アフターサービスも万全だな
「……」
目を覚ました瞬間、得体の知れない違和感を覚えた。
どこか、遠い昔に味わったことのある気がする感覚。
一体、何だったか。
寝起きの頭で考えていたところ、乳白色の天井だけを捉えていた視界に、映り込んでくる姿がある。
「おはようございます、オーナー」
「……ああ」
近所のお姉さん。ベッドに横になったままの俺を覗き込んでくる人物。
その女を言い表すのに適切な言葉は、ほかにない。
ほんの少しパーマのかかった、薄茶色の長髪。白いニット・セーターに、裾からはタイツに包まれた脚が伸びている。
……弁明するわけじゃないが、断じて俺の趣味じゃない。
市販されている業務用AIのパッケージ、"いそうでいないシリーズ"のモデル"近所のお姉さん"だ。
何度でも言うが、俺が趣味で購入したものじゃない。
世話係兼、監視役としてサイバーポリスから支給されたAI搭載の機体。
別に、何か事を起こそうなんてつもりは更々ないが、用心深い連中で結構なことだ。
「朝食のご用意ができています」
「そうか」
もっとも、モデルが再現しているのは見た目だけの話で、動作は多くの業務用AIのそれと同じだ。
感情なんてものを表現する余裕は当然無い。
ある程度それっぽい反応をさせるなら、ゲームなどで使用されている業務用NPCになるが、そうなると同じ動作や言動のみを繰り返すのが精一杯となり、汎用的な作業をさせられなくなる。
なぜだろう。違和感が、強い。
ごく当たり前のことのはずなのに、今日はなぜかそんなAIの挙措が、とても味気ないものに思えてならない。
「俺の部屋、か」
よくわからない思考を振り払うように、ベッドに座ってあたりを見回す。
居慣れた自室。仮想空間上のとあるサーバー、そこに造られた高層マンションの一室だ。
一人用の寝室としてはだいぶ広々としていて、住みだしてから一度も使ったことのないテラスが付いている。
物流の制限と、もともと物欲が薄いという二つの理由が重なった関係で、物はほとんどない。
ダブルサイズのベッドが置かれていても、なお余裕のある部屋は何もない空間のほうが目立つ。
……なぜだ。振り払えない、妙な感覚が続く。
どうして、俺はここにいる?
経緯を、まるで思い出せない。
自分が自室で眠り、今目覚めるに至るまで。具体的には、昨日、俺は何をしていた?
「チカ」
「はい」
傍に佇んでいる近所のお姉さん……もとい、人工知能の名を呼ぶ。
日常生活のサポートをしつつ、同時に監視役として、俺の生活のほとんどを記録しているマシーンに尋ねる。
「昨日の俺は、何をしていた。部屋にいたか? それとも、どこかに出ていたか?」
「少々お待ちください。確認致します」
おかしな質問だが、ほかに聞きようもない。
もちろん、チカは妙な質問に対して何の感情も見せることなく、記録の照合作業に移った。
無表情の中で、黒い瞳が瞬く。
すぐに終わったようで、感情のない瞳がこちらに向けられる。
「照合完了。申し訳ありません。記録が存在しない為、回答は不可能です」
「んな馬鹿な……」
ありえない。
チカは電脳界の処刑人が管理しているAI端末だ。
それが記録をしていないなんてはずがない。データの消失や紛失ももってのほかだ。
仮に、機体に何らかのエラーが発生していた場合でも、サイバーポリスが動いていないはずがない。
連中がそんな給料泥棒だったなら、世界中の犯罪者はもっと元気にやっている。
「ない、な」
自分自身の中に保管された記憶データを洗ってみても、覚えていないのだから、記録はやはり存在しなかった。
「……あれは」
ふと、部屋の隅に備えられた机に、覚えのないデータが置かれていた。
書類として物質化されたデータだ。机の上に山と積まれたそれは、かなりの量に上る。
立ち上がって机の前まで行き、その一部を手に取ってみた。
共通のラベルが設定されているデータ。
オンラインゲームの資料らしい――エーテル・テイル・オンライン……?
