できるはずだ
「一難去ってまた一難、か」
古代の人間は、実に上手いことを言ったものだと思う。
今この状況を表すのに、これ以上相応しい表現は存在しまい。
脳を刺激する不快感。新たな強敵のご登場だ。
赤い狼、いや、獅子か? どちらかと言えば、狼よりだな。どちらでもいいが。
とにかく、二足歩行で赤い毛に覆われた巨大な獣が、俺たちの前に現れた。
俺の腕には、重症を負い、気を失ったままのフォースがいる。
植物型の強敵を倒した直後、計ったように奇襲を受け、フォースは倒された。
いや、事実計られていたのだろう。そうとしか思えないほどに、あの奇襲は巧妙だった。
フォースの能力。六面体の機体は攻撃力に比重を置いたせいか、明らかに防御力に欠ける機体であることは、俺も気づいていた。
……そしておそらくだが、急な形態変化も出来ないのだろう。
六面体の一軍を造り上げるのに、立方体と球体の機体を一度エーテルに戻していたしな。
いつから見られていたのかは定かではないが、ある程度見られていたのならば、それも見抜かれていたのだと推測できる。
故に、防御力の低い機体で防御せざる得ないタイミングを計られた。
大物を仕留めた直後の油断もあっただろう。
あるいは、能力行使による消耗のせいもあったかもしれない。
大規模な能力行使が、尋常ではない体力を消費することは、俺も味わって知っている。
ともあれ。
「狙い通り、というわけか……大したもんだ」
戦場に出たばかりの新兵よか、よほど頭が回る。
一人ごちていると、赤毛の二足歩行狼が天に顔を向け、大音量の吠え声をあげた。
まるで、勝ち誇るように。尾を引いて響く叫びに、不快感が脳を揺さぶる。
二体目のネームド。
フォースが話していた、逃げ回っているネームドというのは、こいつのことだろうか。
そうだとすれば、こいつのことは他のプレイヤーたちが探しているはずだ。
時間を稼げば、プレイヤーの増援を望めるかもしれない。
「は――」
自分で考えて、鼻で笑った。希望的観測に過ぎる話だ。。
デカい屋敷がネームドにぶっ壊され、フォースがあれだけ派手に戦った。
街の一画がほぼ更地になるほどのこの事態において、フォース以外のプレイヤーは、誰一人として姿を見せていない。
この上で、フォースが現れた時のような幸運を期待するのは、はっきり言って愚かだろう。
どの道、この状況下で稼げる時間なんて知れている。
勝鬨を終えた赤毛の巨獣が、ゆっくりと近づいてくる。
近づくほどに、分かる。先の植物型のネームドほどじゃないが、それでもデカい。
見上げるほどの巨体は、二足歩行という人と同じ特徴を半端に含んでいるせいで、先のネームドよりも……忌避感を強く感じる。
ただ、違いはそれだけじゃない。
「っ」
その時、予想だにしない方向から音が聞こえた。
風を切る音。飛空音。
別の敵からの、更なる奇襲。
嫌な想像が瞬時に頭を巡り、思わず視線をひかれた。
遅すぎる。音の出所は、既に間近だった。
「……なんだ?」
すぐ傍らに、円盤が浮いていた。平たく丸い、鋼色の円盤。
機械的な見た目といい、人の頭ほどの大きさといい、すぐにフォースの能力によるものだと気づいた。
しかし、妙だ。一瞬だけ、腕の中のフォースに視線を落とす。
傷を負ったフォースは、気を失ったままである。フォースの意識が途切れた時、立方体の群れは全て、金色のエーテルに戻って散った。
この円盤だけが、どうして形を保って動いている? そもそも、一体いつ現れた?
