どうやら私は、お前のことをぶん殴りたくて仕方がないようです
メイドだ。黒を基調とした長いスカートに、白いチュニック、エプロンにカチューシャまで。
どう見てもメイド服だ。
服飾に明るいわけではないので、もしかしたら違うのかもしれないが、俺が知る限りでは、こんな服装の呼び名をそれ以外に知らない。
それを着こなす、長い銀髪の女。
お世辞にも侍従という言葉が似合いそうにない、美しくも冷たい容貌。
氷のような瞳が俺を一瞥する。
「ようこそおいで下さいました。こちらは、偉大な占術師であらせられるファト様のお屋敷。私は、ファト様の忠実なる下僕、アイスと申します」
銀髪女が感情の起伏を感じさせない声で言い、そこだけは優秀なメイドのように、お辞儀をしてみせた。
「久しぶりね、アイス」
アイスと名乗ったメイドと、レヴィアは顔見知りらしい。俺の一歩前に出て、気さくに声をかけている。
「お久しぶりです、レヴィア。あなたはもう一端の傭兵のはずですから、ファト様へご用事があるのはそちらの方ですね?」
「そうよ。ちょうど今傭兵協会にも寄ってきたばかりで――……リミット、どうかした?」
「……いや」
声を発しづらかっただけだ。
占術師の館を訪ねて、早々に出迎えに出てきたのが、この銀髪のメイド、アイス。
――これが、奉仕の妖精か。
ゲーム世界の各所で活動する占術師、その護衛としてのみ存在を確認されている妖精種。
プレイヤーが数百人で挑んでも返り討ちにあったり、千や万におよぶモンスターを屠ったり。真偽を疑うような噂は多々あった。
テルオンにおいて、絶対に敵に回してはいけない妖精の一角に数えられている。
いざ相対してみて、噂は間違いなかったんじゃないかと思わせる。端的に言って、美人の皮を被った怪物だ。
「それでは、ファト様のお部屋まで案内させていただきます」
俺の内心を他所に、アイスはどうぞこちらへとばかりに館内へ続く扉を開け放ち、その傍らに佇んでいる。
まさしく、虎穴とはこういうもののことを言うに違いない。
傭兵は、無駄な危険を冒さない。
目に見える危険や死の恐れがあるのならば、それを極力避けるように立ち回るべきだ。
「何してるの、リミット。入りましょ」
しかし、恐れを知らぬ戦士がここにいた。
俺の手を引いて、あっさりと館へ足を踏み入れる猫耳小娘。
……優秀なプレイヤーであることは疑わないが、危機感が鈍いタイプみたいだな。
足を踏み入れた先は、広々としたエントランスホール。
左右に二階へと続く階段があるが、目的地はそちらではなさそうだ。
出入口から真っ直ぐに敷かれた絨毯が、ホールの最奥へと伸びている。
「ファト様はあちらにおられます」
後から入ってきて、屋敷の扉を閉めたアイスが言う。
指し示されるのは、絨毯が伸びるホールの奥。そこに凝った意匠の施された、両開きの扉がある。
「それじゃ、私はここで待っているわ」
「ああ」
ホールに留まるレヴィアを置いて、ファトとやらがいる部屋に向かって歩みを進める。
メイドのアイスは足音も立てず、俺の数歩後ろをついてきている。
「……いい加減、その戦意を鎮めてほしいんだがな」
初めて、背後で足音が鳴った。が、返事はない。
こちらとしては歩きづらくて仕方がない。背中に刃物を突き付けられているような感覚がついて回っている。
無論それはアイスが、今にもこちらに襲い掛かってきそうな戦意を向けてくるからだ。
表で顔を合わせ、屋敷の内に招かれ、そして占術師のいる部屋を目指す今に至るまで。
その戦意は、俺に向けられている。ずっとだ。
何も知らないプレイヤーがこんなものを向けられたら、即逃げ出しているに違いない。
俺だって、これが戦意ではなく殺意であったなら、レヴィアの腕を振りほどいて回れ右していたことだろう。
しかし、なんだってこんな物を向けられている?
ここを訪れたプレイヤーは、みんなこんな目に遭っているのか?
