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リミットレス  作者: 都々木たいが
プロローグ
10/23

できるはずだ

「一難去ってまた一難、か」

 

 古代の人間は、実に上手いことを言ったものだと思う。

 今この状況を表すのに、これ以上相応しい表現は存在しまい。

 

 脳を刺激する不快感。新たな強敵(ネームド)のご登場だ。

 赤い狼、いや、獅子か? どちらかと言えば、狼よりだな。どちらでもいいが。

 

 とにかく、二足歩行で赤い毛に覆われた巨大な獣が、俺たちの前に現れた。

 俺の腕には、重症を負い、気を失ったままのフォースがいる。

 植物型の強敵(ネームドモンスター)を倒した直後、計ったように奇襲を受け、フォースは倒された。

 

 いや、事実計られていたのだろう。そうとしか思えないほどに、あの奇襲は巧妙だった。

 

 フォースの能力。六面体の機体は攻撃力に比重を置いたせいか、明らかに防御力に欠ける機体であることは、俺も気づいていた。

 ……そしておそらくだが、急な形態変化も出来ないのだろう。

 六面体の一軍を造り上げるのに、立方体と球体の機体を一度エーテルに戻していたしな。

 いつから見られていたのかは定かではないが、ある程度見られていたのならば、それも見抜かれていたのだと推測できる。

 

 故に、防御力の低い機体で防御せざる得ないタイミングを計られた。

 大物を仕留めた直後の油断もあっただろう。

 あるいは、能力行使による消耗のせいもあったかもしれない。

 大規模な能力行使が、尋常ではない体力を消費することは、俺も味わって知っている。

 

 ともあれ。

 

「狙い通り、というわけか……大したもんだ」

 

 戦場に出たばかりの新兵よか、よほど頭が回る。

 一人ごちていると、赤毛の二足歩行狼が天に顔を向け、大音量の吠え声をあげた。

 まるで、勝ち誇るように。尾を引いて響く叫びに、不快感が脳を揺さぶる。

 

 二体目のネームド。

 フォースが話していた、逃げ回っているネームドというのは、こいつのことだろうか。

 そうだとすれば、こいつのことは他のプレイヤーたちが探しているはずだ。

 

 時間を稼げば、プレイヤーの増援を望めるかもしれない。

 

「は――」

 

 自分で考えて、鼻で笑った。希望的観測に過ぎる話だ。。

 デカい屋敷がネームドにぶっ壊され、フォースがあれだけ派手に戦った。

 街の一画がほぼ更地になるほどのこの事態において、フォース以外のプレイヤーは、誰一人として姿を見せていない。

 この上で、フォースが現れた時のような幸運を期待するのは、はっきり言って愚かだろう。

 

 どの道、この状況下で稼げる時間なんて知れている。

 

 勝鬨を終えた赤毛の巨獣が、ゆっくりと近づいてくる。

 近づくほどに、分かる。先の植物型のネームドほどじゃないが、それでもデカい。

 見上げるほどの巨体は、二足歩行という人と同じ特徴を半端に含んでいるせいで、先のネームドよりも……忌避感を強く感じる。

 

 ただ、違いはそれだけじゃない。

 

「っ」

 

 その時、予想だにしない方向から音が聞こえた。

 風を切る音。飛空音。

 

 別の敵からの、更なる奇襲。

 

 嫌な想像が瞬時に頭を巡り、思わず視線をひかれた。

 遅すぎる。音の出所は、既に間近だった。

 

「……なんだ?」

 

 すぐ傍らに、円盤が浮いていた。平たく丸い、鋼色の円盤。

 機械的な見た目といい、人の頭ほどの大きさといい、すぐにフォースの能力によるものだと気づいた。

 しかし、妙だ。一瞬だけ、腕の中のフォースに視線を落とす。

 傷を負ったフォースは、気を失ったままである。フォースの意識が途切れた時、立方体の群れは全て、金色のエーテルに戻って散った。

 この円盤だけが、どうして形を保って動いている? そもそも、一体いつ現れた?