妙な状況に、わずかな時間とはいえ視線も思考も奪われたのは悪手だ。
すぐにネームドへと視線を戻したが、奴の視線もまた突如現れた機械体に向けられていた。
猫背気味の体勢で歩みを止め、低く唸り声を発している。重度の警戒は、やはりフォースの能力が先のネームドをあっさりと蹴散らしたのを見ていたからだろう。
絶妙な状況だ。今度こそゲームオーバーという言葉が頭をよぎったところに現れた、不確定要素。
果たして、この円盤は状況の打破に一役買ってくれるのか。
ネームドを視界に収めつつ、横目で円盤の様子を窺うと、宙に浮いたままのそれが微かな機械音を立てて回転する。
『はじめまして、我がマイスターの同胞。ワタシはラビット。偉大なるマイスター・フォースの忠実なるしもべです』
「…………そうか」
喋った。女ものの機械音声。到底兎には見えない円盤機械が名のりを上げた。
そこらのサーバーを出歩けば、業務用AIの搭載された機械が喋っているのはおかしな話じゃない。
ただまさか、ゲームの能力で作り出したものが好き勝手に喋り出すとは思わなかった。
内心驚く俺を他所に、少し音量の下がった機械音声が告げてくる。
『状況はひっ迫していますので、手短に。ワタシは特定の状況下でのみ活動を許される、撤退用の機体です。今回、マイスターの危機的状況を感知したため、こうして稼働を開始しました』
「フォースを連れて離脱するためか」
万が一の状況の際に、逃走を可能にする機体。しかも意識が無くても発動する能力か。
便利だな。おそらく、この機体だけが特別仕様なのは間違いないが。
『理解が早くて助かります。加えて、ワタシは逃走に関しては無論優れた機体ですが、都合上、戦闘能力は皆無です』
「分かりやすい説明で助かる」
話も早くてなによりだ。この円盤機体は、間違いなく状況を変える一手になる。
それが分かった以上、俺のやるべきことは決まっている。
フォースの体をゆっくりとその場に横たえた。空いた手の平を握って、開く。
強敵と称される実体化状態のモンスターには、その姿に一定の分類があるらしいことが、フォースの話から分かっている。
先のネームドが植物型。こいつを仮に呼ぶのなら、獣型? それとも人型か?
なんだっていい。とにかく奴らには、その姿形に応じて、能力や性質に一種の方向性を持つという話。
細かくは分からないが、あの植物型のネームドと目の前のネームドとの最大の違いは、今まさに肌で感じている。
こいつはあの植物型ほどに、広範囲にマナの影響を与えてはいない。
不快感こそ拭えないが、体への影響自体は少なく、意思の通りに動いたのが何よりの証拠だ。
植物型のモンスターが倒されたことで、辺りの空気もマシになっている。十分だろう。
転がっていた斧を、左手で拾い上げた。
俺はネームドから視線を逸らさないまま、ラビットと名乗った機械に告げる。
「時間は稼ぐ。バレる前に早く行け。モンスターは、見た目以上に賢い連中だ」
『マイスターのおっしゃった通りですね。アナタはやはり、素晴らしい傭兵だ』
どこがだ。というか、フォースがそんなことを言っていたのか。いつ?
聞きたくはあったが、時間は無い。
『ご武運を』
言うが早いか、円盤の機体から、金色の光線が放たれた。
照射されたのは、横たわったフォース。
金色の光に包まれた体が淡く発光し、すぐに光線と同化するように弾けた。
光の粒と化したフォースが、円盤の機体に吸い込まれる。
直後には、目を瞠る速度で円盤が飛行を開始。緑の光が尾を引いて、あっという間にその姿が離れていく。
のんきに見送るつもりはない。
ネームドの視線は、離れていく円盤を追っていた。奴が事態に気づき、円盤を追跡へ移ろうと動きを見せる。
その眼前に横から滑り込むように、俺は駆けた。
ちょうど体勢を低くしていたネームドの頭の位置は、俺の目線より頭三つ分ほどの高さ。
横面に向けて飛び掛かり、斧の刃を叩きつける。
空を切る音。頭を上げることで、刃は躱されていた。
分かっている。一撃目を避けられることは、想定内だ。動きを止められれば上々。
斧を振り下ろした勢いに乗せて、中空で身を回転させる。
ちょうど一回転。切り上げる形となった斧で、そのまま顎下を狙う。
鮮血が舞った。
斧が跳ね返されて、体が宙を泳ぐ。
ネームドが持つ、四本の腕。肩口から生えたその一本が、切り上げたフランシスカの刃を防いでいた。
しかし、傷つけることが出来た。耐久力は高くない。
ネームドが苛立つように短く吠え、別の腕が襲ってきた。
宙に浮いたままのこちらを、的確に捉える拳の一撃。攻撃力は高い。投げつけてきたフランシスカの威力を見た時から、それは分かっていた。
「ぐっ……――はっ」
防御に使った斧が軋む。幸い壊れはしなかった。激痛。壊れたのは握っていた左手の方だ。
景色が流れ、体が吹っ飛ぶ。
斧を右手に持ち換え、壊れた腕で地面を叩き、着地して体制を立て直す。
「……やっと、こっちを見たな」
少し空いた距離。ネームドが、俺を見ていた。
奴が常に見ていたのはフォースだけだった。俺はオマケですらなかったことだろう。
最初の斧の投擲が俺を狙っていれば、成す術なく俺は肉塊になっていたはずだ。
そもそも狙われてすらいなかった。眼中になかったという他ない。
強い奴ほど美味い餌、ということなのだろうか。その辺りのシステムは知らない。
あるいはモンスターに趣味嗜好が設定されているか……悪趣味だな。逆に良い趣味か?
