第一章「遠いはずの記憶」続編
今にして思えば、担任の先生は、私を公平に見ていてくれたのかもしれない。
そう思える、ほとんど唯一の出来事だった。
しかし、それ以外の幼稚園生活は、苦痛に満ちたものだった。
私は、周囲にどう振る舞えばよいのかわからなかった。場の空気を読むこともできず、着替えさえ満足にできなかった。
あるとき、私は廊下で、一人で着替えをするように言われた。
目の前には、担任の先生が立っている。
怒られないようにしなければ。
でも、どうすれば怒られずに済むのだろう。
何をどうすれば正解なのか、それすらわからない。
恐怖と戸惑いで、頭の中がいっぱいになった。
折り紙の時間もそうだった。
先生が目の前で見本を示してくれている。それなのに、私の手は動かない。
何をどうすればよいのか、わからないのだ。
周囲の子供たちは、当たり前のように物事をこなしていく。
私は、ただ取り残される。
そんな毎日だったのだから、幼稚園が楽しい場所であろうはずがなかった。
そして、このとき私の中には、ある確信にも似た思いが芽生えていた。
この違和感と恐怖は、きっとこれからも自分を苦しめ続けるのだろう。
幼いながらに、私はそう感じていた。
そして、その予感は的中することになる。
だが、それについては後にお話ししたい。
私は、静かに心のドアを閉めた。
自分の中にある、この得体の知れない違和感。
人の輪に入れない苦しさ。
いつ叱られるかわからない恐怖。
それらを誰にも相談できず、理解してもらうこともできなかった。
私は、この世に一人ぼっちなのだ。
幼い私は、そう思うようになった。
そして、周囲の人間は、私を脅かす「敵」のように映り始めた。
人と関わることは、楽しいことではない。
いつ傷つけられるかわからない、恐ろしいことなのだ。
私は、いつも夢想していた。
どこへも行かず、誰とも会わずに暮らしたい。
誰からも何も求められず、ただ静かにしていたい。
そんなあるとき、私は思った。
できることなら、図書館の本になりたい。
本になれば、自分からどこかへ出かける必要もない。
誰かが引っ張り出さない限り、ずっと本棚の中で、ひとり静かにしていられる。
誰とも話さなくていい。
何かを間違えて、叱られることもない。
幼い私にとって、それは一つの理想だった。
人と楽しく交わることができない。
そのことが、どれほど苦痛だったか。
そして、それ以上に私を傷つけたのは、そんな苦しみを理解してくれる人が、どこにもいないことだった。
私は、幼心に諦めてしまった。
誰かにわかってもらうことを。
自分の苦しみを、言葉にして伝えることを。
一方、親はそんな私の内面など知る由もなかったのだろう。
私が何に怯え、何に苦しんでいるのか。
そんなことには気づかないまま、別のことを私に求めた。
たとえば、英語で一月から十二月までを言わせることだった。
全部言えるようになるまで、風呂から出さない。
そんなことまであった。
私が幼稚園で人間関係に苦しみ、毎日のように恐怖を感じていた、その一方である。
親が私に求めていたのは、英語で月の名前を覚えることだった。
親とは、そういうものなのだろうか。
私は、ますますわからなくなった。
私が本当に困っていることには、誰も気づいてくれない。
なのに、私にとって何が大切なのかわからないことばかりを、次々と求められる。
どこまでも、何かが噛み合わなかった。
幼稚園でも、家庭でも。
そして、私の心のドアは、ますます固く閉ざされていった。
このドアが再び開かれるのは、ずっと後年のことになる。