 

 妙な状況に、わずかな時間とはいえ視線も思考も奪われたのは悪手だ。

 すぐにネームドへと視線を戻したが、奴の視線もまた突如現れた機械体に向けられていた。

 

 猫背気味の体勢で歩みを止め、低く唸り声を発している。重度の警戒は、やはりフォースの能力が先のネームドをあっさりと蹴散らしたのを見ていたからだろう。

 

 絶妙な状況だ。今度こそゲームオーバーという言葉が頭をよぎったところに現れた、不確定要素。

 果たして、この円盤は状況の打破に一役買ってくれるのか。

 

 ネームドを視界に収めつつ、横目で円盤の様子を窺うと、宙に浮いたままのそれが微かな機械音を立てて回転する。

 

『はじめまして、我がマイスターの同胞。ワタシはラビット。偉大なるマイスター・フォースの忠実なるしもべです』

「…………そうか」

 

 喋った。女ものの機械音声。到底兎(ラビット)には見えない円盤機械が名のりを上げた。

 そこらのサーバーを出歩けば、業務用AIの搭載された機械が喋っているのはおかしな話じゃない。

 ただまさか、ゲームの能力(システム)で作り出したものが好き勝手に喋り出すとは思わなかった。

 

 内心驚く俺を他所に、少し音量の下がった機械音声が告げてくる。

 

『状況はひっ迫していますので、手短に。ワタシは特定の状況下でのみ活動を許される、撤(・)退(・)用(・)の機体です。今回、マイスターの危機的状況を感知したため、こうして稼働を開始しました』

「フォースを連れて離脱するためか」

 

 万が一の状況の際に、逃走を可能にする機体。しかも意識が無くても発動する能力か。

 便利だな。おそらく、この機体だけが特別仕様なのは間違いないが。

 

『理解が早くて助かります。加えて、ワタシは逃走に関しては無論優れた機体ですが、都合上、戦闘能力は皆無です』

「分かりやすい説明で助かる」

 

 話も早くてなによりだ。この円盤機体は、間違いなく状況を変える一手になる。

 それが分かった以上、俺のやるべきことは決まっている。

 

 フォースの体をゆっくりとその場に横たえた。空いた手の平を握って、開く。

 

 強敵(ネームド)と称される実体化状態のモンスターには、その姿に一定の分類があるらしいことが、フォースの話から分かっている。

 先のネームドが植物型。こいつを仮に呼ぶのなら、獣型? それとも人型か?

 

 なんだっていい。とにかく奴らには、その姿形に応じて、能力や性質に一種の方向性を持つという話。

 細かくは分からないが、あの植物型のネームドと目の前のネームドとの最大の違いは、今まさに肌で感じている。

 

 こいつはあの植物型ほどに、広範囲にマナの影響を与えてはいない。

 

 不快感こそ拭えないが、体への影響自体は少なく、意思の通りに動いたのが何よりの証拠だ。

 植物型のモンスターが倒されたことで、辺りの空気もマシになっている。十分だろう。

 

 転がっていた斧(フランシスカ)を、左手で拾い上げた。

 俺はネームドから視線を逸らさないまま、ラビットと名乗った機械に告げる。

 

「時間は稼ぐ。バレる前に早く行け。モンスター(あいつら)は、見た目以上に賢い連中だ」

『マイスターのおっしゃった通りですね。アナタはやはり、素晴らしい傭兵だ』

 

 どこがだ。というか、フォースがそんなことを言っていたのか。いつ?