「あんた、ここに来る傭兵に対して、いつもこんな風に仕掛けてるのか?」
「ご心配なく。このような真似をするのは、貴方が初めてです」
足音は既に消え、代わりに静かな声が返ってくる。
心配もくそもないな。じゃあ、なんだって俺だけがこんな目に遭わされているのやら。
ため息が出る。
「何か気に障ったか? おそらく初対面だと思うが」
「ええ、間違いなく、初対面でしょう。貴方のことなど、記憶にはありませんから」
「……そうか」
どこまでも冷たい響きしか持たない声を聞き流しながら、思い至るのは、自分で口にした言葉とは逆の内容。
以前、俺が初めてゲームにログインした時。
つまり、ゲームオーバーになる前に、このアイスと会ったことがあるんじゃないかということだ。
ゲームオーバーになり、データをロストしたプレイヤーの存在を、NPCたちは記憶しない。
どれだけ親しみ合っていたとしても、どれだけ憎み合っていたとしても。
だから、たとえ会っていたとしも、お互い何も憶えていないのは不思議な話じゃない。
だが、これは俺の感覚の話になるが、ゲームの中で妙な既視感を味わうことが度々ある。
一番顕著だったのは、ナビゲーターのセーラと会話した、あの部屋だ。
仮説でしかないが、もしかしたらあれと似たような感覚が、NPCにもあるのかもしれない。
もっとも、たとえそれがあったとして、記憶の想起なんてレベルには至らない、ぼんやりとした物には違いないだろうが。
失われた以前の記憶が、多少なりとも影響を及ぼすという仮説ならば、アイスのこの態度も頷ける範囲に収まる。
……そうなると、以前の俺は、相当嫌われていたということにもなるが……向けられるのが殺意でないだけ、マシだと思うしかないな。
そんな仮説を立てた頃には、扉はすっかり目の前だ。
明確な答えを示さないまま黙り込んでいたアイスが、すっとこちらを追い越して、扉の傍らに立った。
「リミット、といいましたか。我がことながら、不思議な感覚です。貴方とは、今日は初めて顔を合わせたのは間違いないはずなのに――」
銀髪メイドは言いながら、両開きの扉を数度ノックする。
中から返事は無かったが、問題ないらしく、扉のノブに手をかける。そして、こちらを振り返って、微笑んだ。
先ほどまでの氷のような無表情からは、想像もできなかった綺麗な笑みだ。このゲームのNPC――主に妖精種は美しい者が多いと評判になっている。ゲームが人気を擁する理由の一つでもある。
「どうやら私は、お前のことをぶん殴りたくて仕方がないようです」
その見とれるような笑顔で、とんでもないことを言いやがる……対して、俺は引きつった笑いを返すことしかできなかった。
今の俺は狼の頭なので、きっとよほど奇妙な表情になっていることだろう。
盛大に俺を罵倒したアイスによって開かれた扉を、促されてくぐる。
扉の先は、エントランスとは打って変わって狭い部屋だった。
光源たる霊光石が収められた照明が、複数吊るされている。が、明かりを弱く調節しているのか、妙に薄暗い。
微妙な明度の照明に照らされる部屋の壁や床には、黒墨で描いたような紋様が目立つ。
それらが寄り集まるように伸びる部屋の中央には、薄布がかけられた机が一つ。
その向こうに、青年が一人座っていた。
黒髪で、濃い紫色の、ゆったりとしたローブのようなものをまとっている。
プレイヤーが属する人間種や、妖精種のような特徴も持っていない。
現状、NPCにしか確認されていない人間種、純人だ。プレイヤーたちの間では、妖精種と区別して、現地人と呼ぶこともあるらしい。
髪色と同じ黒い瞳は、こうしてやってきた客に対して一瞥もくれず、机の上に広げられている本に釘付けだ
背後で扉が閉まる音に振り返ると、部屋の隅に、人のことの殴りたくてしょうがないらしいメイド女が音も立てずに立っていた。
それが合図であったかのように、本から一寸たりとも目を逸らさないまま、おそらく占術師だろう青年が口を開く。
「よく来たな。座れよ」
「……ああ」
掛けられた言葉に従って、空いていた向かいの椅子に座った。
机一つを挟んだ席に俺が座ると、青年は読んでいた本を閉じ、ローブの内へとしまう。
切れ長の黒い瞳が、関心の薄さを隠しもせずにこちらに向き――大きく見開かれた。妙な反応だ。すぐに睨みつけるような形に変わった瞳が、俺を捉えている。
「……異界の傭兵か。てめぇ、名前は?」
「リミットだ」
「――ちっ」
舌打ちされた。実に態度の悪い人物だ。一体なんだと言うのだろう。
「……まぁいい。気に食わないが、仕事は別だ。やるぞ」
話がよく分からないまま進む。まぁ正味な話、属性さえ教えてもらえるのであれば、何がどうなろうと構いはしない。
「もう知ってるだろうが、ここで占術師をやってる。ファトだ」
