針の筵
話を聞きたい。
エルフ指揮官に言われて連れられたのは、ファンタジーな世界にありがちな寂れた酒場だった。
大した距離を歩いてはいない。歩く箱舟や銀の掘っ立て小屋があったところから、真っ直ぐ歩いたのみ。
……同じ通りにある店だ。一体なんなんだ、この通りは。
百歩譲って、それはいいとして。それよりもだ。
「……油断したな」
「そう心配するなって」
呟くと、右隣に座っているフォースがあっけらかんと笑う。気楽なもんだ。
エルフ指揮官が連れてきた兵士連中は、フォースがめちゃめちゃにした通りの整備や、周辺警備に残された。
だから、てっきり四人切りで話をするのかと思っていたが……いや、これはやはり俺の油断だろう。
酒場のほぼ中心に据えられた四角テーブル。
右隣。妙に機嫌よさげに、黒い尻尾を揺らしながら座るフォース。
左隣。ふてくされた様子で、青い尻尾で床を軽く叩きつつ座っているアーネ。
なぜか、俺の隣にどちらが座るかを争い、じゃんけんの勝者と敗者が発生した。
どちらが勝者なのかは、様子を見れば一目瞭然だ。
アーネは無理やり俺の左側に椅子を寄せているので、目の前に机の角がある。座りにくそうだ。向かいに座ればいいだろうに。
と、そんな二人の様子など、今はどうでもいい。気になるのは、周辺のことだ。
右。
「ん? どうした?」
薄く笑いながら小首を傾げるフォースの向こう。店内の奥側にあたり、カウンター席が設けられている。
数人腰かけている背中が見えるが、客じゃない。全員が統一された鎧を身に着けている。傍らには、立てかけられた剣もある。
背中越しにこちらを伺っていた一人と目が合った。睨まれる。
ため息をこらえながら、逆側に首を巡らす。
左。
「んー、私たちあんま歓迎されてないね、たいちょ。ま、何かできるならやってみればーって感じだけど」
口元に笑みは浮かんでいるが、目が笑っていないアーネが言う。歓迎されていないのは確かだが、だからと言ってわざわざ煽るなよ。
わざと聞こえるように言ったアーネの向こう。出入口付近に見張りのように立つ数名の人間が、こちらを睨んでいる。
剣に手をかけている奴までいる。物騒だな、おい。
ようするに、案内されてのこのこ着いてきたここは、あろうことか兵士の詰め所だったわけだ。
人数こそ路上で向き合った時より減っているが、あの時引き連れられていた連中よりも、ここにたむろしている連中の方が強いな。
仮に、ここから実力行使で切り抜けなきゃならなくなったらと考えると……少々面倒だ。
まぁ、エルフ指揮官さえいなければ、その面倒さは一気に軽くなるが。
あの女はちょうど今、この場にいない。到着して早々、誰かを呼んでくるとかどうとか言い残して、店の奥へと消えやがった。
おかげで俺たちは針の筵を味わっているというわけだ。
「あの指揮官、戻ってこないな」
「まぁまぁ、そう焦るなって」
思わず呟くと、ご機嫌なフォースがなだめてくる。焦っているわけじゃないが、こっちだって暇じゃない。
逆に考えれば、いっそこのまま戻ってこなくても構わないな。そうだ、あと五分待っても戻ってこなかったら、出て行くか。
二人にそう伝えようとしたところで、店の奥、エルフ指揮官が消えた扉が開いた。
深緑の髪をくくり、周囲の兵士が着ている規格統一の鎧とは異なる鎧を身に着けている。
白い衣装に美麗な顔立ち、純人だらけの中で唯一の森人である点と言い、目立つ女だ。
戻ってきやがったか。惜しいな、あと五分戻ってこなければ。
「――っ」
左隣で、アーネが息を呑んでいた。
なんだ? 様子を伺うと、アーネが見ているのは、エルフ指揮官の更に後ろだ。
全身を覆うような外套に、フードをすっぽりと被った人物が着いてきている。
あれが呼んでくると言っていた奴か? 何者だろうか。特に何か感じるものはない。強いて言えば、怪しい風体ってくらいだ。
深くかぶったフードで顔は窺えず、体の線もローブで隠されている。
体格に関して言えば、だいぶ小柄だということはわかる。子供にしか見えない背丈だ。そういえばこのゲームには、背丈がもともと小さな種族というのもいるんだったか。
謎の解明には至らないまま、二名がついに俺たちが座すテーブルまでやってきた。
向かいの席にエルフ指揮官が座る。その隣に、行きがけに別のテーブルから引きずってきた椅子が置かれ、正体不明の人物が座った。
口火を切ったのは、この状況を作り上げた張本人。
「シーヴ。そっちの人は?」
フォースがいち早く、フードの人物に目を向けて言う。