 聞きたくはあったが、時間は無い。

 

『ご武運を』

 

 言うが早いか、円盤の機体から、金色の光線が放たれた。

 照射されたのは、横たわったフォース。

 金色の光に包まれた体が淡く発光し、すぐに光線と同化するように弾けた。

 

 光の粒と化したフォースが、円盤の機体に吸い込まれる。

 直後には、目を瞠る速度で円盤が飛行を開始。緑の光が尾を引いて、あっという間にその姿が離れていく。

 

 のんきに見送るつもりはない。

 

 ネームドの視線は、離れていく円盤を追っていた。奴が事態に気づき、円盤を追跡へ移ろうと動きを見せる。

 

 その眼前に横から滑り込むように、俺は駆けた。

 ちょうど体勢を低くしていたネームドの頭の位置は、俺の目線より頭三つ分ほどの高さ。

 横面に向けて飛び掛かり、斧の刃を叩きつける。

 

 空を切る音。頭を上げることで、刃は躱されていた。

 分かっている。一撃目を避けられることは、想定内だ。動きを止められれば上々。

 

 斧を振り下ろした勢いに乗せて、中空で身を回転させる。

 ちょうど一回転。切り上げる形となった斧で、そのまま顎下を狙う。

 

 鮮血が舞った。

 斧が跳ね返されて、体が宙を泳ぐ。

 ネームドが持つ、四本の腕。肩口から生えたその一本が、切り上げたフランシスカの刃を防いでいた。

 しかし、傷つけることが出来た。耐久力は高くない。

 

 ネームドが苛立つように短く吠え、別の腕が襲ってきた。

 宙に浮いたままのこちらを、的確に捉える拳の一撃。攻撃力は高い。投げつけてきたフランシスカの威力を見た時から、それは分かっていた。

 

「ぐっ……――はっ」

 

 防御に使った斧が軋む。幸い壊れはしなかった。激痛。壊れたのは握っていた左手の方だ。

 景色が流れ、体が吹っ飛ぶ。

 斧を右手に持ち換え、壊れた腕で地面を叩き、着地して体制を立て直す。

 

「……やっと、こっちを見たな」

 

 少し空いた距離。ネームドが、俺を見ていた。

 奴が常に見ていたのはフォースだけだった。俺はオマケですらなかったことだろう。

 最初の斧の投擲が俺を狙っていれば、成す術なく俺は肉塊になっていたはずだ。

 そもそも狙われてすらいなかった。眼中になかったという他ない。

 

 強い奴ほど美味い餌、ということなのだろうか。その辺りのシステムは知らない。

 あるいはモンスターに趣味嗜好が設定されているか……悪趣味だな。逆に良い趣味か?

 

 ようやくこちらを見たネームドの顔は、人面ではないのに、そこに宿る怒りの感情がよく伝わってくる。

 二足歩行の赤毛の巨獣。凶悪さと醜悪さの同居した狼顔に並ぶ、四つの瞳が俺を睨む。

 殺意を宿した視線と咆哮が、マナを伴って不快感を叩きつけてくる。

 

 それを受け流すように、静かに息を吸って吐き、言葉を乗せる。

 

「リミット、ただの傭兵だ。名乗る気があるなら、人語を話せ、怪物」

 

 こちらに通じる言語による答えは返ってこなかった。

 応える咆哮は、ただただ敵愾心(てきがいしん)に満ちている。

 

 多少の賢さには感心したが、戦の流儀までは知らないらしい。残念だ。

 

「まぁ、いい。それじゃ、始めるか」

 

 壊れかけの腕をぶら下げ、斧を構えて突撃する。

 絡めてなんて通用しないだろうし、そもそも用意すらしていない。

 

 大したことのない距離は、こちらから詰めたことですぐに埋まった。

 敵は、怒りこそ露にしていたが、攻めては来ず待ち構えている。

 

 攻撃範囲に踏み込んだ。こちらにとってはまだ遠く、あちらにとっては十分な距離。

 

 頭上からネームドの右の剛腕が襲い来る。駆ける勢いに乗せて、全力で飛び込みつつ、体を逸らして躱す。

 空を切った相手の拳が、地面に激突して、散らばっていた残骸を派手に巻き上げた。

 無茶な体勢から限界を超えた動きが祟り、片足の健がイカれたのを感じる。

 

 相手は待ってくれようはずもない。左の剛腕。同じように頭上から襲い来るそれに対し、それでも更に前へ。

 同時に体を捻り、振るわれる腕に左手を合わせる。壊れてはいても、それぐらいは出来る。手の平で受け流すように。

 そして、相手の腕の勢いに乗せて、こちらの体を中空に持ち上げる。

 