ようやくこちらを見たネームドの顔は、人面ではないのに、そこに宿る怒りの感情がよく伝わってくる。
二足歩行の赤毛の巨獣。凶悪さと醜悪さの同居した狼顔に並ぶ、四つの瞳が俺を睨む。
殺意を宿した視線と咆哮が、マナを伴って不快感を叩きつけてくる。
それを受け流すように、静かに息を吸って吐き、言葉を乗せる。
「リミット、ただの傭兵だ。名乗る気があるなら、人語を話せ、怪物」
こちらに通じる言語による答えは返ってこなかった。
応える咆哮は、ただただ敵愾心に満ちている。
多少の賢さには感心したが、戦の流儀までは知らないらしい。残念だ。
「まぁ、いい。それじゃ、始めるか」
壊れかけの腕をぶら下げ、斧を構えて突撃する。
絡めてなんて通用しないだろうし、そもそも用意すらしていない。
大したことのない距離は、こちらから詰めたことですぐに埋まった。
敵は、怒りこそ露にしていたが、攻めては来ず待ち構えている。
攻撃範囲に踏み込んだ。こちらにとってはまだ遠く、あちらにとっては十分な距離。
頭上からネームドの右の剛腕が襲い来る。駆ける勢いに乗せて、全力で飛び込みつつ、体を逸らして躱す。
空を切った相手の拳が、地面に激突して、散らばっていた残骸を派手に巻き上げた。
無茶な体勢から限界を超えた動きが祟り、片足の健がイカれたのを感じる。
相手は待ってくれようはずもない。左の剛腕。同じように頭上から襲い来るそれに対し、それでも更に前へ。
同時に体を捻り、振るわれる腕に左手を合わせる。壊れてはいても、それぐらいは出来る。手の平で受け流すように。
そして、相手の腕の勢いに乗せて、こちらの体を中空に持ち上げる。
左手がひしゃげて、完全に使い物にならなくなった代わりに、体は面白いように跳ねあがった。
拳を地面に叩きつけて、前屈姿勢になっているネームドと、中空に跳び上がった俺。
ほぼ同じ高さとなった目線で、視線が絡む。
敵は――嗤っていた。
ただ……きっと、俺も同じ顔をしていただろう。
手の届く範囲に収まった敵の顔めがけて、迷うことなく右手に握ったフランシスカを振り下ろした。
血は、流れなかった。固いものがぶつかり合う音。
敵の牙が、振り下ろした斧に食いついた音だ。
ネームドが大口を開けて、フランシスカの刃を牙で受け止めていた。
斧にかみつかれたまま、相手が体を起こしたことで、俺も更なる空中へと連れていかれる。
斧がかみ砕かれる頃には、体はネームドの両手にしっかりと捕まっていた。
「んっ、ぐ」
強く力をかけられた体が軋みを上げる。口の端から血がこぼれた。
掴まれた体が、ネームドの眼前へと運ばれる。四つの瞳が、睥睨していた。
「いっ……づ」
がぱっと口を開けたネームドが、刃を失った斧の柄を握っていた右手に食いついてきた。
今にも腕が千切れそうだ。ネームドの凶悪な瞳が、どこか愉し気に歪む。
腕に食らいついたまま、牙を剥き出しにしてあげられた唸り声は威嚇というより、むしろ嘲笑に聞こえる響きだった。
獅子が兎の抵抗を前にして嗤うようなもの。
……残念な気持ちが生まれる。
窮鼠猫を噛む、だったか。こいつの中には、きっと存在しない言葉だろう。
「――……喰らっとけ」
血の泡を吐き出しながら、口にする。機甲道標。
マーク間の移動は、何も移動対象に触れていなければ出来ないわけじゃない。
距離が離れすぎていると無理だろうが、取り落として見失ったグラディエーターが近くにあることは、刻んだマークを通して何となく感じていた。
ここは十分過ぎる、有効範囲であり、攻撃範囲だ。
右手の感覚は、呼び寄せたグラディエーターを握りしめたのを感じたのが最後。
モンスターの絶叫が、響き渡る。
視界が回る。体を投げ捨てられたのだ。地面に激突して、残骸に埋もれる。
「ざまあ、ないな」
嗤ってやる。
激痛の通り、右腕は肘から先が失われていた。
左腕は、それより前に距離を詰めた際の交差でつぶれている。
片足がいかれていて、もはや走ることは叶わないだろう。
攻撃力も、機動力も死んだ。
防御力など端から無い。こちとら身に着けているのは、ログイン直後に着ていた布の服に、矢の一本も防げなさそうな皮鎧だけだ。
だが。
うつ伏せに倒れていた体を、起き上がらせる。
「立てる、か――はは」
体が動く。このゲームの良いところを、また見つけた。
電脳活動体は、人間性を削ぎ落とすごとに、その性能を著しく低下させる。
例え、ゲームサーバーでのみ稼働する遊戯用活動体という形に変換されても、その制約から逃れることはできない。サーバーを隔てられていても、そこが仮想空間であり、アバター技術であるということに違いはないからだ。
