184人
9月27日、日曜日。
ブロサールの朝は冷え、風があった。
男子エリートロードレース、273.4km。獲得標高は約3,800m。セントローレンス川を越えてモントリオールへ入り、モン・ロワイヤルをめぐる13.4kmの周回を12周する。
前年のキガリほど登らない。一昨年のチューリヒほどでもない。数字だけなら、難易度は下がったように見える。だが、登りが少ないことと、簡単であることは同じではなかった。何度も登れば、一回の数字以上に重くなる。
短い登り、長い登り、風を受ける平坦、速度の乗る下り。ある区間ではマチューが強く、別の区間ではクライマーが強い。集団がまとまればマイケル・マシューズやマッズ・ピーダスンの速さが生きる。止まれば独走力のある選手が前へ出る。
誰か1人の能力だけを測るコースではない。
能力の意味が、数分ごとに変わるコースだった。
184人、61か国がスタートした。
日本代表は橋川丈、1人。前年の全日本選手権U23個人タイムトライアル王者は、旗が振られるとすぐ、最初のアタックに加わった。
ファーストアタックが、そのまま決まるとは限らない。むしろ決まらないことの方が多い。大集団の前へ出て、風を受け、誰かがつき、別の誰かが嫌がって追い、吸収される。橋川の試みも、消えた。
しかし世界選手権の先頭に、日本のジャージが一度は現れた。
その一方で、スロバキアのジャージを着ていたのは、代表チームのマッサージ師だった。
ヴラジミール・コヴァーチク、28歳。もともと選手として走っていたが、競技から離れて9年。代表予定者の相次ぐ欠場によって、スロバキアが出走者を失いかけたため、急きょ選手として登録された。普段ならレース後の選手の脚をほぐす男が、世界最高峰の選手たちと同じスタートラインに立った。
勝てるかどうかは問題ではなかった。
彼にとって、世界選手権を走ること自体が、現実の方からやって来た物語だった。
序盤の逃げは16人になった。
ノルウェーのアンドレアス・レックネスン。エリトリアのビニヤム・ギルマイとヘノク・ムルブラハン。地元カナダのギヨーム・ボワヴァン。ドイツのフェリックス・エンゲルハート。ラトビア、ウクライナ、セルビア、パナマ、モーリシャス、ルーマニア、キプロス、バミューダ、難民選手団。
世界選手権という名前のとおり、前方には世界が小さな集団を作っていた。
差は3分になり、やがて8分近くまで広がった。
まだ180km以上が残っている。優勝候補たちは集団の中にいた。補給を取り、風を避け、前方の数字だけを確認する。長いレースの序盤では、何も起きていないように見える時間がある。
実際には、その間にも脚は少しずつ使われ、体温は変わり、空腹が近づき、誰が集団の前にいるかという小さな情報が蓄積されている。
100kmを超えたところで、コヴァーチクの世界選手権は終わった。
勝負には関われなかった。それでも彼は、自転車競技の最高峰の1日に100km以上参加した。
橋川は2周目で集団から離れた。
公式表示に、DNF。
日の丸が消えた。
そこで終わりではなかった。
映像には映っていない選手を確認しようと、結果表示を追う。
次に目へ入ったのは、スロベニア国旗だった。
ヤン・トラトニク、マテイ・モホリッチ、DNF。
日の丸に続いて、2つ並んだ。
トラトニクといえば。
「馬鹿な攻撃をしたかもしれない。でも幸運にもヤンがいた!」そう語った、世界王者。普段はライバルをアシストする、ヴィスマの選手。「かなり馬鹿げた動きだと思った。」とマチューが振り返り、「でも彼は僕らが間違っていたと証明した。」と締めくくった。
2024年チューリヒ世界選手権でポガチャルが世界を相手に仕掛けた距離、実に100km。
この大会にその王者がいないことで、予想図が書き換えられるとしたエピソード。そんなとんでもないエピソードでも、数多くあるたった一つに過ぎないのが、ポガチャルという男だった。
モホリッチといえば。
ピドコックとはまた違う意味で、下りを武器にしてきた選手だった。モホリッチ曰く、「自分が発明したかは分からないが、自分より前にレースで使うのを見た記憶はない。」スーパータックと呼ばれるそのダウンヒルでの空力技術は、安全性を理由に2021年に禁止された。
そして2022年ミラノ~サンレモ。ポッジオの下り用に、MTBで使われるドロッパーシートポストをロードバイクへ装着し、禁じられたスーパータックに近い姿勢について「ドロッパーはスーパータックより安全で、なおかつ速い!」と、切り取るとまるで販促のようなセリフ。最後が下りになるレースに対し、冬からそこだけを狙って専用セットアップを作り、世界最高峰の選手たちを置き去りにして勝ったのだ。
そんなスロベニアの2人が、立て続けに消えた。
機材を工夫するモホリッチはメカトラを機に崩れた。しかも、サドル。なんとも皮肉なことだった。
日の丸が消えた直後に同じ国旗が2つ連続。
スロベニア、大丈夫か。
ログリッチ、どうすんのさ。
そんな衝撃でもあった。
世界選手権はまだ、残り100km以上あった。
レースは、勝者だけでできているのではなかった。