聞き覚えがある。何かのニュースで耳にした。
近年サービスを開始し、瞬く間に人気を博した、大規模オンラインゲーム。
いや、違う。そんなどこかで耳にした話題じゃなく、そう、俺は――
「仕事だ」
記憶が蘇るように構築される。
仕事だ。マシーン野郎から持ち掛けられた仕事。
デスゲーム。笑ってしまうような単語。
件のゲームで死者が出たなどという眉唾な情報を下に、調査の名目ゲームに参加することになった。
ゲームをするのが初めてな俺は、事前調査に乗り出した。オンラインゲーム全般の情報と、そして件のゲームの情報。
この資料は、事前調査として収集した情報だ。
見たところ、ほとんど閲覧されていないデータばかりだが、それらはとても一日二日で集めた量とは思えない。
情報収集に余念がない。我が事ながら高いプロ意識を感じざるを得ないな。
仕事のことは思い出したものの、どうやってこれほどの情報を集めたのかは思い出せないが。まぁ、些細なことだろう。
それにしても。
「俺は、このゲームにログインしたのか……?」
その記憶はない。だが、そう判断せざるを得ない。
仕事を請けた記憶はある。調査に取り掛かった記憶と、集められた資料もある。
ただ、肝心のゲームサーバーに足を踏み入れた記憶だけがない。
実は、まだゲームサーバーに足を運ぶ前か?
「違うな」
自身の内部の記憶データを順に遡って照合すると、違うことがわかる。
俺がマシーン野郎から仕事を正式に請け負ったのは、ちょうど一週間前の話だ。
正確には、その辺りから記憶データが無い。昨日だけじゃなかったのだ。
確認作業のため、チカに声をかける。
「チカ、ちょうど一週間前の日付、俺は何をしていた」
「サイバーポリスのマードック様と会談。同日、オーナーは新たな仕事の案件を請け負い、その調査作業に取り掛かっています」
「その翌日は?」
「申し訳ありません。記録が存在しないため、回答は不可能です」
予想通りだ。確信じみた勘が囁く。
このゲームに関わったことで、俺は記憶データに障害を負った――正確に言えば、このゲームに関する記憶のみを消された。
それは、俺がゲームのサーバーに足を運び、ログインをしたことで起こった事に違いない。
調査期間に自室で過ごしているうちに、何らかの干渉を受けて、記憶を消されたとは考えにくい。
とにかく、そうして失われた、昨日から一週間ほど前までの記憶と記録。
「いかがなされましたか、オーナー」
チカを見る。
この部屋で過ごす間の出来事はもちろん、仕事等で俺が外出する際にも、行き先や用事を記録するはずのチカ。
その記録すら、消されている。
一体、どんな干渉があったのか。
サイバーポリスの監視網をすり抜ける干渉など……そもそも、この考えが間違っているのか?
この事態を引き起こした犯人こそが、サイバーポリスであったとしたら?