三大欲求。呼吸や排泄、代謝といった生理現象。五感を代表とする各種感覚機能。
ゲームサーバーの容量や技術力等の問題により、あらゆるゲームにおけるキャラクターアバターは、これら人体機能を部分的、あるいは全面的に切除していることがほとんどである。
故に、ゲームはどこまでいってもゲームでしかない。
どれだけ面白く、精巧なゲームを造り上げても、アバターの本来の機能を発揮することは出来ないのだから。
昨今のゲーム業界は、それを超えることなど目指してはおらず、むしろ別のベクトルへと進むことで勢力を維持しているという。
では、このゲームは?
エーテル・テイル・オンラインはどうか。
散々に痛みを感じ、血の味を舐めた。
死を連想しては汗を流し、眠気や疲労感も味わった。
驚くほどの再現率。仮想上のゲーム制作における条約に対して、唾を吐きかけるような規制を無視した造り。
であるならば。
「できるはずだ」
壊れた体を引きずって、正面を見据える。
口腔から血とかみ砕いた刃の破片を垂れ流して、ネームドがこちらを睨んでいる。
上出来だ。ログインしたばかりの時では、あんな風に一矢報いることなんて到底できなかっただろう。
体の動きは、徐々に洗練されている。いや、慣れてきている、と言ったほうが正しいか。
この体……キャラクターアバターに。ゲームにログインして、およそ数時間。
これだけ本来のアバターと遜色ないほどに機能が制限されていないならば、嫌でも慣れる。
だとすれば、可能なはずだ。
ネットワーク技能の制限?
笑わせる。ここが仮想空間である以上、遊戯空間だろうが勝手は同じだ。
繋がる感覚が立ち昇ってくる。ああ、やっぱり、簡単だ。
「どうした」
餌が目の前にあるんだ。喰いたいんだろう?
赤い獣が、ただ突っ立っているだけの俺に対して、襲ってこない。随分と、威勢を失ったもんだな。
その獣の面からは、あれだけ溢れんばかりだった怒りが抜け落ちているように見えた。
代わりにあるのは、戸惑いか。それとも、恐れか。
やはり、賢いな。これが、分かるらしい。
電子の奥底に刻まれた本能が、恐れているんだろう。
それは決して、間違いじゃない。
「遠慮、するな。今から、見せてやる」
言葉が、歪む。体も歪む。
繋がった感覚から、膨大な情報が流れ込んでくるのを感じる。
この体に到底収まりきらないそれらは、今にも壊れた体を打ち破って、這い出してきそうだった。
なぜなら、其れは――際限がない。
「――来い」
慣れた感覚を手繰り寄せ、ネットワーク技能を行使しようとした間際。
衝撃が、俺の体を貫いた。
背中から胸へ。強くはない。
「……………………?」
自身の体を、視線だけで見下ろす。
鋼の先端が、服と鎧を貫き、顔を出していた。
もちろん、体も貫かれている。
背中から胸へ。痛みはない。痛覚はいつの間にかほぼ麻痺していた。
壊れかけの体は、座ることも寝ることもできない、立っているだけの代物だった。
それが貫かれたことで、完全に案山子同然と化した。
直前まで感じていた、あの繋がりの感覚も失われている。
振り返ることすらできなくなった体。
ただ音を受け入れるだけになった耳に、諸々を断ち切った下手人の声が背後から届いた。
「駄目ですよぅ、リミットさん。それはさすがに、ルール違反ですっ」
聞き覚えのある声だ。
鋼が抜かれると共に、下手人は律儀に俺の前に回り込んで、その姿をさらす
目が合った、蒼い瞳と髪の女が、明るい声でのたまう。
「おやおや? 私のことをお忘れでしょうか? テルオンプレイヤーの皆様をご案内さしあげる、敏腕ナビゲーターことミニュイですよっ」
ころころと変わる表情に、やたら元気な態度。
見覚えがある。つい数時間前の話だからな。
ナビゲーター嬢、ミニュイ。キャラクターメイキングの時に出会った……おそらくこのゲームで俺が最初に出会っただろうAI。
身に着けている洒落たエプロンドレスも変わりがなく……俺の体を貫いただろう槍を握っている姿だけが、酷くアンバランスだ。
俺の視線を追って自らの手元に視線を移したミニュイが、弁解するように槍を後ろ手に隠した。
「あっ、えーっと説明もなくすみません! でも、駄目ですよ、リミットさん。精霊様の作ったルールを破るのは駄目ですっ。本当なら、私たちがここまでしなきゃいけないことって中々ないんですよ……?」
私たち、ね。
フォースの話をおぼろげに思い出す。ナビゲーターは複数いる。属性にちなんで、八人だか九人だかいるって話だったか。
精霊が作ったルールを破ると、目の前のミニュイを含んだ、そいつらが出てくるのか?
