。
普通なら「なんだあのバカは」と呆れられるところ。実際、下にいる探索者たちの中には、「なんであの大剣バカがここに……」と呆然としている者もいた。
だが、海斗の隣に立つ玲の視界は、そんな呑気な状況ではなかった。彼女の固有スキル『絶対演算』のモニターは、危険を知らせるアラートで真っ赤に染まり、けたたましいエラー音を響かせている。
【警告:未知の巨大魔力反応を検知】
【敵戦力:測定不能 (オーバーフロー) 】
【味方戦力 (天城海斗) :極めて不十分】
【勝率予測:0.000000%】
【生存確率:0.000000%】
【推奨行動:対象 (海斗) を放棄し、直ちに逃亡せよ】
「――っ!」
玲は震える両手で、海斗の腕をきつく掴んだ。
「ダメよ、海斗! やめて!」
彼女の声は、普段の冷静さを完全に失っている。『絶対演算』を見るまでもなく、目の前のモンスターの群れとの戦力差は歴然だ。恐怖と焦燥で震えてしまう。
「計算上、絶対に勝てない! あのボスの数値は異常よ、私たちの手には負えない! 霧島の判断が、ロジカルズの撤退が『正解』だったの! お願いだから、私たちだけでも逃げよう……!」
玲の言葉は、完璧な論理 (ロジック) に基づいていた。彼女の『絶対演算』が示す数字に、嘘や間違いはない。ここで下に飛び込めば、海斗も自分も確実に死ぬ。
下にいる連中は、自分たちを常日頃から嘲笑い、なにがあっても自己責任だと突き放してきた連中だ。助ける義理などこれっぽっちもない。
「お願い、海斗……! アンタまで死んじゃう……っ!」
玲は涙目で懇願した。
かつて、彼女の『絶対演算』が圧倒的劣勢の数字を出しても、海斗のスキル『叙事詩的浪漫 (エピック・ロマン) 』はことごとくはねのけてきた。それこそ生存確率0%の危機でさえ。
だが、それでも、目の前に迫るモンスターたちの脅威に心が折れそうになる。海斗のスキルがどれだけデタラメで突き抜けていようと、たった一人で出来ることなど限られている。それゆえに玲は、『絶対演算』が告げる戦力差の数値と撤退理由に納得してしまう。
海斗は、そんな玲を落ち着かせるように見つめ。腕を掴んでくる手を、優しく離させた。
「玲。お前の計算が正しいことは分かっている。ロジカルズの判断が、この世界における『正解』であることもな」
海斗は静かな声で言った。その顔に、恐怖や迷いは微塵もない。
「生存確率0%? 絶対に勝てない? ――上等じゃないか」
ニヤリと、彼はまるで少年のような無邪気さで笑う。
だがその笑みはどこか狂気を孕んでいるようにも見えた。
「逆境なんていくらでも来い、だ。数字で勝敗が決まるなら、英雄 (ヒーロー) なんて最初からいらないんだよ」
「海斗……」
「それに俺は、例え俺を嗤ってきた奴だろうと、手が届くなら救ってみせる。それが、俺の選んだ『冒険者』の道だからだ!」
海斗は大剣をゆっくりと掲げ、洞窟内の水晶の光をその刃に閃かせた。
「待っていろ、名もなき探索者たちよ! 今、この天城海斗が、絶望を打ち砕きに参る!!」
海斗はそう叫ぶと、崖を蹴って、眼下の地獄絵図のど真ん中へ向かって飛び降りた。
ズガァァァンッ!! という轟音が鳴り響く。海斗はミノタウロスの群れと探索者たちの間に着地し、大理石の床を粉々に砕いた。
「な……お、お前……」
「下がっていろ」
腰を抜かしていた探索者の一人が、信じられないものを見る目で海斗を見上げた。海斗は振り返らず、ただ前だけ――無数のモンスターの群れだけを見据えて言った。
「俺の、『最高の冒険譚 (ステージ) 』だ」
崖の上に取り残された玲は、へたり込みそうになる足に必死に力を込め、タブレットを強く握りしめる。海斗の背中は、どんな最新兵器よりも、どんな大企業の防護壁よりも、頼もしく見えた。
「……本当に、救いようのない大バカなんだから……っ!」
玲は涙を拭い、目に力を込めた。
彼女の『絶対演算』のモニターには、相変わらず【勝率0%】の残酷な数字が点滅している。だが、その数字の奥で、海斗のステータスを示すグラフが胎動している。異常な熱を帯びて、微細な震え (バグ) を起こし始めているのを、彼女は見逃していなかった。
-つづく-
次回、第19話。「英雄の出番 (プロトコル・スタンバイ) 」。
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