能力的には可能だろうが、動機には疑問が残る話になるな。
仕事を依頼として持ってきたのは、他でもないサイバーポリスのマシーン野郎。
俺が何か下手を打ったための罰なのだとしたら、生ぬるい。記憶などと言わず、存在ごと抹消されているはずだ。
その時、チカの瞳が再び瞬きを放った。
データがやり取りされている証。何らかの処理が行われているようだ。
「どうした」
「メールが届いています。差出人はマードック様です」
マシーン野郎か。噂をすれば、というやつだな。
不可解なこの事態に、答えをもたらしてくれそうな奴の登場だ。
いささかタイミングが良すぎる辺りが、胡散臭い奴らしいと言える。
「内容は?」
「オーナーに依頼済みの案件について、本日に打ち合わせをご所望です。すでにスルーマウンテンにいらっしゃっています」
「気の早い奴だな」
話が早いのは結構なことだがな。
スルーマウンテンは、打ち合わせでよく利用する喫茶店。
既にそこに居るということは、いつでも来い、ではなく、とっとと来い、ということだろう。
「出るぞ」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
アバターを操作。技能を発動。
自身の体が、広大な仮想空間に溶けていきそうな錯覚を覚える。
ネットワーク技能――座標指定移動。技能行使によって生み出された通信の光が、体を取り巻いていく。
登録済みの座標へ、体は即座に移動を開始する。
同じサーバー内だ。待ち時間は皆無。
通信待機領域に寄る間もなく、目の前、街角に佇む喫茶店があった。
「……」
気配が三つ。
屋根の上。出入口のすぐ脇。店内に入ってすぐの辺り。
こんなに護衛を引き連れてくるのは初めてだな。狙われている、と確信でもあるのか。
まさか、俺のことを警戒しているなんてことはないだろう。
まぁ、俺が気にすることじゃない。
現れた俺に対して、露骨に警戒する隠れた護衛を無視して、店内に入った。
寄って来たウェイトレス型のAIにコーヒーをオーダーしつつ、店内を進む。
窓際。ガラス張りの向こう側に大通りを望める、いつものテーブル席。
チカの言った通り、既に男が座っていた。
机上で手を組み、目を閉じた姿は、相変わらず。
短めの髪、喪服か礼服か区別のつかないスーツに、皮靴。頭から爪先まで、黒で統一されている。
笑顔で挨拶するような間柄でもない。
いつものように、俺は何も言わずに向かいの席へついた。
「……急な呼び出しだな。何の用だ」
席へついても反応がないので、仕方なく俺の方から口火を切る。
ようやく目を開いたマシーン野郎が、口元で手を組んだまま、言葉を吐いた。
「依頼した仕事は順調か」
「まだ調査段階だ。本格的に取り掛かっちゃいない」
「つまらない嘘は止せ。状況はお互いに分かっているだろう」
反射的に俺が吐いた嘘を、マシーン野郎が切って捨てた。
どうやら茶番を繰り広げるつもりはないらしい。
「互いに痛手を被っている、見た所、お前はここ一週間ほどの記憶を失っているようだが」
見抜かれている、か。隠し通せるとは思っていなかった。
こちらの状態を理解しているのなら、むしろ話が早くて良い。
だが、言いたいことはある。
「あのゲームにログインすると記憶を失う……最初から知っていたのか」
「正確には、ゲーム中において、モンスターと呼称されるオブジェクトを要因としてゲームオーバーになった場合、だ。無論、それは情報として掴んでいた。だが、事前に伝えるのは控えた」
「なぜだ」
「知っていたところで、あまり意味がない情報だからだ」
要領を得ない回答だ。
詳しく話せ。知っていることは全部だ。目で告げると、マシーン野郎は話し出す。
「まず、ゲームオーバーと同時に、ゲーム内部で蓄積した記憶を失う事実は、このゲームの話題としてそれなりに有名な話だ。ただ大半のプレイヤーは、これを問題視していない。むしろ、これまでのゲームに見られなかった刺激に富んだ要素として、好意的に見られている面もある」
狂っている。言いそうになったが、黙っていた。
ちょうどコーヒーが運ばれて来なかったら、言っていたかもしれない。
「それらの感覚はおそらくアバター技術の負の側面だ。が、この話は今はいい。主軸では無いからな」
「ゲームに没頭するような狂った連中はともかく、社会的な問題にはなってないのか」
ログインしているのは、記憶を失っても困らないような連中ばかりではないはずだ。
それに、情報が出回る程度には、ゲームオーバーとやらは珍しくないということ。
つまり俺のように、記憶を吹っ飛ばされた人間が、一定数いるということだ。