 左手がひしゃげて、完全に使い物にならなくなった代わりに、体は面白いように跳ねあがった。

 拳を地面に叩きつけて、前屈姿勢になっているネームドと、中空に跳び上がった俺。

 ほぼ同じ高さとなった目線で、視線が絡む。

 

 敵は――嗤っていた。

 ただ……きっと、俺も同じ顔をしていただろう。

 

 手の届く範囲に収まった敵の顔めがけて、迷うことなく右手に握ったフランシスカを振り下ろした。

 

 血は、流れなかった。固いものがぶつかり合う音。

 

 敵の牙が、振り下ろした斧に食いついた音だ。

 ネームドが大口を開けて、フランシスカの刃を牙で受け止めていた。

 

 斧にかみつかれたまま、相手が体を起こしたことで、俺も更なる空中へと連れていかれる。

 斧がかみ砕かれる頃には、体はネームドの両手にしっかりと捕まっていた。

 

「んっ、ぐ」

 

 強く力をかけられた体が軋みを上げる。口の端から血がこぼれた。

 掴まれた体が、ネームドの眼前へと運ばれる。四つの瞳が、睥睨していた。

 

「いっ……づ」

 

 がぱっと口を開けたネームドが、刃を失った斧の柄を握っていた右手に食いついてきた。

 今にも腕が千切れそうだ。ネームドの凶悪な瞳が、どこか愉し気に歪む。

 

 腕に食らいついたまま、牙を剥き出しにしてあげられた唸り声は威嚇というより、むしろ嘲笑に聞こえる響きだった。

 獅子が兎の抵抗を前にして嗤うようなもの。

 

 ……残念な気持ちが生まれる。

 窮鼠猫を噛む、だったか。こいつの中には、きっと存在しない言葉だろう。

 

「――……喰らっとけ」

 

 血の泡を吐き出しながら、口にする。機甲道標(ヒューマノイド)。

 マーク間の移動は、何も移動対象に触れていなければ出来ないわけじゃない。

 距離が離れすぎていると無理だろうが、取り落として見失ったグラディエーターが近くにあることは、刻んだマークを通して何となく感じていた。

 

 ここは十分過ぎる、有効範囲であり、攻撃範囲だ。

 

 右手の感覚は、呼び寄せたグラディエーターを握りしめたのを感じたのが最後。

 モンスターの絶叫が、響き渡る。

 

 視界が回る。体を投げ捨てられたのだ。地面に激突して、残骸に埋もれる。

 

「ざまあ、ないな」

 

 嗤ってやる。

 激痛の通り、右腕は肘から先が失われていた。

 左腕は、それより前に距離を詰めた際の交差でつぶれている。

 片足がいかれていて、もはや走ることは叶わないだろう。

 

 攻撃力も、機動力も死んだ。

 防御力など端から無い。こちとら身に着けているのは、ログイン直後に着ていた布の服に、矢の一本も防げなさそうな皮鎧だけだ。 

 だが。

 

 うつ伏せに倒れていた体を、起き上がらせる。

 

「立てる、か――はは」

 

 体が動く。このゲームの良いところを、また見つけた。

 

 電脳活動体(アバター)は、人(・)間(・)性(・)を削ぎ落とすごとに、その性能を著しく低下させる。

 例え、ゲームサーバーでのみ稼働する遊戯用活動体(キャラクターアバター)という形に変換されても、その制約から逃れることはできない。サーバーを隔てられていても、そこが仮想空間であり、アバター技術であるということに違いはないからだ。

 

 三大欲求。呼吸や排泄、代謝といった生理現象。五感を代表とする各種感覚機能。

 ゲームサーバーの容量や技術力等の問題により、あらゆるゲームにおけるキャラクターアバターは、これら人体機能を部分的、あるいは全面的に切除していることがほとんどである。

 

 故に、ゲームはどこまでいってもゲームでしかない。

 どれだけ面白く、精巧なゲームを造り上げても、アバターの本来の機能を発揮することは出来ないのだから。

 昨今のゲーム業界は、それを超えることなど目指してはおらず、むしろ別のベクトルへと進むことで勢力を維持しているという。

 

 では、このゲームは?