それに対し、フードの人物自身が反応を見せた。色白の細い手が持ち上げられ、容貌を覆い隠すフードを取り払おうとするように――瞬間、そこには横から伸びた手が重ねられ、それ以上を押しとどめられていた。
わずかに腰を浮かせたエルフ指揮官の手が、フードが捲られるのを防いでいる。
その体勢のまま、指揮官の目が順繰りに俺たちを見据えてきた。フォース、アーネ、そして俺。後に向かうほど、そこにはほんの僅かずつ懐疑的な色合いが増していく。
「こちらは、とある場所を治められている然る方だ。今回の一件、この方の事情も深く関係していると私は考えている。故にお呼びしたのだ……が、紹介は後ほどとしよう。まずは私たち自身、互いの紹介を済ませねばな。フォースはともかく、お前たち二人のことを、私は何も知らない」
事情が関係、ね。ねずみ退治に何がどう関係しているのか、果てしなく疑問だが。
これは、アレだろうか。フォースに聞いた覚えがある。ゲーム内で一定の条件が成立することで、突発的にイベントとやらが発生するとか。過去の例でいえば、何回か発生した大規模な迷宮討伐がそれにあたるらしいが。
正直、なんだっていい。実のところ興味もない。
波風を立てるつもりはないが、積極的に関わろうとも思わない。
こっちは早いとこ話を済ませて、精霊に至る手がかりを調査したいのだ。
そう意思を込めて、フォースに目配せする。歯を見せて笑いながら頷いたフォースが、エルフ指揮官とフードの人物に向き直った。
「んじゃ、あたしからな。シーヴは知っているだろうけど、あたしはフォース。種族は工人だな」
「リミット。見ての通り、山人だ」
「……アーネ、です。海人の」
「?」
なんだ? アーネの態度が妙だ。思えば、いつの間にか、いつになく大人しい。
いつからだ? フォースと席を奪い合っていた時は、いつも通りだった。
思い返せば、妙な態度を見せたのは、フードの人物が姿を現した時からだ。
今もおかしい。フードの人物は、ちょうどアーネの向かいに座っている。
アーネは微動だにせず、表情どころか、男か女かもわからないその人物を見つめている。
「うむ、そうか。リミットに、アーネだな。さしずめフォースの友と言ったところか。身のこなしからして、相応しき実力者であることはよくわかるぞ。さて、私の名は既に知っているだろうが――」
「あのっ。あなたは……誰?」
満を持して、エルフ指揮官が名乗りを上げようとしたところに、横やりが突き刺さった。
アーネだ。その問いかけと視線は、まさに今名乗ろうとしていたエルフ指揮官に……ではなく、真向かいに腰かけるフードの人物へと向けられていた。
しかし、いきなりどうしたって話だ。平素の飄々とした態度が鳴りを潜め、真剣な瞳でフードを見つめている。
「シーヴ」
「えっ? あ、はいっ」
一瞬だけ、わずかな沈黙が挟まった後に、声が上がった。
聞き覚えがない。そして、この場にいる誰よりも、幼さを感じさせる声だった。
だが、この場にいる誰よりも、老熟した雰囲気をまとったような、不思議な声だ。
呼ばれたエルフ指揮官が面食らったような声を上げるのに対して、フードの人物の声は落ち着いている。
「よいな? この者たちは、信ずるに値しよう? なにより、実力という意味で見れば、実に頼もしそうな面々ではないか」
「んんっ、ごほん…………だからこそ、慎重に見極めようと思ったのだ。恥を忍んで薄情すれば、仮にこの三人を同時に相手取るとなった場合、貴方を守り切る自信はない。もちろん、私自身が無事で済む自信もな」
「ほほっ、おぬしにそこま言わせるか。実に重畳じゃな」
なにやら向かいの席で物騒な会話が交わされてやがるな。そんなことを考えていたのか。まぁ、あの懐疑的な視線からある程度の察しはついていたが。
笑い声を漏らしつつ、フードの人物が持ち上げた手が再び、その身を隠す布の端を掴んだ。
今度こそ、エルフ指揮官は手出しも口出しもしない。
衣擦れの音が響いた。
「ふぅ、布で覆い尽くされるなど、やはり暑苦しくて敵わんな」
「なぁ!?」
隣でアーネの素っ頓狂な声が上がる。気持ちはわかる。
フードを取り払ったその人物は、声から予想できたように、幼い姿をしていた。
見た目から女というより、少女と呼ぶほかないフォースと比べても、更に幼い。童女あるいは児女と呼べる外見だ。
もっとも目を引く特徴は、側頭部で動く、透き通ったヒレ。海人であるアーネが持つものとよく似ている。が、決定的に違う、と感覚が訴えている。