「大小問わず、様々な弊害は生まれているだろうが、致命的な社会問題はどのサーバーでも発生してはいない。言っただろう。失うのはあくまで、ゲーム内で蓄積された記憶のみだ。それでも、ゲームサーバーで過ごす時間が長大である程、問題も生まれうるだろうと我々も考えたが……一部、記憶の消去と同時に、整合性を取るための改竄処理の痕跡が見られている」
「アフターサービスも万全だな」
自分で言っておきながら、まったく面白くない冗談だと思った。
コーヒーを口に運ぶ俺に、マシーン野郎は続ける。
「統計によれば、ゲームオーバーによって記憶障害を受けたプレイヤーは、その後高い確率で、再度ゲームサーバーにプレイヤーとしてログインすることが分かっている。大きな問題になっていないのは、この点もあるだろう。何せ、被害者が声を上げないどころか、何事も無かったかのようにゲームを再開するのだからな」
それは、いったいどういう理屈だ。
そんなに面白いゲーム、ということなのか。
「わからない、という顔だな。報告を受けた限りでは、まるで何かを求めるように自然とゲーム内に舞い戻る、という話だ。お前は、何か感じるものはないか」
「さっぱりだな」
肩をすくめる。欠片も憶えていない物に惹かれる感覚は微塵もない。
そもそも、このご時世に、そんなオカルト染みた話を真に受けるほうがどうかしている。
「その求めている物というのは、失われた記憶なのではないか、という推測はある」
「ゲームに戻れば、無くした記憶を拾えるとでも言うんじゃないだろうな」
「その通りだ。ゲーム内には、失われた記憶を取り戻す手段があるという情報を入手した。もっとも、その真偽の程は現状不明だ」
凡そは理解した。そろそろ、話を主軸に戻そう。
「最初の質問に答えろ。どうしてこれらの情報を俺に伝えなかった。意味がないっていうのは」
「お前は新規プレイヤーとして、エーテル・テイル・オンラインにログインした。我々が確認している情報として、あのゲームの新規プレイヤーは必ず、ログインと同時に一つの情報を制限される」
「それは――」
「そう。ゲームオーバーになった時、どうなるか、だ。もう分かっていると思うが、あのゲームにおけるゲームオーバーは、記憶と共にキャラクターデータそのものの消失を意味する。そして、これらの情報をどれだけ事前に学習していったとしても、ゲームサーバーにログインした時点で、新規プレイヤーは情報の制限を受けることになる」
理由は理解した。
しかし、それを聞いて、生まれるのは新たな疑問ばかりだ。
「何のために、そんな情報統制をする」
「不明だ。ただ、不確定な情報ではあるが、一応の推測は立てられる」
「電脳界の処刑人ともあろう者が、ずいぶんと弱気な発言だな」
嫌味を言っても、マシーン野郎は眉一つ動かさず、瞑目しただけに留まる。
不明。不確定。推測でしかない話。
仮想空間上の事象について、電脳界の処刑人がそんな言葉を口にするということは、他の誰にも分からないということと同義だ。
瞑目したままのマシーン野郎が口を開く。
「実際にゲームサーバーに潜入して活動している隊員がもたらす情報から、いくつかの推測が立てられている。肝は、情報統制を受ける対象が、新規プレイヤーに限られるという点だ」
そう言われても、俺にはその理由はおろか推測すら検討もつかない。
新規だからどうしたという話――……いや。その話振りから、気づいたことを口にする。
「その制限とやらは新規プレイヤーのみに課されるものなのか。仮に、一度ログアウトして再ログインしたプレイヤーには適用されないと」
「その通りだ」
再び開眼したマシーン野郎が肯定する。
やはり意味が分からない。どうして殊更に、新規プレイヤーに対して嫌がらせじみた真似をするのか。
普通のサービスの観点からすれば、新規顧客には甘い汁を吸わせるものじゃないのか。
それとも最近のゲームはそういうものなんだろうか。
「安心しろ。我々も正確な理解には及んでいない。だが、ゲームに明るい隊員たちの立てた推論によれば、そうした手段を以て、プレイヤーが最初に知識と技術を身につける方法を、ゲーム内に限定しているのではないか、という話だ」
「それも意味不明だな。一度ログアウトすれば、結局その制限は解除されるんだろう。後からいくらだって情報を仕入れられる」
「その通りではあるが、あのゲームのログアウトは、そう容易なものではないみたいだぞ」
言って、マシーン野郎が口元に笑み浮かべる。
今日初めて見せた、嫌らしい笑みがのたまう。
「ゲームの難易度は推して知るべきだろう。なにせ、どこかの傭兵がログアウトするより先にロストする程のようだからな」
「……」
返す言葉がない。記憶を吹っ飛ばされているということは、俺が一度ゲームオーバーになったことは、もはや疑いようがない。
