第七話 段取り八分
勝負の初日。灰の大迷宮・深層五十一階の入口には、対照的な二つの集団が並んでいた。
片や、白と金の法衣をまとった大聖堂の司祭が二十名。全員が銀の錫杖を手にし、背後には聖水の大樽を積んだ荷車が三台。
片や、作業着の清掃課。俺と、アイリスと、グラム課長。それから――
「ノエルちゃん、モップの替えはこれで足りるかい?」
「わしゃ腰が痛いでな、床は若いのに任せて、壁をやるぞい」
腰の曲がったおばあちゃんが四人と、杖をついたおじいちゃんが二人。
グラム課長が昨夜、一軒一軒回って声をかけてきてくれた、清掃課の“元職員”たちだった。全員、三十年前の大氾濫を最後に、この迷宮を守り続けてきた人たちだ。
大聖堂の司祭たちから、くすくすと笑い声が漏れた。ベルトランは慈悲深い顔のまま、肩をすくめてみせる。
「ご老体に無理をさせるのは感心しませんな。では、我々は六十階から参ります。お先に」
司祭たちは昇降用の転移陣で、いっきに最下層へと降りていった。
アイリスが、心配そうに俺を見た。
「ノエル、私たちも深いところからやらなくていいの? 一番ひどいのは六十階でしょう」
「逆です。掃除は、上から下へ」
俺は迷宮の断面図を広げた。五十一階から六十階まで、階段と通路と水路が、細い線で描きこまれている。
「瘴気は水と同じで、低いほうへ流れます。下から先に綺麗にしても、上に残った瘴気が雨漏りみたいに垂れてきて、二日もすればまた汚れる。だから上から順番に、汚れを下へ追い落としていくんです」
「……なるほど。じゃあ大聖堂は」
「下から始めたので、毎日、上から降ってくる瘴気とずっと戦うことになりますね」
元職員のおばあちゃんたちが、うんうんと頷いた。この人たちにとっては、言うまでもない常識なのだ。
昔から、掃除の仕事は段取り八分と言う。道具を揃え、順番を決め、手を動かす前に勝負の大半は決まっている。
「今日は五十一階と五十二階。壁と天井はグラム課長たち。床の瘴気は俺とアイリスさん。水路の詰まりはマーサさんたちにお願いします。夕方の五の鐘で、全員撤収」
「了解!」
そこからは、黙々とした時間が続いた。
おばあちゃんたちの手つきは、俺よりずっと速かった。三十年分の動きに、一切の無駄がない。水路に溜まった黒い澱みを、竹べらでするすると掻き出していく。
アイリスは、昨日教えたばかりの“浮かせて待つ”を、黙って繰り返していた。時々、モップを上段に構えかけて、慌てて下ろしている。
二日目も、同じだった。五十三階と五十四階。順番どおりに、上から下へ。
二日目の夕方、ギルドの掲示板に中間報告が貼り出された。各階の瘴気濃度を、ギルドの鑑定士が測ったものだ。
大聖堂の担当区域:瘴気濃度、平均七割減。
ギルド清掃課の担当区域:瘴気濃度、平均三割減。
掲示板の前で、冒険者たちがどよめいた。
「やっぱり聖なる力は違うな」
「モップじゃ勝てっこねえよ」
アイリスが唇を噛んだ。俺は掲示板の数字をじっと見て、それから懐中時計を見た。
「……アイリスさん。帰りましょう。定時です」
「ノエル、悔しくないの?」
「悔しいですよ。でも、焦げ付きは三日後に牙をむくんです」
大聖堂の司祭たちは、聖なる光で瘴気を焼いていた。焼かれた瘴気は一度は消えたように見える。でも、焦げ付いた鍋の底と同じだ。表面が炭になって、その下に、まだ生の汚れが残っている。
そして、焼き固められた汚れは、こすっても、もう落ちない。
「明日か明後日には、数字がひっくり返ります。それまでは、俺たちは段取りどおりにやるだけです」