 エーテル・テイル・オンラインはどうか。

 

 散々に痛みを感じ、血の味を舐めた。

 死を連想しては汗を流し、眠気や疲労感も味わった。

 

 驚くほどの再現率。仮想上のゲーム制作における条約に対して、唾を吐きかけるような規制を無視した造り。

 

 であるならば。

 

「できるはずだ」

 

 壊れた体を引きずって、正面を見据える。

 口腔から血とかみ砕いた刃の破片を垂れ流して、ネームドがこちらを睨んでいる。

 

 上出来だ。ログインしたばかりの時では、あんな風に一矢報いることなんて到底できなかっただろう。

 

 体の動きは、徐々に洗練されている。いや、慣れてきている、と言ったほうが正しいか。

 この体……キャラクターアバターに。ゲームにログインして、およそ数時間。

 これだけ本来のアバターと遜色ないほどに機能が制限されていないならば、嫌でも慣れる。

 

 だとすれば、可能なはずだ。

 

 ネットワーク技能の制限?

 笑わせる。ここが仮想空間である以上、遊戯空間だろうが勝手は同じだ。

 繋(・)が(・)る(・)感覚が立ち昇ってくる。ああ、やっぱり、簡単だ。

 

「どうした」


 餌が目の前にあるんだ。喰いたいんだろう?

 赤い獣が、ただ突っ立っているだけの俺に対して、襲ってこない。随分と、威勢を失ったもんだな。

 

 その獣の面からは、あれだけ溢れんばかりだった怒りが抜け落ちているように見えた。

 代わりにあるのは、戸惑いか。それとも、恐れか。

 

 やはり、賢いな。これが、分かるらしい。

 電子の奥底に刻まれた本能が、恐れているんだろう。

 それは決して、間違いじゃない。

 

「遠慮、するな。今から、見せてやる」

 

 言葉が、歪む。体も歪む。

 繋がった感覚から、膨大な情報(データ)が流れ込んでくるのを感じる。

 この体(キャラクターアバター)に到底収まりきらないそれらは、今にも壊れた体を打ち破って、這い出してきそうだった。

 

 なぜなら、其れは――際限がない。

 

「――来い」

 

 慣れた感覚を手繰り寄せ、ネットワーク技能を行使しようとした間際。

 

 衝撃が、俺の体を貫いた。

 背中から胸へ。強くはない。

 

「……………………?」

 

 自身の体を、視線だけで見下ろす。

 鋼の先端が、服と鎧を貫き、顔を出していた。

 もちろん、体も貫かれている。

 

 背中から胸へ。痛みはない。痛覚はいつの間にかほぼ麻痺していた。

 壊れかけの体は、座ることも寝ることもできない、立っているだけの代物だった。

 

 それが貫かれたことで、完全に案山子同然と化した。

 直前まで感じていた、あの繋がりの感覚も失われている。

 

 振り返ることすらできなくなった体。

 ただ音を受け入れるだけになった耳に、諸々を断ち切った下手人の声が背後から届いた。

 

「駄目ですよぅ、リミットさん。それはさすがに、ルール違反ですっ」

 

 聞き覚えのある声だ。

 鋼が抜かれると共に、下手人は律儀に俺の前に回り込んで、その姿をさらす

 目が合った、蒼い瞳と髪の女が、明るい声でのたまう。

 

「おやおや? 私のことをお忘れでしょうか? テルオンプレイヤーの皆様をご案内さしあげる、敏腕ナビゲーターことミニュイですよっ」

 

 ころころと変わる表情に、やたら元気な態度。

 見覚えがある。つい数時間前の話だからな。

 ナビゲーター嬢、ミニュイ。キャラクターメイキングの時に出会った……おそらくこのゲームで俺が最初に出会っただろうAI。

 

 身に着けている洒落たエプロンドレスも変わりがなく……俺の体を貫いただろう槍を握っている姿だけが、酷くアンバランスだ。

 俺の視線を追って自らの手元に視線を移したミニュイが、弁解するように槍を後ろ手に隠した。

 