嫌味を返して満足したのか、マシーン野郎が笑みを引っ込める。
「とは言ったものの、お前のロストについては、我々にも責任の一端がある。覚えてはいないだろうが、ログインしたお前と我々は、連携してゲーム内のデータ改竄に手を出し――そして、精霊を名乗る、ゲームの管理AIに目をつけられた」
管理AI。ネットワーク上のあらゆるサービスは、細分化された業務ごとに用意されたAIが管理しているケースがほとんどだ。
取り分け、オンラインゲームのサービス管理を、生の人間が行なっていることはほとんど無い。と、調べて知った。
その管理者に目をつけられた。精霊、ね。
同時に思うのは、だからどうした、という話だ。
サイバーポリスは仮想空間上において、無敵と言って差し支えない存在。たかが一ゲームのAIに目をつけられた程度、どうとでもなるだろう。
……そのはずだ。
「それで、どうなった」
「データの改竄は物の見事に失敗した。手酷いカウンターと警告付きでな」
たかが管理AIに、電脳界の処刑人が返り討ちにあった。
言い表せない衝撃的な事態のはずなのに……あまり、驚きはない。
――なぜか、そんな答えが返ってくることを、分かっていたような気さえしている。
仮想空間上における、連中の絶対的な力を、俺はよく知っているはずなのに。
「あまり驚きは無いようだな」
むしろ、マシーン野郎が少しばかりの驚きを含んだような表情で、こちらを見ていた。
奴のそんな表情は珍しい。いつもいつも、無表情で機械のようにしゃべるか、たまに嫌らしく笑うかばかりの奴だ。
「……分からないだの不明だのばかり言って、お前らも落ち目みたいだからな。そういうこともあるだろうなって思っただけだ」
実験動物を観察するような視線から目をそらして、俺はコーヒーを口に運んだ……いつの間にか、カップの中身はほとんど無くなっている。
向かいの席で、ため息交じりの声がする。
「まあいいだろう。では、その後の話だ。つまり、改竄失敗からお前がロストするに至るまでの状況の推移だが、残念ながらこちらは情報を得ていない。少々余裕が無くなってな」
視線を戻すと、マシーン野郎が頷きつつ、続きを話す。
「情報がリークされた。我々が一ゲームの管理AIにこっぴどく返り討ちにあった、とな」
なるほど。であれば、仮想にはびこる無数の勢力がどう動くのか、考えるまでもない。
犯罪者や賞金首に、それらが寄り集まった組織。そうした組織がさらに手を結んだ軍団。
テロリスト。宗教団体。そして、傭兵や傭兵団。
電脳界の処刑人は、仮想上最強の組織だが、同時に仮想で最も多くの敵を抱える組織だ。
そういった敵が一斉に動き出したのであれば、さすがに少々の人手不足に陥るのも仕方ないかもしれない。
もっとも、それで何が変わるとも思えない。最初から、勝敗の見えている戦いだ。
そこまで話したところで、マシーン野郎が組んでいた手を解き、席を立った。
「話は以上だ。これから、便乗して騒いでいる者共を黙らせなければならない。お前には今後、そちらの仕事を回すことがあるかもしれないな」
台詞と共に机に置かれたのは、黒いギフトカードだ。
手に取って確かめてみると、莫大な金額データが圧縮されていることが分かる。
「これは」
「未払いの分だ」
仕事の報酬。仕事をしたという感覚は希薄なことこの上無いが。
今回の場合は、モルモット代、とでも言うべきか。だが。
「結局、デスゲームなんてものの真偽については、何もわかってないだろ」
「珍しいこともあるものだな。お前が仕事の結果を気にするとは」
こいつこそ、珍しくよく喋るかと思えば、余計な一言だ。
「真偽、と言ったか。その答えは既に出ている。その点で言えば、お前は十分に仕事を果たしたと言える。お前があのゲームにログインし、ロストし、その結果を示したことでな。だから、残りの報酬を受け取る権利がある」
ゲームオーバーは、キャラクターデータのロストに繋がっている。
ロストはゲーム内における記憶データの消去すら伴う。
それが……時に死亡すら引き起こす、とでも言うのか。
馬鹿らしい話だ。それとも、俺がロストして見せたことで、それが誤りだったと証明されたのか。
聞いたところで、詳細な答えは返ってこないだろう。
でなければ、最初に仕事を引き受けた時に、もっと詳細な情報を与えられていたはずだ。
言えるのは間違いなく、俺は実験体だったということだけだ。
「この件についても、じきに解決へ向かうだろう。御苦労だった。今後のことだが、お前は別件に備えてもらえると助かる。ではな、■■■■■■」
話は本当にそれで終わりらしい。マシーン野郎が最後の長文を述べ立てて、席を離れていく。
本当にそうか?