今更な名乗りをあげ、ファトが机にかけられた布を取り払う。
露になった机、その一面全てを使って、模様が描かれている。
塗料などで描かれているのではなく、木製の机の表面に対し、直に彫り込まれて形を成している模様には、見覚えがある。
一目に、大きな円。
その縁に等間隔を置いて、九つのマークが連なっているそれは、ついさっき協会に登録することで貰った傭兵認可証にも描かれているものと同じだ。
それぞれ特徴的な九つのマークは、各属性を表しているらしいな。
「中心に手を置いて、エーテルを流し込め」
取り出したガラス玉を弄ぶファトから、指示され、大円の中心に手を置いた。
自身の中でエネルギーが蠢く感覚……なんとなく、懐かしさを感じるような感覚に身を任せると、机に彫られた大円、そして各属性の模様が光を放ちだした。
目立った変化はまず、九つのマークのうちの一つ、不格好な多角形に棒が一本突き刺さったような模様から光が消えたこと。
山人が持つ金属性の証だったんだろう。種族として扱える属性は選ばれないというシステムだ。
残り、八つ。
「――九つに分かたれし、精霊の祖よ」
光を放つ模様に対し、ファトが台詞を吐きつつ、ガラス玉を放る。
掘り込まれた模様の上、大円に沿って周るように、ガラス玉が動く。
占術師というNPCは一人ではなく、ゲームの世界の各所に何人かいるが、属性が選出される際の演出が各々違うらしい。
……プレイヤー間では、くじ引きやポーカーなどと名前が付けられている。
このファトも、その名と共に演出は知られており、ルーレットと呼ばれている。言いえて妙だな。
光を放つ模様に手をかざし、瞑目したファトが言葉を紡ぐ。
「彼の者は、魔に挑む者。九層の空、三界を見渡す眼で以て、見定めよ」
言葉が紡がれる度に、放たれる光に変化が訪れる。
光が強まる模様と、弱まる模様とに分かれ始めている。
「刃を捧げ、応えを求む。言葉を捧げ、答えを求む」
すでに明らかな差異として映る、模様を彩る光の強弱。
俺の前に残る、三つの属性の可能性だ。
「彼の者が真に兵たりうるならば、その力の名を、ここに書き記せ――」
締めの言葉と共に、残された三つの属性の模様が、一際強く輝く。
緑の光。青の光。銀の光。
その中で、一つだけが残された。
ファトが片目を開いて、俺を見る。その黒い瞳から、銀色の光を零しながら。
「見えたぞ、傭兵リミット。お前に赦された属性は――木属性だ」
二つの光が、はじけ飛ぶ。
青と銀の光を宿していたマークから、光が消え失せた。
机上にたった一つ残るのは、緑の光を宿す、葉から根が生えた様を描いたような模様。
「木属性か」
当たりだな。それも、現状においては、最も望んだ選択を掴みとれた。
これで――ようやく本格的な活動に移れる。
感慨深い思いを抱く俺を他所に、ファトが肩を回しながら、眉を顰めて口を開く。
「オレの仕事は終わりだ、傭兵。さっさと出ていけ……と言いたいところだが」
言われなくてもお暇するところだったが、なんだ?
なぜか、向こうのほうから俺に用があるらしい。視線で席を立つのを制された。
「アイス」
ファトが名を呼ぶと、部屋の隅に控えていたメイド女が寄ってくる。
机に置かれたのは、折りたたまれた紙片だ。一体何なんだ。
「一つ、賭けに負けた」
視線で問いかけても、不機嫌そうに言い放つのみ。
まったく分からない。俺に寄越すものということでいいのか、この紙切れは。
手を出しあぐねていると、ファトがようやく続きを話す。
「お前に言伝を預かった。人を使い走りにしようとは、いい度胸だよなぁ、オイ」
――そのやり方に、心当たりが幾つか思い浮かぶ。
ただ、確信には至らない。動きが早すぎる。それもまさか、NPCを利用するとは。
人間と遜色ない活動を行う、このゲームのキャラクターだからこそ、利用できたとも言えるな。
一体、誰がそんな手を思いついたのやら。
「誰からだ?」
知らない可能性もある。そう思いつつも聞いてみたが、答えはあっさりと返ってきた。
「ロカって奴だ。といっても、本人じゃなく、そいつの更に下っ端が置いていきやがったもんだがな……用件はそれだけだ。確かに渡したぞ」
ファトは不機嫌な表情を崩さないままに席を立ち、俺が入ってきたのではない、奥の扉から出て行った。
その後を、銀髪メイドが続いていく。特に俺に何か言うことも、殴りかかってくることもなく去っていった。
一人残され、渡された紙切れに早速目を通す。
ロカ。思わぬ、というほどじゃないが……いや、場所とタイミングから考えても、まさか耳にするとは思わなかった名前が出てきたな。
書かれていたのは、一節。メモ書きのような文字だけだ。
『都市エルイト。銀細工の掘っ立て小屋』