根拠はないが、なぜか確信していた。この童女は、人間種ではなく、妖精種だと。
ただ、その奇妙な感覚に首を傾げるよりも、衝撃的な事実が一つ。
フードを取り払った童女は、暑がる台詞の通りに、ローブそのものを床に落としていた。
……その下は、何も身に着けていない。ように見える。
薄水色の長い髪が、小さな体の前に垂れ下がって諸々を隠しているが、非常に危ういと言わざるをえない。ここは確か、年齢指定エリアではないはずだが……。
「たいちょは見ちゃダメッ!」
「んおっ」
左から悲鳴じみた声が響いたかと思えば、視界が転がった。
胸を押されて重心を後ろに寄せられつつ、椅子の足を払われたってところか。
背後へ派手に吹き飛び、床に倒れた俺の視界には、天井だけが映っている。
……今一度立ち上がっても、面倒なだけだろう。そのまま仰向けになっていると、会話の声だけが耳に届く。
「な、なんで服着てないの! ちゃんと着ないとダメだって!」
「む、衣類か。きちんと着ておるぞ? ほれ」
「なんだ、髪で隠れてただけか……って、布面積ちっさ!? そんなの着てるとは言いません! シーヴさん! なんでちゃんとした服用意してあげないの!」
「え……あ、いや、その、だな」
「これこれ、海の子よ。そう猛るでない。古来より、我ら海の者は、衣類を身に着けるという文化に馴染みがなかったのだ。決して、シーヴが妾に意地悪をしているわけではないぞ」
「そ、そっか。でも、馴染みないからって、この御時世に裸でいいなんてわけないって! それも女の子が!」
「うむ、わかっておるとも。時代の流れ、文化の変遷。人と寄り添うべくして生まれながら、それを無視するは愚の骨頂。故に、こうして布を貼っておるのだ。第一、おぬしの衣装とそう変わりないのではないか?」
「私のは水着みたいなものだし! それに、下はちゃんとズボン履いてるし!」
「然り。おぬしも海の子ゆえ、衣類の暑さや窮屈さは感じておろう? 故に、少しでも肌の露出の多い恰好を選んでおるのだろう?」
「うっ……そ、それはそうだけどぉ……」
なるほど。アーネが上半身だけやたら薄着だったのは、種族的な問題もあったのか。
その話は知らなかったな。フォースとの勉強会でも聞かなかった話だ。
と、裸疑惑のある童女でも、上半身だけ水着女でもなく。
赤い目に角と尻尾を持つ美少女が、脇にしゃがんで俺を覗き込んできた。
「おい、リミット、大丈夫か」
「ああ、別に。それより、話はどうなんだ」
「服を着るか否か、決着がついてからだな」
……どうでもいい議論だな。まぁ、アーネに元の態度が戻ってきたようで何よりだ。
一体何を思って、あんな様子を見せていたのかはわからないが。
「これ、山の民よ」
「ん?」
ふと呼びかけてくる声があった。明らかに俺に向けられたものだ。近づいてくる足音。
体を起こすと、既にすぐ間近に、件の童女がやって来ていた。
……体にローブをすっぽりと被せられて。その両肩に、にっこりと笑いつつ両手を置いている、背後のアーネ。
「アーネ、暑いぞ」
「はーい、我慢ねー。たいちょとのお話が終わったら、私が服選んだげるから」
話は決着したようだな。これでようやく先へ進めそうだ。
それにしても、どこからどう見ても、子供だな。今の俺が大柄な体躯ということを差し引いても、床に座り込んだ俺の目線と、童女の目線の位置はそう変わりない。
変わりない目線で、海の色のように深い青の瞳が俺を見つめている。
「なんだ?」
「リミット、といったか。なるほどの。これはまた……近くで見ると、やはり異様な気配の山の民じゃな。しかし、むしろ今はそれが心強くさえ思うぞ」
「どういうことだ?」
その問いかけは、目の前の童女だけでなく、辺りの連中にも含めて問いかける。
フォースは俺と同様に首をひねり。アーネもそっちの話はしていないようだ。小首を傾げて、童女を見下ろしている。
エルフ指揮官もまた、童女を見ていた。ただ、それは何かの判断を仰ぐような色を帯びた視線だ。
童女がエルフ指揮官に向けて小さくうなずき、再び俺へと視線が戻ってくる。
「話は名乗らせてもらってからにしようかの。遅れてすまなんだ。妾の名はゼノフィス。海の妖精じゃ」
「セイレーンだとっ」
驚きの声を上げたのは、フォースだ。
童女――ゼノフィスが名乗り上げた名は、俺にとっても、初めて耳にする名ではなかった。
フォースとの勉強会で知った名だ。
このテルオンの世界には、敵に回してはいけないNPC……妖精種がいくらかいる。
海の妖精は、その一つに数えられる妖精種だ。