一度とはいえ、サイバーポリスを返り討ちにするほどの技術力を有した連中が運営するゲーム。
記憶を吹っ飛ばすという、ろくでもない仕様を乗せたシステム。
連中が解決するというのなら、嘘ではないだろう。
だが、なぜか、一筋縄で行く話ではない、と考えている自分がいる。
……決して、自分がゲームオーバーになった負け惜しみで言っているわけじゃない。
「…………?」
何かが、おかしい。
今、こいつは、なんて言った?
「待て」
立ち上がって、店の出口に向かおうとする背中を呼び止めた。
黒い背中が振り返り、怪訝そうな顔が俺を見る。
「どうした」
「今さっき、なんて言った」
「この件もじきに解決するだろう、という話か」
違う。同じ文体の中で、最後、異質な言葉があった気がする。
あれは。
「■■■■■■」
「――――」
マシーン野郎は、怪訝そうな顔のままだ。
その口から発せられる、理解不能の言語。それを疑問に思っている様子もない……気づいていないのか。
暗号でも乗せている可能性も考えたが、意味不明だ。そんなことをする必要なんてどこにもない。
では、誰かが仕掛けているのか。
サイバーポリスを相手に、気づかれずに。ありえない。
目の動き、態度、所作。
総合して、マシーン野郎が口にしているはずのそれは、俺に対する呼びかけの類と推測できる。
その時、脳内にメールが届いたことが報せられた。
電脳活動体ひとりひとりが持つ個人住所宛のメールだ。
ありえないことが、立て続けに起こっている。
俺のアドレスは、訳あって凍結されている。メールを受け取ることは、実質不可能だ。
俺に対するすべてのメールは、自宅で待機しているチカが受け取ることになっている。
そんな制限をあざ笑うように踏み倒して、届けられたメール。
自動で展開されたメールが、俺の視界の片隅に、その文字を躍らせた。
『待っているよ、リミット』
リミット。
それは、俺のこと、なのか。
間違いメール。暗号メール。悪戯メール。
浮かんだ推論が、すべて一つの言葉の下に、破棄されていく。
送信者の欄に送信元の住所はなく。
ただ、誇るようにその名が記されている。
精霊、と。
エーテル・テイル・オンライン、か。
「はは――」
「……急にどうした」
メールを見て、今更のように思い至った。
――自分の名前を、欠片も思い出せないことに。
正確には、認識できないようにさせられているのか。
どうやら、奪われたのは、記憶だけではないらしい。
さらに、相手はこう言っている。取り戻しに来い、と。
ゲームのプレイヤーは、何かを求めるように、再びゲームサーバーに舞い戻る、だったか。
こんな脅しを仕掛けておいて、よくも言うものだ。
答えは決まっている。
「マードック、許可を寄越せ。もう一度、あのゲームにログインする」
俺がそう口にした時のマシーン野郎の顔だけが、この日の唯一愉快な出来事だった。