「あっ、えーっと説明もなくすみません! でも、駄目ですよ、リミットさん。精霊様の作ったルールを破るのは駄目ですっ。本当なら、私(・)た(・)ち(・)がここまでしなきゃいけないことって中々ないんですよ……?」

 

 私たち、ね。

 フォースの話をおぼろげに思い出す。ナビゲーターは複数いる。属性にちなんで、八人だか九人だかいるって話だったか。

 

 精霊が作ったルールを破ると、目の前のミニュイを含んだ、そいつらが出てくるのか?

 よく似たシステムを知っている――電脳界の処刑人(サイバーポリス)だ。

 

 仮想空間の治安を乱す輩を迅速かつ的確に始末する処刑人。

 

 このゲームの世界においては、ナビゲーターがその役目を担っているというわけか。

 ゲーム内のバランスを保つために奔走するその存在を、多くのオンラインゲームではゲームマスターと呼ぶ。

 さしづめナビゲーター兼ゲームマスター。

 目をつけられていることは覚悟していたが、遂に強制的な排除の対象になってしまったらしい。


 しかし……俺はそこまでのことをしただろうか。

 それだけが疑問でならない。


「あっ! あーっ! そのお顔、リミットさん、反省してませんね! もうこうなったら、少々お時間を頂戴して――」


 ミニュイが喚いていたところ、それを搔き消す咆哮が響き渡った。


 ネームド。ミニュイの登場で、完全に蚊帳の外になっていた。

 そのことがよほど腹に据えかねたのか、失った威勢を取り戻すように、遠吠えが長々と続く。

 

「――あぁ、そういえば、いましたね」

 

 こちらに背を向けたミニュイの呟きが聞こえた。

 まるで、別人のような声の響き。明るく喧しい雰囲気が消え去った声音が、朗々と語りを続ける。

 

「別に、あなたたちの邪魔をするつもりはありませんよ。私は私のお役目を果たすだけですから――ええ、あなたたちは、好きにすればいい」

 

 モンスターに語り掛けるその言葉の意味はよく分からない。

 話はそれで終わりのようだった。

 

 軽やかにこちらを振り返ったミニュイは、出会った時のような雰囲気に戻っていた。

 申し訳なさそうにしつつも、どこかまるで悪いと思っていなさそうな不敵な笑み。

 

「ごめんなさい、リミットさん。リミットさんは、ちょっとやりすぎたんです。精霊様がとってもお怒りです。なので……申し訳ないですけど、ちょっとだけ罰を受けてくださいっ!」

 

 お辞儀をするミニュイの背後に、ネームドが立っていた。

 ミニュイを襲う様子はない。

 

 ミニュイが場を譲るように横に避け、赤毛の巨獣が俺に迫る。

 再び、ネームドの力強い腕に掴みあげられたところで、ミニュイが言う。

 

「ですが、リミットさんでしたら、きっとまたすぐに戻ってこられると思います。あっ、その時は、今度こそルールを守って、正しくゲームを遊んでくださいねっ。約束ですよ!」

 

 人が今にもモンスターの餌食になろうとしているのに、のんきな話だ。

 

 ……。

 そういえば。

 今更な話だが。モンスターに倒されたプレイヤーは、どうなるんだったか。

 なぜか。調べたはずなのに、思い出せない。

 

 そもそも、そんな情報を、入手していたか?

 一体なぜ、今に至るまで、疑問に思わなかった?

 ああ、倒されたプレイヤーを、ろくに見ていないからか。

 

 今から、それを、この身を以て知ることができるわけだな。

 

 体が麻痺しているせいか。

 あの植物型のネームドに迫られた時のような死の感覚は感じなかった。それとも、この獣が格(。)落(。)ち(・)だからか。

 

 最後の力。思わず笑ってやると、気に食わない物を食い散らかそうとするように、モンスターの牙が迫った。

 

 

 

 その光景が、この日の俺の、最期の記憶。

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