第四話 新人研修は剣姫さん
翌朝。清掃課の狭い詰所に、とんでもない光景が広がっていた。
「本日より清掃課に配属になりました、アイリス・ローゼンハイトです。よろしくお願いします」
灰色の作業着。頭には三角巾。腰にはモップの代わりに、王家から賜った聖剣。
王国最強の剣姫が、清掃課の制服を着て、深々と頭を下げていた。
がしゃん、と音がした。グラム課長の湯呑みが、床で砕けた音だった。昨日の俺の予想は、見事に的中したわけだ。
「か、課長。湯呑み、片付けますね」
「……ノエル。わし、夢を見とるのかの」
「現実です。ギルドマスターの辞令も出てます」
課長は辞令を三回読み直し、天を仰ぎ、それから諦めたように俺の肩を叩いた。
「教育係は、お前じゃ」
「ですよね」
そういうわけで、新人研修が始まった。
場所はギルド裏手の訓練用ダンジョン、通称“練習穴”。新人冒険者が実戦の前に潜る、魔物もほとんど出ない浅い洞窟だ。床には、昨日の新人たちが流した魔物の血と、薄い瘴気の染みが点々と残っている。
「では、基本からいきます。この染み、どう落としますか」
「斬るわ」
「斬らないでください」
アイリスは真顔だった。冗談で言っていないところが、いちばん怖い。
「でも、昨日の骨竜も一刀で斬ったのよ。染みくらい……」
「床ごと割れます。修繕費は課の予算から出るので、俺の残業が増えます」
残業、という単語にアイリスの肩がぴくりと跳ねた。昨日の約束は、ちゃんと覚えているらしい。
俺はバケツの横にしゃがみこんで、モップを一本渡した。
「清掃の基本は三つです。汚れの種類を見る。時間を見る。こすらない」
「こすらないの? 汚れって、こすって落とすものじゃないの?」
「こすると、汚れが床の奥に押し込まれます。瘴気も同じです。表面だけ削っても、石の目に入り込んだ分が残って、三日後にはまた魔物が湧く。だから浮かせて、吸わせて、拭き取る」
アイリスは真剣な顔で頷き、モップを構えた。
剣の構えだった。
「あの、それ、上段の構えですよね」
「……つい」
最初の一時間で、彼女はモップの柄を二本折った。力加減が、根本的に人間離れしているのだ。
けれど、二時間目には一本も折らなくなった。三時間目には、俺が教えた“浮かせて待つ”間合いを、ほとんど完璧に掴んでいた。
剣の才能というのは、たぶん、こういうことなんだろう。相手を見て、呼吸を読んで、いちばんいい瞬間に動く。相手が魔物から汚れに変わっただけで、根っこは同じなのかもしれない。
「ノエル、見て。この染み、全部浮いた」
「……正直、驚きました。三年目の俺より筋がいいかもしれません」
「本当?」
アイリスは子どもみたいに顔を輝かせた。三角巾から、金色の髪がひと房こぼれている。
詰所に戻ると、ギルドマスターの使いが待っていた。
「清掃課ノエル・バーク殿、アイリス・ローゼンハイト殿。マスターがお呼びです」
マスターの執務室の机には、王国じゅうのダンジョンの地図が広げられていた。いくつもの迷宮に、赤い印がつけられている。
「各地のギルドから届いた、瘴気濃度の報告じゃ。ひと月前の三倍を超えておる迷宮が、すでに七つある」
マスターは、ひとつの印を指で叩いた。
「そして今朝、この街の灰の大迷宮・浅層五階でも、同じ異常が見つかった。ノエル君。君の目で、確かめてきてくれんか」
俺は地図を見つめた。赤い印は、ばらばらに散らばっているようで、どこか規則正しく並んでいた。
まるで、誰かが順番に汚して回っているみたいに。
「わかりました。……定時までに戻れる範囲で」
「もちろんじゃ」