よく似たシステムを知っている――電脳界の処刑人だ。
仮想空間の治安を乱す輩を迅速かつ的確に始末する処刑人。
このゲームの世界においては、ナビゲーターがその役目を担っているというわけか。
ゲーム内のバランスを保つために奔走するその存在を、多くのオンラインゲームではゲームマスターと呼ぶ。
さしづめナビゲーター兼ゲームマスター。
目をつけられていることは覚悟していたが、遂に強制的な排除の対象になってしまったらしい。
しかし……俺はそこまでのことをしただろうか。
それだけが疑問でならない。
「あっ! あーっ! そのお顔、リミットさん、反省してませんね! もうこうなったら、少々お時間を頂戴して――」
ミニュイが喚いていたところ、それを搔き消す咆哮が響き渡った。
ネームド。ミニュイの登場で、完全に蚊帳の外になっていた。
そのことがよほど腹に据えかねたのか、失った威勢を取り戻すように、遠吠えが長々と続く。
「――あぁ、そういえば、いましたね」
こちらに背を向けたミニュイの呟きが聞こえた。
まるで、別人のような声の響き。明るく喧しい雰囲気が消え去った声音が、朗々と語りを続ける。
「別に、あなたたちの邪魔をするつもりはありませんよ。私は私のお役目を果たすだけですから――ええ、あなたたちは、好きにすればいい」
モンスターに語り掛けるその言葉の意味はよく分からない。
話はそれで終わりのようだった。
軽やかにこちらを振り返ったミニュイは、出会った時のような雰囲気に戻っていた。
申し訳なさそうにしつつも、どこかまるで悪いと思っていなさそうな不敵な笑み。
「ごめんなさい、リミットさん。リミットさんは、ちょっとやりすぎたんです。精霊様がとってもお怒りです。なので……申し訳ないですけど、ちょっとだけ罰を受けてくださいっ!」
お辞儀をするミニュイの背後に、ネームドが立っていた。
ミニュイを襲う様子はない。
ミニュイが場を譲るように横に避け、赤毛の巨獣が俺に迫る。
再び、ネームドの力強い腕に掴みあげられたところで、ミニュイが言う。
「ですが、リミットさんでしたら、きっとまたすぐに戻ってこられると思います。あっ、その時は、今度こそルールを守って、正しくゲームを遊んでくださいねっ。約束ですよ!」
人が今にもモンスターの餌食になろうとしているのに、のんきな話だ。
……。
そういえば。
今更な話だが。モンスターに倒されたプレイヤーは、どうなるんだったか。
なぜか。調べたはずなのに、思い出せない。
そもそも、そんな情報を、入手していたか?
一体なぜ、今に至るまで、疑問に思わなかった?
ああ、倒されたプレイヤーを、ろくに見ていないからか。
今から、それを、この身を以て知ることができるわけだな。
体が麻痺しているせいか。
あの植物型のネームドに迫られた時のような死の感覚は感じなかった。それとも、この獣が格落ちだからか。
最後の力。思わず笑ってやると、気に食わない物を食い散らかそうとするように、モンスターの牙が迫った。
その光景が、この日の俺の、最期の記憶。




